【終章】
如何ともし難いこと、というのは世の中には結構あるらしい。
もしくは、遺憾ともし難いこと、なのかもしれないが。
「・・・平和、だな」
「・・・まぁな」
「・・・平和、なのか?」
「・・・とりあえず、チャイムは鳴ってませんから」
「・・・だな」
芦の問いはあの作戦決行の夜と同じく、受け流すような井雲の返事と、妙に切実な口調の宇江樹によって、明確な答えを得る機会を失ってしまった。ただあの時ほど、芦にも答えを追求する意思はない。
何故なら芦自身、口にはしてしまったがそこまで答えを求める気持ちはなかったからだ。元々問い自体も口にしたいと願って口にしたのかどうか、分からないくらい曖昧なものだったのだから。
平和といえば、本当に平和だった。宇江樹が口にした通り、東狐達もとりあえず今は静かにしているらしい。
宇江樹が探ったところによると、芦達が作戦を成功させた翌日、東狐達は予定通りお堂に向かったらしいのだが、当然、そこに残された四脚だけを見つける羽目になり、暫しの間、騒ぎになっていたらしい。しかしないものはないのだから、どうしようもない。
それで・・・、今は他のことを画策中なのかもしれないし、もしかしたらお堂の行方を追っているのかもしれないが、とにかく目に見える動きはないとのことで、それは大変喜ばしいかった。
だから、そういう意味では平和なのだが。
「みぃー!」
・・・みーさんは、今日も相変わらず、ワイドショーに夢中だ。正確に言うと、ワイドショーで流れる芸能人の醜態に夢中だった。
そして芦達の携帯電話は、今日もまた、電源が切られている。正確に言うと、あの作戦成功の後、怒濤の如く掛かってきた電話の所為で着信恐怖症を発症して以来、切られている。
どうしても使わなくてはいけない時だけ、恐る恐る電源を入れる状態がもう数日、続いていて、現在も改善される予定がない。
あるわけ、ない。
何故なら・・・、みーさんは相変わらずワイドショーに夢中で、唐揚げには大喜びをしているし、芦達三人にもとても懐いていて、楽しそうに、嬉しそうに、何の不満もなさそうに日々を過ごしているからだ。それはそれで喜ばしいことなのかもしれないが・・・、いや、喜ばしいことではあるのだが。
せっかく頑張って運んできたお堂に一度も入る様子がないのはどういうことなのだろう、と思わずにはいられない三人なのだ。
間違いなく、お堂の移転は神様であるみーさんの為になること、喜ばれることだったはずだ。実際、みーさんはとても喜んでいたし、おまけにこれは想定外だったのだが、芦達三人を着信恐怖症に陥れるほど、色々な電話が掛かってきたのだから。
まだ深夜であったのに、ありとあらゆる・・・、ご利益が齎されたと告げる電話が。
恐怖のあまり金額に換算出来ないほどのそれを貰う羽目になり、恐れ戦いた三人は、受け取り拒否をするだけの意思の強さも持てないまま、ただ一つの希望に縋って得てしまったそれぞれのご利益を芦宅に運んだ。
その件に関して芦は少々の抵抗を見せたが、まだその時点で三人が信じていた希望があったので、渋々了承し、運んだご利益的ブツを積み上げて・・・、しかし計画を立てた時は勿論、実行をした時ですら確実でなかった希望はあっさりと砕かれてしまう。
みーさんはお堂に入る様子がない、従って、三人が運び込んだお堂に向き合ってお願いをすることも叶わない。
叶わないのか、それともいっそ、みーさんとお堂は揃ったのだから、お堂に入っていなくともみーさんに向かってお願いすれば良いのか、芦達には判断がつかなかった。
ただ無邪気で無垢で、自分達を慕ってくれているみーさんがその幼い姿としてここにいる限り、多少の打算は捨てきれずとも、基本的に善良な芦達はその姿にお祈りもお願いもすることが出来ないのだ。
どうすることも出来ない・・・、ので、結果として今、お堂の中にはみーさんではなく、運び込んだご利益が詰め込まれている。芦宅にはそこまで物を置いておくスペースがないという経済的理由と、ご利益をその辺に積み上げておくのが小心者達にはどうにも耐え難いという理由で。
つまり芦達に見えていたはずの全てが解決した未来は、今、全く見えておらず、代わりに芦達には新たな疑問が生まれている。
「あのさ・・・、みーさんは喜んでくれたから、無駄だとか言う気は全くないんだけど・・・」
「・・・うん」
「素朴な疑問なんだけどさ・・・」
「・・・はい」
「このお堂ってさ・・・、」
神様っていう存在として、必要なものだったのかな?
「・・・ってか、みーさんとしては必要だったのかなぁ? なんか、あの時は凄い喜んでくれたけど、最近、また興味がワイドショーに一直線な感じになっている気がするんだけど」
「・・・心の支え的な感じになってるって思っておけば良い的な感じって思っておけばいいんじゃね?」
「・・・井雲さん、それはいっそ、応えない方が良い答えになってます」
「・・・つまり微妙ってこと?」
生まれてしまった素朴な疑問。実は同じ疑問を抱いていたらしい井雲の微妙な答えと、それを眉間に皺を寄せて苦しげに評価する宇江樹。
そして背後で苦悩している三人に気づく気配もなく、楽しげにワイドショーを見ているみーさん。携帯電話を鳴らす以外の方法で、徐々に増えていくご利益達。
お堂の中に積まれていくご利益は、減る気配は一切無く、ひたすらに増え続ける気配ばかりで。
「・・・うわっ」
「・・・げっ」
「・・・すみません」
突如、鳴り響き出すチャイム。一定のリズムで鳴り始めたそれは三人にとって嫌気が差すほど聞き覚えがあるもので、誰が鳴らしているか分かりすぎるほど分かってしまう。
訪れなかった結末に肩を落としている彼らの唯一の救いである平和すら崩れるその音に、三人のうち二人は微かな悲鳴を、残りの一人は苦悩に満ちた謝罪を零す。
そしてワイドショーに釘付けだった小さな神様、みーさんは、不安げな表情を浮かべながらも、信頼に満ちた眼差しで三人を見上げている。つまり芦達に頼っていて、ドアの外にいる外敵をどうにかしてくれるような気配はない。齎されるみーさんの力は、もう扱いきれないご利益ばかり。
対応を取らない限り永遠に鳴り続けると確信出来るチャイムが響き続ける中、三人は視線を見上げてくるみーさんの円らな瞳と、部屋の奥に存在感を放ちながら鎮座するお堂、それにお堂の中に積み上げた扱いかねているご利益の山の間に何度も視線を往復させながら・・・、
広がっていく一方で一向に収束を見せない事態に対して、気がつけば何故か悟りを開いたかのような笑みを浮かべているのだった。