第七十八話:<金髪少女に狂った男:結>
長かった……。遅刻すいません。今回で本当に"彼"の物語は終わりです。どうぞ、最後まで読んでいただければ幸いです。
声が、出ない。
息が、詰まる。
手が、震える。
モリガンの脳は完全に活動を休止し、四肢はおろか、顔の表情筋一本に対してすら何の指令も出せぬ有様であった。
指一本動かせぬまま、目の前に現れた少女に視線が釘づけになる。
入室してきた客に対して、挨拶はおろか着席を促す言葉さえかけずに呆けている部屋の主に、立ち尽くしていた金髪の娘がしびれを切らした。
ふん、と鼻を鳴らし、ドレスのスカートをばさりと舞わせながら一騎当千の力を持つ彼女の護衛の前まで歩いて行った。絹のようにきめ細かな金髪が彼女の後ろに流れ、窓から射す太陽の光を反射し、きらきらと輝きを見せた。
護衛の少女が眼前の椅子を恭しく引き、金髪の娘に着席を促す。
「ふふっ。ありがと、ベニ様」
「ドウイタシマシテ。アタシ ガ イルンダ。アンシン シテ イッテコイ、アリス」
たどたどしい口調ながらも、にこりと嫌みのない笑顔を金髪の娘に向ける黒髪の少女。
目を合わせて、彼女と笑みを交わし合った娘――アリスは、その表情に籠る感情を180°真逆のものへと変え、目の前の男を睨み付けた。
放心していたモリガンだったが、少女の、視線で怨敵を射殺さんとでもいうような強烈な眼光を浴びて、はっと意識を取り戻す。
「これは失礼。アリスさんと言いましたか? 少し聞きたいのですが、貴方の親族に――」
「煩い。黙ってちょうだい」
モリガンの問いかけの言葉を、頬杖をついたアリスが机を叩き鳴らしてぴしゃりと跳ね除ける。
自分より遥か年下の少女に口を噤まされたモリガンはしかし、怒りや苛立ちを覚えるより前に、目の前の少女から放たれるえもいわれぬプレッシャーに気圧され、腰を引いた。
この町で二番目に高級とされ、立地、内装、窓から眺望できる景観が抜群である宿の一室。
モリガンの私物、秘書官、護衛達が存在するその空間を、その場にいる誰よりも幼いであろう一人の少女が完全に掌握し、支配していた。
支配者たる少女の背後で、その護衛の娘がくつくつと笑い声を漏らす。
だが、誰もその娘の無礼な態度を咎めることは敵わなかった。
主ともども押し黙った従者たち全員の耳に届く明朗とした声が、アリスの口から放たれる。
「私は、貴方の話を聞きに来たわけじゃないの。最初に言ったわよね、パシルノ男爵。今日は、貴方に私の話を聞いて貰いに来た、ってね」
さらさらと流れる金髪の髪を片手で梳きながら、挑発的な目線を飛ばすアリス。
モリガンの喉がコクリと鳴った。
それを見て嫌そうに顔を顰めたアリスが髪にやっていた手を下ろして口を開く。
「ガーリス盗賊団。この名前に聞き覚えは有るかしら?」
モリガンの目が大きく見開かれる。
そして、いつになく活性化した彼の脳が、目の前の少女の正体、今日この場に来た目的、そして少女の目に宿る憤怒の感情の理由が何であるのかを導き出した。
思わず椅子を蹴倒し、机上に身を乗り出す。
そのまま驚きの感情を口から言葉として漏らしそうにそうになったが、未だ回復しきっていない彼の喉が何かを紡ぐことは無い。
意味も無く口をパクパクと開閉し、息を漏らすのみだ。
モリガンの挙動に反応して護衛の少女が素早く懐に手をやったが、害意がないことを見て取り、引き抜いた腕を、胸の前で組み直した。
