41.失われた計画
人間死ぬ気になれば何でもできるとはよく言ったものだ。ロキに崩壊まで残り数分だといわれた瞬間から普段の三倍は速く走れたと思っている。いや、気のせいかもしれないがそれくらいの速さが出ている気分ではあったのだ。
トラグスの研究所を無事に飛び出した四人は退路を確保していたエイラたち攻撃部隊と合流。残っていた面々はエイラ直属の中でも運転に長けているもの達だけだった。
退避命令が出ていたのだから逃げても許されるだろうに。エイラの部下の持つ辞書には逃げるの三文字はなさそうだった。
全員がそれぞれ準備されていた車両に乗り込み、急発射させる。時間はあまりないが出来る限り遠くまで行かねばいけない。巻き込まれないと思っていたら実は巻き込まれました。なんて笑えない話だ。
しばらく車両を走らせたところで背後から大きな爆発音が響いた。振り返れば研究所があったであろう場所から真っ黒な煙が上がっている。何とか時間までに爆発範囲外まで出られたらしい。
「おい、ジルベルダ。この先に少し広めの場所があっただろう。そこで全員止めろ」
「畏まりました」
身を運転席のほうまで乗り出しながら運転手であるジルベルダに告げればジルベルダは慣れた手つきで通信すると少しスピードを上げた。
「おいジルベルダ?」
「少しスピードを上げます。捕まっていてください、ボス」
「ちょっと待てジルベルダ!!」
言うのが遅かったのかジルベルダがアクセルを踏み込むのが早かったのか。
どちらにせよ、アベルはもう二度とこの女に運転は任せまいと心に決めた。
* * *
指定した場所にはすでに数名たどり着いていた。武器を手入れするもの、周囲の警戒に当たるもの、車酔いで死にかけているもの様々だった。しばらく待てば最後尾についていたエイラとバルドルの車両が到着した。カルマもユダも無事に到着していることを確認しアベルはようやく息をついた。
「よかった、全員無事に抜け出せたな……」
全員の顔を見回せば各々好きなように返事を返す。カルマに関してはどこで拾ってきたのか行きには持っていなかった貴金属類を持っていた。まったく、ちゃっかりしている。
「各々、何かあれば報告をロキに回してくれ。そこから必要不必要を取捨して判断する」
アベルの言葉に全員が返事を返す。ただ一人、バルドルだけはガリガリと頭を掻いたかと思うと近くに放置されていた朽ちた木箱を蹴り壊した。
「あーくそ!なんでこんな……証拠もほとんどぶっ飛んじまったしよぉ!」
バルドルのチームは比較的研究所の中でも出入り口付近に陣を構えていた。深部まで足を踏み入れたカルマやユダと違い目立つ戦果を挙げられていない。仕方のないことではあるが、本人はその事実に苛立っているらしい。
その様子を見ながらカルマが一つ手を打つ。全員の注目が向いたところでいつものようにヘラリと笑って見せた。
「終わったことは仕方ないから引きずるのは無し!今回はイレギュラーも多かった。だから功績がどうとかより今回はみんなが生きて戻れた。それで十分。バルドル、それでいいね?」
「……あぁ、それでいい」
だいぶ不満そうにはしていたがバルドルも了承を返す。
そう、誰も死ななかったのだ。一人くらいの犠牲は出るだろうと想像していたのにも関わらず何かに操られていたかのようにバートン側に死傷者は誰一人としていない。何が原因であれ、それは喜ばしいことだった。
バルドルを中心に苛立っていたメンバーが落ち着いたのを確認するとカルマは深く息を吐き出した。
ここでバルドルたち攻撃部隊に暴れられてはせっかく無傷で生還したのに無意味になってしまう。それを事前に防げたとあれば御の字だろう。
一応、と再度カルマは全員に目を通す。
バルドルもアベルも比較的落ち着いた様子を見せている。戦闘部隊として参加していたエイラは、まだ興奮は収まりきらないだろうが問題を起こすほどではないだろう。ちらりと視界の端にとらえ続けているユダを見つめる。
何が、というわけではない。カルマの長年の感がユダに気を許すなと、そう言っていた。
不審に思われない程度にユダを上から下まで確認する。赤い紙紐で一つにまとめられた髪。程よく着崩された服装。
いつも通りだ。いつも通りのユダ・カナルマンだった。
笑い方も、剣の捌きも、運動能力もなにもかも。何が違うというのか。一体何に違和感を覚えたというのか。それがカルマにはわからなかった。
視線を感じたのかユダがふるりとカルマのほうへ顔を向ける。なんてことはない。見慣れた彼の顔だ。
カルマも何事もないようにユダの顔を見て真正面を見直す。これくらいでごまかされる人間ではないが、全員の表情を見ていたんだ。ごまかされてくれればいいと思う。
「とにかくまずはホームへ戻ろう。話をするにも何をするにもまずは落ち着く場所に戻らないと、ね」
全員が口々にカルマの言葉に同意していく。みんななんやかんや言いながらも早くホームに戻りたいのは同じ思いだったようだ。
すっと通信機に手を伸ばし、ダイヤルする。数秒も待つことなくすぐにクロナへと回線がつながった。
「クロナ、そっちの状態はどうかな?」
声を低くしないよう、街で女性に声をかけるようになるべく声質を明るくする。クロナにはこれがてきめんだとカルマ自身わかっているから。
