⑦
「・・・なぁ」
「うん。な?」
「そう、ですよね・・・」
「みぃ?」
「・・・みーさん、俺達を見守っててね」
「みぃ!」
「力強いお返事は凄い嬉しいんだけど・・・、この場合って、見守るで合ってんの?」
「井雲さん、みーさんのご厚意を無碍にしてはいけません」
「・・・気持ちは分かるけど、その発言も合ってんの?」
「いっくん、仲間の厚意を無碍にするのも良くないと思うぞ」
「・・・いや、だからそれも結構間違っていると思うんだけど・・・、まぁ、もういいや。とりあえず、時間だって」
「・・・だな」
「行きましょう、か」
三人共が自分が先頭に立って行動開始するのを忌避し、曖昧な返事で互いを促すような切り出しになってしまっていた。
しかし不思議そうに声を上げるみーさんに対して芦が掛けた少々微妙な発言を切っ掛けに、その場に妙に生温い空気が流れ、皆の力が抜けて・・・、本来なら脱力しそうなその状況が、今は実際に行動に踏み出す為の丁度良い雰囲気になってくれた。
最後の一言は三人の中で一番責任を感じているらしい宇江樹が発し、それを最後の切っ掛けに三人は立ち上がる。一緒に居た時間の長さ故か、自然とみーさんの手は芦が握り、先頭に車を借り受けた井雲、間にみーさんの手を引く芦とみーさん、その後ろに背後からの襲撃に警戒するかのような立ち位置で宇江樹が並んで車に向かった。
流石に夜の十一時過ぎともなれば、部屋の外は暗く、静かで淋しくて、人通りがないどころか、外出が許されていないのではないかと疑いたくなるほど、空気が鋭い沈黙を保っている。
疎らにある街灯が逃亡犯を見つけ出すためのサーチライトに見えてしまうのは、三人が感じている、これから行おうとしていることに対する後ろめたさの所為だったのだろう。
「・・・実はさ、バイトに行く度に思ってるんだけど・・・、ってか、それ以外の時も頻繁に思ってるんだけど・・・、ここって一応、都会の一部だよな?」
「住所の上ではな」
「つまり都会だよな?」
「芦さん、止めましょう。その答えがどうであれ、僕達はこの場所で生きてきたし、これからもきっとこの場所で生きていくんです」
「・・・あのさ、俺、そこまで深刻な感じの問いをしたつもりはないんだけど・・・、これだけ人がいなくても、住所だけは一応都会だよなってのが聞きたかっただけなんだけど・・・、二人揃って、目を逸らすなよ」
車が見えてきた頃、あまりの人気のなさに思わず洩らした芦の小さな問いは、冷たい井雲の返答と、深刻な宇江樹の返答によって答えを得る機会を失ってしまう。しつこく問いを繰り返す芦を見捨て、二人は芦から視線を逸らし、態度でもって返答を拒否している。
人気の無い都会、住所だけは都会、住所だけは都会であることを知りながら賛同を躊躇う都会・・・、都会とは一体何だろうと、芦はこんな切迫した計画実行の真っ最中であるにも関わらず、その定義について考えずにはいられなかった。
しかしどれだけ考えても、車に乗り込み、誰もいない夜の町を目的地に向かって走り出してしまえば、出ることのない答えよりも迫り来る時間についてに思考はシフトする。
それは芦だけではなく他二人も同じことだし、芦と手を繋ぎ続けているみーさんもまた、強く芦の手を握って黙り込んでいる様子から、これから起きることを思っているのだと察せられた。もしくは近づいてくるお堂の存在を感じて、郷愁の思いに浸っているのかもしれない。
数日しか離れていないはずではあるのだが。
井雲の運転はとても滑らかで、走る道路には行く手を阻む物も興味を引く物も何もなく、目的地に向かってひたすらその車体を連れて行く。誰も、停めてはくれない。時間にして、約十分。芦が毎日自転車で通うより明らかに短い時間で、目的地に到着してしまう。
見えた緑はあまりに黒く、辺りの夜の黒とは違う、異質な黒に蹲っていた。
