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女王様の犬のストイックな純情  作者: 早海和里
番外編 箱入りお坊ちゃまの傲慢な戯言(たわごと)
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第3話 unlock

「ボクの名前は、オオトリ ハルヒコ」


 紺のブレザーに蝶ネクタイ。それに同色の半ズボンなんて、まるで絵に描いたような……そんなお坊っちゃまスタイルの少年が忽然と現れ、凛子りんこの目の前に立ちはだかっていた。


――め、名探偵コナン……?……


 そいつは、彼女の行く道を遮る様に仁王立ちをし、何だかえらそうに胸を反らした姿勢で、いきなりそうのたまったのである。


「……」


――小さくなっても頭脳は大人。とか言い出すんじゃないでしょうねぇ。だとしたらヤバすぎなんだけど。


 凛子は身構えるようにランドセルのベルトを掴んで、そいつに不審の目を向ける。近道だからと通学路を外れて、毎日、この田んぼの畦道を突っ切っていた。


――いけないことをしたから、バチが当たっちゃった、とか?


 田んぼと言ったって、誰かの所有地には違いないから、言ってみればこれは立派な不法侵入。怒られても言い訳は無理。


――そうか、このリアルコナン君はもしかして……


 凛子が突っ切ろうとしていた広大な田んぼ。その真ん中辺りに、ぽつりと大きなお屋敷が立っている。

 地元では知らない人はいない「オオトリ様」のお屋敷だ。昔、庄屋さんで、今は村長さんだとかいう、ともかく偉い人の家。親からはそう教えられていた。


――オオトリって言ったんだから、あそこの子なのかな……あれ、でも……村長さんの家って名字、「鳳」じゃないのよね……


 地元では鳳様と呼ばれているから、それがそこの家の名字なんだと思っていたけど、そうじゃなくて、そこの家が管理している神社の名前が鳳神社だからそう呼ばれているのだと、前に父親が言っていた。自分と同じ年の子供がいるらしかったが、向こうは隣町の私立小学校に通っているらしく、これまでに顔を合わせたことは無かった。


「ねえ、聞こえた?」

 こっちが黙りこくって固まっている所に、何かを催促するように、少年の声が言った。


――どう、しよう……


 この場合、回れ右をして、走って逃げるのが手っ取り早い方法なのだろう。でも、今日はピアノのお稽古がある日だ。今から戻って遠回りをしていたら、遅刻してしまう。なら……?


『こいつを押し退けて、向こう側に走って逃げる』


――しかないよね……でもいきなり手を出すのもどうかと思うから……


「ねえ、そこ、どいてくれない?」

 まずは穏便に交渉とかしてみる。

 これで言うことを聞いてくれればよし。

 ダメなら――。


「返事」

 リアルコナン君はこちらを睨むような目つきをして、ボソリとそう言った。

「はぁ?」


 どくか、どかないか。


 こちらが訊いている質問の答えはそのどちらかしかない訳で、でもそいつが発した言葉は全然ちがうものだったから、凛子は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


――返事って何の?ああ、聞こえたかどうか?って何が?

――あ。名前……?


「ああ、名前」

――が、聞こえたかどうかって。そう言ってるの?


 確かに先に質問をしたのはあっちだから、答えを聞く優先権もあちらにあるんだろうけど。


――でも何か、こいつ面倒臭くて……ウザイ……


「聞こえたけど。だから、何?わたし急いでるんだけど、そこどきなさいよ……」


 交渉失敗、ゆえに、実力行使。

 そう言い放って凛子は、そこを通ろうと、そいつの肩を軽く押した。


 言い訳をするつもりはないのだが、この時自分は、本当に軽く押しただけなのだ。そりゃぁ、少しイラついていたから、ほんの少しぐらいは力が入っていたかもしれないけれど。でもそれで、あんなことになるなんて、思いもしなかった。


 その子は、凛子の目の前でバランスを崩すと、田んぼの中に転げ落ちてしまったのだ。


――運動神経ないのか、こいつっ……


 内心でそう悪態を突きながらも、凛子は焦って田んぼを覗き込む。

「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

 慌ててそう生存確認をすると、

「ってぇ。う……ああ、大丈夫……だから……」

 と、全然大丈夫じゃなさそうな弱々しい声が返って来た。


 全身ドロだらけになりながら、流石に本人も格好悪いと思ったのだろう。そいつは照れ隠しに、へへへという感じに笑った。笑ったのだが……


 その笑顔が――


「え……」

 血まみれになっていた。

「う……」


――うっ、うそだぁ……


 そいつを引き上げてやろうと差し出しかけた凛子の手が、途中で止まる。そしてその瞬間、下から伸びてくる泥だらけの手に、とてつもない恐怖を感じた。


「や……」

 凛子は生まれて初めて悲鳴というものを上げて、脱兎の如くその場から逃げ出した。


――やばいやばいやばい……あれ絶対にやばい。あの子あんなに血が出てて、死んじゃうよ。どうしようどうしよう……死んじゃったらどうしよう……私が殺したことに……なるのかな……



 心臓がすごくドキドキしていたのを覚えている。

 息が止まりそうで、苦しくて苦しくて。でも走ることは止められなくて。半べそをかきながら、もつれる足に必死で力を込めながら、家まで全力疾走したこと。

 そのまま、熱を出して寝込んでしまったこと。

 そしてそれからしばらくの間、新聞の社会面をビクビクしながらこっそり盗み見ていたこと。


 それは、何と言うか、幼少期のとびきり苦い思い出だ――


 その後、幸いあの子が死んだというニュースを耳にすることもなく、あそこの家でお葬式が出たという話も聞かなかったから、死にはしなかったのだろうと思う。でも、それから凛子が、その道を通ることは二度となかった。そして、あの子に会うことも。


 それでも、その時に聞いた名は、彼女の中に忌々しい名として刻まれた。何故なら、その日を境に、彼女の人生は暗転したからだ。


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