10 参考書談義、果物の販売
2/10投稿を予告していましたが、少しフライングしてお送りしています。
今回、とても長いです。
1512年3月7日
「おはようございます」
「おはようございます、田名川さん」
暖かな一日が今日も始まる。今日もいつも通り秘書班と談笑しつつ食事を取る。といっても、秘書班の面々は談笑するばかりで、手元に食器類はない。僕だけ食事がある、というのも何となく気まずいものだ。いつか味はいつも通りでノンカロリーの使用人食を作っても良いかな、と思う。しかしそれだと商品に混ざった時に大変かもしれない。
因みに大量に領内にあるカロリー対策をしていない高レベルec産品は全て堆肥として処分する。かなり勿体無いが、有害物質は倉橋さんに頼んで全て排除し、出来るだけ環境負荷を低く抑える。
「お茶をどうぞ」
田名川さんがお茶をすすめる。やはりお茶は良い。個人的には珈琲党なのだが、お茶もかなり好きだ。
…お茶か。そういえばお茶はここの領内でカルテルが行われている。島木屋がカルテルに関与しているようならば、もう旗ヶ野産として直接販売する他無いが…まあそれは無いと信じて。
「今日は島木屋さんにお茶を売りに行きましょう」
そんな一言から、今日の計画が決定する。
3月頭は色々な食料を作った。
Lv4相当の味でカロリーはLv1並なので市場に流通させても問題ない。大根や鰯といったこの時代でもありふれている食料から牛乳やドラゴンフルーツ等のこの時代ではあまりないし全く一般的でない食料まで、なかなかたくさんだ。
特に野菜に関しては商品用にかなり作った。普通のゴボウ(希望売価1本2文)や大根(希望売価1本3文)、きゅうり(希望売価3本5文)の他、トマト(希望売価1個11文)や人参(希望売価1本6文)といったまだこの国では馴染みの薄い野菜も取り揃えている。人参とかこの時代ではまだ漢方薬として使われているはずだし。
現在の中島では馴染みの薄い野菜、例えばトマトに関して意図的に高くしているのは、商人としての新たな販路開拓を期待してだ。これらは恐らくこの星のどこかには有るはずなので、船に乗って交易を是非して欲しい。
ただ、中島と周辺国の間(全体がではなく、本当に国境付近を細い帯状にだ)は海が不自然に荒れていて(気流の流れも荒れている)交易が唯一海と気流が荒れていない北界と飯栄(ファンロン/はんえい)間が交易の殆どを占める。
飯栄は大陸部の半島の最先端にある、中島交易等の海洋貿易で発達した町だ。未だあまり大型の船が普及していないこの世界(西方諸国の大航海時代がつい20年前に始まったばかりで、新大陸発見に耐えうる船もついこの間出来たばかりらしい)では船の航続距離の関係で、航海する距離を出来るだけ短くしたい。
要するに中島皇国の最先端である北界と大陸を最短距離で結ぼうとしたら、自然と飯栄になるわけだ。
当然海が荒れている所を抜けさえすれば後は嵐でない限り不自然に荒れはしないので、西方諸国や中東諸国と交易することは可能だろうが、それはあまり一般的ではない。
とにかく如何せん航続距離が長すぎる。その影響で、今も一部の商人の独占市場となってしまっている。その状況をなんとかして打開したい所ではある。
例えば飛行機の開発や鉄道トンネルの掘削が考えられる。より現実的な解決策としては大型の船を造船することがあげられる。いずれにせよ莫大な金銭が必要なのであまり早急には出来ないだろう。
「白桃、黄桃、白凰、つがる、ふじに陸奥にジョナゴールド、それからざくろ、さるなし、キワノドリアンそれから棗椰子…果物類も豊富ですね」
ジュースを飲みながら呟く。このジュースはグァバ・ネクターだ。
グァバは南アメリカの熱帯地方原産で、白、黄、あるいは淡紅色の果肉をもつやや甘い果物だ。グァバジュースとして飲んだことのある人も多いのではないかな、と思う。
ネクターというとどうしても桃のネクター(大手の洋菓子屋さんが作っているあの白桃ネクターだ)を想像してしまうが、グァバのネクターも凄く美味しい。
