288・わんわん不動産破産事件
夕刻。
ライゼー・リーデルハインは、高位貴族の夜会に向かうべく、八番通りホテルの自室で身支度を整えていた。
ここ数年はこの時間が憂鬱で仕方なかったものだが⋯⋯昨秋以降、復帰した妻のウェルテルが同行してくれるようになり、ずいぶんと気が楽になった。
ライゼーも元商人だけに、決して口下手ではない。だが商談と社交術では勝手も違いすぎるし、顧客相手の商談には「契約の締結」「商品の引き渡し」というゴールがあるが、貴族の社交には明確な終わりがない。
それでいて普通の友人付き合いや親戚付き合いとも違い、双方に冷徹な打算と公的な建前と政治的な思惑がある。
領民の生活、家系の誇り、派閥の人間関係⋯⋯背負っているものが多いため、面倒くさくないはずがない。
生まれながらの貴族、生まれながらにその教育を受けてきた層ならば、そんな日々を「日常」として受け流せるのかもしれないが⋯⋯ライゼーは物心ついた頃に養子に出され、そこからは商人としての気質を学んだ。
士官学校にも通っていないし、当初の領地経営は執事頼りの手探りだった。
執事のノルドは「帳簿の扱いや財政感覚の面では、他の貴族より大きく優れていらっしゃいます」と太鼓判を押してくれたが、元商人がその分野で貴族以下だったらさすがに問題がある。そして案の定、「統治」に関しては学ぶべきことのほうが多かった。
商人は税金を納める立場だが、領主はこれを徴収する立場である。
その使い道も良く言えば「自由」だが、失敗すれば領地を衰退させるし、最悪の場合、爵位を失ってしまう。
商人ならば他領へ逃げればいいが、領主に逃げ場はない。
⋯⋯いや、悪ささえしなければ、爵位を失っても再起できることはある。ブランフォード伯爵家がまさにそれだが、逆に言えば悪事が発覚した場合、たとえ貴族であっても首が飛ぶこともある。
上位貴族や王族の場合、「自裁」という体裁で毒を飲まされることが多いようだが、子爵家くらいだと普通にアウトである。
だからライゼーは、子爵家を継ぐと決めた後、ことさらに身を律した。
若い頃からまあまあ生真面目だったため、性格や言動を変えるほどの変化は必要なかったが、それでも親友のヨルダからは「威厳が出てきたなぁ」とからかわれたものである。
そんな彼にとって、「妻のウェルテル」もまた⋯⋯ヨルダと同じく、素の自分のままで会話できる貴重な存在だった。
『◯◯卿は貴方のことが嫌いなんじゃなくて、警戒しているだけ。搦手は逆にもっと警戒されるから、隠し事をせずに真正面から話し合えば大丈夫よ』
そんな具合に、その観察眼と分析で支えてくれたことも一度や二度ではない。
⋯⋯余談ながら、最近のクラリスを見ていると、その賢さはやはり妻譲りだとしみじみ思わされる。
一方で、息子のクロードの慎重さと弱気は自分に似たのだろうと思っているが、ヨルダにこれを言ったら「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯弱気?」と正気を疑うような顔をされた。
ライゼーは気が弱いつもりである。少なくとも目上の者に対して強気に出るようなことはほぼないし、妻にも娘にも頭があがらない。
ルークがこれを聞いたら「ライゼー様のそれは優しさと余裕であって、弱気ではないです」と真顔で突っ込むところだが、この会話の場にルークはいなかったので、亜神の託宣は受けられなかった。
言葉というのは存外難しい。一つの言葉に対する「印象」も、人それぞれで違っていたりする。
「貴方、タイが曲がってますわ」
すでに支度を終えたウェルテルが、ライゼーの正面に立ち、そのたおやかな手で首元のタイを直してくれた。
「ああ、ありがとう。なんというか⋯⋯去年までは護衛の騎士にこれをやらせていたものだから、色気もへったくれもなくてな⋯⋯妙に照れくさい」
「ふふっ。普通はメイドを何人か同行させるものよ?」
