297・アーマーン侯爵家の暗躍(※気遣い)
アーマーン侯爵家に仕える魔導師、キュリオ・ペイジは、たった数日で終わってしまった『ブランフォード伯爵領視察』の経緯とその内情について、胃を押さえながら二通の報告書と自分用の覚え書きをまとめきった。
まずはカルテラ侯爵のみに見せる『実際に目撃したもの』をまとめた報告書。
こちらには、冒険者、ピスタ・ラビの衝撃的な地属性魔法や、開拓が一日で終わってしまったこと、トマト様の燻製作りに魔族オズワルドも関わったことなどを過不足なく記した。
これらの情報の取扱いについては、カルテラ侯爵に丸投げする。
冒険者ピスタがおそらく『亜神』であることについては⋯⋯口頭でのみ「その可能性が高い」と報告することにして、書面には記さなかった。亜神の存在は、その当人が隠している以上、周囲としても配慮し隠蔽する必要がある。
もう一通の、対外的にも公表可能な『期間や実態をいろいろぼかした内容』の報告書については、商人ギルドや冒険者ギルドとも共有する。
こちらは嘘ではないが妙に薄っぺらい内容で、要するに『トマティ商会とブラン商会が、ブランフォード領に共同でトマト様畑を作った』『契約農場は今後も広げていく予定』などの、いろいろ省略した当たり障りのないものになっている。
魔族オズワルドも登場しないし、転移魔法で移動したことや、夜空を飛んでいた謎の白い猫(あるいは熊)についてもまったく触れていない。
昨年の舞踏祭で、『猫の精霊』が大々的に王都に出現したため、信じてはもらえるだろうが⋯⋯あれは一応、『冒険者ピスタが、夜のうちに擁壁を作っておいてくれた』と、ジャルガバウルも話していたので、その方針を共有する。
そのため、カルテラ侯爵に見せる一通目の『ちゃんとした報告書』にも記さなかった。
自分とフリッツは何も見なかった。お星さまがとてもきれいな夜だった(棒)
この二通の報告書についてはトマティ商会のジャルガ、魔族のオズワルドにも清書前の草案を確認してもらい、了承を得ている。なんか猫もじっと眺めていた気がするが、まさか読めるはずもないので気のせいだろう。適切なタイミングでページをめくっていたような気もするが、猫が紙をいじるのはよくあることである。
あとジャルガもオズワルドも、猫が紙を引っ掻いてズタズタにする可能性を微塵も警戒していなかったのは少し気になった。たぶんすごく賢い猫なのだろう。目つきも穏やかで、同行中、一度も暴れたり走り回ったりすることがなかった。
最後に、自分用の『覚え書き』は門外不出とする。自分に万が一のことがあった時、侯爵家や後任者がやらかさないよう注意する内容だが、これはとても表沙汰にできない。
仮に公表されるとしたら自分の死後、すべてが伝承とか埋もれた歴史の一頁になった頃だろう。
自らの書斎でそれらの作業を終わらせ、トマティ商会のジャルガからもらった「良く効いて胃にも優しい胃薬」を飲み、今宵は眠りにつく。
この薬は、リーデルハイン子爵家のリルフィという魔導師が調合したものらしい。乾燥した茶葉の状態で一回分ずつ包装されており、薬湯にして飲むと胃酸の中和、抑制に加えて安眠の効果まである。
実際、これを飲んでから眠ると朝起きた時に胃の不快感がない。できれば市販して欲しいのだが、薬草の栽培に手間がかかるようで生産量が限られているとのことだった。
キジトラ柄の猫達がラインダンスをする変な夢を明け方に見つつ、それでもスッキリと目覚めた後、昨夜仕上げた報告書をカルテラ侯爵の元へ持ち込む。
通常、この手の報告書は道中にまとめるのだが、往復がオズワルドの転移魔法によって一瞬だったため、書類を書く暇すらなかった。
カルテラ侯爵が書類を読む間、キュリオはソファに座らされる。
こうした時に家臣を立ったまま控えさせる家もあるようだが、カルテラ侯爵はそのあたりが実務的というか合理的というか、「部下に無駄な負担をかけない」ことを重視しており、キュリオに限らず、普通の使用人達に対しても優しい。
貴族社会では「酒癖が悪い」だの「セクハラが酷い」だのと散々に言われているが、「自分の部下を大切にする」という面では、キュリオにとってこの上なく仕えやすい上司だった。
