依頼の朝
依頼のメールは、火曜日の午前十時を少し過ぎたころに届いた。
件名は簡潔で、本文もまた、必要なことしか書かれていなかった。市の文化保存課より、旧資料保管室の閉鎖整理補助の依頼。期間は二週間。既存資料の分類確認と、保存対象外文書の廃棄判断補助。担当者名は、相良紬。
水守澪は、すぐには返信せず、画面の上を静かに視線でなぞった。
どこにも、不自然な文はなかった。むしろ整いすぎているくらいだった。閉鎖予定。整理対象。保存可否判断。制度の言葉としてはどれも正確で、それだけに、その言葉からこぼれるものの輪郭が、最初からうっすら見えてしまう。
こういう仕事は、初めてではなかった。誰かが長く手を触れてきたものを、期限と項目に沿って並べ替える。判断のためには距離がいる。感情を最初に置かないことが、かえって丁寧な場合もある。そのことを、澪は知っていた。
午後、オンラインで打ち合わせをした紬は、以前と変わらず無駄のない話し方をしていた。白い画面の向こうで、彼女は資料番号と進行表を淡々と説明していく。
「通常資料の大半はもう搬出済みです。今回お願いしたいのは、残っている未整理分の確認と、判断保留資料の仕分けです」
「保留資料、ですか」
「はい。件数としては多くないんですが」
紬はそこで、ほんの一拍だけ言葉を切った。
「……少し、やりにくいものが残っています」
その言い方が、澪には珍しく思えた。相良紬は、曖昧な言葉をなるべく使わない。わからないなら、わからないと言う。難しいなら、何が難しいかを切り分ける。そういう人だった。その彼女が「やりにくい」とだけ言った。
澪は問い返そうとして、やめた。
「現地で見たほうが早そうですね」
「そうですね」
紬は小さく頷いた。その表情に助かったような色が混じったのを見て、澪は少しだけ気になったが、それ以上は追わなかった。
打ち合わせが終わったあとも、しばらくメールの文面が頭に残った。
閉鎖される部屋。整理される紙。保留された判断。
何かを片づける仕事には、いつも少しだけ、終わったものに手を入れる感じがある。けれど今回は、まだ終わっていないものが混じっているのかもしれない――そんな予感が、理由のはっきりしないまま胸の浅いところに残った。
夕方、澪は仕事用の鞄に手帳と筆記具、薄手の手袋を入れた。特別な準備は何もない。けれど最後にメモ帳を入れるときだけ、なぜか手が少し止まった。
何を書くことになるのか、まだ何も知らないはずなのに、白いページだけが先に待っているような気がした。