「往復と滞在で一ヶ月の旅となると、なかなかな⋯⋯君にしたって、ルークの魔法のおかげでこうして連れてこられたが、長旅が前提だったら屋敷に待たせていた」
「あら。じゃあ、私もルークに感謝しないとね。一ヶ月も貴方に放置されたら寂しいもの」
くすりと少女のように笑う妻は、病から快癒して若返ったような印象さえ受ける。おそらくこれは気のせいではなく、『亜神の加護』あたりが影響していそうな気がする。
ルークは「いえいえそんなまさか。いえそんな。決してそのようなアンチエイジング的な効果は。いやまさか。いえ。うーーーーん⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯ありえますねぇ⋯⋯」と、渋々ながら認めた。
あの猫は「自分の能力を認める」ことに関してはかなり往生際が悪い。下手にこれがバレると加護の奪い合いになりそうなので、認めたくなかったのだろう。
そんなことを思い返していると、茶色い紙箱と作業着姿の黒猫が床から生えてきた。
『にゃーん』
「はーい、いつもご苦労さまー」
箱から「よいしょ」と出てきたキジトラ柄の猫が、黒猫が差し出した伝票にぽんと肉球を押し付ける。
黒猫はぺこりと一礼し、颯爽とその場から消えた。
そして残ったキジトラが、ライゼーとウェルテルを見上げてにこにこと微笑む。
「どうもどうも、ライゼー様! まだお出かけ前でしたか。ちょうど良かったです!」
「ああ、ルーク、もう戻ったのか。南方はどうだったね?」
抱き上げようとすると、珍しいことにするりと逃げられた。
「あ、いけません、ライゼー様! せっかくのお召し物に抜け毛がついてしまいます!」
猫らしからぬその気遣いには、いつものことながらもはや笑うしかない。
「さして目立たんし、クラリスやリルフィに毎日ブラッシングされているだろう?」
「しかし、南方で土のサンプルを回収してきた直後ですので⋯⋯やや埃っぽいかもしれず⋯⋯」
ルークが自らの体毛をぱっぱっと払う。柄が柄なので汚れは目立たず、正直に言ってよくわからない。しかしそういえば、去年の夜会出席の前はクラリスとリルフィが丹念にブラシをかけていた気がする。
ウェルテルが猫用のブラシを取り出し、その体を撫で始めた。
「ぜんぜん大丈夫そうよ、ルーク? 肉球にも土はついてなさそうだし⋯⋯」
「そ、そうですか? まぁ、畑仕事をしてきたわけではないので⋯⋯しかしこちらよりは空気も乾燥していた印象だったので、静電気とかで⋯⋯むぅ」
ルークが毛繕いをして、不思議そうに首をかしげる。たぶん思った以上に土の匂いがしなかったのだろう。
「失礼しました、大丈夫そうです! さっきまでお客様に撫でられていたので、それで埃がとれたのかもしれません」
「お客様?」
ライゼーはぴくりと反応する。この猫、まさかまた信徒を増やしたのかと、やや身構えてしまった。
ルークは先日来、新しい魔族やら、ホルト皇国の宮廷魔導師やら学者やら、アロケイルの元官僚やら、順調に高度人材の人脈を広げ続けている。この分だと、彼はたぶん本気で(※トマト様による)世界征服を狙っている。
「はい! ヨルダ様の古いご友人で⋯⋯例の『ダンケルガ』様です。調査に出向いた南方で出会いました! ヨルダ様を呼んでいただけますか?」
「待て待て。ダンケルガ殿だと?」
護衛として隣室で待機していたヨルダが、たちまち扉を開けて入ってきた。「夫婦の時間をなるべく邪魔しない」という気遣いのつもりで控えていたのだろうが、ペットが乱入したので今更である。
ルークが口にした名は、ライゼーももちろん記憶している。
「ウィルヘル厶様の師匠筋だな? ケーナインズのハズキ嬢が使っているバイオリンも、そのダンケルガ様の枝から作られたものだとか⋯⋯」
「はい、そのダンケルガ様です。今、猫カフェのほうでお待ちいただいてます!」
賢樹ダンケルガ⋯⋯ライゼーは会ったことがないものの、話を聞く限りでは明らかに「上位」の存在である。