そんな思いはつゆ知らず、クロナはいつものように声を裏返しながら返事を返した。
『はい!いまロキさんがそちらに車を向かわせていますのでもう少々お待ちを!』
「車って……一応全員乗れるだけの車両はあるよ?」
クロナの問いにそう返す。
そう、車両はある。研究所に侵入した全員が乗ってホームまで帰れる分には。それなのにロキはまた新たに車両を送ったというのか。
そう聞けばクロナのほうもしばらく確認のために黙ったが、すぐに「ロキさん曰く」と言葉を紡いだ。
『全車両を監視していたわけじゃないし、研究所に近づいたのならトラグスのやつらに何を設置されているかわからないから新規で車両を回す。とのことです』
「なるほど、そういうことなら車両と……荷物も破棄したほうが良いね」
『はい、着替えも全て持っていくそうなので自分が最後まで身に着けていた武器以外は全て破棄。身に着けていた武器も研究所内部で汚染されている可能性もあるからこの場で分解、洗浄にしてからにしてくれ、とのことです』
だってさ、と全員に向けてカルマが声をかければバルドルあたりはさっそく服を脱ぎ始めた。もともと着ている服もジャケットとシャツくらいだ。すぐに燃やせるものは先に燃やしてしまおうとジャケットを脱ぎ、一か所に集められ始めている車両の上に投げ入れる。ある程度脱げる範囲で脱ぎ切れば、続いて使っていた武器の手入れを始める。特にバルドルは大型の重火器を使う。いくら今回破棄推奨とはいえど流石にできる範囲で洗浄し持ち帰るのだろう。どこまでできるかはわからないが。
カルマはくるりとアベルのほうに顔だけ向きを直し支援部隊への伝言はあるかと問う。アベルも少し考えたが特になかったようで首をゆっくり横に振った。
『それでは、また到着する頃に連絡するのでそれまで待機していて下さい!』
「ああ、わかったよ。よろしくねクロナ」
クロナとの通信が切れる。再びアベルのほうを見ればすべて聞いていたといわんばかりに手を振る。この反応ならば特に報告はいらないだろうとカルマも他の人間と同じようにジャケットや不必要なものを脱ぎ始めた。
カルマがジャケットなどを脱ぎ始めると今まで黙っていたユダがふらりとアベルのほうへ近づいた。いつまでも考え込んだ様子のアベルを心配していたのかすぐ近くにしゃがみ込みアベルの顔を覗き込む。
「アベル、大丈夫ですか?」
「ああ、平気だ。お前もさっさと不要物を出しておけよ」
「ええ、わかっています。それに先ほどのカルマの通信内容からですが一時間もしないうちに迎えが来ると思いますのでそのつもりでお願いしますね」
「あぁ、わかった。」
早く行け、と言わんばかりに手を振るアベルに軽く一度礼をし、ユダもジャケットを脱ぎながら不用物置き場へと歩き始めた。
周囲に人がいなくなり、アベルはまた先ほどと同じことを考える。
研究所脱出時に一瞬だけ見つけた資料。ジューダス計画。ほんの一瞬しか見えなかったがあの書類には見知った人間の写真が印刷されていた。
一人は黒髪の男。
一人は黒緑髪の男。
一人は金と鉄錆色の女。
一人は紫髪の女。
全員見たことがある。いや、あって当たり前だ。だってこの四人はトラグスに付き従っている人間だ。知らないわけがない。
トラグスファミリーのボスであるカインを守る四つの盾。通称ネフィリム。
バートンファミリーのアザゼルと対になる存在であり、一部の人間同士は隠してはいるようだが仲が良いようだ。
研究所の地下で行われていた実験。体に蓄積する未完成の薬。そして一瞬だけ見えたジューダス計画。
「Judasジューダス計画……詳しくは見れなかったけどあれは……」
「ボス、珍しく長考していかがいたしましたか?それと、そろそろ迎えが来ますよ」
不意に声をかけられ意識が急浮上する。閉じていた眼を開ければそこには軽装のユダがいた。
良いところまで思考できていたというのにタイミングの悪い奴だと思いながらアベルは軽く息を吐いた。
思考だけならばいつでもできる。もう一度同じところまで思考すればいいだけだ。
「……何でもない。行くぞ」
少し先にバートンの車両が見えた。すぐにここまでやってくるだろう。それまでの間にジャケットなどを脱いでしまわねば。
アベルは立ち上がるとユダの横を通り過ぎ不用品置き場へと足を向けた。
ユダはその後ろ姿を見つめながら軽く頭を下げた。
「……はい、ボスの思うままに」
頭を上げるとすぐにこちらへ向かっている車両へと合図を送るべくユダは行動を始めた。
そんな動きを横目にカルマはただ、眉を寄せた。
ピピピッ、と通信機が鳴る。とってみればクロナからで、こちらに向かっている車両がもうすぐ着くとの連絡だった。
そういえば連絡をよこすと言っていたっけ、と思いながらふとカルマは言葉をこぼした。
「なあ、クロナ。今日って何曜日だっけ?」
『え?カルマさんお忘れですか?今日は水曜日ですよ』
クロナの問いにカルマは一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに取り繕い「そうか」と言葉を返す。
そうだ、そうなのだ。ああ、そういうことなのだ。
カルマの見つめる先、はるか向こうにはこちらへと向かってくる黒い車両が写っていた。




