SS:平和ナル夢ノ世界
遅刻、謝罪、するノミ。
今回、少々、我、壊れ、……
次回より、作風は普通に戻り、本編が進みます。本編進行を期待していた方、本当にすいません。
水族館をデートスポットとして選ぶ否か。
気になる異性を誘う場所として、その選択が正しいかどうか、悩んだ経験のある人は少なくないのではなかろうか。
「カップルで訪れるとその男女
は破局する」などという都市伝説がまことしやかに囁かれる、ここ日本においては、特に。
「そんな下らん噂で、俺達の愛は砕けねえぜ!」と豪語した男が、デートの申し出そのものを、告白への返答を添えて断わられ、失意の涙を流す。
恋人から、「次は一緒に水族館に行きたいね」と言われ、心中で「それ、遠回しな別れたいアピールじゃないよね!? そうだよね? そうだと言ってよマイハニー!」などと絶叫する。
そんな光景は、日本のあちこちで見られる珍しくもないものだ。
……珍しくもないものだ。
とはいえ、何事にも例外はある。
例えば、旅行先で一番の観光スポットが水族館だと言われ、お相手からそこに行きたいと告げられたならば、そこに足を運ぶのはごく自然なことだろう。
たまの休みに旅館でゴロゴロしていたいなどという希望を叶えることより、ずっと健全な流れである。
ちょうど今、とある水族館の中を、そんな若い男女が連れ合って歩いていた。
「あ、こっち見てください、薫さん! ヒトデさんがいますよ」
「リーティスはヒトデが好きなのか? 意外だな」
“顔色を悪く見せる効果がある”などとも嘯かれるブルーライトの光を浴びながら連れの少年を振り返った少女の顔は、そのマイナス効果を補って余りあるほどに正方向のベクトルに振りきれた、嬉しそうな笑みに彩られている。
その装いは、旅先のものとしては随分と気合の入ったお洒落な格好だ。小さな髪飾りからバッグの選択まで、細かなところに気を配っている様が見て取れた。
緑と白を基調にしたワンピースに、彼女の茶色の長髪が不思議と良くマッチしていた。
「うふふ、ヒトデって英語で”スターフィッシュ”なんて言うじゃないですか。大きな海の底にお星さまがいっぱいいるんですよ。素敵じゃありません? あ、でもオニヒトデさんとかは苦手かも……。ニョロニョロしてて、ちょっと怖くて」
「ああ、なるほどな。――そういえば、ヒトデは地球上の生物としては珍しい五角形の骨格を持っていてな。本当に宇宙から来た生物じゃないかとも言われていたはずだ」
「星の海から地球まではるばる旅してきたんですね。ふふっ、素敵です」
水槽の表面に額を張り付かせるほど接近させながら微笑んだリーティスに、薫が解説の言葉を続ける。
「ふむ。同じく宇宙から来たと言われる生物として、昆虫がいるな。例えば特定の種類の蠅は地球上には存在しない種類のX線を当てると――」
「カ・オ・ル・さん?」
ふと、半眼になったリーティスが、ぶすっと口を尖らせて薫の方を振り返った。
彼女にしては珍しい表情だ。それだけ、目の前の男に彼女が心を開いているという証でもある。
「海のお星さまはロマンチックですけど、不可視光線を浴びて乱舞する蠅の話に、女の子の浪漫はありません」
「――そういうものか?」
「そうです。そういうものなんです」
腰に手を当てたリーティスからお叱りの言葉を受けて、薫が頭を掻いた。
ばつが悪そうに目を逸らした薫を見て、むっと口をへの字に結んだリーティスが、薫の目線の先へと回り込む。
犬も食わないやり取りを交わす男女の隣で、ヒトデが一匹、いい加減にしろよと抗議でもするかのようにでんぐり返しをきめていた。
「もう、まったく。……まあいいです、いつものことですし」
「なあ、なんだか許された気がしないんだが」
「だって、許してませんもん」
「……」
「ふふっ、嘘ですよ、嘘。そうですね、後でアイスを一つ奢ってください。それでチャラにしてあげます」
言いつつ、パチンとウインクを一つ飛ばしたリーティス。
薫は、会って間もないころの、やたらと何事にも遠慮がちだったり嘘を吐くのが苦手だったりしたかつてのリーティスの姿を偲びながら、すっかり小悪魔に成長した自身の想い人の手をとった。
「あっ……」
そして、これだけは会った頃から変わらない恥ずかしそうな表情を見せた少女が、そっと手を握り返してきた。
「分かった。後で好きなだけ奢ってやる。食べ過ぎて太るなよ?」