以前の彼ならば冷や汗をかいたかもしれないが、猫が頻繁にいろいろ連れて来るのでなんかもう慣れてしまった。
国家元首とか宮廷魔導師とか魔族とか神獣とか聖獣とか⋯⋯聖獣・落星熊はまだ数回しか遭遇していないが、大きさはともかく可愛かった。
体毛は意外とモッフリしていたが剛性はあるようで、換毛期の抜け毛をフェルトっぽく加工すると防具の素材にできるらしい。しかし騎士団の装備にそれを使うと微妙にファンシーなことになりそうで躊躇している。
鎧の裏地としてなら⋯⋯しかし保温性が高くてたぶん暑い。あと魔力を通さないと強度もそこそこになるので、本気で活用する場合は触媒としての琥珀が必要になる。
ついでに、魔力を通すとほんのり発熱して余計に暑くなるという特徴もある。寒冷地なら便利だろうし、外套に加工するなら悪くないのだが⋯⋯やはり鎧の素材には使いにくい。
ルークは以前、「⋯⋯この生地と琥珀で、擬似的な電気毛布を作れる⋯⋯?」などと震えていたが、単語の意味はよくわからなかった。たぶん神が震えるくらいに物騒な品なのだろう。一応、トマト様関連ではないらしい。
それはさておき、問題はダンケルガである。
今はルークが魔法で作った、例の不可思議な部屋⋯⋯『ねこかふぇ』にいるのだろう。夜会に関しては、いざとなればルークに送ってもらうことも可能なので、先に偽装用の馬車だけ出発させても良い。
「私もご挨拶させていただいて構わないのか?」
「もちろんです! たいへん穏やかな雰囲気の方でして⋯⋯今は猫カフェのほうで、ジャルガさんやソレッタちゃん、セルニア様と一緒に、猫生ゲームで遊んでおられます」
猫生ゲームというのは、ルーレットを回して遊ぶ双六のようなゲームなのだが、マス目に「子猫が生まれる。お祝い金として他のプレイヤーから3000点ずつもらう」「昼寝して寝過ごす。一回休み」「猫の集会でタカられる。ルーレットの目✕1000点を支払う」といった細かな指示が書かれている。
いろいろと細かなルールがあるようで、ライゼーはあまり詳しくないのだが、クラリスやリルフィ達も楽しげに遊んでいた。なお、破産すると猫のクッションに埋められて行動不能になる。
確率的には、ゴールするよりも破産する例のほうが多いデスゲーム(?)的なバランスのようで⋯⋯ゴールできずとも、生き残った一人が勝者になることも多いらしい。「じゃくにくきょうしょく」「やせいのきびしさ」を体現したゲームバランスなのだと、ルーク本獣も言っていた。
上位存在がアレで遊ぶのか⋯⋯と、やや困惑するライゼーを尻目に、猫は異空間への扉をその場に出す。
いつもの猫カフェに踏み込むと、そこにはボードゲームの盤面を挟んで、猫型クッションの山が二つできていた。生き残っている二人は商人のジャルガと有翼人のソレッタである。ウサギのピタゴラスは、ジャルガに寄り添い安らかな寝息を立てている。
つまり、あのクッションの山の下には⋯⋯
「あははははは! 破産してしまいましたわ! でもダンケルガ様も道連れですわ!」
「ぐ、ぐぬうっ! 卑怯なりセルニア嬢! よもやわんわん不動産の不良債権を、このタイミングで我がおさかな銀行に押し付けるとはっ⋯⋯!」
⋯⋯楽しそうで、なによりである。
唖然とするライゼー達に気づいたジャルガが、あわあわと姿勢を正した。ソレッタも盤の傍から立ち上がり、ルークの傍にとてとてと駆け寄る。
「ライゼーさま、ウェルテルさま、ヨルダさま、ごきげんよーです」
「はい、ごきげんよう♪ ソレッタちゃんはちゃんとご挨拶できて偉いわねー?」
ウェルテルはこの有翼人の少女がだいぶお気に入りのようで、顔をあわせるとよく構っている。
そしてそのソレッタに抱え上げられたルークは、「ククク⋯⋯」と微妙に悪い顔で笑っていた。
「ククク⋯⋯いかに上位存在とはいえ、やはりダンケルガ様もルーレットの前では平等⋯⋯猫クッションどもに埋もれ、おのが不運を嘆くが良いです⋯⋯!」