時折、質問を交えつつ二通の報告書を読み終えると、カルテラ侯爵はしばし黙考した。
「⋯⋯うん。ご苦労だった、キュリオ。急な事態に良く対応してくれた。結論として聞きたいのだが⋯⋯トマティ商会は、あれ、『商会』とは思わんほうがいいな? 魔族や上位存在が、陰ながら人の世を観察するために作った隠れ蓑だな?」
カルテラ侯爵の解釈に、キュリオはやや困って首をかしげる。
「⋯⋯その可能性もあります。しかしその一方で、驚くほどまっとうに『商売』をしようと考えている節もありまして⋯⋯特に新商品の開発には意欲的でして、報告書にある通り、ブランフォード領でも『燻製トマト様』という試作品を提案していました。ぜひ閣下にもご賞味いただきたく、厨房に預けてあります」
「ああ、昨夜、毒見した者が感動していた。体調に変化がなければ、今夜あたり、私も試すつもりだが⋯⋯やはり売れそうか?」
「高級品ではあります。例のバロメソースのように、大鍋で煮込めるような料理ではありませんので、相応に期間と手間がかかりますし⋯⋯あちらでとれる綿実油も菜種油に比べると安くはありませんので、基本的には貴族向け、富裕層向けの商材でしょう」
「ふむ⋯⋯庶民向けのバロメソースとはターゲットが違う、ということか。手広いな」
「貴族向けの『黒帽子ソース』と『燻製トマト様のオイル漬け』をセットにして、贈答用のギフトセット? というものを売り出す予定もあるようです。北部のリーデルハイン領で製造した黒帽子ソースと、南部のブランフォード領で製造した燻製トマト様のオイル漬けを、それぞれ王都に運び、王都のトマティ商会で詰め合わせにするとか⋯⋯木箱の製造はできればシンザキ商会に相談したいとも言っていました。なんというか⋯⋯『他商会との協力、提携』に対して非常に前向きで、単純な利益を独占するよりも、味方を増やすことに利を見出している印象があります」
トマト様の種子を南部へあっさり提供したのも深い戦略があってのことだろうし、年若いナナセを重用しているのも、本人が優秀なのは前提として、シンザキ商会との関係を重視する姿勢のあらわれでもあるのだろう。
カルテラ侯爵が目を伏せて考え込む。
「しかし、亜神と魔族の目的が読めんな⋯⋯トマティ商会を大きくしたいのだろうとは思うが、それにしては動きが穏健というか、周辺への配慮、気遣いが過ぎるというか⋯⋯畑の開拓にしても、これではブランフォード伯爵家の丸儲けだろう。これは上位存在が、ライゼー子爵の意向を汲んでいるということか?」
「そのように思います。また、ルーシャン卿やトマティ商会の商人達も意見を出しているはずですが⋯⋯それから報告書には記しませんでしたが、開拓に同行した『ジャルガ』という商人から、少々気になる話を聞きました」
「まだ何かあるのか」とでも言いたげな困惑の視線で、カルテラが続きを促す。
「彼女によれば、『トマト様』というのは極めて栄養価が高く健康に良いだけでなく、そもそも『神聖にして尊い植物』なのだそうです。トマティ商会の目的はただ金を稼ぐことではなく、このトマト様をより良い形で、それこそ万民に歓迎される形で国を越え、世界に広げていくことだそうで⋯⋯」
カルテラが目を剥いた。
「世界ときたか! いや、亜神と魔族が手を組めば、決して不可能な目標ではない⋯⋯大きく出たものだが、それを聞いてむしろ納得した。ネルク王国での普及はあくまで足がかり。真の目的がその先にあるとするならば、今の時点では何事も先行投資という感覚なのだろうよ」
説明しておいてなんだが、こんな説明にあっさりと納得した侯爵の態度に、キュリオはむしろ困惑させられる。
「いえ、これは方便というか、建前ではないでしょうか。ジャルガ殿は本気のようでしたが、それなら亜神や魔族が前面に出てばら撒いたほうがよほど⋯⋯」
カルテラ侯爵が薄笑いを見せた。
「キュリオ、お前は合理的だが、『人の心理』にまだ疎いな」
⋯⋯正直、その自覚はあるし、こと『人の心理につけこむ』手法ではカルテラ侯爵の足元にも及ばないので、素直に聞く側に回る。
