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春の訪れは柔らかな陽光と共に

 ◆


 短剣も弓も、騎士団に取り上げられたネフェルカーラだったが、別にそんなものは彼女にとって飾りに過ぎない。

 そもそも彼女の母は、魔王の娘であったのだ。であれば、ネフェルカーラの膨大な魔力は、あらゆる魔族にも勝り、およそ並の人間如きが手に負えるものではない。

 その彼女が、長城の内部を歩む。

 黒絹のように艶やかな黒髪を揺らしながら、膨大な魔力を開放させれば石壁に亀裂が走り、彫像は次々と砕けていった。

 もともと数とて多くない騎士団は、慌ててネフェルカーラの下へと駆けつけた。しかし、彼女に向けた剣は、決して緑眼の少女を捉える事は出来ない。振り上げ、下ろされる銀光は、ただネフェルカーラの幻に吸い込まれ、空を斬るだけである。


「ま、まて! 貴様、一体何者だっ?」


 慌てふためく聖騎士の問いかけは、滑稽極まるものだった。


「ネフェルカーラだと名乗ったであろうが」


 ――結界が揺れていた。


 上位の魔族を決して通さぬ防壁は、それを越えるモノが現れたとき、もろくも崩れ去る運命なのだ。


「存外、脆いものだな」


 ネフェルカーラは襲い来る聖騎士達を無視して長城の尖塔に登り、魔族の国と人の国を等しく見下ろせる望楼に立った。

 眼下には、揺れる足元に苛立ちを隠しきれないジェラールが、声高に叫んでいた。

 ネフェルカーラの開放した魔力が周辺に作用し、ジェラールの足元を揺らしているらしい。自身の周囲さえ制御下に置けないジェラールを、半瞬程、ネフェルカーラは侮蔑を込めた眼差しで見つめた。


「おのれ魔物め! 下りて来い! 勝負しろっ!」


 見下ろすネフェルカーラの双眸に、慈悲はない。

 

飛翔ターラ


 望楼に駆けつけた数人の騎士が煩わしく、ネフェルカーラは空へと身を移した。

 ついで襲い掛かる矢は、しかし魔術師の体に掠る事さえない。なぜなら、防御の魔法を、ネフェルカーラは常に体に纏っているのだから。

 それにつけても情けない、とネフェルカーラは思っていた。


「これならば、アエリノールが放つどんぐりの方が、幾分威力があるというものだ」


 ネフェルカーラは、もとより聖騎士達と勝負をするつもりなど無かった。

 彼女は、自身が魔族として、どれ程の者かは解っていない。しかし他者との力量差は、解るのだ。

 ネフェルカーラはジェラール達が束になっても、自身に及ばない事を知っていた。

 ならば、これは戦いではなく、懲罰である。


 ネフェルカーラは、長城の上空を旋回しつつ、長大な呪文を唱え、幾つもの印を結んだ。

 これから発動させる魔法は、母が唯一「禁呪」と称したモノである。だから、当然ネフェルカーラは初めて使う魔法だった。

 しかし、彼女は魔法の発動を疑っていない。何故なら、自身には母の能力がそっくり受け継がれているのだから。


 詠唱が終わると、ネフェルカーラは瞼を閉じた。

 彼女の瞼が再び開くと、上空から降り注ぐ岩の塊が長城に炸裂する。

 岩の一つ一つは、決して大きくなかった。拳大のものから、人の頭程度の大きさのものである。しかし、それらが長城に当たった時、その衝撃は凄まじかった。

 石がはじけ、屋根は飛び、あらゆるモノが炎に包まれてゆく。


 ネフェルカーラは、数多の隕石を召喚したのだった。


 ネフェルカーラの眼下では、ジェラール達の断末魔が聞こえた。

 彼等は緑眼の少女に対して、為す術もなく打ち倒されたのだ。

 

 ネフェルカーラの頭上は赤黒い空が広がり、降りしきる隕石が長城を灰燼と化す。

 こうして、人が魔を恐れるが故に生まれた長城は、この日を境に消える事となった。


 ネフェルカーラは口元を三日月形に歪めて、眼下に広がる地獄絵図を眺めていた。

 燃え盛る炎は高々と上空へ上り、彼女の足元にまで迫る。

 しかし、これは聖騎士達の罪を洗う罰なのだ。

 煙に巻かれて死ぬ者も居よう、建物の下敷きになって絶命する者も居よう。だが、それで良い。ヒルダや他の村人達に与えた苦痛の罪を、その身を持って購うが良い。


 そして――


 このような防壁などなくても、魔族が人をむやみに襲う事などない、だから、すべて消えてしまえ。


 ネフェルカーラの理想は、人と魔の共存である。

 それは未だ漠然とした想いだが、いつかは実現したいと思っていた。


 魔の起源は、謎である。

 だが、同時に人の起源とて謎ではないか。

 何より、あらゆる生命は共存出来る。

 こんなネフェルカーラの想いは、やはり母から受け継がれたものだった。


 けれど、今はまだ無理である。

 未だネフェルカーラは若く、理想を実現するには道のりが遠い。

 だから、せめて長城だけでも破壊してしまおうと思ったのだ。

 