ところで桃といえば、白桃、黄桃、白凰は桃の品種だ。白桃は袋掛けをすると本当に白くなるが、今回は袋掛けをしない、無袋白桃を採用した。いわゆる桃色をした普通の白桃になる。無袋白桃の桃色と、「白桃」という品種が昔はどうも結びつかなかったが、それを知ってからは成程、と思った記憶がある。
つがる、ふじ、陸奥、それからジョナゴールドはどれも林檎の品種だが、つがる(津軽)もふじ(富士)も陸奥もこの世界には無いので、世に出回る頃には別の品種名になる事だろう。
なお、大橋領内では林檎は栽培されていない。2月だというのにその寒さが東京とほぼ同じかそれより少し寒いぐらい、というところからも何故栽培されていないかは読めるだろう。
このことについては神造人間レポートの他使用人との雑談でもかなり正確な情報が回ってきているので、大橋領内はほぼ低地で、例えば信州りんごのように、高地栽培が出来る高地がないのだろう。
他は全て果物の種類だ。柘榴とドリアンは敢えてコメントしないにしても、棗椰子はデーツとして中学地理で学んだ他は全て「未開地での果実の採集」という迷宮隊からの献本に基いている。
他にも迷宮隊からの献本は多く、その多くは観察と考察に基づく良著だ。例によって非常に分かりやすく、こちらまで味覚や嗅覚が迫ってくるような紙面構成なので、それを食べたいがためにec錬成を持ちだしたのは内緒である。
さるなしはキウイの近縁で緑色の果物だ。切り口も非常にキウイっぽい。
試しに切って食べてみたら本当にキウイだった。美味しい。さるなしジュースをキウイジュースとブラインドテストしてみたいような気もする。
ブラインドテストとは、名前を隠してテストすることだ。意外と人の味覚というものは、予想以上にブランドに影響されている。
例えば、コーラをだしている会社は何社かあり、それぞれにファンがいるが、そのファン達にコップだけで複数社のコーラを提供し、自分の好きなブランドを果たしてどれくらいの確率で当てられるか、という話だ。
確かに、当てる事ができる人は一定数いるだろう。だが、特に信念を持たず、他と比較せず、特定の銘柄を好む人が多いのもまた事実だ。コーラなら各社それぞれ違いを作ろうとしているからまだいいが、代用魚などの意図的に似ているものを市場に流入した場合は、ブラインドテストの成功率はぐっと下がる。
安い回転寿司店でサーモンを食べる時、それがサーモントラウトである事を意識して食べる人が果たしてどれだけ存在するだろうか。
かなり脱線が多いが、気にせず果物の紹介を続ける。キワノは瓜の仲間だ。
黄橙色の果物で、果肉は富良野メロンをさらに鮮やかにしたようなエメラルドグリーン。非常に良い香りがする。そこから香りを良い方向に改良してあるので、芳香がこちら側にも漂ってくる。客寄せには最適かもしれない。
やはり客寄せには視覚的要素、聴覚的要素だけでなく五感に訴えないとならない。その内の嗅覚的要素に大きくプラスの影響をもたらすだろう。
そして茶はLv5相当の食味でしかも低カロリー加工のためLv9となっている。すっきりとした飲み口で飲みやすい緑茶になったのではないかな、と思う。
これらの果物は当然市場に流される事になるのだが…あんまり流しすぎてもお金を使わないんですよね。お金を貯めこんでもマクロ経済的にはあまり意味がない。
できればお金を使って使って使いまくるもので経済を回したい。しかし、なまじecを使えば、あるいは神造人間の力を借りさえすればできてしまう事が殆どなので、どうも購買意欲がおきない。それこそ、落語家や歌舞伎役者のパトロンになっても楽しそうな気はする。
あとは当然の話だが、使用人に給料を与えなければならない。でもなあ…使用人も同じくecを(許可さえあれば)使用することができるので、そんなに購買意欲もないだろう。あ、許可を取るのが面倒くさい時、あるいは許可を取れない時は使用することが十分考えられるか。
さて、大橋方面に出発するからには荷造りを欠かしてはいけない。この間は使用人に配慮し殆ど荷物を持たなかったが、佐間さんから「もっと駕籠に色々入れても良いんですよ?」と言われ、駕籠に書棚を入れてみた。