「上位存在から『下賜されたもの』、あるいは『押し付けられたもの』と、『自ら選択し、その価値を認めて得たもの』とでは、一般に後者のほうがその価値は高まる。信心深い者ならば前者に重きをおくだろうが、そんな連中はこの世界にごくわずか。ほとんどの者は、信心よりも利益、実益に重きをおく。この価値を証明するには、商売として成功させるのが一番わかりやすい」
カルテラ・アーマーン侯爵は農業閥の長である。農作物の流通に関しては一家言あるし、上位の貴族でありながら現実もわかっている。
「亜神がそのような下界の機微を把握しているとは思えんから⋯⋯これはやはり、ライゼー子爵か商人達の意向だろうな」
などと侯爵は納得顔だったが、キュリオは実のところ「実はライゼー子爵ってそんなに関わってないんじゃないかな⋯⋯?」などと感じつつある。
明確な根拠があっての推論ではないのだが、先日までジャルガやオズワルド達と話してきた印象として⋯⋯二人とも「トマティ商会の社長、ルーク・トマティ氏」からの影響は強そうなのだが、ライゼーに関しては『頼りになる協力者』ぐらいの距離感で、むしろその娘のクラリスのことを絶賛していた。
オズワルドいわく「あの娘は大物になる」、ジャルガいわく「社長の精神面を支えてくださる方です」とのことで⋯⋯今はホルト皇国に留学中のはずだが、オズワルドが転移魔法を使えるのでこっそり行き来しているのだろう。
どうせ偽名であろう『社長』の正体については、明らかに厄ネタなので詮索する気はない。表に出てこないのには相応の理由があるはずで、「そこは探らないようにしよう」と、フリッツ卿やカルテラ侯爵との間に合意ができている。
いずれにしても、とカルテラ侯爵が結論を述べる。
「報告書の件、把握した。オズワルド様にも確認をとったとのことだが、こちらの真実を記したほうは禁書庫にいれて、場合によっては破棄も検討する。公表用のほうは、これで問題あるまい。手間をかけたな、キュリオ。今回の役目、よくこなしてくれた」
「もったいないお言葉です」
行動としては「畑の新規開拓を見学してきた」だけなのだが、なにせ魔族、亜神絡みの案件だけに、「その怒りを買わず、無事に生きて戻ってきた」だけでも評価されて然るべきではある。
「我々は引き続き、トマティ商会を相手に妙な動きをする奴が現れないよう、見張っていく。幸い、ペルーラ公爵家ともこの認識を共有できた。ラライナ様とレナード公爵家のほうは、事情をどこまでご存知なのかわからんが⋯⋯ライゼー子爵と敵対する気がないことは、現時点ではっきりしている」
ラライナの息子、ロレンスはクラリス達と一緒に留学しているし、先の夜会では子爵家夫人のウェルテルと一緒に、人懐っこい猫達に囲まれご満悦だったらしい。
キュリオはその光景を遠目にしか見ていないが、人づてに聞いたところでは、ラライナとウェルテルの会話は極めて友好的で、昔からの友人⋯⋯あるいは『ペット仲間』としての連帯感がうかがえたとのことだった。
ラライナが猫好きだったとは初めて知ったが、多数の猫達をモフりながら少女のように微笑むラライナ達の姿は、他家の夜会でも語り草となったようで⋯⋯また猫を飼い始める貴族が増えそうである。
なお、ルーシャン・ワーズワースの著書、『猫の飼い方』も、昨年の猫騒動の後に緊急重版したらしい。
あれはタイトルの割にだいぶ思想性が強い奇書なので、人心に良からぬ影響がありそうでちょっと怖い。たまに垣間見える書の根本思想が明らかに「猫様>人」で、読者がそう理解するように徐々に刷り込んでくるタイプの思想兵器なのだ。
著者が宮廷魔導師なせいで変な信用性がついているが、中身は危険物だとキュリオは認識している。
その書物が今、寡妃ラライナからの推薦によって、カルテラ・アーマーン侯爵の机の中にもあることなど知るよしもなく⋯⋯
キュリオは一仕事を終えた安堵とともに、侯爵の執務室を辞去した。
§
ルーシャン・ワーズワース著、『猫の飼い方』。
クラリス様やリルフィ様は、去年のうちにこの奇書を読了された。俺もざっと読んだが、そのまま宇宙猫と化した。
現在は猫カフェ(キャットシェルター)の本棚に置いてあり、つまり身内であれば誰でも読める。
ポルカちゃんとマズルカちゃんはすでに知っていた。
オーガス君は、まるで天啓を得たかのように感涙に咽び泣いていた。それを見たクロード様が「ええ⋯⋯」ってドン引きしていた。
