子猿の破壊力
私は柊 香澄。私立高校で教師をしています。担当教科は国語です。
ただ今、学校は夏休み真っ只中。でも、私は夏期講習やら何やら……夏休みでも大忙しです。
――8月――
夏休み中の高校は、穏やかな空気に包まれている。遠くから聞こえる蝉の声が、より一層夏休みらしさを際立たせる。
夏休みの学校の空気を感じながら、廊下を歩く。
「柊先生、さようなら!」
「さようなら。夏休みだからって、あまり浮かれないようにね」
「はーい」
夏期講習を終えた生徒たちと挨拶を交わしたあと、私はふと、廊下の窓越しに校庭を眺める。校庭には、野球部員たちがランニングをしているようだ。私はある生徒を思い浮かべる。
青倉ミナトくん。
彼は1年から野球部のレギュラーとなり、弱小野球部を率いて甲子園に導いた立役者だ。残念ながらベスト16で終わってしまったが、当時の世間の盛り上がりといったら――語りきれない。
青倉くんは中学の頃から野球界では有名だったらしく、複数の球団から熱い眼差しを受けるほどだった。
しかし彼は高校2年の夏に野球を辞めた。そして高校を卒業したあと、大学へ進学した。
そういえば、青倉くんは大地くんと仲良く大学生活を送れているかな? 私はそう思いながら、野球部の練習を眺めるのであった。
――
「はあ、新学期の準備終わったぁ。帰ったら明日の準備しなきゃ」
時刻は夜8時を過ぎていた。
車に乗った私は背筋を伸ばす。
私は明日から5日間、夏季休暇で旅行へ――熱々温泉お猿さんふたり占めプランに行くのだ。大地くんと一緒に。
2人の合意の上、宿泊部屋は別々である。大地くんが大学卒業するまでキス以上の行為は禁止――お父さんから課せられた条件。私たちなりに頑張って守らないとね。
――翌日――
「わほ! 和室だ!」
目の前に広がるのは、落ち着いた畳敷きの和室。壁側にテレビ、その隣に掛け軸とスッキリした花瓶が置いてある。ピシッと敷かれた布団が畳によく似合う。ここは熱々温泉旅館だ。
いつものコンビニから待ち合わせた私と大地くんはそのまま車で移動。休憩や寄り道を挟みつつ、長いドライブを堪能した。熱々温泉旅館に到着したのは夜の8時だった。そして今に至る。
私は布団の上でゴロゴロと転がり、布団の匂いをかぐ。まるで子供。
「明日の朝、温泉入らなきゃ。可愛いお猿さんに囲まれるの楽しみー! 今日から3泊だから、お猿さんを堪能しないと」
独り言をつぶやきながら、布団の感触を堪能した。
「……はあ、酎ハイ買ってこよ」
私はお財布を手に部屋を出る。自販機は私の宿泊部屋のすぐそばにある。
「あ、大地くんもジュース買うの?」
自販機の前に大地くんが立っていた。大地くんは私を見るやいなや焦りを見せ、右手をさっとズボンのポケットに入れる。
「お、おぅ! か、香澄ちゃんも?」
「私は酎ハイ」
「チュウ!? ……あ、いや、チューハイか。びっくりした」
大地くんの言動は明らかにおかしかった。
「ねえ、右手に何か持ってるの?」
ズボンのポケットに入れたままの大地くんの右手を、私は指さす。
「え!? これは……ジュース! ジュースだよ!」
私は首をかしげながら
「ジュースにしてはポケットの膨らみが少ないような……」
「ああ! じゃあね! 香澄ちゃん! 明日は行くところいっぱいあるんだから、飲み過ぎには注意してね!」
大地くんは私の話を遮るようにして颯爽と立ち去った。
「どうしたのかしら」
自販機に視線を移すと、自販機の隣に細長い白い箱のような物が立っているのが見えた。大地くんの様子がおかしいのは『コレ』のせいだったのね……
「ま、まあ――大地くんはジュースを買った、ということにしておきましょ」
私はそうつぶやくと、自販機に硬貨を流し込んだ。
――
「あー、焦ったぁ」
宿泊部屋に戻った大地は、ドキドキした胸を必死で抑える。そして右のポケットからある物を取り出した。それは、有料チャンネルのカード。
これはホテルや旅館でえっちなチャンネルを見るための資格のようなものであり、男のロマンが詰まっている。動画でもいいんだけど、俺好みのものとなると探すのは大変だ。一方で有料チャンネルは自分好みのものを自由に選べる。
結婚するまでは香澄ちゃんに手出しはしない!と固く決心はしたものの――性欲は人並みにあるし、はちきれんばかりの妄想と願望はこういう時に吐き出さないと、俺が死んじゃう。
俺はカードをマジマジと見つめながら
「俺がえっちなチャンネルを見るなんて……香澄ちゃんに知られたら恥ずかしい……」
ちなみに、桃園さんとはあれからどうなったかというと――身体の関係は続いている。毎週金曜日がその日だ。誤解しないで! 俺は香澄ちゃんだけだからね! 説得力ないけど……
場所は俺のアパートだ。お互い学生だから、ホテルに行くお金なんてない。一応家庭教師のバイトはしているが、そんな事でお金を使う気にはなれない。
誰かに見られないかヒヤヒヤするが、幸い誰にも見られていない。ご飯食べて、事を済ませて、寝て、次の日の朝に帰る、の繰り返しだ。
合体写真の元ネタを探したいから桃園さんの家に連れてけと何度かお願いしたんだが、拒否された。クソっ!!