「その反応……知っているみたいね。そうよ、私がその盗賊団に拐かされた貴族の娘。さて、申し開きはあるのかしら? 信義則に反した、領主としての立場と権力の濫用。そして、間接的にとはいえ侯爵家の娘を略取誘拐したっていう事実。明るみに出たら、貴方の貴族としての生命は終わるんじゃないかしらね」
冷たい目線と共に投げかけられた言葉に、モリガンは沈黙で返すことしかできなかった。
今、彼の目の前にいる少女が、彼にとっての死神であること。
それを心の底から理解し、それでも尚、動くことができなかった。
「まあ、そのあたりの対応はお父様がやってくれるでしょうから、別にいいの。それより、私が今日ここに来た理由を言わせてもらってもいいかしら」
言いながら、アリスが席を立つ。
机の上に醜く出っ張った腹を載せたままのモリガンが見上げる顔に、小さな少女の影が落ちる。
「一発殴らせなさい」
次の瞬間、
腰元から引き抜いた儀礼用短剣を介して「剣士」の力を引き出したアリスが、
腰だめで思い切り固めたこぶしを構え、
紅直伝の正拳付きを目の前の男の顎に、全力でぶち込んだ。
「だ、男爵様ーっ! ちくしょう、お前達! 奴らをひっとらえろ! 話は良く分からんが、あいつらを口封じすれば解決するんだろ!?」
『――なるほど。馬鹿っぽい外見の割に勘が良いな。でも、駄目だぜ。てめえらの相手は――あたしらだ』
にわかに騒ぎ立った室内の狂乱の有様を、少女の拳で吹き飛ばされたモリガンは頭の隅で感じ取った。
薄れゆく意識の中で、自身の瞳に涙が宿ったのを覚える。
視界の端に映る先ほど自分を全力で殴打した金髪少女の姿がぼやけ――彼の良く知る別の金髪女性の姿に取って代わった。
その姿を呆けた表情で眺めるモリガンの頭の中で、何かがカチリと嵌った音がする。
――ああ、そうか。そうだったんだ。
モリガンの脳裏に、走馬灯のごとくかつての記憶が蘇ってきた。
幼い彼が過ごした日々、そして常にその傍らにいた、一人の金髪少女の姿が、鮮明に。
記憶の中の少女が、幼きモリガンに向けて、優しく微笑んだ。
――私は――僕は、……君が、欲しかったんだ。
モリガンの心を支配していた「誰かから認めてもらいたい」という強い欲求。
それは、「誰からでも良い」訳では無かったのである。
貴族の伴侶として理想的な女であった彼の妻や、
王都で交友を結んだ他の貴族達、
彼らから認められても、彼の心は決して満たされることはなかった。
「男爵の地位に釣り合わない娘を娶る」ことを表明することで彼の評価が下がり、それをもって”彼女”に嫌われることを恐れたモリガン。
「身分の低い孤児たちに施しを与えることで優越感に浸る」ような自分を”彼女”は嫌うのではないかと疑心に駆られたモリガン。
虚栄心から見当違いな強迫観念に溺れていたモリガンがずっと望んでいたのは、ただ一つ。
“彼女”に――ラターシャという一人の少女に、認めてもらうこと。
自身の下から彼女が去った後、孤児院を潰し、中央で成り上がることを志し、必死に「誰かから認めてもらう」ことを欲していたモリガンだったが、その願いはそもそも叶うはずが無いものだったのだ。
本当に認めて欲しい人間が誰であるのか、それすら見失っていたような人間が満足を得ることなど、できようはずもない。
――ラター……シャ。僕は、僕は、君のことが、好きだ! ずっと好きだったんだ!
幻影の少女に向け、必死に手を伸ばすモリガン。
――大好きなんだ! 君以外に、僕の隣にいて欲しい人間なんていない! 君さえいれば、僕はそれで満足だったんだ!
少女の姿が遠ざかる。
――行かないでよ! 僕を一人にしないで! 僕を残念な男のまま放っておかないで! お願いだから僕を、僕のことを!
