週末の予定
金曜日の夜中。
稽古から戻った、大泉 京子は女子寮の個室で下着姿のまま服をとっかえひっかえして悩んでいた。
京子にとって週末である土日は特別な日だ。特に明日は特別な日だからとっておきの服を着ないといけない。
なぜ週末が特別な日かというと、父親の過保護に原因があり、一人娘を家から出したくない事情と深く関係している。
父親は当初、一人暮らし自体も反対であった。しかし、曽祖父の遺言で『できる限りの高等教育と、社会経験の為の一人暮らしをさせるように』と託されたので、なくなく家から出したのだ。
しかし、遺言ぐらいで黙っている父親ではない。
学費を出す条件として「送り迎えをするので、授業以外のすべての時間を剣術と華道の稽古に当てるように」と言ってきたのだ。
移動時間を考えると高校生の時より自由時間が少なるのは明白な提案で、これにはさすがの京子も怒ってしまった。
「健康で文化的な一人暮らしがしたい!このままでは友達はおろか、大学生活で得られる社会経験がないがしろになってしまう!それほど私が信用ならないか!?認めていただけないならこの家を出て、自らの力で学費を稼ぎながら大学に通う!」
一触即発の親子会議の席で放った啖呵は、絶大な威力だった。
最終的には曽祖母の鶴の一声で父に認めてもらった特別な週末なのだ。
そんな日に着てゆく服の最終案はもう2つに絞られている。
薄いピンク色のシャツに控えめなフリフリのついた白いスカートを合わせたコーデと、白いブラウスに合わせたシャツ、爽やかな明るい青色のスカートのコーデ。
両方とも、ファッションに疎い京子を心配した、小学校からの同級生で親友の浅井 麻紀が半ば無理やり連れて行った、若者向けファッションを多く扱っているコアラが目印の商業ビル『プルコ』でみつくろったものだ。
京子は幼少期から武道や華道の稽古に明け暮れ、私服は全て母任せだった。
大学に入ってからは時間的制約でさらに酷くなり、普段着は着替えやすくて動きやすい軽装のシャツにスキニーパンツなどのズボン姿か、袴か着物であった。
なぜこのような極端な服装の大学生になったかというと、父親から土日を認めてもらう代わりに、平日はほぼ毎日、大泉流居合剣術の稽古と、大泉流華道の稽古をしなければならなかったからに他ならない。
両方の道場……いわゆる実家は、大学から車で1時間ぐらいかかる。なので、授業が終わると、専属運転手の迎えが大学まで来て、そのまま向かわねばならない。
着替えはもちろん車の中。たまに間に合いそうにない日は袴や着物姿で授業を受ける日もある。
正直、袴や着物で授業を受けるのは恥ずかしいし、きついが一人暮らしを継続するためには我慢するしかない。
そういう特殊環境であるため、京子は『服を自分で買う』という行為をしたことがなかったのだ。
1か月前の土曜日、麻紀が「東京で話題のカフェが近くにできたから一緒に行こうよ!」と誘ってくれた。
あまり興味がなかったが親友に悪いと思い、付いていくことにした。
そして、普段通りの私服で行ったら唖然とされた。
「お嬢様なのに……もっとかわいい服とか持って無いの?」と聞いてきたので、京子は何か失礼をしたのかと思い「着物の方が良かったか?」と返答したら肩をガックリとうな垂れてワナワナと震えていた。
そして、急きょ予定を変更し、無理やり『プルコ』へと出向き、購入した服がこの最終案の2着なのである。
服の良し悪しは良くわからないが麻紀いわく、タレントがプロデュースするブランド物のようで、「ぜったいかわいい!!これで愛しの彼も落とせるよ!」と太鼓判を押してくれたので購入した。
京子にはその感性がよくわからないが、中学生時代から彼氏が途切れたことがない恋愛経験豊富な麻紀が言うのならそうなのだろうと思う。