「⋯⋯いや、真っ先に脱落したルーク様に煽られてもな?」
猫クッションの山がもぞもぞとかきわけられ、その下から黒髪の青年が這い出してきた。
見た目は若い。
まだ二十代の前半、黒髪で顔立ちは整っているものの、地味な印象が強い。額に逆三角形の刺青があるのも、話に聞いていた通りだった。
ライゼーの後ろから、ヨルダが苦笑まじりに声をかける。
「おいおい、ダンケルガ殿。十数年ぶりの感動の再会だというのに、なんたるざまだ」
ダンケルガが、顔だけあげてぱっと人懐っこく笑う。
「お? ヨルダか! 元気そうでなによりだ! 貴殿はあまり老けておらぬな? 先日会ったファルケのほうは、だいぶくたびれておったぞ」
「⋯⋯あっちはいろいろ気苦労が多かったみたいでな⋯⋯ああ、紹介する、ダンケルガ殿。こちらは俺の義兄弟で、主君のライゼー・リーデルハイン子爵。そしてその奥方のウェルテル様だ」
この紹介にあわせて、ライゼーとウェルテルはそれぞれ一礼した。
「お初にお目にかかります、ダンケルガ様。ライゼーと申します。いつぞやはヨルダと隊商を魔獣の手から救っていただき、ありがとうございました」
それこそ十数年前のことだが、上位存在にとってはつい最近だろう。
ダンケルガは笑いながら、もう一方のクッションの山からセルニアを引っ張り出した。同時にメイド姿の三毛猫達がどこからともなく現れ、彼女の髪をセットしドレスの埃を払う。
「いや、なんのなんの。あの時は、こちらも馬車に乗せてもらった恩があったゆえな。ルーク様からうかがって、私も貴殿らに挨拶したいと思っていた」
ダンケルガはその場に立ち上がり、優雅な一礼をよこした。動きはスムーズで、とても傀儡には見えない。
「我が名はダンケルガ。人ならぬ身で年だけは食っているものだから、少々時代遅れな言動があってもご容赦願いたい。なにせ本体が木なものだから、人の価値観を理解できているか、はなはだ怪しい。隣人も魔族だから、あまり常識面ではあてにならぬしな」
にこやかな笑顔はいかにも人懐っこく、オーラや威圧感といったものもまるでない。
⋯⋯なるほど、この状態で人の中に紛れたら、見分けなどつくはずがない。
額にある小さな逆三角形の刺青も、帽子やフードをかぶれば容易に隠せるだろうし、なんなら簡単な化粧でもごまかせる。
「貴殿らがルーク様と最初に出会った人間達だったことは、この世界にとって紛れもなく僥倖であった。来訪したばかりの亜神は不安定なこともあるし、過去にはうっかり手出しをして滅んだ国もあったのだ」
「恐れ入ります。しかしそこは、ルーク自身の穏やかさ、善良さゆえのことでしょう。しかも、なんというか、その⋯⋯見た目は猫ですし、言動も非常に紳士的なので⋯⋯」
もしもルークが「単なる不審人物」の姿で領地を訪れていたら、すんなり受け入れられたかどうか、割と怪しい。
猫だったからこそクラリスも彼を拾ってきた。
それこそ伝説上の英雄、ルー・クー・ルゥのような「人間」の野菜泥棒だったなら、庭師に叩き出されていたかもしれない。
ダンケルガも頷き、ソレッタに抱えられたルークを一瞥した。
「ルーク様は実に興味深い。そこで私も、しばらくルーク様の事業を手伝わせていただくことになった。ただ私の転移魔法は『種の岩』がある場所でしか使えないという制限があり、自由自在には移動できぬので⋯⋯その間、そちらのリーデルハイン領にある『社員寮』とやらに住まわせていただきたい。よろしいか?」
ライゼーは目眩がした。
恐れ多すぎて、人ごときが良い悪いと判断できる事柄ではない。ちょくちょく遊びに来るオズワルドにようやく慣れたと思ったら、自領にはとうとう『賢樹』(の傀儡)が移住してくるらしい。
「も、もちろん、歓迎いたします。ルークが失礼をしなければよいのですが⋯⋯」
ダンケルガは少しきょとんとして、次の瞬間、さも愉快そうに笑い出した。
