0 プロローグ
ここは神奈川県、鏡原南中学校。
鏡原市といえばベッドタウンとして栄え、現在では百貨店を1つギリギリ建てられる位の人口を抱えるようになった中都市である。そんな市に数年前に建設されたのが鏡原南中学校、その学校である。
そんな学校にある「文芸部」。文芸部といっても小説の執筆ばかりしているわけでは無い。そもそも本腰を入れて、真面目に文芸の執筆のみしたい者は「イラスト文芸部」があるので、文芸部に在籍する必要はない。
文芸部ということで当然文芸評論もするし、部員の中には美術や音楽、技術や一般科目にやたら優れるものがいて、そういった人間は文芸活動もそこそこに自分のやりたいことを研究、探究する、言ってみれば自由な部活だ。
自由と言っても校庭や体育館の使用権は勿論、調理室や一般教室に至るまでの殆どの教室は他部活に押さえられているので広い敷地を使うことはまず出来ないし、そもそもこの部活においてはクリエイティブな活動が求められているので、空気感が合わず辞めてしまう人もいる。
ひとたびクリエイティブな活動を樹立することが出来れば、空気感がかなり変わると言っても過言ではないので、そこまでの努力をしたもの、あるいはその下拵えを事前に培ってきたもののみが在籍している、ある意味では変人が在籍している部活である。
なお、文芸部室というものは存在せず、鉄道研究会やカルタ部、洋裁部など、さまざまな部室と共同で使っている。正式名称は文化部室という、一般教室1個より少し大きいかというくらいの教室だ。
今部室(文化部室に色々な細工がなされている)にいるのは、中学二年生の部員10人であった。一年で最も寒くなると感じる2月に、部室では10人が思い思いに作業や会話に没頭していた。
「すみません、そこの電卓取って下さい」
そういって奥の机に向かって話しかけたのは暖…蓮葉暖だ。
作る小説は特に万人受けするというわけではないが某所で知る人ぞ知る名作となっておりその上筆が速い。音楽に関しても持ち前のだいたい音感(絶対音感の亜種で半音階とその間の音、そして半音階で構成されるコードまでなら分かる、というもの)で作編曲を実行する。
学業に関しては数学が壊滅的で理科は化学を除き人並み、国語と社会(日本史を除く)は他の追随を許さず、英語に関しては校内の上位3分の1程度といった感じである。本人は「ド文系」と主張しているが計算をよく使う商学部志望なのでよくわからない。その他体育と美術は壊滅的で、高校生になっても体育が8単位有ることに対して絶望を隠そうとしていない。
基本的には誰にでも丁寧な物腰で接し、その丁寧語が抜ける事は殆ど無い。但し校内では「蓮葉に金を借りないほうが無難」という評価で微妙に恐れられている。
「そんな事は無いですよ」と本人は主張するが、常に利息表を持っていることなどからも、蓮葉の抜け目なさが分かるだろうか。
「はい」
そう応じて12桁電卓を渡したのは澄…有木澄だ。この10人の中でも文芸評論は他の追随を許さない。基本的に蓮葉が古典名作や現代名作、あるいは評論その他において優れているが、有木は現代の小説や漫画、アニメーションに関する前提知識が豊富でそれに関わる核心的な(全年齢対象の枠を越えた)文芸評論が得意だ。
たまに新聞社に評論を投書する時があるがその時は選者と趣味が合いさえすれば100%選出されるといっても過言ではない。
因みに得意科目は社会、特に歴史。特に日本史の近代史は得意で、世界史が比較的好きな蓮葉と議論することもしばしばである。
「ところでこれ、どうやって解釈すれば良いんだろ」
小説を読みながら疑問を呈するのは空…堀永空である。学業は極々普通だが、美術的なセンスに関しては特筆に値する。
彫刻や版画、粘土造形等全分野に渡って優れているが、特に人物画、風景画は素晴らしい。様々な画風を使い分けるが、本人はそれこそ澄の好むようなアニメ風のデザインが好きらしい。
筆が非常に速いため、部誌に上級生を抑え巻頭カラーを飾る事もしばしばである。文筆も優れており、蓮葉と比べるとかなり大胆な表現を好む。それが読むものを一気に世界観へと引きずり込む、と好評だ。漫画も書き溜めており、こちらも校内での人気が高い。