書棚にはレポートや筆記用具の他、考えうる限りの学習参考書を入れる。この生活の中では勉強する必要は一切ないが、やっぱり教養としても(特に常識が全く異なる社会科目は)きちんと勉強したい。学参を見るのはそんなに嫌いでもないですしね。
「中学数学の赤表紙、数学Ⅰ+Aの黄表紙、それから中学塔語の赤表紙、塔文法の青表紙、中島史、世界史、地理それから政治経済の青表紙、中学理科の青表紙、化学の橙表紙、家庭科の青表紙…」
色紙(Lv14,1枚700ec)を導入した結果こんな表紙別の参考書が作れるようになった。某出版社をパク……大いに参考にした難易度別参考書となっている。
なお、難易度としては難しい方から順に、黒、赤、橙、青、黄、白、桃となっているので、基本的には青(必要に応じて橙や黄)で学習してもらい、発展的な完成を目指したい教科は赤や黒、基礎的な、あるいはそれ以前の理解に努めたい教科は白や桃を使ってもらう仕様となっている。
しかしこの参考書、かなり厚い。「数学Ⅰ+A」の黒表紙に至っては6cmを優に超す。本棚は100cmが2列なので、あまり本は入れられない。なので今回は以下の本(1列分)だけとした。
~書棚の中身~
中学数学
数学Ⅰ+A
中学国語
現代文
古文+漢文
中学理科
化学基礎+化学
生物基礎+生物
中学歴史
地理
政治経済+現社
倫理
世界史
中島史
中学塔語
高校塔語
高校ハイフルク語
高校塔文法
高校塔単語
音楽
美術
家庭科
技術
簿記会計
総合商業
「こんな感じで良いですかね」
言い忘れていたが、塔語の文法、単語、その他は英語と全く同じだ。ただ将来英語と食い違いが起きないか心配である。どうやらノルマン系からの語彙流入は既に起こっているらしいので、そんなに神経質になる必要は無いのだろうが。
ハイフルク語はドイツ語に相当する。ハイフルクとトイラートは長年いがみ合っており、戦争が今にも起こりそうな状況である(公務隊調べ)。
そこら辺はドイツとイギリスというよりもフランスとイギリスによく似ている。どちらもキリスト教に酷似した宗教を信仰しているそうだ。そのうち新大陸を発見したらどうするのだろうか。
あとは「音楽」より下の参考書について特筆する必要があるだろうか。
基本的に日本で参考書といえば主要五教科(すなわち国語、算数/数学、理科、社会、英語である)の参考書が主流でありそれ以外の教科の参考書を置いてない書店が多いが、今回は副教科や実業教科の参考書も書いてもらった。
実業教科の参考書等、書店で見つからずに困惑した記憶があるからだ。「家庭科」等、顔料を精密に書きこみ、まるで写真かのように手書きされている。すごい。
意外に思われるかもしれないが、小匙や大匙についての説明は最上級の参考書も含め家庭科の参考書にはすべて掲載されている。理由としては、小匙大匙という概念がこの国にはまだないから、と言う事が挙げられる。説明なしに規格化されていない小匙を使われて調味料の濃さが各家庭により変わったら不本意だ、と調理班の鈴井さんが言っていた。確かに小匙や大匙という概念が日本で定着したのは明治維新をいくらも過ぎた頃だと記憶している。
「もっと入れても良いのですよ?」との声があったが、一通り参考書は入っているので、これ以上入れることは憚られる。
「いえ、とりあえずは良いです。あまり本が多くても読む時間は無いでしょうし」
「分かりました。あ、今回も南出口から副棟群をつたって行きますよ」
廊下に出て、更に暫く歩く。結構な人が一定の方向に進んでいるので、さしずめ大名行列だ。そして籠に乗り、美流に向かう。
島木屋に到着するまでにそう時間はかからなかった。事務所に急行する。すると、紺原さんの他に一人、見慣れた顔があった。
「あ、久しぶり」
楠木さんだった。みれば彼女等は何やら話し込んでいた。
「お久しぶりです。ちょっと邪魔してしまいましたね」
「いやいや、こちらこそごめん」
「あ、じゃあ申し訳ないけど暖ちゃんはそこの座敷に上がってて。なるべく早く話を畳むから」
言われるまま座敷にあがる。畳の感触が心地よい。