「ははは! 亜神たるルーク様は私より上位の存在ぞ。失礼があるとしたらこちらの側だ」
なぜかルークも一緒に笑う。
「あはははは! 私もダンケルガ様のお体で爪研ぎとかはしないので、ご安心ください! ただ、うちの子達が周囲に集まってしまうのだけは、何卒ご容赦いただきたく⋯⋯」
「くくっ、承った」
やり取りの気安さを見る限り、ルークとダンケルガはもう友人になってしまったらしい。やはり上位存在同士、通じる部分があったのかもしれない。あと傀儡相手の爪研ぎは本当に胃に悪いのでやめてほしい。
「えーと⋯⋯それでは、我々はそろそろ夜会に行かなければならないのですが⋯⋯ヨルダ、君はダンケルガ様と積もる話もあるだろう? 警護は他の騎士に任せて、こちらに――」
気を利かせると、ヨルダに背を叩かれた。
「それは夜や明日以降でいいさ。仕事は仕事だ。それに⋯⋯お前もルーク殿に頼みがあるんじゃなかったのか?」
「あー⋯⋯いや、うーん⋯⋯」
猫カフェの面々を見回し、ライゼーは口ごもる。
盛り上がっていたようだし、「どうしても」という頼みではない。ルークにはこのまま、好きにしてもらおうと思ったのだが⋯⋯
「ライゼー様? 私への頼み事とはなんです?」
神のくせにやたらと忠誠心の高いこのキジトラが、ヨルダの言葉を聞き逃すはずはなかった。
くりくりとした目でライゼーを見上げ、首を傾げている。
「いや⋯⋯実はな。今夜出る夜会の主催者は、カルテラ・アーマーン侯爵という、農業閥の重鎮なんだが⋯⋯酒癖が悪くて有名でな。万が一のことがあるといけないから、ウェルテルと一緒に出席して、それとなく守ってもらえないかと思ったんだ」
あくまで「万が一」の話ではあるのだ。ただ、ウェルテルは平民出身なので貴族の知り合いが少ない上に、今も二児の母とは思えない美しさを保っている。
カルテラ侯爵に限らず酔って声をかけてくる貴族はいそうだし、ライゼーも『密談』や『内々の話』を持ちかけられると別行動せざるを得ない。
特に今夜は『農業閥』の夜会なので⋯⋯純粋にトマト様への興味を持っている参加者が、そこそこいるはずだった。
ルークの目がギラリと光る。こわい。
「つまり⋯⋯ウェルテル様に近づく輩を我が爪のサビにすればよろしいのですね! 承りました!」
「違う違う! 揉め事を避けるのが第一だ! どうせ相手は酔っているだろうから、そのまま眠らせるとか⋯⋯いや、口実になってくれるだけで助かる。ルークを抱えていれば、『猫が水を欲しがっていますので、失礼を⋯⋯』みたいな流れで、場を離れやすいだろう」
「えぇー。それだけでいいんですかぁー」
ルークがちょっと残念そうで困る。引っ掻き癖はないし、実際、誰かに怪我をさせたこともないはずなのだが、たまには猫らしく爪を誇示したいのかもしれない。
次いで彼はまた首を傾げた。
「というか、私が同伴しても大丈夫なんです? 確か去年のアルドノール侯爵の夜会では、『猫好きのルーシャン様と陛下をゲストに迎えるから、会場にも猫が欲しい』という理由で、私がご一緒させていただいたと思うのですが⋯⋯」
「⋯⋯あれが前例になって、今年の夜会は猫を同伴させる貴族が増えたそうだ。先日の、ラライナ様の茶会でもそうだったが⋯⋯あと、去年の祭、最終日の猫騒ぎも影響している。ルーシャン卿が猫の加護を得ているなら、それにあやかろうと⋯⋯飼い猫をお守り代わりにしている、とまで言ったら言い過ぎだろうが、そういう文脈が、ペット自慢をしたい貴族の潜在的なニーズと合致したらしくてな⋯⋯」
「あー」
発端を作ったその猫が、人類の愚かさに呆れ顔をしている。が、納得はしたらしい。
「わかりました! どのみち、今夜の夜会はこっそり見守るつもりでしたので、問題ありません!」
「すまん、助かる⋯⋯いや、しかしそうなるとダンケルガ様は⋯⋯?」
「ヨルダ様は警護要員として、馬車周辺で待機されるんですよね? そちらで一緒にお待ちいただくというのはどうですか? 会話もできますし、警護役としても頼もしいかと!」