車はまるで何かに躊躇うかのように、緑の前の車道に停車した。そして三人は無言のまま数秒、その場で固まった後、諦めに似た溜息を漏らしながらそれぞれが取るべき行動を取り始める。
井雲と宇江樹は道具一式を持って車を降り、芦は・・・、みーさんの両手を握り、じっと見つめてくる紫の瞳を見つめ返す。これから掛ける言葉以上に、気持ちが伝わりますように、と。
「みーさん・・・」
「みぃ?」
「俺達、ちょっと行ってくるから・・・、ここで大人しくしててね。なるべく頭を下げて、外から見られないようにして・・・、ドア、ロックしていくから、絶対に弄っちゃ駄目だからね? アイツ等が万が一、来て、みーさんに気づいたとしても、ロックさえしてあれば簡単には入ってこれないから・・・」
「みぃー・・・」
「大丈夫、きっと大丈夫だから・・・、俺達、頑張るから。頑張って、早く帰ってくるから・・・、だから、みーさん・・・、」
────俺達の計画が成功するように、祈っててね。
「じゃあ、行ってくるから」
「みぃ・・・」
外で待つ井雲達の視線を感じながら、芦は祈るように、もしくは縋るようにみーさんにそれだけ言って、自分もまた、車の外に出た。祈っていてね、そんな言葉が出てしまうのは、押し寄せてくる不安と、握り締める手の主が幼くとも神様であるという意識が強まっていたからだろう。
神様に祈るならともかく、神様に祈っていてくれと願う事が少々おかしな行動であるという自覚が出来ないほどの、不安。勿論、それは井雲や宇江樹も同じぐらい感じている不安ではあったのだが。
芦が車を出た後、井雲は車の中から見つめてくるみーさんに一度、小さく手を振ってからロックを掛けて、そこで三人はお互いの顔を見て、数時間前と同じように一度、頷いた。
もう、やるしかない、そしてやる以上は、ここにいる三人は一蓮托生、がっちり手を取り合って、必ずや成功させよう、そんな誓いのようなものが視線と醸し出す空気だけで交わされた。そして交わした気持ちを頼りにして・・・、三人は深い深い、緑の夜の中に揃って足を踏み入れていった。
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世の中には、仏はどうだか分からないが、神様はいる。
いるのだから、神がもたらす奇跡もある。
奇跡があるのだから、その祝福を受ける人間もいる。
・・・但し、その祝福を受ける人間を選ぶのは神様なので、人間には計り知れない基準があったりするのかもしれない。
*******
何故あんな台詞を言ってしまったのか・・・、今の芦の胸には、そんな後悔めいたものを生まれていた。
「・・・今、何時だ?」
「一時半、ちょい過ぎ」
「・・・深夜、だよな?」
「そう、ですよね・・・」
「ここ出たの、十一時過ぎだったよな?」
「二時間半ぐらいだったな」
「なんでこんなに何の突っかかりもなく、短時間で終わってんの?」
「・・・俺、車出る前、みーさんに計画が成功するように祈っててね、ってお願いしちゃってた」
「芦!」
「芦さん!」
「なんだよっ! 俺が悪いって言いたいのかよ! 計画は成功させなきゃいけないだろ!」
「そりゃそうだけどっ、自分だって何となく不味いことしたって気がしているくせに、そんな開き直った態度取るなよっ!」
「開き直るくらいしか出来ること、ねーじゃん! それぐらいさせてくれよぅ!」
「・・・芦さん、これ、ハンカチ、どうぞ。あの、大声出してすみませんでした。井雲さんも、もう止めましょう。世の中、どうしようもない気持ちになることもあれば、どうしようもない出来事もあるんです。これ以上は芦さんが可哀想ですよ」
「宇江樹さん! 今日からうーさんって呼んでいいっ?」
「えっ? あの・・・」
「おぉ、あーちゃん、いっくん、うーさんで、母音が三つ、揃ったな」
「・・・えっとぉ、僕は別に良いんですけど、今、それ、揃える必要、ありました?」