 ◆◆


 後日、長城崩壊の報を聞き、調査に訪れた聖光青玉騎士団ブルーナイツの団長は、落ち窪んだ大地と破壊の限りを尽くされた長城を見て、これを魔王の仕業と断じた。

 だが、不思議な事に被害の無かったメンヒ村に対し、不審に思って団長が問い正すと、摩訶不思議な答えが返ってきたのである。


「長城とこの村は程近いが、魔王の齎す被害が無かったのは何故だ?」

「モルタヴ森林の神が、我等をお守り下さいました」


 団長の問いに答えた者は、黒髪で、僅かばかり目つきの悪い緑眼の美少女であった。そして、彼女が神と称えた者は、金髪の妖精エルフ

 まだ、幼子のような姿をしている妖精エルフであったが、それが上位妖精ハイエルフだと聞かされては、さもありなん、と思った団長であった。


 以来、メンヒ村の北に防壁はなく、モルタヴ森林が魔族に対する防壁とみなされるようになったのである。


 無論、聖教国が長城を廃止した事について、理由はそれだけではない。

 強大な魔族が襲来した場合、長城と現有の戦力だけでは、到底凌げない、との判断もあったのだ。

 つまり、メンヒ村はこの時点で、聖教国から見捨てられた、という意味合いも持っていた。

 だが、そうだとしても、メンヒ村の人々にとって何ら問題は無い。何しろ、ネフェルカーラとアエリノールという、二人の強大な守護者がいるのだから。


 ◆◆◆


 長城の崩壊から暫く経ち、新たな年が始まる頃、ヒルダは無事、ノーラッドと結ばれた。

 ナタリーが涙に塗れて祝福をしていたが、ネフェルカーラは用事がある、ということで、二人の結婚式に出席しなかった。


「全部ばらしてやろうか」


 という暗い情念が渦巻いて、嫉妬の鬼になるかもしれない、と我が身の暴挙を恐れた為でもあるが、その実、ヒルダが自分を見たら、不幸な出来事を思い出すかもしれないな、と、気を使ったのも事実である。


 その後のヒルダは、幸せそうであった。

 結局、モルタヴの森で攫われて後の出来事をノーラッドに話したようだが、それでヒルダを手放すノーラッドでもなかった。

 そう考えれば、やはりネフェルカーラは、


「逃した魚は大きかったか……」


 と言って、ますます不貞腐れたが、後の祭りである。

 だが、それはそれで良かった。もはやネフェルカーラは、半年に一回の恋をする余裕など無いのだ。


「アエリノール、洗濯くらい自分で出来んのか?」


 春が訪れたメンヒ村には、笑いさざめく子供たちの声が響いていた。

 最近では、冬の食糧難に流石のネフェルカーラも反省し、家畜を数頭飼いはじめていた。

 その数は、鶏が十羽、羊が三頭、牛が二頭と上位妖精ハイエルフが一匹である。もっとも、飼い始めたばかりなので、どれも役に立つとは言いがたい、無駄飯食らい達である。

 だが、家畜の世話は、思った以上に大変で、毎日が忙しいのだ。


「はーい! やるー!」


 近所の子供たちと駆け回るアエリノールは、ネフェルカーラの声を聞くと、小屋の前に飛んで戻り、桶に入った自身の貫頭衣を洗い始めた。

 なぜか同じモノが十五着もあり、他の服を着ようとしないアエリノールに、ネフェルカーラはやや頭を悩ませていた。

 どれも木霊が作ったもので、愛情たっぷりなのはよくわかるが、たまには色や形を変えたらどうだ、と提案したくなってしまう。


 もっとも、ネフェルカーラにとってアエリノールは、あくまでも食用である。これは、いくらアエリノールを可愛いと思っていたとしても、ネフェルカーラにとっては譲れない一線だった。

 家畜としては、卵も産まなければ、ミルクが取れる訳でもない。ましてや毛皮を作れる訳もないのだから、当然だろう。となれば万が一、食料に困ったら食べるしかないのだ。所謂、非常食である。

 だが、今はそれほど食料に困っている訳ではない。だから、ネフェルカーラがアエリノールを食べるとしても、随分と先のことになりそうだった。


 桶に水を張り、忙しなく衣服を洗うアエリノール金髪が、柔らかな春の日差しに照らされて、眩いばかりに輝いている。

 ネフェルカーラはそっと目を細め、風に靡く幼い上位妖精ハイエルフの後姿を、飽きることなく眺めていた。

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