宴とスカウト 2
「な、なんてこと……!」
「姫様にあのような無礼を……」
「いくら当代随一の使い手だからって、あんな無礼、騎士にあるまじきことだわ」
一向に悪びれないグラントに、居合わせたものたちは口々に非難を浴びせた。実は、トレフィナに一泡ふかせたことに溜飲を下げた者も中にはいたのだが、流石にそれを公然と見せるものはいなかった。
聞こえてくるのは非難の声ばかりだというのに、しかしグラントはそのような外野の声、何処吹く風である。絶句するトレフィナの反応を、にやりと笑いながら待っていた。
「――何事だ」
騒然としていた場が、その一言で静まっていく。
「国王陛下! 王后陛下!」
広間の反対側にいた王と王妃が、騒ぎに気付いてやってきたのだ。
「――トレフィナ、貴方という子は……また何かしたのですか」
金髪に空色の瞳の、穏やかな美しさをもつ女性が、柳眉を顰めて、咎める声を出した。
「っ私ではありませんわ、お母様! グラントが私を侮辱したのです!」
「何? グラント、貴様、我が娘を侮辱したのか」
トレフィナの訴えに反応したのは、母である王妃ではなく、父王のほうだった。
「これは陛下。いえ、私は姫に、よりよき主になっていただきたく、ご忠告申し上げただけでございます」
グラントは、王の鋭い眼光と不機嫌な声を向けられても臆することなく、慇懃に礼をしながら嘯いて見せた。普段は雑で、どこぞのごろつきという風情のグラントではあるが、れっきとした騎士である。礼儀作法は心得たもので、その気になりさえすれば、相応しく振舞うことが出来た。
「何を調子の良い! お前は……!」
「トレフィナ、待ちなさい」
グラントを糾弾しようと一段声を高めたトレフィナを、王妃が制した。
そして、トレフィナの前で片膝ついているヴェルクルッドを見やる。
「――貴方は……ヴェルクルッドでしたね?」
「――は。ご記憶いただき、恐悦至極に御座います」
ヴェルクルッドは深く頭を垂れた。
闘技大会の表彰式にて拝謁はしたが、名を呼ばれることはなかった。まして、優勝者でもない己の名を記憶されているとは思いも寄らなかった。
「……察するに、あの子は貴方を親衛隊に勧誘しましたか」
「……はっきりとお誘いいただいたわけではございません」
溜息交じりの王妃の問いに、ヴェルクルッドは頭を垂れたまま答えた。
「っですが、これから勧誘するつもりでした! 王族の親衛隊ですよ! 騎士にとってこれ以上栄誉なことはないでしょう! 誰が、何の理由で断るというのです! だというのに、グラントは……!」
「人には相性と言うものがあるのだぞ、姫よ。姫とヴェルクルッドでは互いが不幸になるのが目に見えておる」
「貴方に何がわかるの!」
トレフィナとグラントの口論が始まって、王妃は再び溜息をもらした。王は、愁い顔の王妃を宥めるように、その肩を撫でる。
王妃は、王の手をそっと止めて――ヴェルクルッドに問うた。
「……ヴェルクルッド、顔を上げて。貴方の率直な気持ちを聞かせてください」
「王后陛下……」
言われるがまま、ヴェルクルッドは顔を上げて、王妃を見た。
間近で見る、その優しげな目元は、何処かシンディに似ていると思った。
「咎めはしません」
「……ですが……」
ヴェルクルッドは思わず目を伏せた。咎めはしないと言う、王妃の言葉を疑ったわけではない。
正直に答えれば、それは姫を否定することになる。それが姫を傷つけるだろう事、公の場で侮辱するに等しいその言動を、躊躇ったのだ。
だが、姫の立場を慮ったヴェルクルッドの心遣いも、空気を読まない男がぶち壊す。
「答えられぬのも、また答え。姫よ、諦めが肝心だ」
「騎士の分際で……っ!」
トレフィナは淑女の嗜みも忘れて地団太を踏み、その音で我に返った。
こほん、と一つ咳払いをすると、ヴェルクルッドに向き直る。
