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剣か、恋か 2


 一頻り言い合って、ようやく言葉が尽きた頃には、ヴェルクルッドとエストは疲労困憊と言っていい状態であった。

 

 「……なんで試合前にこんなことで消耗しないといけないんだ……」

 「……いや、まあ……悪かったよ」

 

 椅子にぐったりともたれかかるヴェルクルッドに、エストは素直に謝罪した。

 いつもならば、エストの八つ当たり発言など、ヴェルクルッドが軽く受け流して終わるのだが、今日はヒートアップしてしまった。コロシアムの好戦的な雰囲気に乗せられてしまったのかもしれないが、とにかく、試合前にすることではなかったと、エストは深く反省する。

 

 「飲むか?」

 

 エストは、ヴェルクルッドに水の入った杯を差し出した。

 

 「……サンキュ」

 

 杯を受け取って一気に水を呷り――そしてヴェルクルッドは、エストを見上げた。

 

 「……なあ、正直なところ……お前みたいに、女性に興味を持つべきなのか?」

 

 ヴェルクルッドの年齢的には、確かに恋に一喜一憂していてもおかしくない。

 成人も済ませている――一般的には十八歳で成人だが、騎士を志して騎士見習いの従士になったものたちは、二十歳以降、騎士の叙任を受けることが成人の証となる――ので、恋人は勿論、妻を持っていてもいい歳ではある。

 

 だが今は、恋愛よりも己の腕を磨きたいというのが、ヴェルクルッドの偽らざる本音であった。しかしそれが、世間一般的な同年代男子たちの優先順位とは違うことも、ヴェルクルッドは自覚していた。

 普段は余り気にしないが、こういう機会に、ふと、不安にもなるのだ。

 

 「……自然に興味が出てくるまで、待っててもいいと思うけどな、俺は」

 

 ヴェルクルッドの不安を感じ取ったエストは、まずは素直にそう伝えた。しかし、ヴェルクルッドのヴァイオレットの瞳は、まだ気持ちの揺れを示している。

 

 「――つまりあれだろ? お前はまだ、同性の友達と、馬鹿やってたいお年頃なわけだろ?」

 「…………そう、かもな」

 

 少し茶化したエストの言葉に、ヴェルクルッドは苦笑を見せた。

 

 「ならそれでいいと思うぜ。俺にもそういう時期、あったしな」

 「……そうか」

 

 ヴェルクルッドの苦笑が安堵の微笑みに変わって、エストは内心、酷くほっとした。

 そして、場の空気を完全に、普段の二人のものに戻すために、ずびし! とヴェルクルッドに人差し指を突きつける。

 

 「――ただし、一つ言っておくぞ、ヴェルク」

 「なんだ?」

 「――いつまでも人気者でいられるとは思うなよ! 恋人欲しいなーって思ったときに見向きもされなくなってても俺は知らねえからな! むしろ、ちょっといい気味とか、思うからなっ!」

 「……精々気をつけよう」

 

 半分くらい本気のエストの言葉に、ヴェルクルッドは微笑んで見せた。

 それがまた余裕たっぷりの笑みに見えて、エストの反発を買う。

 

 「むきー! くそう、お前なんて、わがまま姫に振り回されちまえばいいんだ!」

 「…………」

 

 エストが悔し紛れに口にした言葉に、ヴェルクルッドは笑顔を消した。

 

 「……なんとか、逃げられはしないものか……」

 「え? 逃げるって……スカウトか?」

 

 深刻そうに眉根を寄せるヴェルクルッドを見て、エストは目をぱちくりさせた。

 

 「え、マジで断るのか? そりゃ、確かに、性格に難ありだけどよ……」

 「可能なら、逃げたい」

 

 ヴェルクルッドは断言した。

 噂で聞く限り、トレフィナは、ヴェルクルッドが主にしたいと思うような人柄ではない。加えて、グラントにもお奨めしない、といわれてしまった。そのような相手に誓いを立てて上手く行くとは、到底思えなかった。

 

 「マジか。……んー、どうだろうな。スカウトを断るなんて、前例がないっぽいし」

 

 エストは腕組みして考え込んだ。

 親衛隊への加入を断ったという話は、ヴェルクルッドもエストも聞いたことがなかった。

 

 「しかし、騎士の臣従の誓いは尊重されるだろう? それを盾にすれば、あるいは……」

 「いやそうだけど。でもよ、わがまま姫のことだ、不敬罪だって喚いて、二者択一を迫ってくるかもだぜ?」

 「……有り得ない、と断言できないところが辛いな……」

 

 ヴェルクルッドは頭を抱えた。

 親衛隊に加入するか、騎士除名か――いや、騎士除名ですめば軽いほうかもしれない。最悪の場合、罪人として投獄、処刑も有り得る。

 

 「…………いや、だが……スカウトではなく、復讐を考えているとか……」

 

