番外:嵐の前
「もう殺っちゃってもいいんじゃないですか~? あの豚~~」
王家主催の夜会後、不穏な気配を察知した正妃が、秘密裏に他の妃たちを招集した。正妃アデラ、側妃シェリル、同じく側妃エイダ、愛妾イブ、そして宰相バートの面々だ。
冒頭は、愛妾の第一声である。実に邪気のない笑顔であった。
補足であるが、豚と称された国王は容姿だけは恵まれている。中身が伴っていれば…とはこの場の全員の一致した意見だった。
「まだ時期ではないわ。そうね…あと3年ほどあれば実行できたと思うのだけれど」
「そうですね、あの陛下で未だに支持があるのも謎ですが…王家に忠誠を誓う家をまずすべて引き入れませんと」
「反逆や簒奪は重罪ですし、家に累が及ぶのも問題ですし。ここは慎重に動かないとですね」
正妃、側妃は残念そうに溜息をつく。
「ええ~~? でもあの豚、仕事しないで遊び惚けてるだけでしょう~。いなくなって何か問題あります~?」
その疑問に妃たちは黙り込む。
実際、国政を担っているのは、この場にいる愛妾を除いた妃と宰相である。愛妾は国政に関わる権限がない。
エドリュートの執務とは、決裁のサインをするだけだ。まともに判断できず、緊急性のあるものはむしろ後回し、余計な仕事を増やす国王に、早々に決断したのは正妃だった。
「執務に関しては、もともと、その補佐にわたくしが選ばれたくらいですからね…」
アデラは、生まれたときから王家に嫁ぐことが決められていた。完璧な補佐となるべく、幼少から厳しい教育を受け、他国にも比類なき淑女、才媛として名を馳せている。今現在も。
「イブの提案を実現できたら、今後の憂いも晴れるのだけれど…」
問題は今日の夜会。国王のあの様子に嫌な予感しかしない。伊達に幼い頃から共に育った、いや見てきたわけではないのだ。
アデラはまだいい。生家が公爵家である以上、貴族の責務というものは骨の髄まで叩き込まれてきたし、初めて対面したときからエドリュートに期待するのは無駄と切り捨てたからだ。閨も初夜の一夜以来、訪いはない。
シェリルは実家の侯爵家に虐げられていて、身売り同然の後宮入りだった。決定は議会での侯爵のごり押しによるものだ。幸いといっていいものか、容貌がお気に召したようで、定期的にエドリュートが訪れているとか。
エイダは、貴族院時代からのエドリュートの恋人だった。お互いに一目惚れして長く続いた関係だったが、国政を正妃とエイダ含めた側妃たちに押し付け、見目のいい侍女に言い寄ったり寝所に引きずり込むような恋人に、今ではすっかり幻滅したらしい。現実が見えたともいう。
蛇足だが、現在侍女は被害を増やさないために、平凡で地味な容姿のものを選りすぐり、国王の毒牙にかからないよう教育を徹底している。
愛妾のイブは、市井の酒場で働いていた平民だった。視察を名目にした単なる街歩きで、エドリュートがお持ち帰りした女性である。一応合意。実家が貧乏で家族に楽をさせたいとの一心だったと聞く。
愛嬌があり、平民にしては頭が切れ、外見に反して意外に強かなイブは、エドリュートの寵愛を勝ち取っている。その寵愛も風前の灯火のようだが。
「どう見ても、エーメリー伯爵令嬢に一目惚れでしたわね」
「エイダが言うと説得力があるわね」
セシリア=エーメリー伯爵令嬢。病弱で領地から出たことがなく、結婚前に一度でも華やかな夜会に連れて行ってやりたかったと、両親と幼馴染の婚約者の希望だったと調査に上がっている。
穏やかに情を育んできただろう、エスコートしていた婚約者の間には確かな信頼と愛情があったと、アデラの目から見ても思った。
「…妃にこれ以上予算は割けないと、陛下には通告しておりますので」
「予算には限りがあるということを、言わないと分からないのも本当に」
「国費を自分のお小遣い程度の認識ですからね」
「となれば、わたくしたちの誰かを離縁するか、もしくは」
全員を離縁するか。
「……あの入れ込みようでは、それもあり得るかもしれません」
