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きっと明日も良い天気  作者: @豆狸
3/3

後編・ミハイル

「どうぞ」


 執務室にいたミハイルが答えると、扉が開いてグリンダが入ってきた。

 彼女の手にはお茶とお菓子を載せたお盆がある。


「お疲れでしょう、陛下。そろそろお休みになられてはいかがです?」

「ありがとう」


 ミハイルは書類を片付けて、休憩用のソファに移動する。

 テーブルにお茶とお菓子を並べ、グリンダはミハイルの向かいのソファに腰かけた。


「ダメですよ、グリンダ」

「え?」


 ミハイルは立ち上がり、怪訝そうな顔をしたグリンダを抱き上げて座り直した。

 彼女の席は自分の膝の上だ。


「へ、陛下?」


 真っ赤になってうろたえる彼女が愛おしい。

 アンドレイはグリンダのことを地味だと嘲っていたが、ミハイルは彼女のように地味で愛らしい女性のほうが好みだ。


「私は疲れてしまったので、グリンダがお菓子を食べさせてくれなければ元気になれません」

「私を膝に座らせているほうがお疲れになるでしょう?」

「あなたを膝に座らせて疲れる? そんなことあるわけないでしょう?」

「きゃ、んっ、もう……困った王様」


 髪に、耳に、首筋にキスを落とすと、グリンダは甘い吐息を漏らした後で微笑んだ。

 普段はおとなしく地味な彼女だからこそ、たまに見せる蠱惑的な表情がたまらない。常に媚びを売って演技をしていたノイヴァとは違う。ノイヴァと付き合いたいなどとは夢にも思ったことのないミハイルだが、グリンダとなら、アンドレイとノイヴァがしているようにイチャつきたいと思っていた。

 皿から取ったお菓子をミハイルの唇へ運ぶグリンダの顔をじっと見つめる。


「……ふふっ」

「グリンダ?」

「なんでもありませんわ。ただ……冬の灰色の空は美しいものだと思っただけです」

「そうですか」


 ミハイルはお菓子を食べ終えた後、グリンダを抱き締めて元気を補充した。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「……」


 水晶玉から視線を外し、ミハイルは隣のグリンダを見た。

 彼女にも同じ未来が見えていたのだろうか。

 ミハイルから顔を背けているけれど、美しく整えられた髪から覗く耳が真っ赤になっているので、たぶん間違いない。


 先日、グリンダとアンドレイの婚約が解消された。

 男爵令嬢のノイヴァとこの天幕から出てきたところを、妻の死後ひとり娘を溺愛している侯爵に目撃されて浮気を糾弾されたのだ。元々侯爵はグリンダとアンドレイの婚約を快く思っていなかった。

 これまでは愛娘がアンドレイとの婚約継続を望んでいたから、仕方なく受け入れていただけだ。


 ちなみに、アンドレイとノイヴァがこの天幕に来ていると侯爵に密告したのはミハイルである。

 学園に噂を流し、グリンダがここに来るよう仕向けたのもミハイルだ。

 未来を見た彼女がどんな行動を取るかはわからなかったが、聡明な彼女はアンドレイに執着する愚かさを悟ってくれたようだ。ミハイルが見たときの未来の記憶とは異なり、アンドレイの身勝手な在学中の自由恋愛宣言を聞いても泣き叫ばないでいてくれた。それで全てが大きく変わったのだと思う。


(私も手を汚さないで済んだ)


 消えてしまった未来の記憶において、ノイヴァを殺したのはミハイルだ。

 婚約破棄されてすらアンドレイを慕うグリンダのための凶行だった。

 初めて会ったときからずっとミハイルはグリンダに恋している。自分とグリンダは地味で内向的なところがよく似ていると思っていた。ミハイルには好ましいと感じられるその相似は、幼いグリンダには物足りないものだったようだが。


 ミハイルは、自分のものになってくれなくてもグリンダが幸せならいいと思っていた。──水晶玉であの未来を見るまでは。

 青空を見上げ、良い天気だと言うグリンダの瞳には光がなかった。

 アンドレイを愛し続ける限り彼女の心は死んでいくのだ。


「ありがとう。良いものを見せてもらいました。……出ましょうか、グリンダ」


 占い師に料金を払って椅子から立ち上がり、グリンダに手を伸ばす。

 ミハイルはまだ王太子ではない。

 甘い性格の現国王は、侯爵令嬢との婚約が破棄されても可愛い甥を廃嫡させなかったのだ。まあ、そちらはどうでもいい。ミハイルが欲しかったのはグリンダで、王座ではないのだから。


 今回見た未来では結局王座もミハイルが手に入れそうだが、どうなることか。

 水晶玉で見たアンドレイとの未来が嫌だったのか、男爵令嬢ノイヴァは彼の護衛騎士と駆け落ちしていた。

 周囲に味方のいなくなったアンドレイが、心優しいグリンダにすり寄って来ないよう気をつけておかなくてはならない。


「今日は良い天気ですね」


 占い師の天幕を出て、ミハイルはグリンダに言った。

 ミハイルは今も彼女の幸せを望んでいる。

 そして、そのためには自分が一緒にいなくてはならないのだと確信していた。だって水晶玉の未来で見た彼女は、これまで見たどの彼女よりも幸せそうだった。


 以前グリンダに曇り空の瞳と言われたことでは、よくアンドレイにからかわれた。

 しかし、それで落ち込んでいたミハイルを慰めてくれたのもグリンダだ。

 彼女は言った。


 ……曇り空が雨を降らせた後には虹が出るでしょう? 私、曇り空も好きです。それに冬になると、いつだって灰色の空ですもの。


 水晶玉で見た未来の中でグリンダは、冬の灰色の空は美しいと言ってくれた。

 ミハイルの瞳を最初に曇り空と例えたのは彼女だが、幼いころだし悪意はなかったことくらいわかっている。

 からかいに使われたのは、アンドレイの性格が悪いからだ。グリンダを憎む気持ちはない。そもそも、曇り空と例えられた思い出も、ミハイルにとっては彼女と過ごした宝物の記憶だ。


「そうですね。きっと……明日も良いお天気でしょうねえ」


 頬を真っ赤にしたグリンダの瞳には、空ではなくミハイルの灰色の瞳が映っている。

 ずっと思い続けてきた彼女に見つめられるのが嬉しくて、ミハイルは無意識に微笑んでいた。

 そんな自分に彼女が見惚れていることに、彼はまだ気づいていない。


★ ★ ★ ★ ★


 その占い師には、客の未来を水晶玉に映し出して見せる能力があった。

 生まれつきのものだ。

 水晶玉に映る未来は見たものの行動によって変化するらしい。


「……私が見せてるのに、私には見えないってなんなんだろーねえ。つまんなーい」


 幸せそうな顔で出て行った男女の客の背中を見送って、占い師は呟いた。

 感謝されたり怒鳴られたり、ときには暴力まで受けそうになるけれど、占い師には水晶玉になにが映ったのかわからない。


「まあ、見えてたら殺されてたときもあるような気がするから、これはこれで良かったのかもね。水晶玉で見たことで悪い未来を回避できたお客さんもいるみたいだし……」


 だれかの役に立ってお金ももらえてるんだからいいか、と思い、占い師は次の客を招いた。


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