愛してくれ――
あるところに、一人の気弱な男の子がおりました。
何を成すにも人並み以下。
そのくせ、自分の失敗を認めず、口から出るのは言い訳ばかり。
自分は他の人に負けてなんかいないんだぞ、とそう言い張っておりました。
そんな男の子の下に、一人の女の子がやってきました。
麗しい金髪を持った彼女は、そんな男の子の態度が気に入らず、顔を合わせれば喧嘩ばかり。
喧嘩となれば大抵は男の子が打ち負かされ、泣き喚く男の子を尻目に女の子が去ってゆくのです。
あまりに負けてばかりで悔しくなった男の子は、女の子の弱味を握るためにこっそり後をつけまわし始めました。
女の子の方は、それに気づいておりましたけれど、特に何も言いません。その男の子に、大した興味を持っておりませんでしたから。
そんなある日、男の子は膝を抱えて泣いている女の子を目撃します。
男の子がその女の子の涙を見るのは、初めてのことでした。
しめた、すわ何か弱味でもあるのではなどと狡いことを考えるより前に、慌てて女の子の前に飛び出します。
男の子が事情を聞くと、何やら重たい話が女の子の口から語られ始めました。
とある侯爵家の血筋を引く彼女の母が、他国の貴族と姦通した挙句、娘たる女の子達を置いて、家を出て行ってしまったというのです。
幼い男の子は、話の内容を十分には理解できませんでした。
けれども、女の子がもう二度と母親と会うことができなくなったことと、それでこれほどに悲しそうな表情で泣いているのだという事は分かりました。
男の子がハンカチを差し出しますけれど、女の子の涙が涸れる気配はありません。
女の子が泣くのをどうしても止めたくなった男の子は、ポケットから箱のような形をした一つのおもちゃを取り出しました。
怪訝そうな目でそれを見た彼女の前で、その箱が音を上げて破裂します。
中に詰まっていた色とりどりの花が正面にいた女の子の全身に降りかかりました。
たまらず悲鳴を上げてひっくり返る女の子の前で、男の子がケタケタと笑い声を上げました。
ふざけたことをしてくれた男の子を、常のように締め上げ始めた女の子。
けれど、男の子の顔が未だ笑みを形作っていることに気づいて、その手を緩めます。
「そんな花まみれで、おまけにびいびい泣いていちゃあ、ラターシャの怖さも半減だね。いつもみたいに僕を負かしたかったら、涙を拭いてから来なよ」
一瞬呆けてしまった女の子の体をひっくり返した男の子が、女の子の脇を思い切りくすぐりはじめました。
たまらず足をばたつかせ、男の子を押しのけようとプルプル震える腕を伸ばしながら笑い声をあげる女の子。
でも、男の子は女の子の体をがっしりと組み伏せ、逃げることを許しません。
結局女の子は、笑い疲れて動けなくなるまで、男の子に体をくすぐられ続けました。
それが、男の子が初めて女の子に「勝利した」日です。
男の子のお腹の下でぜいぜいと息を吐く女の子の目には、悲しい涙など一滴も残っていませんでした。
貴族としての格が落ち、男爵の父の娘としての価値しか持たなくなった女の子は、男爵家の次男だった男の子との婚約話を親から持ち掛けられました。
以前ほど男の子のことが嫌いでなくなっていた彼女は、その話を受けることにします。
結婚するかどうかはひとまず置いておいて、これで明日から楽しくなりそうだと、淡い期待に口の端を丸くし、笑みを浮かべながら。
その後、二人がどうなったか、それをわたしたちは知りません。
けれど、お互いのことを憎からず思っていた二人です。
きっと、ずっと二人で幸せに暮らしたのではないでしょうか。
パチパチパチパチパチパチパチパチ。
そう広くない街路の端で、道行く人々が思わず振り返る程度に大きな拍手の音が響く。
幼い男女の馴れ初めを描いた人気の「影絵劇」が終わり、見事な人形繰りと影のアートを披露した操人形士たちへのおひねりが宙を舞った。
「見て、リーティス。あれ、『影絵劇』じゃないかしら。へえ、こんな街中でもやっているものなのね」