「分からんけど、なんかあまりに感動して抑えられんかった!」
深夜一時半、せっかく周りに注意して静かに、慎重にことを進めていたのに、目の前の現実を受け入れきれない男三人は、耐えきれずに騒いでいた。
・・・抑えきれなかった感情の発露の割には、やはり基本的に真面目で本質的に小心者の三人らしく、声は意外と抑えめではあったし、腕を振り回してもいたが、どこかに当てて大きな音を出すこともなかった。
ある意味、この状態が彼ら三人が外せる限界ギリギリの羽目だったのかもしれない。かなり情けない限界ではあるが、幸い、本人達は気づいておらず、今はただ現実から逃げ出すことで精一杯だった。
────あまりにもスムーズに、怖ろしいほど簡単に、計画は完全な成功を収めてしまった。
本当に、こんなにも簡単にこんなことが成し遂げられて良いのだろうかと首を傾げるほど・・・、否、首を振り回すほど、全ては順調に進んでしまったのだ。
色々心配して不安になっていたにも関わらず、終わってしまえば何を心配していたのかと思うほど障害となり得るものは一切無く、簡単に全て終わってしまった。
車を降りた後、荷物を持って入り込んだ緑の黒はあまりに暗く、三人とも、早速手に取った懐中電灯で照らして進みながらも、周りの異様な雰囲気に飲まれたように黙りこくったまま歩き続けた。
しかし無言で歩けばその分、自然と速度は上がり、ほどなく場所は開け・・・、芦以外は初めてになるみーさんの家、お堂を目の当たりにする。
小さな、小さな古いお堂。
特に威厳があるわけでもなく、特別な雰囲気があるわけでもない。しかし実際に神様が宿っていたと知っているなら、そして辺りが深い闇に包まれた深夜であれば、それは神秘的にすら見える神聖さを持った、立派な『何か』に見えてくる。
特に今から主であるみーさんの為とはいえ、不届きとも言える行為を行おうとしている身ならばこそ、いっそうに。
しかしここまで来たら、もう実行あるのみ。だからこそ三人は一瞬、視線を交わすだけで無言で荷物から道具を取り出した。
そして四脚あるうちの三脚、それぞれ一脚ずつにお付きの人のように取り付いた後、位置を互いに確認し合うと・・・、一体、三人のうち誰が最初に行動を開始したのか、何故か三人とも最初の記憶がなかった。
おそらく、目の前の自分が成すべき行動に全神経を集中させていたのだろう。だから記憶は無い。記憶は無いが・・・、結果はあった。
芦の部屋、予定通りの場所に、予定通りの存在が。
「なんであんなにあっさり切り離せたんだろうなぁ?」
「それを言うなら、小さくても結構な存在感があるのに、誰にも見られないで運べた事ことの方が謎だと思うけど・・・」
「やっぱり・・・、ご加護っていうヤツなんですかね?」
「・・・入るのかな、これも」
「あ? 何が?」
「いや、これもご利益の一種に入るのかなってさ」
「止めろよっ、なんか分からんけど、怖いから!」
井雲の怖ろしい考えに、芦は全力で抗議し、宇江樹は無言で身震いする。成功してしまった計画に、成功させる為に動いていたにもかかわらず、いざ結果が目の前にあると、動揺してしまい、三人は埓のあかない話ばかり延々と繰り返してしまう。
決して失敗したかったわけではない。失敗してしまえばどんな社会的制裁を受けるのか分かったものではないので、絶対に失敗したくはなかった。
したくはなかったが、あまりに簡単に成功してしまったので、あるべき達成感がなく、ただひたすらに動揺するばかりになってしまっているのだ。
だから三人は成功の祝いの台詞を互いに掛けることもなく、無意味に騒ぐばかりで。騒ぐ、ばかりではあったのだが、それでも自然と三対の視線が向かう先、そこにその姿を見ると、やらなければ良かったとだけは言えないし、思えない。
人間社会的には間違っていたのだとしても、それ以外では正しかったのだという確信すら出来るほど、動揺するばかりの三人の心をその姿は慰めてくれる。