シェリルの危惧も尤もだ。
エドリュートから離れられることに関しては、正直清々するのだが。話はそう簡単にはいかない。
国政を宰相の一手に任せるというのも多方面で問題であるし、何よりも。
「やっぱり、殺っちゃいましょう~。それで全部解決ですよ~」
「誘惑しないで、イブ」
そう、何よりも。
結婚間近で、幸せな恋人同士が引き裂かれることだ。
始めから、政略結婚を前提として割り切れるならばいい。アデラのように、シェリルのように、特に想う相手がいたわけではなく、国の利益のためにと貴族の責務であるならば。
しかし彼女の場合はそうではない。
王家と縁を繋ぐ必要性も、婚姻による利益もない。そこにあるのは、ただ国王の我欲のみ。
引き裂けば確実に、2つの貴族家は不幸になり、恨みと不信を抱かせる。そしてそれは、他の貴族家にも伝播する。必ず。次は自分たちが理不尽を強いられるのではと。
王家への不信と忠誠の揺らぎは、やがて国の崩壊へと導く。真っ先に犠牲になるのは、無辜の民たちだ。
「…エーメリー伯爵家の様子はどうかしら?」
「今のところ、予兆を感じている程度ではありますね」
「そう…」
おそらく、遠くない未来、かの家には波乱が訪れる。動けるうちに備えておきましょう。
心得たとばかりに妃たちは目を合わせ、頷く。宰相も。
私たちは共に国を守る、戦友のようなものだから。
かくして、正妃たちの予想通り、離縁を言い渡された。4人全員である。当然議会では揉めたが、国王が頑として譲らず、妃はすべて空席になることが決まる。
王曰く、『真実の愛の相手を迎えるのだ。他に妻がいるのは不誠実である』だそうな。馬鹿が。
さて、セシリアには国王の結婚打診と同時に接触してある。混乱の中でも冷静だった彼女は、王が引いてくれなかった場合の対処法を模索していた。まあ婚前間近の令嬢に求婚する国王なので、その懸念は正しい。弱いのは身体だけであったかと感心した。
王命が出されるのも時間の問題というタイミングで、密かに関係者を集めた話し合いを行った。
そして、アデラは離縁の手続きで正式に権限を剥奪される前に、まずは初夜を回避すべく、セシリアに背格好、髪色、目の色を似たものを花街から捜索を命じた。次に、死刑囚からセシリアの婚約者に似たものを探し、死を偽装した。
セシリアの実家が薬草の産地であったのは不幸中の幸いで、害獣対策のひとつに、幻覚剤の取り扱いもあったので、そちらを採用。初夜に、香として焚き染めるように助言した。もちろん、入れ替わったあとで。
セシリアの代替品といえば聞こえが悪いが、職業婦人の彼女は快く引き受けてくれ、身請けに加え手厚い報酬(口止め含む)に却って喜んでくれた。
ちなみに、この辺りはエドリュートの個人資産からだったが、当人に知らされてはいない。個人資産といっても、大した仕事は与えられていないため、正妃や側妃に比較すると雲泥の差だったが。離縁と同時の慰謝料でほぼ枯渇したのも、エドリュートは知らない。
「──これからあなたたちはどうするの?」
元正妃であったアデラは、3人の妃であった女性たちに問う。城から出たここが分岐点だろうと。
皆、憑き物が落ちたような顔をしていた。
「わたしは、ドレスショップ作るのが夢だったので、地元に帰ったら開店の予定です~。アデラ様もぜひ来てくださいね~~」
元気いっぱいに答えたのは、元愛妾のイブ。
「イブは色彩感覚もデザインのセンスも抜群だから、きっと繁盛するでしょうね。いつか、会いに行くわ」
「お待ちしてますね~、ぜったい、ぜったい、来てくださいよ~~」
用意してあった馬車から、ぶんぶんと手を振りながら去る彼女に、微笑みながらアデラも手を振った。
「それでは、私もこれで」
「エイダ」
待機している、2台目の馬車の前で元側妃は優雅にカーテシーを披露する。彼女は、家族の要請でひとまず実家に戻るそうだ。
「一時期、あなた様をお恨みしたこともありますが…」
