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モルタヴ森の神隠し

 ◆


「アエリノール!」


 少しだけ大きな声を出して、アエリノールの手を再び握ったネフェルカーラは、ゆっくりと金髪の幼女を立ち上がらせる。

 ガタガタと震える姿を見れば、流石に上位妖精ハイエルフといえども恐怖を抱くものだと、妙な得心をするネフェルカーラであった。


「大丈夫か?」


 両手でアエリノールの頬を覆い、溢れる涙を拭ってやりながら、優しく問うたネフェルカーラである。

 その声に、やっと視線を黒髪の魔女に移したアエリノールは反応した。


「う、うん」


 幾度も首を縦に振り、しゃがんでいたネフェルカーラに抱きつくアエリノールは、嗚咽さえ漏らしていた。

 ネフェルカーラも、この寒い中である。アエリノールの温もりが、多少なりとも愛おしいと思えたが、しかし、今は火急の時だった。

 

 ネフェルカーラ自身、水の魔法が得意ではない。

 いっそ、炎を扱う方が得意な程である。

 だから、あれほどの火を消す魔法となると自信が無い。もっとも、敵がいない状況で、ただ火を消すだけならば、不可能ではないかもしれないが。


 だが、敵がいない、という可能性はもはや無かった。


 ネフェルカーラは探知魔法を使い、モルタヴ大森林をくまなく調べあげたのだ。時間にすれば、二分と掛かっていないが、それでも、森に居るはずの無い者を確認していた。

 その数は十人だが、どうやらその中に魔術師がいるようだ。


「ひっ」


 ネフェルカーラが黙考している間に、アエリノールの悲鳴がもう一度上がった。

 と、同時に、新たな火柱が上がる。

 炎は雪を溶かし、周囲の森に飛び火して燃え広がっていた。

 

 一刻も猶予もない、そうネフェルカーラは考えて、アエリノールにいった。


「走るぞ」


 言うや、ネフェルカーラは走り出した。

 長衣だったし、深い雪でもあったので、ネフェルカーラは思ったほどの速度が出なかったのだが、それでも犯人達の下に辿り着くのに、一時間もかかってはいない。

 元々、犯人たちが森の入り口近くにいたという事もあったし、何より隠れるつもりが無かった、という事も大きいだろう。

 アエリノールも涙に濡れながら、ネフェルカーラの長衣の裾を掴んで必死に走り、遅れる事はなかった。


「貴様等、一体何をしておるのだ?」


 ネフェルカーラの誰何に答えた男は、三十代半ば、左目に眼帯をした屈強そうな男であった。周りに九名の部下を従えて、鋼鎧の上に外套を羽織ったその姿は、国境警備の兵であり、つまり彼等はれっきとした王国の聖騎士達であったのだ。


「……? 森の奥に火を放てば、動物共が此方に逃げてくるのでな。食料の調達だ、少女よ」


 しかし、悪びれた様子もなく、眼帯の騎士は背後を指差し、悠然と答える。

 彼の指差した先には、数本の矢が突き立った獣達の死体が、大きなそりに積み重なっていた。


「これ程派手に燃やさなくとも、獣など獲れよう?」


「ふむ。魔法の実験もかねておったのでな。騒がせたのなら謝るが……」


「ここが、神聖な上位妖精ハイエルフの森と心得ておるのか?」


上位妖精ハイエルフ……ふむ。聞いた事はあるが、見た事はないな。それに、その上位妖精ハイエルフとやらは、国境を越えて魔物が襲ってきたら、キミ達を守ってくれるのかね?