座敷で王さんからの物価調査票(ご丁寧に全てかな交じりの繁体字で書かれている)を見る。
どうやらこちらの思惑通り、鉄の価格は下がっている。東側の…蜷井領(地名が蜷井で、大橋東方100kmほどに有る)からの輸入が激減している。それに伴い、蜷井領側から提示されている価格が1kg14文ほどまで下がってきている。
わずか数日でこれなのだから、長期的な目で見てみたら大暴落だ。富農が今年の作付けを見据えて鉄製の農具を検討する向きもあるらしい。中流、ひいては貧農にも鉄製の農具が普及するように、例えば鉄農具に関して初回限定の値引きをするのも良いかもしれない。一度鉄製農具の使いやすさを知ってしまったらもう元には戻れないのではないだろうか。鉄のさらなる普及のため、LV37の鉄を少しずつ作っていく。
[鉄Lv37 1.82kg 1ec
経年変化をほとんど起こさない鉄。赤錆、黒錆の心配も無い。輝きは2000万年程度継続する。金属アレルギー患者が触っても大丈夫。]
うん、これこれ。前と比べると、随分効率化が進んでいるのが分かる。なので高レベル帯の商品に移行せざるを得ないが、品質面という観点から見てしまえば、中レベル帯の商品にも高レベル帯に劣らない品質を持つものは、意外と多い。
例えばこのLv37の鉄は錆びという面ではLv2000の鉄と全く変わらない。Lv2000の鉄と違って重さに関して改良を入れていないので、鉄らしいずっしりとした重さもあり、扱う人に安心感を与える。
そもそも「性能が良ければすなわち良い」とは決して言い切れないのだ。場合によっては低品質、中品質の物の方が良いこともある。でもまあ当然のごとく僕は良い商品を提供していきたいし、提供する。
しかしそれでも、「鉄の重さ」が重要となる時が場合によっては有り得るのだ。素材を活かした活用法を期待したい。しかしこの素材、よく考えたら鉄鋼業界の発展にマイナスかもしれない。
サビを起こさないのだから、ステンレス鋼をわざわざ開発する意味が見出せなくなってしまう。まあそれに関しては追々考えれば良いだろう。その一方で一般的な食材の物価はそう変わっていない。もしかするともう少し流通量を増やしても良いかもしれない。
なお、ここでいう「一般的な食材」とは大橋の商人や職人の食べる食事のことで、「一般的な食材」といっても農民にとっては食べるのが難しい食材も多い。特に魚など、内陸の農民では正月に「年取り魚」としてしか食べられない人が大多数だ。
魚の流通は漁民の生活を考えると中々し辛いが、そこは技術革新に期待しよう。今回持ってきた食材の中には鯛(希望売価1匹10文)や鰯(希望売価5匹8文)もある。これらが捌けると(あるいは裁けると)各地の食生活も豊かになる…かもしれない。
「やはり……」
「……井からの…つまり…」
しかしあちらはどんな話をしているのだろう。恐らく戦時需要への対応に関する話だとは思うのだが。兵糧、弾薬の確保を考えるとそれが一番妥当だろう。これはいよいよ本格的に戦が始まりそうな気もする。
最後の戦からそんなに日が経ってないが、それによって敵の裏をかく面もあろう。
戦争によって、多くの産業や技術が発達してきたのは紛れもない事実だ。
原子力理論や飛行機、その昔には造船や街道整備に至るまで、全て戦争の賜物である事に、反論する者はいまい。しかし同時に失われる命についてもよく見つめ直さないといけない。すなわち、人の命を本当に天秤にかけてしまっても良いのかという問題だ。
20分程経っただろうか。やっと話が終わり、商談となった。何故か楠木さんも同席しているが、まあ良い。
「大変失礼。では、商談を始めても構わない?文も同席させちゃうけど」
「構いませんよ。では早速。今回お出しするのはこのような商品となっておりますが……」
今回提示した商品は全てが食品だ。その中でも、前述したような珍しい果物等は極力抑え、人参や青菜、米に小麦粉など、現代日本人であれば気軽にスーパーで入手できる物を中心に扱っている。