「もう……そういうところが無神経だって言うんです」
「あっと、すまん。なんだか最近どうも、紅とお前の扱いが俺の中で――」
「女の子と二人でいる時は、他の女の子の話題は禁止です。これは常識だと思いますよ?」
「紅のこともか?」
「ええ、紅さんのこともです」
どうやら、この男女に水族館の呪いは効果を成さなかったようである。
二人仲良く手を繋いで歩き出した男女に向け、水槽の端まで寄ってきた鉄砲魚が、水を吹いた。
水槽にぶつかって男女の姿を曇らせた水が流れ去った時には、鉄砲魚のウォ―タ君の視界からその二人の姿は完全に消え去っていた。
ピンポン台。
本来ならまとめて「卓球台」と呼ばれるべき球技用テーブルだが、こと「温泉旅館」などに備え付けられたこれらは、不思議なことに大抵この名前で呼ばれる。
「ピンポン」の競技服として何がふさわしいかについては有識者の間で激論が交わされているが、道行く人にマイクを向けて尋ねれば100人中95人から「浴衣」という答えが返ってくるだろう。
温泉上がりで上気した体を備え付けの浴衣に包んでラケットを握り、小球を跳ね返し合う激闘を友人達と交わした後は、再び汗まみれとなった体で温泉に浸かりに行く羽目になる。
競技者に温泉づくしの無限ループを強いらせるこの競技台の存在は、温泉を心行くまで楽しんで行って欲しいという旅館側からの最高の心遣いと言えるだろう。
「あの、薫さん。あちらでピンポン台を見つけたんですけど、一緒にやりませんか?」
「おお、いいな。手加減は、どのくらいしたほうが良い?」
「……要りません。薫さんのばか」
ここに、温泉上がりの二人が新たなる無限ループへの参入者として現れた。
彼らが輪廻転生の理を抜け、解脱できるか否か、それは誰にも分からない。
「せいやっ!」
「何っ!?」
「ふふっ。一点先取ですね」
リーティスの鋭いスマッシュから放たれたピンポン玉が、がら空きの左ネットサイドの陣を抉り、薫の背後へと飛んでいった。
ガッツポーズを決めるリーティスの前で、そういえば彼女は運動音痴でもなんでもなかったのだという事実を思い出した薫。
何故だか非力な彼女が自身の腕の中でお姫様抱っこされている、というイメージが脳内にあった薫が、首を傾げる。
そのようなこと、彼女に対して一度もしたことが無い筈であるのに。
ならばここからは俺も本気でいこう、とポニーテール姿でこちらを見つめるリーティスに真剣な視線を飛ばす薫。
と、ラケットを構え直した薫の目が、二本目のサーブのために右手を大きく振りかぶったリーティスの――そのたわわな胸に目線を吸い寄せられた。
スパンッ!
「よしっ! これで二点目です! ……あれ? あの、薫さん、どうしました?」
「……何でもない」
赤くなった顔を隠そうと、球を取りに行くでもなく後ろを向いてしまった薫を見て、リーティスが不思議そうにしていた。
「……ここは?」
「あ、起きましたか? 薫さん」
目を覚ますと、リーティスに膝枕をされ、団扇で扇がれていた薫。
いつの間にやら、眼鏡も外されている。
寝ぼけ眼に映る大迫力の山脈と、その奥に見える少女の笑顔に思わず頬を染め、顔を背ける。それでも尚リーティスの腿から頭をどけないのは男の悲しき性ゆえか。
「薫さんったら、ピンポンの途中で貧血を起こして倒れちゃったんですよ? もう、あの時私がどれだけ慌てたと思ってるんですか。宿の人が到着して『ただの貧血だから大丈夫だぁ。嬢ちゃんが介抱してやりゃええ』って言ってくれるまで、気が気じゃなかったんですよ?」
「俺が、貧血? そんな馬鹿な。俺は、自分の健康状態に関しては『力』の効果で常に最善の状態を保っているはず――」
「あの、薫さん。本当に大丈夫ですか? ここは漫画やゲームの世界じゃないんですよ。その、もし”それ”が遅れてきた中二病だって言うなら私――私、それでもカオルさんを好――じゃなくてっ! えっと、その、治せるように、い、一緒に頑張りますから!」
「ああ、悪い。ちょっと寝起きでぼけてたようだ。俺は大丈夫だから、な?」
あわあわと腕を振り回し始めたリーティスを、笑って宥める薫。
そしてようやく――自身が気絶した原因に、思い至る。
――頭に血が上りすぎたんだろうな。温泉入浴後に激しく体を動かす運動をして、さらに――
今目の前にある双丘が、ラケットを振るたびに形を変えたり、浴衣の隙間からちらりと生の姿を覗かせる様を直視してしまったことによって。