「リーティス。 カゲエゲキ ッテ ナニ?」
「ああ、ベニさんは知りませんよね。最近になって流行りだした特殊な演劇です。昔は、私のような孤児達のいる孤児院だとかに良く劇団員達が来て、演目を披露してくれたものです。甘酸っぱーい少年少女の話だとか、子供達の小冒険譚だとか、色々な劇を見せてくれたのを覚えてます」
「なんでも最初の『影絵劇』の劇団設立メンバーは、どこかの領の孤児達だったんだってさー。いやあ、凄いよねえ。今じゃ、年商いくらよ。たっぷり稼いでるんだろーねー。私もおこぼれにあずかりたいなー」
「ユーノ、下品ですよ。ね、せっかくですから、ちょっと見ていきませんか? もう一演目やるみたいですし」
姦しく騒ぐ少女達が、劇団員を取り囲む観客たちの輪に加わる。
「さあ、皆様! 本日最後の演目にございます! ご存知の方もおられるでしょう! この『影絵劇』の初演目にして、我ら劇団員の誇る最高の演目! その名も、『魔法使いの男』!」
観客たちの視線を一身に集めながら、劇団員の男が仰々しい口調で演目の開始を告げ、拍手を浴びながら影の映し出される幕裏へと姿を消した。
「うふふ、ベニさん、『随分と普通の、ひねりの無い題名だな』、なんて思ってませんか?」
『え? あ、ああ』
「あの演目、題名詐欺も良い所なのよね。主人公の男は一切魔法を使えないの」
「ま、演目に出て来る魔法装置だとかは男が作ってるって設定だから一応ギリギリ嘘じゃないんじゃない? や、それでもやっぱり――」
「何言ってるんですか、アリス、ユーノ。あれは題名詐欺なんかじゃあありませんよ」
「「え?」」
騒ぎ続ける少女達の目の前で、劇が始まった。
幕に映し出されたのは、特にこれといった特徴のない男の姿を模した、小さな影。
彼こそがこの作品の主人公。「魔法使いの男」だ。
他の登場人物たちの頼みを親身になって聞き、その願いを叶えようと奮闘する男。
成功を収めては得意げに胸を張り、時に盛大な失敗をやらかしては盛大に落ち込むような男だが、妙な愛嬌の良さもあって、どこか憎めない。
彼がその手で作り出したという設定の「魔法道具」は、現実にはあり得ないような成果をもたらし、劇中で涙する者達を笑顔に変えていく。
他の人気演目が増えてきて尚『影絵劇』とあらば必ず催される演目というだけあって、その人気は決して低くない。
「あの『魔法使い』さんは、皆に『魔法』をかけているじゃないですか。人を笑顔にする魔法を」
物語は終盤を迎え、名残を惜しむ子供達に背を向け、『魔法使いの男』が去っていく。
別れの理由も告げずに去って行った男だったが、子供達はその別れに対する悲しみの涙をくっと抑える。
自分たちが悲しんでいては、せっかく『魔法使いの男』に貰った笑顔を消してしまうことになると、そう考えて。
子供達は信じ続ける。
いつの日か再び、自分たちの知る『魔法使いの男』が帰って来てくれることを。
そして再び――一緒に、いられるようになる、と。
子供達はそして、今度は自分たちが『魔法使い』になろうと決意するのだ。
それがきっと、『男』と再会できる可能性が最も高い道だと、そう考えて。
演目が終わり、再度の拍手と、おひねりの嵐が吹き荒れる。
「お金、入れてきたわよ、リーティス。それにしても、何でこの演目はこんな終わり方なんでしょうね? 男と子供達――何で、一緒にいられないのかしら」
「さあ、どうしてだろーね?」
『……』
「あれ、どうしました、ベニさん? 急に立ち止まったりして」
『きっと、会えるよな……』
「「「?」」」
『あんなに強く、帰りを待ってくれてる。それだけ愛してくれている奴らがいるんだ。そんな奴が、戻ってこれないはずないよな……』
(あの、ベニさん?)
『おっと、何でもねえよ。さあ、やることやったんだ。侯爵様から手紙が届くまでは完全自由時間なんだろ? 人生の時間は有限だ。楽しめる時に楽しまなくっちゃな。ほら行こうぜ、皆!』