ルークがダンケルガに同意を求めると、彼は楽しげに頷いた。
「ぜひそのように。なに、警護をするのは初めてではない。昔の旅路でも、路銀稼ぎにちょくちょくやっていたものだ」
⋯⋯たぶん、人間の賊ごときではまったく相手にならないレベルの戦力である。若き日のヨルダが『死を覚悟した』という魔獣を、ダンケルガはただの一撃で葬り去ったらしい。
そんな魔法を王都で使われても困るが、ヨルダも一緒ならまぁ⋯⋯おかしなことにはなるまいし、そもそも夜会の警備など形式的なものであって、実際に何かが起きることなど滅多にない。
昨年のように王位継承問題がくすぶっていればまた別だが、そもそも今夜の夜会にはリオレット陛下の参加予定もない。
重要人物といえば、寡妃ラライナと、セルニアの父であるピルクード公爵くらいか⋯⋯セルニアがまだこの場にいるということは、彼女は参加しないらしい。
⋯⋯まぁ、噂によると農業閥の夜会は特に酒飲みが多く、「貴族の夜会」というより「酔っ払いの宴会」と言ったほうが近い有り様になるらしいので⋯⋯ピルクード公爵も、幼い娘を連れていきたくなかったのだろう。
今は引退し、ホルト皇国でロレンス達の引率役をしているペズン・フレイマー伯爵も、この夜会で酔って危険な暴言を吐き危うく失脚しかけた。その窮地を救ったのが若き日の『正妃』ラライナで、以来、彼女の信奉者となった経緯がある。
ライゼーも「ウェルテルは欠席させるべきでは」とそこそこ悩んだのだが、当人が「これから陞爵が控えているんだから、他派閥にも顔を通しておいたほうがいい」と主張し⋯⋯事実その通りなのでライゼーも反論できなかった。
親族の酒場で歌姫のアルバイトをしていた関係上、酔っ払いのあしらいには慣れているという事情もある。
ルークが夜会への出席に同意してくれたので、セルニアとソレッタはそれぞれ自宅に帰し、ダンケルガは馬車に同乗、社員のジャルガは「ついでに王都本店にいるナナセ達と、本社側の情報共有をしていきたい」とのことで、この場でいったん別行動になった。
引き続き惰眠を貪っていたピタゴラスも、そろそろクラリス達が帰ってくるはずのカルマレック邸へと転送される。
「ダンケルガ様のことをみんなに知らせておいてね!」とルークから伝言役を任されていたので、従者としての役割は果たしている⋯⋯気がする。
夜会へ向かう馬車の中で、ライゼーは膝上のルークに問いかけた。
「ところで、南方の調査は問題なかったのかな? いや、それどころではなかったかもしれないが⋯⋯」
遭遇した相手が相手だけに、ルークも動揺したはずである。
しかし彼は機嫌良く肉球を掲げ、得意げにはきはきと応じた。
「ほぼ想定内な感じでした! 気候的にはやや乾燥気味で赤土でしたが、川の水量は豊富でしたし、雨もちょくちょく降るようです。あとは傾斜地が少なくて⋯⋯灌木が多めで、ちゃんとした木々があんまり見当たらなかったですね。あまり生産性の高い土地ではなさそうでしたが、トマト様の御威光をもってすれば充分に対応可能かと!」
心強い限りだが、やっぱり言動と価値基準が農耕神、豊穣神の系譜だと思う。
今夜は農業閥の集まりなので、ある意味、御神体として列席してもらうのにふさわしいかもしれない。
かくしてライゼー達一行は、蝶ネクタイでオシャレしたガチめの農耕神を抱え、今宵の夜会へと挑むのだった。
いつも応援ありがとうございます!
2/14、三國先生のコミック版・猫魔導師6巻が発売となりました!
先週は更新時間に告知が間に合ってなかったのですが、特典情報等も記載してありますので、必要に応じてご確認ください。m(_ _)m
そしてコミックポルカ公式のほうでも、最新30話が更新されました。
五巻の余録でも登場済みでしたが、ストレージキャットさんの有能感たるや⋯⋯!
あわせてご査収ください。