その中には牛肉や豚肉もいる。大橋領内には牛が僅かにいて、主に労働用として使われている。廃牛を家族内で食べる事はあっても、それが市場に流通することは無かった。この機会に、牛の旨味を覚えてもらっても良いだろう。
牛の商品的価値に気付き、食肉として肥育させる農家―いわゆる酪農家だ―が登場するまでは十分に稼ぐことが出来るだろう。登場してからは、泳がせて余力を育成させた後、徹底した価格/品質競争に晒し牛肉、それから牛乳を世界でもトップレベルの食味にまで育て上げる。
といっても酪農王国にここをするつもりはないが。
…後持ってきた食品の中で特筆すべき食品と言えばやはりじゃが芋だろうか。じゃが芋自体はこの惑星では中東諸国の南方(亜熱帯気候)で既に栽培されている。原産地は南方新大陸(感覚としては南米大陸に近いだろう)で、当時の中東商人が航海の果てに手に入れたものである。
そのじゃが芋は、昔から救荒作物として重宝されてきた。地球のヨーロッパ平原でのじゃが芋の普及も、そうした面が背景にある。
ここ大橋領では何故、同様に外来種であるさつま芋(さつま芋という呼称は恐らくこの世界では適切では無い)はあってじゃが芋(じゃが芋もこの世界の呼称として適切では無い)は普及していないのだろうか?少し疑問にも思う。
ともかく、じゃが芋は飛び切り美味しい物を製造した。当然のごとく、レベルを上げるとカロリーが増加するので、カロリーを減らすように改良済みだ。
後忘れてはいけないのが調味料だ。当時でも庶民の味付け方法として一般的な塩や味噌(当然高価なものではあった)の他に、砂糖や醤油、酢から果てはマヨネーズまで取り揃えている。この世界にマヨラーが増えないかは若干心配だが、鶏卵や菜種油(他にごま油が流通している。綿実油も流通していないことはない)の需要増加にも繋がるのでマヨネーズを取引物品として採用した。砂糖も煮物にお菓子に大活躍だろう。野菜や小麦粉の需要増加を狙う。
そして茶葉。茶のカルテルは領内での喫緊の課題となっている事は、もう説明する必要もないだろう。島木屋さんならその風穴を開けられるのでは無いか、と期待している。価格は100g10 文くらいを目安に。
「凄いね。食材の確保はまだまだ大変なんだよね。できれば少量、毎日買い取りたい所だけど…」
「そうおっしゃるかと思って外付けアイボもどうぞ。佐間さん」
「はい」
疑問符を浮かべている紺原さんをよそに、200L程の大型冷凍庫にも見える箱が出現する。
「…外付け?外付けは概念自体は周知されているけど現物は見たこと無いよ。そもそもアイボは空間が節約出来るだけで鮮度の保持には全く役立たないんじゃない?」
「いいえ、このアイボは特殊なもので、中では一切の時間が停止するんです。つまり全ての物の腐敗、発酵、熟成その他が止まります」
その言葉に紺原さんが驚きと興奮が半分ずつのような顔をする。その顔は、頭をオーバークロックさせて十露盤を弾いているようにも見える。
そして、2,3秒の沈黙があり、それを紺原さんが静かに破った。
「えっと、つまり冷蔵庫とかよりずっと保存能力に優れているって事?」
「そういう事ですね。その気になれば1万年でも1億年でも保存できる、と言う事です」
「それは凄いね」と、これは楠木さん。その反応に少しの手応えを得て、説明を続ける。
「それだけが強みではありません。このタイプは容量が見た目と比べて1000倍、重量も実際入れた商品の総重量とくらべて1/10000となっています。つまり仮に1kgの商品をこのアイボに入れたとしても、アイボのを持ち上げた時の重量は0.1gしか増えない、という事ですね」
「という事は、床を抜かすことなく安全に商品を保管することが出来る、という事?」
「そういう事になりますね」
「ほう、じゃあ多量に少搬入で回してもいけるような気がするね」
楠木さんが呟く。うん、まさにそういう事だ。それだけでなく、食中毒などの危険性を減らすことが出来るのも大きい。
食品を扱う会社にとって、食中毒は暖簾を降ろすことにもなりかねない事態だ。この時代だとまだ食中毒はありふれたものだが、食中毒の心配の少ない商品を扱うことで、店としてのブランドイメージのアップにも繋がる。是非この提供を商機に繋げて欲しい。