「…あなたは本当に陛下を愛していたのだから、わたくしを恨むのも当然だわ」
「いえ、今となっては恥じ入るばかりです。アデラ様、あなた様ほど真摯に国を思う方はいませんでした。…この先の、ご健勝とご多幸を陰ながら祈っておりますわ」
「エイダ。あなたのこの道が、幸せでありますように」
最後は深く頭を下げ、元側妃は去った。実家では溺愛され、今回の要請も涙ながらだったというから、彼女も大丈夫だろう。
問題は。
「…シェリル、あなたは?」
家族に冷遇され、戻る場所はないはずだ。実家では有能であるが故に疎まれ、理不尽な境遇に置かれていた元側妃のひとり。後宮に入れられたのは、彼女にとってはどうだったのだろうか。
愚痴ひとつ言わず、常に凛とした佇まいで、国政を共に担った芯の強い女性。アデラを支えてくれた美しい人。
「私は、城に残ろうと思います。エーメリー伯爵令嬢…セシリア妃の侍女として」
「……」
「驚かれないのですね」
「なんとなく、予想はしていたの」
準備段階から違和感があった。彼女だけ。
「そうですか」
控えめな微笑みは、同じ女性であるアデラも見惚れるほど美しかった。
「私が実家から冷遇されていたのはご存じかと思います。帰る場所がないということも」
「…ええ」
「それだけではなく、たった1人になってしまう、セシリア妃を支えたい気持ちが大きいのです。アデラ様にどこか似た気質のあの方を」
「わたくしに?」
「はい。芯の強さ、他者に屈しない目の輝き。アデラ様に通ずるところを見出しました。国と、あの方のお力になれればと」
高潔なシェリルらしい言い分ではあるが。
「あなたは、それでいいの? それで幸せかしら?」
「もちろんです。いずれ家を出ようと耐えていた私に、思いがけなく後宮入りが決まりました。そして、アデラ様と出逢い、決めたのです。ずっと憧れだったあなた様に」
「何をかしら」
「この命果てるまで、この国とあなた様に仕えようと。共に働くうちにそれはますます強くなりました」
「そう…」
「1人とはいっても、アデラ様がかの方に引き継いだ腹心の方々や、婚約者の方もいますが」
「念のため聞くけれど、国の犠牲になるつもりは、ないのよね?」
志は貴族としてこの上ないが、個の幸せという意味では、蔑ろにされていないだろうか。
彼女の意思を尊重すべきではあるが、どうしても確認しておきたかった。
おそらく、短くない期間、けれどそう長くはない期間、国に縛られることになるだろうから。
「アデラ様は、本当にお優しい…。大丈夫です。犠牲だと思ってはいませんし」
「…そういう意味ではないのだけれど」
「それに、もしすべてが片付いたら、なのですが」
「何かしら」
「その…アデラ様に会いに伺っても、よろしいでしょうか…?」
遠慮がちに窺うような彼女の言葉に、久しぶりに声を立てて笑った。
「別に、いつでも来ていいわ。いつでも会いにいらっしゃい」
ぱあっと花咲くようなシェリルの笑顔に目を瞠る。こんな風に笑えたのね。
「何かあれば、なくても手紙をちょうだい。力になれることがあれば、いつでも」
「はい…はいっ!」
「今生の別れではないわ。また逢えるもの、わたくしたちは」
こうして、国を支え続けた妃たちは、それぞれの道を歩き出した。
あるものは、自身の望みを叶え。
あるものは、己を見つめ直し、道を選ぶ。
あるものは、今までの道の続きを歩き。
あるものは、人知れず、暗躍する。
幸福の中にいると思い込み、それが幻影であることも気付かない、愚かな男を置き去りにして。
王妃には元正妃たちの協力もあったんですよねという話。
ついでに、慣例では愛妾は夜会に参加できなかったりするのですが、国王が勝手に連れてきてました。まる。
蛇足の蛇足:王宮に来るまでは元正妃たちの協力があってのことですが、王妃に据えられてから国王を排するまではセシリアの努力の賜物でした。たまに、元正妃の助言を受けたりとかして。




