第一話
ひと昔前であれば、誰もが振り返ったであろう装いを私はいまなお、変わらぬ気高さで身にまとっている。淡い生成りの細身の衣――貴族の礼装と見紛うそれに紫のローブを重ねわずかに癖のある赤い髪は念入りに後ろへ束ねていた。
セントラの街は様変わりした。見上げるような建物が並び、夜になっても魔法に頼らず灯りが道を照らす。
空だけではない。
地面もまた土の感触を探す方が難しいほど硬く舗装されていた。
自動車が脇を走り抜けていく。
――こんなにも騒がしい街だっただろうか。
胸に生じた違和感の正体に私はひとり気づいた。角を曲がるたびに目に入った魔導具店も、今ではほとんど見かけなくなった。
人の合間に踏み込んだ瞬間、足がわずかに鈍る。肩が当たり、ぎこちなく頭を下げる。歩き出しても足どりだけが妙に速い。
目当ての店の前に立ったとき、私はこの街をひどく疎ましく思っていた。店の陳列窓には、白樺の杖と赤い縁取りに金糸を走らせた魔導書が誇示するように整然と並んでいる。
塵ひとつないその静けさは喧噪に削られた神経を皮肉にも慰めた。窓に映る赤い髪はすでに隙なく整っている。それでも私は右手で強く抑えつけた。
よし。
扉を押し開ける。紙と木の、かすかな匂い。吸い込むと、この匂いを知っている場所が、胸の奥にまだ残っていた。
壁一面に杖が並んでいる。柄は左、穂先は右へ、刻印はすべて正面へ――変わらない並び。昔からずっとこうだった。指先が無意識にその並びを追い、触れずに宙をすべっていく。
中央のテーブルには小さな瓶が整然と並び、沈黙のまま中身を閉じ込めている。その向こうで、ローブがいくつも揺れていた。深紅の布に金糸を走らせたもの。夜をそのまま映したような濃紺。すり切れてなお、かつての持ち主の姿を手放さない一着。奥の壁は、天井まで魔導書に埋まっていた。高さも厚みも揃えられた背表紙が一分の乱れもなく並び、古紙と蝋の匂いが静かに滲み出している。
「ヘルザ様、お待ちしておりました。どうぞ、奥へ」
呼び鈴も鳴らさぬうちに声がかかった。あらかじめ待ち構えていたとしか思えない。カウンターの奥から若い男がするりと現れ、長い腕で奥の部屋を示す。
見覚えのない顔だった。
「失礼いたしました。ダインと申します。先代の息子でございまして――父より、ラルフエルト家とは長くご縁を頂いていると聞いております」
言い終えると、過不足のない所作で一礼した。私はわずかに構えていた自分の顔つきが緩むのを感じ、内心で苦笑した。
奥の部屋には樫と思しき細長い机が据えられていた。木目は深く艶を帯び、中央には杖を置くための空白があらかじめ用意されている。ローブを脱ぐと、すぐにダインの手が伸びる。
「――お預かりいたします」
差し出される動きにためらいはない。意識するつもりもなかったのに、目が離れない。受け取ったローブを壁際のフックへ静かに掛ける。その一連の所作は驚くほど整っていた。
「紅茶でよろしいでしょうか。北部の新しい茶葉が入りまして」
断る余地を与えない声音だった。
「……ええ、いただきます」
短く応じる。それだけのことにわずかな遅れが生じたのを私自身がいちばんよく分かっていた。
程なくしてダインが戻った。銀のワゴンには琥珀色のポットとカップが整えられ、音もなく私の傍らに控える。
「もうしばし、お待ちを」
その笑みを私は直ぐに逸らし、砂時計に落ちていく白い砂を見つめていた。細く、絶えず、音もなく削れていく時間。それだけがやけに鮮明だった。
茶こしを添え、温めておいたカップに紅茶を注いだ。細く、途切れることのない一筋。カップの底から満ちていく琥珀色。湯気が遅れて立った。
その動作もやはり整っていた。
単純で面白くもない動きに、魔法をはじめて見た少女に戻されたことを隠したくて、砂の山を睨んだ。
「熱いうちに、ぜひ」
受け取る手の中でソーサーがかすかに鳴った。指先に陶器の温もりが移ってくる。私はカップを口に運ばず、胴に描かれたニワトコの交差を中指の腹でなぞり、今日塗ったマニキュアの色がこれでよかったか考えた。
「本日は、遠くからおいでいただきありがとうございます」
言い終えて、ダインはようやく表情を崩した。それが少しおかしくて、私はカップを手にとり、紅茶のふくよかな渋みとその奥に隠れたほのかな甘みを、ようやく味わうことができた。