何の特殊能力も持たない、ついでに妹以外の女性に全く慣れていないただの高校生であるところの薫は完全にのぼせ上り、意識を失ったのだ。
それに思い至った薫は、自身のことを恥じた。
目の前の少女は、かつて教師であった男から性的な目で見られ、あわやその手にかけられるところだったのだという。そんな、嫌な経験をしているのだ。
そんな彼女のことを「そういった」目で見ていたのではと思い、自身もその「教師」と同じ存在に成り下がったように感じたのだ。
「すまない、リーティス」
「え? 何でいきなり謝るんですか?」
理由を告げる気は無くとも、謝罪の言葉を述べずにはいられなくなった薫。
そんな彼に対し、リーティスは――
「あ、ひょっとして先ほどから私の胸をチラチラと見ていることに対してですか?」
そんな気遣いを正面から引き裂いて行った。
「え、あの、いや……」
「大丈夫ですよ。薫さん相手なら、それほど嫌じゃありませんから。あ、でもいくらでも見てもいいってわけじゃないですよ? 薫さんの目線はちゃんと私の顔に向けてもらわなくちゃ、駄目です」
クスクスと笑いながら、何でもないことのようにそう告げる。
「嫌じゃ、ないのか?」
「言ったじゃないですか。嫌じゃ、ありません。昔、いろいろあったのは事実ですけど、今の私の正直な気持ちは――そういう、ことなんです」
告げたリーティスの頬が紅に染まる。
思わずその頬に手を伸ばしかけた薫の耳に――どたどたと、何かが階段を駆け上がり、こちらに向かっているような音が届いた。
ガラリ。
「ごめん、リーティス。遅れちゃったわね」
旅館の一室、その襖を開けたアリスを、お茶をいれるべく立ち上がっていたリーティスと、座布団に座って新聞を読んでいた薫が出迎えた。
「着いたか、アリス。結果は?」
「まあ、勝ってきたわ。ねえ、それより貴方。私がいない間にリーティスに変なことをしちゃいないでしょうね?」
「そうか。本選は俺も応援しに行く。頑張れよ」
「あんたなんかに言われなくても……。あれ、そういえば……リーティスと、この男だけ? 他の皆は?」
アリスがあたりをきょろきょろと眺め回す。
「ん? あれ、もしかして……」
何かに気づいた風のアリスが、部屋の押し入れの方へと歩いていく。
ガラリ。
「あっちゃ~、見つかっちゃったわね。やっほー、皆。久しぶり~」
「ユムナ先生!? いつからそこにいたんですか!?」
押し入れ内に畳まれた敷布団の上に腰を下ろし、自分を見つけ出したアリスに対してぺろりと舌を出しながら手を振っていたのは、浴衣姿のユムナ。
リーティスとアリスの通う学校で、神学の講師をしている女性だ。
焦った風に尋ねかけるリーティスに対し、唇に指を載せて首を傾げたユムナが一言。
「ん~。強いて言うなら、最初から?」
「~~~~~!!」
薫とリーティスの偽装工作は、アリスこそ騙し通せたものの、この奇想天外な行動原理をもつ女性には通じなかったらしい。
そんな彼女の脇に、プルプルと震える、金色の毛並みの尻尾が覗いていた。
当然、ユムナの尻尾ではない。
全身隠せども、尻尾は隠れず。
ノエルも、二人のやり取りをずっと聞いていたらしい。
立ち上がったユムナの後ろで、頭上の耳を抑えたまま「聞いてませんアピール」をしているが、その仕草が何よりも二人の会話を聞いていた証であろう。
ため息を吐き、額を抑えるリーティスと薫。
彼らの肩をばしばしと叩きつつ、腹を抱えて笑い声を響かせ続けるユムナ。
何が何だか分からず、三人と一人を交互に見て首を傾げるアリス。
そんな中、薫の肩を背後から何者かがポンポンと優しく叩いた。
「……ノエル?」
「カオルお兄さんっ、夢はもう終わり。楽しかった? 嬉しかった? ――もしこの夢を本当にしたいなら――」
振り返った薫の周りの風景が歪んでいく。
唐突に真後ろに現れたノエルも、落ち着いた趣きの温泉旅館の部屋も、薫を見つめる他の少女達の姿も。
そして、いつの間にかノエルの声であってノエルの声でなくなっていた何者かの声だけが、薫の周囲に反響する。
「――を―――。そうすれば、お前達は――」
「……ここは?」
「あっ! 起きたんですね、お兄さん」
上半身を起こした俺の目に、ピクンと動く金色の「耳」が飛び込んで来た。
久々に能力を使わない普通の「熟睡」をしていたが故に、暫く頭が働かずぼんやりとしていた。