「――っいいわ、では訊くわ、ヴェルクルッド! 私の親衛隊への加入を断って、貴方は何をしたいというの?!」
「私は……」
問われて、ヴェルクルッドは言葉に詰まった。
もし、この人と決めた主がいたのなら、迷うことはなかっただろう。
だが、ヴェルクルッドはまだ、唯一無二の主を見出せていない。国を、民を守るのが騎士の務めではあるが、主のために勝利を掴むのもまた、騎士の重要な務めである。
いつかは主に忠誠を――そうは思っても、それはいつのことになるのか。見つけるまではどうするつもりなのかという問いに、ヴェルクルッドは確固とした答えを持っていなかった。
「仮に、主と見定めた相手がいたとしても! その人が、私の勧誘を断った貴方の剣を受けると思っているの?」
「っ」
ヴェルクルッドは息を呑んだ。
確かに――その通りだった。
「――トレフィナ、貴方は……騎士の臣従の誓いを妨害するつもりですか」
「……あ、あら、それは誤解ですわ、お母様。ただ……」
王妃の咎める声に一瞬動揺をみせたものの、トレフィナはすぐに笑顔を取り繕い、周囲を示すように腕を広げた。
「私以上に、騎士の主に相応しい者が、貴族たちの中にいるかということですわ」
「…………」
誰も、名乗りを上げるものはいなかった。
当然だ。ここで私が、などといおうものなら、それは己が第二王女よりも優れていると発言したも同然。トレフィナの怒りを買うも必然である。
反応のない周囲に満足の頷きを一つ見せて――トレフィナは王妃を窺うように見上げた。
「お母様は無理ですわよね? だってお父様がお許しにならないわ」
「うむ」
「……陛下……」
トレフィナの言葉に間髪いれずに頷いた王に、王妃は悲しげに呟いた。
王は、男性騎士が王妃に臣従を誓うのを良しとせず、それを禁じてしまったのだ。王妃の護衛は、王の親衛隊と、数少ない女性騎士が担っている。
「お父様、お父様は、どう思われます? ヴェルクルッドを、親衛隊に加えるおつもりはおあり?」
「いいや。親衛隊は十分足りておる」
甘えるように寄り添って問うトレフィナに、王は愛情の篭った微笑を向けて、愛娘の望む答えを与えた。
「そうでしょう? ふふ」
トレフィナは晴れやかに――いっそ無邪気なほどに笑うと、ついと王から離れ、くるりとターンした。ドレスの裾がふわりと靡く。その様子だけを見れば、トレフィナは、無垢な美少女だった。
「他の王族といえば、お姉様だけれど……お姉様は、ここ数年、人前に姿をお見せになっていないわ。いいえ、それどころか、男を近づけようともなさっていないの」
目を眇め、トレフィナはヴェルクルッドに顔を寄せた。
「――さあ、ヴェルクルッド。聞かせて頂戴。貴方は、一体誰に剣を捧げるつもりなの?」
「……私は……」
ヴェルクルッドは眼前に迫ったトレフィナの美しい――だが、意地の悪さも窺える顔から逃れるように、上体をわずかに引いた。
しかし、トレフィナはそれを許さなかった。
ヴェルクルッドの頬を両手で挟み、なお顔を近づける。
「騎士としての誉れを、栄光を望むのなら、誰に剣を捧げるべきか……さあ、もうわかったでしょう?」
にんまりと笑う。
まるで、猫がねずみをいたぶるかのようだ。
「答えなさい、ヴェルクルッド」
「――――私、は……」
もう逃げられない、とヴェルクルッドは思った。
トレフィナの誘いを蹴れば、騎士として仕えるべき主を、一生見出せない。
ならば――
臣従を誓う、忠誠を捧げる主を、見出せないくらいならば。
ヴェルクルッドは、ぎゅっと目を閉じた。
そして覚悟を決めて、トレフィナを主とする旨を言葉にしようとした、その時。
「ヴェルクルッド様、貴方の忠誠、私に頂けませんか」
「……っ!?」
凛とした声が、まるで祝福の鐘のように、ヴェルクルッドの耳に届いた。