「いいえ、鉄道での長旅は慣れていますので。でも、この街に来るのは二年ぶりかしら。すごく変わっていて、びっくりしました」
一家がここを離れ、ウゼに住んでいることを傷物だと思ったのか、ダインはまだ半分はあろうカップに視線を落とした。私は少し意地悪をしたことを反省し、カップを指先で少し回した。
「家は高台にあって、春になると一面に桜が広がるんですよ。それに大きな庭もあって、従姉妹のミーナの練習にも最適なんです」
せめてもと、声を弾ませた。
「では、今回のご注文もミーナ様のために?」
ダインは持ち直したのか、端正な顔に戻っていた。ミーナの両親の話をして、また曇らせようかとよぎったが、幼稚に思えてすぐにやめた。
「ええ、ミーナのために……。身内で褒めるようでみっともないですけれども、まだ十三歳なのに、彼女の才能は類を見ないものがあるの。ザルク、私の六つ下の弟なんて、ミーナは大賢者フーリエの生まれ変わりだなんて言うんですよ。おかしいでしょう。さすがに言い過ぎよね」
私は残りの紅茶を飲み干し、ダインの顔へ視線をあげた。
「いえ、あの杖の主になられる方なら、私どもにも納得できます」
そう言ってダインはおかわりを勧めたが、私は断った。
「早速で申し訳ございませんが、そろそろ。紅茶、ご馳走様でした」
そうだ。若い店主の顔色をうかがうために、二時間も揺られてきたわけではない。目的を忘れた自分と、ダインに対する半ば八つ当たりめいた気持ちを抑える。
「承知いたしました」
ダインはカップを机から下げ、長い腕を私の前まで伸ばすと、白い布で木目の机を丁寧に拭った。
その後、一度部屋を出て、この距離からでも桐だとわかる細長い木箱を両手で支えて戻ってきた。机に木箱が置かれると、私は無理にでもミーナを連れてくればよかった、などとは少しも思わず、ただ箱の中にあるものを早く見たくて、気づけば腰を浮かせていた。
「どうぞ、ご確認ください」
店主の声に少し間を置くふりをし、私は真鍮の掛け金を左、中央、右の順に三度鳴らし、今度は音も立てず木箱の蓋を上げた。
箱の内壁には深紅の天鵞絨が隙なく張りめぐらされ、その下には杖のかたちそのままに刳り抜かれた窪みが沈んでいる。柄の太みから杖先の括れ、その先の珠の据わる膨らみまで――一分の狂いもなく型取られ、杖はそこに横たえるだけでぴたりと身を収めていた。
4フィートに足りぬ、短い杖だった。柄は墨を流したような暗い色をして、表面には波のような木目が走っている。先には鈍い銀色の金属が巻きつき、光るでもなく、ただ黒ずんで押し黙っていた。そうしてその銀の中央に朱い珠がひとつ。冷たい木と金属の真ん中で、その珠だけがあかあかと燃えるように輝いている。
ダインは何かを語ろうとしていたが、私は先に口を開いた。
「柄はシンセ地方の神代欅。何千年も土の底に埋もれて、それでも朽ちずにいた。墨色に沈んだこの古色も、この力強い杢目も、今まで見たことがない」
私は、右手の中指と薬指で柄から金属の方に向かって僅かに触れた。
「覇鉱石より精錬された金属。光を吸うように艶を抑え、木の古色を引き締めて、先に冷たい芯を通す」
そうして二本の指は、朱い珠の上で止まった。
「そして、緋丹珠。不老不死の妙薬とも、神域を守る朱ともされた鉱」
「恐れ入りました。私から申し上げることはございません」
ダインが声を挟むと、私は咄嗟に指を引っ込め、その二本を左手で握った。
「すみません。なんだか、あなたの仕事を取り上げたようで。あまりの素晴らしさに嬉しくなって、ついおしゃべりが過ぎました」
赤髪を右手で撫でつけ、姿勢を正して腰かけた。木箱の中身は、かつての時代を巻き戻してくれるのではないかと、願望めいた誘惑を抱かせていた。
「おかしいでしょう。いくら才のある子のためとはいえ、家の一軒でも買えそうな代物を、今さらこの時代に……」
私は箱を閉め、右から左へと、真鍮の掛け金をできるだけ小さく三度鳴らした。
「でもね。私は見てしまうのです。まだ、輝きを」
ダインはそっと桐の箱に長い綺麗な指を当てた。その仕草には、さっきまでの整いは感じられず少し崩れていた。ただ、不思議と透き通っていた。
「私は、美しいと思いますよ」
その作り物でない短い言葉に、私は初めてダインと目を合わせた。この若い男も、自分と同じなのかもしれない。
そう思うことにした。