だが、体に伝わってくる断続的な揺れや目の前のノエルの顔を見て、今現在俺が置かれている状況を思い出す。
「ああ、もう見張り交代の時間か……。今までお疲れ、ノエル。ゆっくり体を休めてくれ」
寝ぼけ眼で眼前の小さな金色の頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫でる。
手にあたる狐の耳が少女の体温を伝えてきて、少しだけ目が冴えて来た。
くすぐったそうに目を細めるノエルの頭から手を離してから、先ほどまで横になっていた布団を片付け出す。
ノエルにおやすみなさいの挨拶を告げ、船室の扉を押し開けて甲板に出る。
たちまち、船の動力たるスクリューの唸り声や、湖面に立つ波の音が耳まで届いてきた。
水上の湿った夜風が正面からやって来て一瞬目を瞑らされる。
目を開くと、船上とその周囲の光景が飛び込んで来た。
空高く上がった巨大な月が明るく周囲を照らしており、時折湖面に生じる波紋の一つまでをも浮かび上がらせていた。
月明かりの下、こちらに背を向けて木椅子を揺らしていた一人の女性の姿を俺の目が捉える。
俺がやってきたことに気づいたのだろう。キイキイと甲板上で揺れていた木椅子から、その女が立ち上がった。
「あ、ようやく来たわね~。もう、貴方が来ないとあたしが寝られないんだから、もうちょっと早く出て来なさいな」
ザザン、ザザン。
波の音が響く中、月明かりを背に負ったユムナが、コン、コン、と靴音響かせ、木製の甲板上を歩いてきた。
先ほどまで、ノエルと一緒に水棲魔獣や海賊の襲撃が無いかを見張っていた彼女に、詫びの言葉を告げる。
「ああ、すまない。遅れたみたいだな」
「言葉だけで謝られてもね~。態度で示しなさいな」
「お前にはこの前、心ばかりの贈り物をしただろう」
「あのね。”心ばかりの”贈り物も、そんなに恩着せがましく言われちゃ、ありがたみも半減よ。――まあ、あれは気に入っているけど」
振り返ったユムナが見たのは、先ほどまでユムナが座っていた、”二人掛けの”木椅子。
ユムナのあらゆる趣味を聞き出し、それらのデータを集計、リクエストされた『二人掛けの椅子』の内、もっとも彼女の気に入りそうな品を選んだのだ。
何故『二人掛け』の、それも持ち運びのしにくい『椅子』なぞを選んだのかは分からなかったが。
船旅が終わった後は、彼女の実家に高い金をかけて郵送させると聞いている。 無駄が多すぎる気がするのだが、それでいいのだろうか?
「ま、いいわ。ねえ、カオル。ちょっとあたしにつきあいなさい」
そう言って、再び先に座っていた椅子の方へと戻っていくユムナ。
着席し、隣の席をバンバンと叩く。そこに座れという事だろう。
促されるまま、ユムナの隣に並んで座る。
ユムナの望みはそこまでのようで、特にそこから何かロマンティックな話をしろだとかの無茶ぶりが飛んでくることは無かった。
正面を向いて静かにしているユムナに倣って俺も椅子に深く腰掛け、舳先を向いた。
船の進行方向に見える景色が俺の目に飛び込んでくる。
――今日は、星が綺麗だな。
湖面に反射している分も含め、360°夜空に囲まれているように思える今、余計に星々の瞬きを強く意識させられる。
「なあ、ユムナ。寝なくていいのか? 疲れているだろう?」
「……こういう時だけ無駄に気を効かせるのはやめて欲しいわね。いいじゃない、あたしの椅子なんだから、あたしの好きに使っていいでしょ?」
……?
駄目だ、やはり俺には女の気持ちというものが分からないのだろうか。
「ねえ、カオル」
「何だ? ユムナ」
「ふふっ、何でもないわ」
――???
それからしばし、俺とユムナは、言葉を交わすことなく、満点の星空を見上げ続けていた。
しばらくすると、すぐ横からすうすうと寝息らしきものが聞こえてきた。
どうやら、疲労が限界まで達し、睡魔に抗いきれなくなったらしい。
――しょうがない奴だ。
無防備に眠りこける女性を肩に担ぎ、船室まで運び入れることにする。
ユムナの体温を肩に感じながら、思う。
こいつが、――こいつらがこれだけ俺のことを信頼してくれているから、俺は夜もゆっくり眠ることができる。
船室の扉を持ち上げ、ユムナを至近の布団に放りながら、思う。
俺が平和な夢を見ることができるのは――、お前達のおかげだ。
――待てよ、
平和な、夢?
ふと、何かが引っかかった。