それとは別に「新しい食材/食品の普及を促進する」という面もある。「新食材を食べてみたら食あたりした」とあってはどうしても次回食べてみたいとは思えないだろう。それが食あたりしにくい食材であれば、実際の味や食感、値段以上に消費者に対して訴求力がある、といっても過言ではない。
何年かかけて食品を普及させれば人々の食生活の一部にすることも可能であろう。そこに関して島木屋の衛生に対する意識や手腕が問われるだろう。
「因みにこれはおいくら?」と紺原さんが問うた。この時代、アイボは迷宮探索士でもなかなか持っているものではない。
付加価値のついた外付けアイボを買い取りとなれば、どれほどのコストがかかるのか、不安になるのも無理はない。じゃあ、買い取りにしなければ良いのかな。
「リースでいいですよ。キャンペーン価格、6年契約で1両」
ここは、破格とも言える安値を提示しておく。その言葉に、紺原さんの瞳が光り輝いた。
「おお、それなら導入しない理由はないね。電気冷蔵庫とかを導入することを考えても、少し安すぎるくらい。導入します」
「有難うございます。ではその契約は商品売買契約と一緒に」
「はーい。しっかし保存方法としては便利すぎるくらいだね。あるいはもうこれを棚として、例えるなら冷蔵棚みたいに使えるかもしれない」と紺原さんが言った。
「場合によってはショーケースとして使うことも出来そう」こちらは楠木さんである。
「いや、どちらも厳しい、というより無理ですね。手を入れないと中の商品が取り出せないので。ついでに言えばお客さんから中の商品が見えないので、広告効果も乏しいですね。仕様上どうしても一つの棚で裁ける人が少なくなってしまいますし」
「うーん、中々上手く行かないもんだね」
紺原さんが頷く。普通の外付けアイボだと、このような不都合も場合によっては起こってしまうのだ。
なお、我が家の本棚は外付けアイボの特殊型となっていて、外と物理法則の一切を共有しているはずなのに、劣化を全くさせないというすぐれものとなっている。
本当は建物一切をカバーできるタイプの方が良いのだが、それだと万が一曲者が入った時に肉体年齢とのズレがあると面倒だ。あとは鳥が通過した時に劣化しなくなるのは中長期的に見て得策ではない。国全体に被せれば一切のものが劣化も成長もしなくなるのでそれはそれでユートピアとも言えるが進歩的な文化や技術の発展がなくなってしまいそうなので、今は止めておく。人口の増加も減少もしなくなるのはかなりきつい。あくまで人類に影響のないところから、だ。
同様に箪笥や冷蔵庫等も外付けアイボ化している。冷蔵庫に関しては、「食品を保存したい」というニーズの他に「食品を冷やしたい」というニーズがあるので、通常の外付けアイボの他に冷蔵型外付けアイボ、冷凍型外付けアイボ(いずれも外付けアイボより改良)を設置してある。
屋敷内の全ての冷蔵庫をネットワークに接続させても楽しいとは思うが、それだと気軽に取り出しにくくなる可能性があるのでやめておく。
「じゃあ、この量だけ買い取ります」
紺原さんがリストを提示する。一瞥する限り、消化率はまずまずだ。今回は一つの品目に偏った注文が来ることを想定して全ての商品を多めに持って来たので、このリストは予想以上、といって差し支え無いでしょう。
「はい、有難うございます」
注文を受けた分の食材を外付けアイボと一緒に提供する。
それと同時にタイガー式計算機(手回しで使う機械式計算機。実際の開発は明治時代だが工業班の尽力により完成した試作機一号である)を回し、代金を計算する。いつも思うが、このクランクは良い。
回す時の音が心地よく、気分よく仕事が出来る。出てきた演算結果を目に落としこむ。大麦の買い入れ量が思ったより多い。
日本と同様に大麦文化を培ってきたこの国なら、慣れている大麦を多めに入荷するのは至極まっとうな判断だ。大橋領は計算し終わったら瀬戸さん(他数名)に回し、手計算で検算してもらう。
「計算終了しました。問題ないです」
瀬戸さんから返答がある。そうしたら紙を引っ張ってきて売買契約書を認める。