京子はスカートを難しい顔で見つめる。
そして、少し顔を赤く染めた。
「私服のスカートなんていつ以来だ?えらく短いが……風が吹いて下着など見えはしないだろうか?」
ブツブツ言いながらも、鏡に向かって似合っているかどうか確かめていた。
鏡の前で淡いピンクのシャツに、控えめなフリフリのついたスカートをはいて、クルリと一回転する京子。
心の中では明日一緒に買い物に行く裕次郎との事を考えていた。
「あいつ……気に入ってくれるだろうか?」
つい本音が口から洩れる。
その瞬間、京子は現実に戻り、鏡の中の自分と目があった。
一瞬にして顔が真っ赤になった。
「いっ!いやいや!!ただのっ!……ただの買い物だぞ!馬鹿者!……そう!書物を入れる棚を新調するために郊外の家具店に行くだけだっ!何をっ!何を考えてるのだ!大泉京子!!」
自分に言い聞かせるように言葉を吐き出した。
京子が裕次郎の事を気になりだしたのは、小学校低学年の時。
大きなクモの巣に頭から突っ込んでしまい、泣いていた所を救ってくれたのが最初だ。
裕次郎とは幼稚園から一緒だが、それまでは仲のいい友達だと認識していた。
しかし小学校以降ことあるごとに自分を助けてくれる場面があり、いつしかモヤモヤとした特別な感情を裕次郎に向けていた。
このモヤモヤした感情が何かわからなかったので、当時の麻紀に相談したら「ピュアッピュアの恋じゃん!」と呆れられた。
『これが恋か?私は、裕次郎の事が好きなのか?』
意識すればするほど恥ずかしかった。だから、裕次郎と絡むときは気持ちとは裏腹に明らかに酷い言動をしてしまうことが多かった。
高校生になってからはさらに酷くなり、その言動に対して自己嫌悪感してしまう毎日だった。それこそ成績や稽古にも影響が出るほどに感情が揺さぶられていた。
『これではいけない!なにかっ!なにか行動を起こそう!』
京子は高校2年生のときそう思い立ち、行動を起こした。しかし、その行動が最悪の形で裏切られることになる。
高校2年生の夏休みに起きた暴走トラック身代わり事件である。
裕次郎と数日後に開催される予定だった花火大会に一緒行く約束を取り付けて浮かれていた京子に降りかかった、人生最大の悪夢のような事件だ。
奇跡的に助かりはしたが、昏睡から目覚めるまでの2か月間は生きた心地がしなかった。
京子は不意に、部屋の隅おかれている刀を手に取った。
「曽祖父は私に『特別な力がある』と事あるごとに言っていたからなぁ」
京子は鞘から刀を抜いた。
そこには七色に輝く刀身に独特な波紋と流れるような紋様が刻まれており、形は日本刀であるが、その刀身は紛れもなくこの世界の物ではなかった。
京子は、曽祖父が言っていたことを思い出し、反芻する。
「七色刀……戦時中、外国の戦地で曽祖父が異界に迷い込み、自分の持っていた刀と引き換えに頂いたという一品。人は切れないが、妖怪は切れると言っていたが……本当なのだろうか?」
言葉を投げかけても、七色に輝く刀身は何も語らない。
しかし、綺麗なので昔から京子は気分が落ち込んだ時はこの刀身を一人見つめて、自問自答し気分を落ち着かせるのが癖なのだ。
「しかし、なぜ私と曽祖父しか鞘から抜けないのだろうか?曽祖父は、『特別な力がないと抜けないようになっている。お前にはその特別な力がある』と言っていたが……何とも困る」
「はぁ~」と深い溜息をして、刀を鞘に納めた。
京子はタイミングがタイミングだけにあの事件が相当な心因的外傷になっている。
それは『また自分があのような行動を起こせば、裕次郎に不幸を招くのではないだろうか?』と本気で心配するほどだ。