「みぃ・・・、みぃ、みぃ・・・」
小さな、啜り泣くようなか細い鳴き声。
小さな、その両手を一杯に伸ばしてお堂に抱きつく後ろ姿。
数日ぶりに対面した自分の家、お堂を前に、みーさんは泣くほど喜んで抱きついている。
「みーさん・・・、やっぱり、お家が恋しかったんだな」
「・・・まぁ、な」
「我が家が一番って言いますもんね」
「脚、切っちゃったけど・・・」
「ウチの会社、適当な資材ありますよ。少しずつ持ち出せば、四本ぐらい誤魔化せると思います」
「ホント? それなら・・・、みーさんが落ち着いたら、脚付けて、お堂も戻せるかな?」
「みーさんが落ち着いて、お堂に戻ったらだな」
「そうだなぁ」
見つめている先のみーさんの姿で、三人は自然と不毛な会話からの脱却に成功する。それと同時に、酷く微笑ましい気持ちすら沸いてくるのだ。
少し前、ほんの十数秒前までは、あまりに簡単に成功してしまった計画に戸惑い、動揺し、その成功結果もご利益なのではないかという井雲の発想に恐れ戦いていたにもかかわらず、小さな子供が、愛らしい神様が、自分達の行いに喜んでくれている様を目の当たりにすれば、なんだかそんな戸惑いも恐怖もどうでも良いもののような気がしてきてしまうのだ。
だって、目の前で、こんなにも喜んでくれている。自分達が成した行為は、こんなに喜ばれるほど、必要とされていた。
三人の間に漂う空気は、自然と安堵した穏やかなものに変わっていく。それは目の当たりにしている光景が微笑ましかったのが最大の理由ではあるのだが、もう一つ、大きな理由があった。とても打算的で、とても素直で、とても芦達らしい理由が。
・・・これで万事解決する、と。
「これだけ喜んでるんだから、やっぱり神様に家って必要なんだよな」
「そうだな。神様だけ連れ出したり、お堂だけ勝手に持っていこうとしたりしたら駄目ってことだろ」
「奉る存在と、奉る場所はセットということですね」
芦、井雲、宇江樹の順で、それぞれ何かを達観したかのような穏やかな口調で結論めいた台詞を口にする。
やんわりとしたそれは、穏やかではあるがどことなく何かを覆い隠しているかのような、何かから目を逸らしているかのような、その逸らしたモノを亡き者にする為に口にした結論もどきを決定づけようとしているかのようだった。
目を逸らしたモノ、覆い隠したモノは、抱いてしまっている打算的で素直な安堵の感情だ。みーさんの為ではなく、自分達の為の感情。厄介払いという気持ちはないつもりだが、それでもそれに似た感情が自分達の中にあるのではないかという心配や、後ろめたさに似たもの。
目を逸らしながらも、芦達はやはり安堵してしまう。これで何もかも解決だと。きっと、解決すると。
相変わらず、彼らは信仰を持たない。信仰に対する理解もない。神の存在は認めるけれど、生きてそこに在る、実体としての神を信仰より先に知ってしまった彼らには、遡って信仰を持つことが出来ないのだ。
出来ないのだが、しかし・・・、それでも嬉しそうに鳴く神様を前に、少しだけ思うことはある。
奉る対象があって、奉る場所を用意して、奉る人間達がいて、きっとそれで初めて信仰というものは在るのだ。
ここには奉る対象のみーさんがいる。脚を切って強引に場所を移してしまったが、奉る場所もある。ただ自分達は純粋な奉る人間ではないので、この場所で信仰は成立しないのかもしれないが・・・、一応、その神様の為に頑張ったのだから、願う事ぐらい許されるだろう。
都合が良いかもしれないが、そんなことも思って芦達はただ、微笑ましくみーさんを見つめる。
それぞれが訪れるであろう自分達が望み、思い描く少し先の未来を思って、示し合わせたかのように三人揃って全身の力を抜き、ほっと息をついた頃・・・、
────来るべき結末の訪れとして、三人の携帯電話が一斉に鳴り始めた。