「うーん、とりあえず「それ」と「貴方」の対象を見極めて…」
それに対して作業中のパソコンを止めて整理したのが波…倉橋波である。パソコンが得意で、自作パソコンから独自プログラムに至るまでを研究している。
この部活の中でも研究者気質が特に強く、文芸とは比較的離れている。得意教科は数学と技術。
数学に関しては現時点で微積分を洗っており、蓮葉は「ちょっと理解のキャパシティ超えてますね」などとコメントしている。
技術に関しても特に工業分野とコンピュータ分野は他の追随を許さないが、農業分野に関しては持ち前の病弱さでどうも成績が芳しくない。
「後はここだね。つまりこの解釈は、ざっくり言えばこんな感じじゃない?」
A4用紙にまとめた考察レポートをちぎり送ったのは文…楠木文である。楠木は全教科がオーソドックスに平均点を越している。
特に体育に関しては中学生の水準を越しているが、本人としては部活動で一番でないことに少し焦りを感じている。比較的感覚で理解するタイプとも言えるその評論は、常識的ながらも定評がある。
決してムードメーカーではないが、ムードを誘導するのは得意で、楠木がいるとその場は比較的安定する(楠木自身のムードが安定していない時を除く)。
「あるいはこういう解釈も考えられるね」
新説を提示するのは光…紺原光である。一般教科は文系よりにそこそこ取れているが、特筆すべきなのは家庭科であろう。
二年間定期テストのトップを守り続けていると同時に実技も優れており、部内では「オカン」として皆から頼りにされている。部室にガスレンジがあるのは紺原の計らいであったりする。
「ああ、後はこうもとれるね」
そういって折衷させつつ新説を再び提示するのは鈴…鯛坂鈴である。鯛坂は特に理系科目の中でも理科に秀でている。
技術も得意で特に工業分野は他の学年で2,3を争うほどである。見た目はどちらかというと純朴さが感じられるが、その実有木よりも不純と言われている。
不純と言っても金に関しては蓮葉よりずっと綺麗であるが、誰もその事について突っ込みはしない。
「うーん…どっちでも良いんじゃない?」
話を何の気なしに収束させようとしているのは雪…古川雪である。古川は決して頭が悪いわけではなく、特に理系科目においては上位を争うほどだ。
しかしその気のいくらか抜けた口調(文字にしてみると分からない、ニュアンス的なものだ)には多くの人が救われ、癒やされている。
どちらかというと理科の中でも物理や地学に精通している鯛坂と比較すると、生物に優れている。化学でも特に有機質に強い関心を寄せ、高分子化合物についての造詣の深さは他の追随を許さない。
「じゃあ、この話は一旦これくらいにして…」
そういって話題の転換を図っているのは海…双田海である。双田はこの10人の中では比較的珍しい文系だ。
他に文系といえば蓮葉や有木、紺原が挙げられるが(当然理系でも文科に優れるもの、文系でも理科に優れるものもいる)、双田はその中で唯一英文学に深い造詣を持つ。
日本で英文学専攻の女学生というとどうしても勉強が出来無いようなイメージが付き纏うが、そんなことは無く寧ろこの一癖も二癖もある部員の中で国語で蓮葉と張り合う程度の実力を持つ。
学年リーダーではないが(学年リーダーは鯛坂である)取りまとめる力は一級品。
「あ、ごめんごめん。お待たせ」
そう言って何の脈絡も無く部室に入ってきたのは南…虎井南である。楠木が唯一運動で負ける要素のある同期部員で、特に短距離や球技に優れている。
理系だが意外にも公民的分野に優れており、特に受験政治・経済の暗記力は非常に高い。
物理の中では音や光、波に関する分野が好きで、音、光、波が全員揃っている(といっても音は1学年上だが)この部の事を人一倍気に入ってもいる。
「じゃあ、皆揃ったことだし、句会でもする?」
「ああ、いいね」
「和歌もだいぶ揃ってきたし」
「掛詞や序詞もみなさん洗練されてきてますよね」
賑やかになっていく部室。しかし、この部室の10人が、この世界から消えてしまうのは、そのすぐ後のことだった。
お読みいただきありがとうございます。
遅筆ですが、ご愛顧よろしくお願い致します。
12/21 部室について加筆
2017.3/2 レイアウトを多少変更しました(全話)。