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エピローグ

 壮麗な音楽の流れる舞踏会のその日の中心は、これまでいつもひそひそと囁かれてばかりいた婚約者たちだった。

 何組もの男女が踊る中、その二人だけは音楽など聞こえていないかのように、終始囁き合っていたのだ。


「ねえ、メイシア。ちゃんと私を見て」


 真っ赤な顔とは裏腹に、踊るために組まれた手はひんやりと冷えていた。

 メイシアが緊張しているのはユージーンにも会場に入る前からわかっていた。

 それでも今日は、あれから初めての舞踏会だ。

 今日こそが絶好の機会だった。


「わ、わかってる、けど」


「メイシア、好きだよ」


「わわわわわ、わかってる、けど!」


「そこは、『私も』だろう?」


「だって、なんか今日はみんなが、見てる、から」


 ユージーンの口からは軽く楽しげな笑みが漏れた。


「それはそうさ。私たちはもう今までの『婚約者』じゃない。『恋人同士』だからね」


「こ、こ……!」


「違う?」


 眉を顰めて首を傾げれば、メイシアはふるふると何度も首を振った。


「……違わない」


「そう? よかった。日が経つほどにあれは私の聞き間違いかと思えてきて不安になっていたところだったんだ」


「好きよ、ユージーン。ちゃんと、好き!」


 慌てたように言ってから、メイシアははっと気が付いてまた顔を赤らめた。

 ふっと笑ってメイシアの黒い瞳を覗き込めば、その唇は恥ずかしげにむにゅっと閉じられた。


「ふふふふふふ。ありがとう。そんなメイシアもかわいいよ」


 恐ろしいまでに笑み崩れた男は、ただひたすらに目の前で踊る婚約者を見つめていた。

 だから気づかないのだ。

 意外なものを見るように見守る周囲の視線とは一つだけ異なる冷たい視線が注がれていることに。


 公爵令嬢であるリリアナは、ユージーンが言っていた『策』を見守るために二人が参加する舞踏会に来ていた。

 だが見せつけられたのは砂を吐くほどに甘いばかりの二人の世界だ。

 これが『策』だというのだから、本当にユージーンが考えることは恐ろしい。


 だが効果はあったようだとリリアナの目にも容易に知れた。

 これまでは冷ややかな視線、嫉妬むき出しの視線ばかりだったのに、それらは戸惑いと、諦めに変わっていた。

 婚約に関わらない年配の層は、微笑ましげな笑みすら浮かべている。


 今後どのようにして周囲を黙らせるのか話をしていたとき、ユージーンは言ったのだ。


『ただ見せつければいいんだよ。私とメイシアの仲を。互いに想いを通じ合わせた今の「恋人同士」の私達ならそれができる』


 ユージーンが言っていることはリリアナにもわかった。

 これまでは周囲の目には『親に決められた婚約者同士』にしか見えないのは当然だったのだ。

 一方が熱い視線を送っていても、一方がガチガチに緊張しそれどころではなく青ざめているばかりだったのだから。

 他人からはそれが思い合っている婚約者同士には見えなかったことだろう。


 だが思いを通じ合わせた今なら、きちんと『恋人同士』に見える。

 その姿を存分に見せつければ、もう形だけの婚約だと言われることもなくなるだろう。

 実際その目にして、その通りであったこともわかったから、今度こそ策士は策に溺れることなく、もしかしたらメイシアに関しては初めての成功を収めたのかもしれない。


 だが、単に見せつけたいだけのように見えるのも否めない。


 最近自治会にも入り、リリアナやユージーンと話すメイシアは自然な笑顔を見せるようになった。

 入学したてでありながら懸命に奔走する姿は応援したくなったし、人々の目は変わりつつあった。

 そこに、時折男の不埒な視線が混じり始めたのがユージーンは気に食わないのだ。

 幼いころからユージーンに相応しくあるようにと努力してきたメイシアなのだから、その魅力に気づいても当然と言えたが。


 あれもこれもそれも、全部この舞踏会で一気に片を付けられる上に、大義名分を盾にひたすら頬を赤らめるメイシアを堪能できるのだから、ユージーンは役得だ。

 まあ、存分にやればいいとリリアナは思う。

 こんな笑ってしまうほどに想い合う二人の姿を見守っていられるのも、リリアナにはあとわずかな時間しかないのだから。


 飲み物を片手に再び視線を中央に向ければ、相変わらず二人はぴったりとくっつきあって踊っていた。


「嬉しいけど……でもちょっと、最近言いすぎじゃない? その、か、かわいい、とか、すき、とか」


「これからは思ったことは口にすることに決めたんだよ。『言える時に言え』『言葉にしなければ伝わらない』『言わない後悔より言って後悔』このどれかを我が家の家訓にしようと思うんだけど、どれがいいと思う?」