 ヴェルクルッドは呟いた。

 ヴェルクルッドは、トレフィナのわがままに一度横槍を入れている。シンディの召喚を阻止したのだ。そのことを恨みに思っている可能性もありそうだった。

 

 「ん? なんだって?」

 

 小さく呟いた言葉は、エストには届かなかった。聞き返すエストに、ヴェルクルッドは「なんでもない」と首を振る。

 スカウトか復讐か。どちらにせよ、ヴェルクルッドにとっては、好ましくない事態である。

 どちらを行っても行き止まりのような閉塞感に、ヴェルクルッドが溜息を漏らした、その時。

 

 「――もし、ヴェルクルッド様?」

 

 ノックが響いた。

 

 「はい」

 

 聞きなれない声に、首を傾げながらも返事をし、ヴェルクルッドはドアを開けた。

 そこに立っていたのは、黒髪にヘイゼルの瞳を持つ侍女姿の若い女性だった。

 訪問が規制されている選手控え室に、見覚えのない訪問者。

 ヴェルクルッドが戸惑っていると、その肩越しに覗き込んだエストが声を上げた。

 

 「あれ、セイニー嬢?」

 「まあ、エスト様。ご一緒でございましたか」

 

 ヴェルクルッドの背後にエストを見つけ、侍女セイニーは微笑んだ。

 

 「なんだ、知り合いか? エスト」

 「ああ。ほら、俺にレインの花を届けに来てくれた人だよ」

 「ああ……では、貴方がシンディ嬢の侍女殿ですか」

 

 ヴェルクルッドは得心して頷き、「よろしければ、どうぞ」と、ドアを開け放してセイニーを招き入れた。密室に若い男女では、変に勘ぐられて噂されてしまいかねないからだ。

 

 「ありがとうございます。お邪魔致します」

 

 セイニーも心得たもので、部屋に入りはしたが、数歩程度で足を止めた。

 

 「シンディ嬢の火傷は、綺麗に治ったのでしょうか」

 「? あ、はい。大丈夫です! お嬢様のおみ足に、火傷の跡など残っておりませんから!」

 

 ヴェルクルッドに問われて一瞬きょとんとしたセイニーであったが、すぐに思い至り、力強く頷いた。

 

 「そうでしたか。それは良かったです」

 

 ずっと気になっていたことに明確な――それも良い答えを得て、ヴェルクルッドはほっとした。シンディに火傷の痕が残ってしまったとしたら、ヴェルクルッドはあの日、シンディを食事に誘ったことをずっと後悔するところだった。

 

 「気にかけて頂いていたなんて、お嬢様がお知りになったら、きっと喜ばれますわ! 必ず、お伝えいたしますわね!」

 「いえ、そのような……どうか、お止めください」

 

 セイニーは感激しているが、ヴェルクルッドとしては、功を――いや、功とすらいえない、ごく普通の配慮だと思っている――誇るような真似はしたくなかった。

 

 「それよりもセイニー嬢は、もしや、シンディ嬢から何か……?」

 「あ、ええと……はい、僭越ながら、お嬢様の代理で応援にお伺いいたしました。次はトレフィナ姫様の騎士、優勝候補のグラント様でいらっしゃいます。……何卒、勝って下さいましね!」

 

 胸元でぐぐっと拳を握りこんで、まるで自分が戦いに赴くかのような緊張感と真剣さで、セイニーがエールを贈った。

 

 「……無論、最善は尽くしますが……」

 

 セイニーのこの力の入りようは何故だろうかと、ヴェルクルッドは不思議に思った。

 

 「ヴェルクルッド殿、そろそろ次の試合の準備をお願いします!」

 

 だが、それを問いただす暇はないようだ。

 

 「――了解した」

 

 ヴェルクルッドは廊下から呼びかける声に返事をし、気を引き締めた。

 

 「頑張ってくださいね、ご無事でお戻りくださいね、ヴェルクルッド様!」

 「応援、有難う御座います」

 「ま、頑張ってこいよ。いっそ王妃様に気に入られるほどに活躍すれば、王妃様の親衛隊に入れてもらえるかもだ」

 「……そうだと、いいんだがな」

 

 確かに、トレフィナよりも上位王族のスカウトがあれば、トレフィナにスカウトされても、角を立たせずにお断りが出来る。

 だが、王妃は近年、一人もスカウトしていない。望みは薄いと言わざるを得ないだろう。

 

 「――まあ、そんなことを考えていられる相手でもないか」

 

 準決勝の相手は、グラントだ。一度は剣の決闘で勝利しているとはいえ、油断していい相手ではない。特に、今回の初手である馬上槍は、突進の威力が物を言う。気持ちが逸れては容易く押し負けることだろう。

 グラント相手に、気の抜けた試合などしたくない。

 エストとセイニーに見送られながら、ヴェルクルッドはコロシアムへと向かった。

 


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