シノ・ビのカエデさんも知っていたぐらいなので、(猫仲間ネットワークの暗躍によって)ぼちぼち他国にも出回っているらしい。こわい。
余談だが、前世における出版部数第一位といえば、なんといっても「聖書」であった。その推定発行部数は五十~七十億部以上ともいわれる。やはり宗教⋯⋯宗教書は強い。
そして『猫の飼い方』はあくまでペットカテゴリのアレなので決して宗教書ではないはずなのだが、思想性が強すぎてどうしても邪教の匂いが抜けぬ。
なお、ロレンス様は一読後、「ルーシャン卿はルーク様に出会う前から、この境地に達しておられたのですね⋯⋯」と感服していた。
クラリス様は優しく微笑んだのみで言及を避けた。我が主は沈黙の有用性を心得ておられる。
しかし書いてあることは多くの猫チャンにとって重要かつ有用な内容であるのも事実で、食べさせちゃいけないものとか年齢、体格ごとの餌の適正量とか、よくある病気の見分け方とその対処法とか、猫草の育て方とか、実用書としての価値がでかい。
ちょくちょくこっちを覗いてくる深淵に目を瞑れば、本当に良書なのだ⋯⋯(おめめぐるぐる)
そんなすてきなごほん(婉曲表現)を読んだせいだろうか。
ラライナさまは、変わってしまわれた⋯⋯
今、有給休暇を得た俺の眼前では、母たるラライナ様からの手紙を読み終えたロレンス様が宇宙猫になっている。
宇宙⋯⋯
果てしなき大宇宙⋯⋯
あれがデネブ、アルタイル、ベガ⋯⋯〈◉ω◉〉
「⋯⋯あ、あの、ルーク様。持ってきていただいた、母からの手紙なのですが⋯⋯! あの、猫を飼い始めたと⋯⋯マフと名付けたと⋯⋯それから、私やリオレット陛下への謝罪の言葉まで⋯⋯ひ、筆跡は、確かに母のものなのですが⋯⋯!?」
あの冷静沈着なロレンス様が⋯⋯!
こんなにも露骨に動揺されるなんて⋯⋯!
「⋯⋯はい。私も現地ではたいへん驚きました。マフさんを紹介し、猫の飼い方を指導してくれたのはハズキさんだったらしいのですが⋯⋯」
あとロレンス様に手紙を書くようにと進言したのは、俺⋯⋯というか、俺のメッセージを受け入れて代弁してくれたウェルテル様である。
「トマティ商会本店に預けてくれれば留学先まで届けますよ!」ということで、ラライナ様はだいぶ時間をかけて悩みながら、結構な枚数の便箋をこうして綴ってきたのだ。
⋯⋯ちらりと覗いた感じ、マフさんの可愛さを讃えるエピソードにもけっこうな紙幅が割かれていたっぽいのは御愛嬌である。決して信仰心の芽生えとかそういうのではない。ラライナ様はまだ邪教には毒されていないはずである。ほんのちょっぴり深淵さんから覗かれてしまって混乱が続いているだけなのだ。
動揺してカタカタと震える珍しいロレンス様を見て、我が主たるクラリス様もちょっと困惑気味である。
「あの、ロレンス様。そのお手紙は、そんなに衝撃的な内容だったのですか?」
「あっ⋯⋯そ、そうですね⋯⋯もし差し支えなければ、クラリス様もぜひご確認ください⋯⋯以前の母をあまりご存知でなければ、衝撃も少ないかもしれませんが⋯⋯その、どう感じたか、第三者の目からご感想をいただければと⋯⋯」
さすがに「母がおかしくなったかも」とは言えず、ロレンス様は便箋の束を手渡した。
俺もちょっくら覗きつつ、ポップコーンを頬張る。
まずは時候の挨拶、ロレンス様の近況を気遣う言葉、過去の自分への反省、保護者として同行してくれたペズン伯爵への感謝、リオレット陛下との和解についてなど、王族らしいそつのない内容が綴られ⋯⋯やがてマフさんとのエピソードが始まる。
出会い、お世話、日々の成長、行動、猫用おもちゃへの反応に兄弟猫達との交流、寝姿の愛らしさ、毛並みのつややかさ、肉球のぷにぷに感⋯⋯
ロレンス様に続いて、猫もまた宇宙を見た。
宇宙⋯⋯
果てしなき大宇宙⋯⋯
あれがヒアデス、アークトゥルス、そしてフォーマルハウト⋯⋯〈◉ω◉〉
人が深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。
つまり人がペットを飼う時、ペットもまた人を飼育しているのだ⋯⋯
クラリス様はあくまで優しいまなざしのまま、そっと便箋の束をロレンス様にお返ししたのだった。