「ということで、お会計が421両と2647文になります」
「有難う…ってやっぱりこれはちょっと安すぎない?今回オリーブオイルとか単価の高い商品をかなり買っているし、最低でも1000両くらいから提示してくるのかと」
紺原さんが首を傾げている。確かに一般的な物価から言うとそこそこ安いかもしれない。
だが、例えばオリーブオイルに関しては前述した通りかなりの高値をつけている。もっと安く手に入れたいのであれば、北界から船を出すも良し、迷宮に潜って手に入れるも良し、そうやってオリーブを手に入れて加工するも良し、オリーブを栽培するも良し。
あらゆる方法でオリーブオイルの価格を引き下げて欲しい。まあ引き下げてしまったが最後価格競争(+品質競争)に晒しますけどね。ただのコモディティ化に留まらない、という所が肝だ。
「あ、なんか悪いこと考えてる」
楠木さんが言う。失礼な。とりあえず安値にしている、自らの持論を語る。
「とりあえず食品は普及するまでが勝負ですからね。高単価な商品はそれで良いとしても米や青菜といったこの国でも簡単に入手できる商品はシェアを取れるまでが勝負です。温いことは言ってられません」
そう、これがわざわざ単価を引き下げた大きな理由だ。初回は低単価の方が買われやすいし、そもそも小売店での定着が早く長い。
「成程。じゃあこちらも裁かせていただくね」
紺原さんはその理論に納得したようで、ひとまずこの取引は成功に終わった。
「あ、あと」言い忘れていた事があった。竜田畝麻呂の作品をどこかで入手したいんだった。
「? どうしたの?」
「今竜田畝麻呂という人の作品にちょっとはまってまして…扱いがあったら、ちょっと買い取りたいのですが」
その質問に、楠木さんが少し不思議そうな顔をする。
「ああ、でもあれ、最近めっきり見ないね。噂だと誰かが凄い勢いで買い占めているとか」との紺原さんの答えに、そんな人がいるんだ、と内心少しびっくりした。でも竜田作品の魅力に取りつかれた人と考えれば、それほど不自然な話でもないのか。
「そ、それは凄まじい執念ですね。とにかく有難うございました」
「こちらこそ。有難うございました」
こうして、本日の商談は終了した。
帰る途中に商店街を通る。ここは美流、商業の中心地だ。当然大橋中の商品という商品が集まってきている、と言っても差し支えない。
「右も左も美味しそうですね!」
田名川さんが言う。団子屋に餅屋、蕎麦屋に饂飩屋台。甘いものから辛いものまで、手軽に食べられるものが、この通りに立ち並んでいた。
「私が作ったほうがずっと美味しいですよ」
そんな田名川さんに、串岡さんが涼しげに返答する。確かに彼女の作る料理は一級品を軽く凌駕する。
が、田名川さんはそれに少し躊躇いをみせつつ反駁する。
「でも、こういうものは味じゃなくて雰囲気の問題なのです。マスターもそう思いますよね?」そして質問をこちらに向けてきた。確かに雰囲気は大切かもしれない。
「ああ、そうかもしれませんね。…折角なので何か食べましょうか」
「え、マスター、良いんですか?」田名川さんは一瞬目を丸くした後、口元をすぐに綻ばせた。
「そんな人をケチみたいに言わなくても。どこでも好きな所でいいですよ。ただし、予算は今回の商談分までです。…ところで、そんなに食べてエネルギー溜め込みませんか?」
「それに関しては問題ありません。第一、エネルギーを吐き出す方法等色々あります。発電に汗を流すのもその一つの方法ですね。あられ一粒で原発1基を5年間動かしてやっと手に入る電力を発電できます」
「ほう。じゃあ、どれでもどうぞ。あ、他の皆さんもどうぞ、好きな所へ」
そういって、今日同行していた20人に1両ずつ渡す。
「じゃあまずは…」田名川さんが僕の手を引きつつ和菓子屋に向かっていった。それに伴い、各人、自分の好きな所に向かっていった。
結局その後、旗ヶ野についた後から発電量が不自然なほど跳ね上がったのは言うまでもない。
いつもお読み頂き有難うございます。
次回の投稿予定は2/16となっています(相変わらず予定は未定です)。