「え、ええ……? どれと言われても……」


 引くよりも戸惑うばかりのメイシアに、ユージーンは笑みを深めた。

 もうどんなメイシアでも可愛くて仕方がないのだろう。


「メイシア。私の子兎。これだけは覚えておいて。メイシアが逃げても、身を引こうとしても、私はどこまででもおいかけるから。だってそんな姿すらかわいいと思ってしまう男だからね」


「もう、逃げない。たぶん。……きっと。努力する」


 きっぱりと言ったそのすぐ後に、だんだん気弱になり声が小さくなっていくメイシアに、ユージーンはお腹の底から笑った。


「ありがとう。期待してる」


 額に優しくキスを落とせば、メイシアは首元から額の先まで真っ赤に染めあがった。


「み、みんなが見てる!」


「関係ないよ。メイシアがかわいいのが悪い」


 ひぃぃ、とメイシアが悲鳴をあげるように身を引いたのが見え、リリアナは笑いを堪え切れなくなった。

 次の瞬間には、仰け反るようになったメイシアの背は、ユージーンにそっと抱き寄せられていた。まるで踊っていただけのように、優雅に。

 曲が終わり、会場からは拍手が鳴った。

 これまでにリリアナが聞いたことのない、温かみのある拍手だった。



 リリアナはやっと悪循環から抜け出せた二人を、心から祝福した。


 リリアナは卒業後、隣国の王太子へと嫁ぐ。

 だから少し二人のことが羨ましい。


 隣国ゆえに、婚約者に会ったのはただの一度きり。

 恋も知らぬまま、リリアナは嫁ぐのだ。


 けれど、この二人のように婚約から始まるものもあるかもしれない。

 勿論現実はそうではないことばかりだと知っている。

 それでも逃げたくなりながらも、諦めそうになりながらも、それでも前に進んでいけば、開ける道もあるのかもしれないと思った。


「私も頑張ろうーっと」


 飲み物をくいっと一口煽って、テーブルに置くと、くるりと振り返る。


「やあ、こんばんは」


 そこに声をかけられ振り向くと、記憶の中にあるよりも少し柔らかな笑みを浮かべた婚約者の姿があった。


「フェンディス様?! どうして、ここに」


「実はお忍びでこちらに来ていてね。婚約者殿にご挨拶にうかがおうと思ったら不埒な噂が飛び込んできたものだから。慌てて舞踏会に乗り込んでみたら、心配は無用なようだったけどね」


 そうしてフェンディスは中央で拍手を浴びている二人に笑って視線をやった。


「ああ、あの二人は最初から最後まで、誰にも入り込めませんので。互いの婚約者に不要な心配をかけさせまいと、彼と協力関係を結んだという話は手紙にも書いてお伝えしたかと思いますが」


「信じてはいたよ。けれど、この国に来てみたらあまりにも真に迫る噂だったものだから、少々気がかりになってね」


「嫉妬していただいたんですか?」


「勿論だよ。君ほどに美しい人はいないからね。誰が君に不埒な心をもって近づくかなどわからない」


 そんな甘い言葉を言う人だとは思っていなかった。

 あの二人の熱にやられたのかもしれない。

 思わずまじまじとその瞳を見つめてしまったリリアナに、フェンディスがうやうやしくその手を差し出した。


「リリアナ。私と一曲いかがですか」


「ええ、喜んで」


 そうして手を取り合い、リリアナは思った。


 きっと、この人とならやっていけるだろう。


 恋になるかどうかはわからない。


 だけどきっと、育んでいけるものはあるはずだ。

 彼らのように、不格好でも、遠回りでも。


 フェンディスの目がリリアナの目を覗き込んで、笑みを浮かべた。


「あなたが卒業したら、すぐに迎えに来ます。ですので、他の男は見ないでいてくださいね」


 そんな歯が浮くような言葉を信じてもいいかというほどには、リリアナもあの二人に当てられていたのかもしれない。


「ええ、勿論ですわ。殿下も余所見をしたら、木の上まで追い詰めますわよ」


「はははっ! それは何のたとえ話?」


「いいえ。とても身近な、現実の話ですわ」


 にっこりと笑ってリリアナは、フェンディスと踊り始めた。



 その後、リリアナには想い人がいるというまことしやかな噂が流れ、フェンディスは自分で自分への嫉妬に翻弄されることとなった。

 そんな日々をリリアナは、それはそれは楽しそうに過ごしていたという。


 さらに数年後。

 ユージーンとメイシアの二人は、この国で最も憧れられる夫婦となった。

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