第十七話 みんな、お腹空いてますから
街道を進むと、村が見えて来た。
遠目からではごく普通の、長閑な村であった。
先頭の御者が、御者台に振り向いて立ち言葉を発っする。
「止まれ!ここで様子を伺おう」
次々の馬車は止まる。
流石にルリも心配顔でいた。
「ペドロさんたち、大丈夫かな?」
「なーに、ペドロ隊長たちは歴戦のつわ者だ。アッと、言う間に魔物どもを退治して戻って来るよ」
御者はルリの心情を汲んで、不安を取り除こうと言葉を返す。
真ん中の馬車の御者は、荷台から数本の剣を取り出し、各馬車の御者に渡して歩く。
御者は剣抜き、刃を確かめる。
「でも私、剣は使えません」
ルリはビクンと驚き、怖がる。
「ルリちゃんは、俺が守ってやっからな」
御者は振り向き、ルリの心情を和らげた。
「はっ、はい。お願いします」
商隊はまだ見ぬ魔物に、怯えながらも、自衛の準備を怠らない。
その時だった。
村の方角から、何かが唸るような低い声が響いた。
「……っ!」
商隊の全員が息を呑む。
カタカタカタッ……。
御者台の座席で、ルリの膝が小刻みに震え、靴の底が乾いた音を立てていた。
押しつぶされそうな恐怖に耐えかねたルリは、慌てて手元のバスケットに手を伸ばし、中から一本の小さなガラス瓶を取り出した。
蓋を開けると同時に、周囲に強烈なハーブの香りが立ち込める。
ルリはすがるような気持ちで、そのハーブ油を自分の手足や首筋へと、まんべんなく、念入りにすり込み始めた。
すぐ隣にいた御者は、突然鼻を突いた濃厚なハーブの匂いに一瞬たじろぎ、顔をしかめた。
だが、今はそれどころではないとばかりに、必死に鼻を摘んで耐え忍んだ。
――その時だった。
グウゥ~。
あまりにも間の抜けた、それでいて大きな音が、静まり返った御者台に響き渡った。
音の主は、隣に座る御者だった。
夜を徹した強行軍、そして今朝の“あの痺れるお粥”を満足に食べられなかったという過酷な現実が、ここへ来て彼の胃袋に容赦ない追い打ちをかけたのだ。
張り詰めていた空気が、その音一つでふっと緩む。ルリは思わず口元を押さえた。
「くすっ……おじさん、お腹が空いてるんですね」
「聞かれちゃったか」
御者は決まり悪そうに頭を掻いた。
一瞬だけ、張り詰めていた戦場の緊張感がきれいに消え去っていく。
しかし、それをきっかけに、ルリの頭には別の心配が湧き上がってきたようだった。
周囲の馬車をぐるりと見回しながら、ルリは真剣な表情で呟く。
「ねえ、おじさん。もしかして……他の人たちも、みんな今お腹が空いてるのかな?」
「そりゃ空いてるだろうな」
御者は苦笑した。
「朝飯、ほとんど食えなかったからな」
「あっ……やっぱり」
ルリは真剣な顔になった。
魔物のことも怖い。
でも、それ以上に気になることがある。
(みんな、お腹空いてるんだ……)
ルリは膝の上で両手を握りしめた。
(何か作れないかな)
ルリは御者台の上で、馬車の荷台に残されている食材のストックを必死に思い浮かべていた。
「簡単に出来るもの、今すぐ簡単に出来るもの……」
ルリは考える。
(お粥は失敗したし……)
(でも、みんなお腹空いてるんだよね)
(何か簡単に作れないかな)
そして、ぱっと顔を上げた。
「あっ!」
何かを思いついたらしい。
「おじさん、ちょっと馬車を降りてもいいですか?」
隣の御者に尋ねると、彼は怪訝そうな顔をしながらも頷いた。
「いいよ。でも、今は何が起きるか分からないからな。危ないから、絶対に遠くまで歩き回ったらダメだぞ」
「はい、分かってます!」
ルリは元気よく二つ返事をするなり、するりと馬車を降り、足早に先頭の馬車の方へと歩き出してしまった。
「コラ、ルリちゃん! 歩き回ったら危ないって!」
真ん中の馬車の横を通りかかる際にも、そこの御者から鋭く注意を飛ばされる。
しかし、ルリはお構いなしといった様子で、目的の場所へと突き進んでいく。
先頭の馬車にたどり着いたルリは、座席に身を寄せている村の女性に向かって、明るい声をかけた。
「あの、これからみんなの食事の支度をします。よかったら、手伝っていただけますか?」
その言葉に、先頭馬車の御者はキョトンと目を丸くした。
(おいおい、こんな一触即発の時に何をお気楽なことを……)
と言いたい雰囲気ではあったが、実際のところ、彼の胃袋もとうに限界を迎えている。
内心では「空腹には勝てない」というのが本音だった。
「はい、喜んでお手伝いさせていただきます」
幸いにも、村の女性はすっかり落ち着きを取り戻していた。
ルリの突拍子もない、けれどどこか安心させる誘いに、快く同意して馬車を降りる。
こうして二人は息を合わせて最後尾の馬車まで戻って来る。
さっそく荷台から七輪とお米、そして調理道具をテキパキと地面へ降ろし、異例の状況下での食事の支度を始めるのだった。
ルリは七輪の火起こし。
村の女性は、樽から鍋に水を汲み入れ、慎重に荷台を降りる。
「つきが悪いな。なかなか火がつかない」
顔を真っ赤にして、ルリは火吹き棒を懸命に吹き続ける。
村の女性は、ルリに言われた食材を荷台の中で探している。
「あった!これね……」
木箱の奥から、ガラス瓶を取り出して、ルリに訪ねる。
「これですか?」
這いつくばっているルリは、顔を上げ頷く。
ーーその時。
ドゴォンッ!