そんなこんなで、俺は待っている。桃園さんが飽きるのを。桃園さんが合体写真を持っている以上、俺に出来ることといえば――もうそれしか無いのかも……そう思うようになった。
――翌日――
旅館に到着して翌日の早朝。
ただいまの時間は5時30分。
私、柊香澄は温泉の脱衣所にいます。私は1秒でも早くお猿さんに囲まれたいため、温泉にダッシュしたのだ。ちなみに温泉は露天風呂である。
「ヒャアーーーー! かわいいいいい!」
猿。猿。猿。子猿に猿! たくさんの可愛いお猿さんが温泉を満喫中。
「お猿さぁぁぁぁん!」
全身を湯につけた私はお猿さんに囲まれ、身も心もとろける。もちろん、温泉も気持ちいい。
「あ〜、幸せ〜お猿さんひとり占め〜」
「……香澄ちゃん?」
私の横……少し遠くから聞こえる声。私は振り向く。そこには、お猿さんに囲まれた大地くんがいた。
「キャア! ごめんなさい! こんな朝早くにいるなんて思わなくて……」
お猿さんふたり占めプランの予約を取る際、部屋は別々にできたが、温泉だけは旅館の都合で混浴となってしまった。一緒に入るのはなんとなく気まずいから、時間をずらして別々に入ろうと決めていた。
「俺こそごめん! 香澄ちゃんがこんな朝早くに温泉来るとは思わなくて、連絡しなかったんだ……今出るから」
そう言って、大地くんは立ちあがろうとした。
「あ、待って」
私は呼びとめた。そして大地くんのそばに身を寄せる。
「あの、せっかくだから一緒に堪能しましょ」
「でも……その……」
大地くんは私と目線を合わせず、こもった声で話す。あ、混浴だから私の裸が見えるのを懸念してるのね。
「えっとね……ほら。私の体は湯浴み着で見えないし、温泉からあがっても体にくっつかないから大丈夫よ。これなら、遠慮なく一緒に入れるかも」
私はザブンと音を立てながら、立ち上がる。
「そうか……じゃあ、もう少しいるよ。俺も幸い湯浴み着つけてるし……」
大地くんの湯浴み着は、膝上くらいの長さの海パンのようなものだ。大地くんは私の体を確認した後、肩を湯に沈める。それから、私も全身をお湯に沈めた。
「それにしても、香澄ちゃんの歓喜の悲鳴すごかったなぁ……『ヒャアー!』て――プッ! クックックッ」
大地くんがはにかんだ笑顔を向ける。
「わ! やっぱり聞こえてたの!? 恥ずかしい……」
「学校じゃあんな歓喜の悲鳴、あげないもんな」
「何言ってるのよ! もう!」
私は頬を少しだけ膨らます。そして私たちは色々おしゃべりして時間を過ごした。
しばらくすると、ちっちゃなお猿さんが私と大地くんの隙間に割り込む。
「ウキ! ウキウキ!」
「可愛い! 子猿ちゃん!」
私は子猿ちゃんの愛くるしさに目を輝かす。
「なんだ、お前。親猿はどうした?」
大地くんは人差し指を子猿ちゃんの頬に添える。
「迷子かしら」
「ウキャウキャ!」
子猿ちゃんは大地くんの頭上に登り、辺りをキョロキョロし始める。
「ウキー」
「んまあ! ステキ! 写真撮りたい!!」
「この子猿、俺の頭を台座と勘違いしてないか?」
子猿ちゃんの仕草があまりにも愛らしくて私は思わず
「ううううう、もう耐えられない! 頭撫でたい!」
私は大地くんの頭上にいる子猿ちゃんの頭を優しく撫でる。
「君のご両親はどこかな~? 早く見つかるといいね」
ふわふわで小さな頭。子猿ちゃんはつぶらな瞳をキョロキョロさせる。うん、たまんない! 子猿ちゃんは一方向をじっと凝視した後、大地くんの頭から飛び降りる。
「あ!」
私は子猿ちゃんの向かった先を確認すると――そこには子猿ちゃんの親猿と思われるお猿さんが1匹いる。子猿ちゃんはそのお猿さんの胸に飛びついた。
「お母さんかな? お父さんかも……うん、会えて良かったね」
私が親子猿の再会に心を和ませていると、自分の肩にずしっと重い物が乗っている事に気がつく。大地くんの頭が私の肩に寄りかかっていた。
「きゃ! どうしたの?」
私は大地くんの頭を起こし、顔を覗くとのぼせているような表情だ。顔色は……お猿さんのように赤い。
「うぅ、頭がグラグラする」
「た、大変! 今すぐ温泉からあがらないと!」
私は大地くんの腕を自分の肩に回し、温泉を出る。私が無理言って引き留めたばかりに……のぼせちゃったのね……あうう、ごめんなさい!