『大泉家に生まれなければ……いや、あるいはこういう特別な力などなければああいう事も起こらなかったのではないか?』
まったく関係ない事だが、そう思わなければ自分自身や裕次郎への気持ちを否定しそうで怖かった。
だから、普通に遊びに誘うなどはもちろんのこと、二人っきりになる事でさえ躊躇し理由を探してしまうのだ。
この2年の間でだいぶマシになった感じはあるが、いまだにデートは元より、遊び等に誘うことすらできない。明日は『買い物があるが遠いし荷物が多いので手伝って欲しい』という形だからこそお願いできたのだ。
だから思いを伝えるなどと夢のまた夢の話であり、京子自身そこまで考えが至っていないのが実情なのだ。
色々と考えると疲れてきたので、寝間着に着替える京子。時刻はすでに夜中1時を過ぎていた。
電気を消してベッドに入る。そして、目をつむった。
『あ~……憂鬱だ。気分はブルーだ。……む?明日は青い方を着ていくことにしよう。明るいピンクの服は気分が乗らないからな。まずは格好だけでも爽やかな感じにしたい。……しかし、あいつはどう思っているのだろうか?でっ!デート!と思ってくれているだろうか?』
そう思うと、少しだけ顔が火照ってきた。
思わず布団を頭からかぶる。
京子は少しだけ楽しみになってきたようで、憂鬱な気分がほんのわずかだが晴れた。
『あの姿を見てどのような反応をするか少しだけ楽しみになってきたな……フフッ!』
寝つきが異常に良い京子はすでに微睡んでおり、実際に鼻で笑ったが気付いていないようだった。
そして、すぐに「……すぅすぅ」と寝息を立てて寝てしまった。
☆ ☆ ☆
「ドンドンドン!」と玄関ドアを思いっきり叩く音が聞こえるが。フワフワとした夢心地で体は動かなかった。音はすぐに「ピンポン!ピンポン!ピンポン!」とチャイムに変わる。
『……夢かな?』
俺は久しぶりに悪夢を見なかったので気持ち良い気分で微睡んでいた。
「ドンドンドン!」とまたドアを叩く音がする。よく耳をすませば、「おい!裕次郎!何をしている!この私を待たせるとはいい度胸だな!?」と京子の声が聞こえた。
「……ヤバッ!」
俺は飛び起きて、すぐにドアを開けた。
ドアの前には、眉をピクピクさせ、青筋を立てながら怖いくらい引きつらせた笑顔の京子がいた。
「ハァ~。その格好……やはり、忘れているようだな?待ち合わせ場所に居ないからもしやと思ったが……」
寝間着かつ寝起き姿の俺に憤怒を押し殺したような声音で京子は呟いた。
長い黒髪をポニーテールにして青いスカートに、春らしい白いブラウスの爽やかな装いとは裏腹に、全身から殺気が漂ってくる。
「えっ!?……あれ?……はっ!」
そう、俺はすっかり忘れていた。
数日前に『今度の土曜日に買い物をしたいのだが少し遠出で荷物も多い。手伝ってほしい』と京子からメールがあり、約束したことを。
思い出した瞬間、すぐさま玄関で「ごめんなさい!」と土下座をした。
静寂がしばらく続く。
俺は地面を見つめ、脂汗をダラダラ流しながら頭を下げることしかできなかった。
「はぁ~~~~~~」
無駄に長い溜息の後、京子は「……期待した私がバカだった」と小さくつぶやいた。
気配を察するに徐々に殺気は薄れて行っている。俺は『なんとか、乗り切ったか
?』と少しだけ安堵した。
「いつまで土下座をしている。早く着替えんか!この大馬鹿者!」
そして、京子がいつも持っている、袋に入った長い棒のようなもので頭を叩かれた。
非常に硬く、重いその一撃。
避けることのできないその一瞬の早業をまともに受けた俺は、悶え、苦しんだ。
『これは、約束を覚えていなかった俺が悪いんだ!友達を待たせた俺の非だ。しかし痛い!』
そう思い、痛みを我慢しながら急いで出かける準備をした。