ありきたりの日常①
あのお花見の日から、月日はあっという間に過ぎて初夏を迎えた。
あのお花見の次の日の朝。気がついたら私はベッドで横になっていた。莉紅が運んでくれたみたいだ。
瞼を上げると、隣には目を瞑って眠る莉紅がいた。起きたらお礼を言わなくちゃ。
カーテンがかかっているにも関わらず、陽光が室内まで届いている。
窓を開ければ、きっと爽やかな風が吹いてくるのだろう。
何の違和感もない、日常。
莉紅をベッドに残し、着替えて朝食の準備をする。 今日はサラダと、目玉焼きと、ウインナー。それとチーズトーストの予定。
部屋の中に、バターの香ばしい香りが広がる。卵とウインナーの奏でる音で、嗅覚と聴覚が喜び、どうしたって食欲をそそるシチュエーション。
物音で起きたのか、莉紅が欠伸をしながらキッチンのあるリビングにやって来た。
「おはよう」
「おはよう」
貴方の顔を見るだけで、本当に毎日しあわせなの。 それだけでいいの。
でもそれは、本人には言わない。私だけの、特別だから。
しばらくして、莉紅の足音が聞こえなくなったことに気づく。
後ろを振り返ると莉紅が私をじっと見つめていた。
眼鏡をかけていない莉紅もやっぱりかっこいいな、とかついつい思ってしまう。
どうしたのか、無意識のうちに首を傾げていた。それでも彼が微動だにしないものだから、さすがに心配になった。
「どうかしたの?」
そう言葉を発して、やっと彼の瞳に光が宿った気がした。
「……好きだなって」
「何が?」
「やっぱり涼が、大好きだなって」
「……っ」
動けなくなって、しばらく2人の視線が交わる。
「と、とにかく!顔洗って着替えてきて!!」
「分かったよ」
不意打ちは困る。
さっきの言葉も、今の寝起きの微笑みも。
心の準備がまったく出来ていないじゃないか。
でもやっぱり嬉しいから、ちょっぴり複雑な気持ちだ。けれどすぐに、そう思えることすらしあわせなことだともう1人の私が語りかけてくる。
赤面した顔を見られたくなくて、火をつけたままのフライパンの方に顔を背ける。目玉焼きもウインナーも、程よく焼き色がついていて、ちょうど食べ頃だ。火を止めてトースターに食パンを2枚入れ、冷蔵庫の野菜室からレタスとプチトマトを取り出し、冷水で洗う。
盛り付けた皿をテーブルに運ぶ頃には莉紅も着替えてリビングに戻ってきていた。
「いただきます」
2人とも、最初に箸をつけたのはサラダ。いつもそう。
「私たち、今日はどこに行くの?」
「今日はアネモネ畑に行こうかと思っています。」
「アネモネって…、あの赤色の?」
「それはお楽しみです。」
そう悪戯を企む子供のような顔で彼は微笑んだ。
朝食を済ませて出かける支度をする。
「今日は何を着て行こうかな」
クローゼットを目の前に、独り言を零す。
アネモネは確か綺麗な赤色の花だったから、赤が映えるように無難な白いレースの半袖にしようか。
それに、偶々目に留まったアイスブルーのジーンズを合わせる。髪の毛は面倒くさいから下ろしたまま。
玄関に行くと、そこにはもう既に莉紅の姿があった。
ごめん、と言うと彼は大丈夫、と穏やかな顔をして微笑んだ。その笑顔にこれまで何度救われてきたことか。きっと彼は知らない。
「今日もとても、綺麗です。涼」
「……ありがとう」
その愛おしそうに私を見る眼差しを向けられる度に、何故か胸が苦しくなる。どうして。
「涼?……どうかしましたか?」
ぼうっとしていて、莉紅の話を聞き流してしまったみたいだ。ものすごく心配、という顔をしている。
「私は、大丈夫。ありがとう」
今できる精一杯の笑みを浮かべる。
極度の心配性である彼にこれ以上心配させたくなくて、安心して欲しくて。
「なら、よかったです。でも何かあったらすぐに教えてくださいね。」
「うん、ありがとう」
私たちは家の外に出て、莉紅の言うアネモネ畑まで、どちらからともなく恋人繋ぎをして歩いていった。
「すごい……」
しばらく歩いて見えたのは、大輪のアネモネの花。
でもそのアネモネたちは赤ではなく、青い色をしている。
中心から花びらの先端に向かって色が段々薄くなっているのが何とも言えない美しさや可憐さを放っていて、しばらく目が離せなかった。
「気に入ってくれましたか?」
隣に立っていた彼が、そう言って私の視界に自らの上半身を映す。
「当たり前だよ。こんな綺麗なアネモネ、人生で初めて見た……」
「涼」
「ん?」
「涼、話したいことがあります。……聞いてくれますか?」
「私でいいなら何でも聞くよ」
「…ありがとうございます」
どうしたんだろう、急に改まって。
私たちの間に、何処か緊張が漂う。
私は頭にクエスチョンマークを浮かべたまま、莉紅が話しだすのをただ待つだけ。その時間が、何故だかとてつもなく長く感じた。本当は、一瞬のことなのに。
「涼。誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう!」
そっか、今日は私の誕生日だったのか。何で忘れていたんだろう。毎年、絶対覚えていたのに。
すると彼はしゃがんで、アネモネをそっと一輪だけ摘んだ。
「涼、僕は永遠に、貴女だけを愛すると誓います。いつ、どんな時も、貴女の傍にいると。青いアネモネの花言葉は『固い誓い』と言うんですよ。この花に誓って、僕は貴女を生涯愛し続けます。」
「……っ」
「……」
涙が溢れて、止まらなかった。心配性の彼でも、今は声をかけないでそっとしておいてくれる。気遣いの塊みたいな人だなぁ、と心に彼の温かさを感じながら思う。
この広い世界の中で、たったひとりの大好きな人。かけがえのない人。失いたくない人。そんな彼に、愛していると言われただけでこんなにも嬉しい。私が生まれてきた意味は、きっとこの人に出逢うためだったんだと、自信を持って言える。
流れる涙を何とかして止めた。彼にどうしても伝えたいことがあったから。
やっと開いた口が、彼への想いを言葉にして紡ぐ。
「莉紅、私__」
次回、11月8日更新です♪