 我等は、北方の長城を守り、魔物を抑えているのだよ? 食料が無くては戦えないし、魔法を試しておかねば、実戦で使えんだろう?」


 不毛な問答だ――とネフェルカーラは断じた。


 確かに、王国の騎士が北の長城を警備している事は知っている。しかし、魔物が攻めてくる訳がないのだ。なぜなら、長城には魔法が張り巡らされており、十年は絶対に上位の魔物が侵入出来ない様になっているのだから。そして、十年がたつと、王国から最高位の宮廷魔術師が弟子たちを連れて、二月をかけて魔法障壁の修復をするのだ。

 これは、ネフェルカーラが物心ついた頃から行っているのだから、既に百五十年はこうしているのだろう。

 つまり、上位の魔族だけに作用する、透明な硝子の壁があるようなものである。

 だから、この地に駐屯する騎士は、総勢で十二人。戦う事が無い以上、その程度で十分だった。

 あとの防備は、この地の領主が抱える私兵という訳だ。

 無論、下位の魔族はそれでもしばしば侵入することがある。下位の魔族には、いっそ石作りの壁さえ意味がないのだ。なぜなら、飛べるのだから。

 故に、総じて王国から派遣される聖騎士の士気は低い。

 土地を守る意義も意味も見出せなければ、勇敵にめぐり合うことさえないのだから、当然だろう。すると必然、土地を守るのは領主の私兵が主という事になる。

 そうして、ここに晴れて、地元住民と領主、そして王国から派遣された聖騎士の間に、見事な軋轢が生じる事になるのだ。


 ネフェルカーラは溜息さえ飲み込んで、独眼の隊長らしき男を見上げている。

 黄金の髪はやや薄くなり、不満気な口の端はやや釣り上がっていた。高い鼻梁と尖った鼻筋は、若き日の美貌が踏みとどまっているという所だろうか。しかし、それがネフェルカーラに好印象を与える事はなかった。

 何しろ、目の前の男がネフェルカーラとアエリノールを見つめる一つだけの瞳は、薄汚い欲望を宿していたのだから。加えて、口元からちろちろと覗く”ぬめり”とした赤い舌が、黒髪緑眼の魔術師には、生理的に受け付けない程に嫌だった。


「アエリノール、火を消してしまえ」


 未だに長衣の裾にしがみ付く小さな上位妖精ハイエルフには、無理かもしれない、とは思っても言ってみたネフェルカーラである。もしも消せたなら、眼前の男たちは度肝を抜かれるであろうから。


「わ、分かった!」


 白い腕で両目の涙を拭ったアエリノールは、何事かを唱えると、なんと水を使わずに火を消したのである。

 大木よりも高く、天を衝くかと思われる程に燃え盛っていた幾筋もの火柱が、一瞬のうちに消え去ったのだ。

 ネフェルカーラは舌を巻いた。この幼い上位妖精ハイエルフは、大気を操り、炎の存在を消したのだ。その理屈は分かっていても、実際に、このようなやり方で火を消し止めるなど、初めて見たネフェルカーラである。

 当然、アエリノールに対する評価を改めるにやぶさかではなかった。


 唖然としていたのは、騎士達である。

 自慢の魔法をあっさりと、しかも子供に消されて黙っていられる男達ではなかった。

 なによりも、黒髪の少女と金髪の幼女を見て、舌なめずりしている者達が殆どである。


「このような辺境に来て、娼婦さえいない地で、一体何を楽しみに生きれば良いのだろう」


 そんな絶望が、まだ若い騎士達に渦巻いていたとして、誰が責められるだろうか。だから、歳が若くても、幼くても、美貌といえる二人を見つけて、騎士達は歓喜していたのだ。


 ここはモルタヴの森。

 迷い込んだら出る事が出来ない森なのだ。

 

 長城にある宿営地に二人を連れ帰っても、行方不明で片付けられる。

 ある程度楽しんだら、魔族の国にでも放してやればよい。運が良ければ生き延びられるだろう……

 騎士達の思いは、このようなものであった。事実、年間に四十人から五十人の少女がモルタヴの森で行方不明になっている。


 今まさに、「モルタヴの森の神隠し」などと呼ばれる原因は、実は長城に駐屯する騎士達が原因であった。

 彼等は敵が来るはずもない最前線に派遣される、聖騎士の最精鋭である。けれど、同時に聖騎士団きっての問題児達でもあったのだ。

 

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