すぐ近くの地面で土が弾け飛んだ。
「きゃっ!?」
驚いたルリは尻もちをつく。
顔を上げると、目の前の地面から白い煙が立ち上っていた。
「な、なに!?」
慌てて前を見る。
ペドロ隊長と二人の剣士が、こちらへ向かって必死に馬を走らせていた。
その後ろには、恐ろしい魔物たち。
魔物が腕を振るたびに、火の玉が空を飛ぶ。
「魔物だ!」
誰かが叫んだ。
商隊の空気が一瞬で張り詰めた。
「もう、せっかく火がつきそうだったのに……」
ルリは怒る。
「ルリさん、有りました。梅干し」
村の女性が、ガラス瓶をルリの前に差し出す。
「これこれ、おにぎりには、やっぱり梅干しよね」
ルリは鍋の蓋を開け、煮え具合を確かめる。
「今度はおにぎり、握るのをお願いします」
「はい」
2人は桶に汲んだ水で手を洗う。
「さっ、早くおにぎり作りましょう」
ルリは手早くご飯をよそい始める。
「ルリさん、今は……」
村の女性は戸惑ったように周囲を見る。
遠くでは怒号が飛び交い、火の玉が地面を抉っていた。
「大丈夫です」
ルリは真顔で言った。
「皆さん、お腹空いてますから」
「……え?」
「だから急がないと」
ギィ、ギギィィ……。
魔物の声が聞こえた。
村の女性は握っていた、おにぎりを震える手から落とした。
早く逃げたい。
身体の震えが止まらず、おにぎりどころではなかった。
「大丈夫ですか?」
ルリが心配そうに覗き込む。
「む、無理です……」
「それじゃあ、私が握りますね」
ルリはそう言うと、落ちたおにぎりを脇へ避け、再び手を動かし始めた。
「みんな、お腹空いてますから」
それは馬車の影から不意に現れた。
「ギギィィィ……」
村の女性は悲鳴を上げた。
「ひっ……!」
腰が抜けて動けない。
「ま、魔物……!」
だが、ルリは首を傾げた。
「あれ?」
見覚えがある。
「洞窟の……」
ルリは額に指を当てた。
「なんだっけ?」
「ギィ……」
「えーっと……」
魔物はじっとルリを見ている。
「ゴブ……」
「ギギギィ」
「違うな」
「ギギィィ」
「あっ!」
ルリは手を叩いた。
「洞窟で干し肉をくれた子!」
魔物に闘う意思はみられない。
むしろ、七輪の鍋に興味を示している。
ルリは、魔物の視線が鍋に有る事で思い出した。
「あの時の、ゴブリンだ!」
「ギギギィ……」
ゴブリンは嬉しそうに両手を振った。
おにぎりに目が止まった。
ゴブリンは恐る恐る手を伸ばす。
「ギギ……」
その視線は完全におにぎりへ向いていた。
口元からは涎まで垂れている。
どうやら懐かしい味を覚えていたらしい。
「ダメ」
ルリは即答した。
「ギッ!?」
「これはみんなのご飯です」
ルリはおにぎりを抱えるように隠す。
「あなたたちの分は、あとで作ります」
「ギギ……」
ゴブリンはしょんぼりと肩を落とした。
「え……?」
村の女性は戸惑った。
「あとで作る?」
信じられないものを見るような顔になる。
「ゴブリンに?」
困惑を隠せないでいる。
ルリは村の女性に
「これを隊の方々にお配りして下さい」
皿に盛られた、おにぎりを託す。
「しょうがないな、少し待ちなさい。あなたたちの分をこれから炊くから」
「ギギギィィィィ」
ゴブリン喜ぶ。
村の女性は呆然とその光景を見つめていた。
目の前では、恐ろしいはずのゴブリンが尻尾でも振りそうな勢いで飛び跳ねている。
「……ゴブリンって、魔物よね」
村の女性は呆然と呟いた。
そう言い残すと、皿を抱えて商隊の男たちの元へ向かう。
彼女の目に飛び込んできたのは、疲れ果てて地面に横たわる男たちと、その周囲を取り囲むゴブリンたちの姿だった。
「ギギギギィィィィ!」
一斉に、おにぎりへ視線が集まる。
村の女性は思わず硬直した。
「ひっ……!」
ゴブリンたちは皿を凝視している。
明らかに狙いはおにぎりだった。
村の女性は震える指で、そっとルリのいる後方を指差した。
「あ、あっち……」
ゴブリンたちは一斉に振り返る。
その瞬間。
ふわり、と炊きたての米の香りが風に乗った。
「ギッ!?」
「ギギッ!」
「ギギギィ!」
次の瞬間、ゴブリンたちはおにぎりから興味を失い、隊列の後方へ向かって駆け出した。
村の女性は、その後ろ姿を呆然と見送る。
先ほどまで自分が震えながら逃げていた相手とは、とても思えなかった。
「……ゴブリンって、あんな生き物でしたっけ?」
誰に向けるでもない呟きは、風に流されて消えていく。
後方では、
「もう少しで炊けますからねー」
と、ルリの声が聞こえていた。
そして、生まれて初めて思った。
(もしかして、一番怖いのはゴブリンじゃないのかもしれない)
その視線の先では、ルリが上機嫌でおにぎりを握っていた。




