第六十一話:生き物は皆、自然と離れては生きていけないんだ。だから、自然は大切にして欲しい<戦いは終わり……>
side:???
――雨が、うっとうしいな……。
前髪が、額にぺちゃりと張り付く不快な感触がある。
ザーザーと音を立て、振り続ける雨。
植物の生育に必須な恵みの雨ではあるけれど、今は、肌の上を流れて僕の体力を奪っていく、ただの冷水だ。
足元の地面も、雨のせいで少々歩きづらくなっている。
一歩ごとに、びちゃ、びちゃと泥が跳ね、僕の足を汚してくるんだ。
――まったく、あの冒険者たちはどれだけ土を掘り返せば気が済むんだ。
先ほどの戦いの最中、後衛の土魔法使い達が地面を好き勝手にいじくった結果がこれだ。
転げまわる竜の体を避けるための即席の塹壕に、深く突撃しすぎた冒険者を弾き飛ばしていた緊急脱出用の土の塔。
指揮官の女性が扱っていた土魔法の名残が、僕の目の前で今、ゆっくりと雨を吸い込んでいた。
生物として自分達の命が大切なのは分かるけど、それを守るためにこうも自然を滅茶苦茶にされるのは不快だよ。
つい昨日まで木々の緑溢れる憩いの場だった森は、竜と精霊、冒険者達の格闘場となった挙句、へし折られた木々の残骸の並ぶ殺風景な地になってしまっていた。
首を巡らせ。滅茶苦茶な姿になった周囲の光景を見回す。
――植物もそうだけど、動物たちの暮らす環境としてすら失格だね、これだと。
はあ、と小さくため息を吐く。
頭を覆ったフードを取り、長い耳を外気に晒して、魔力の流れを感知する。
ちょうど近くにある、中折れした木の地下に、魔力の流れが集まっているらしいことを知覚し、その木の表面に手を伸ばした。
ごわごわとした幹の表面が、水にふやけた独特の感触を伝えて来る。
――ごめんね。木々たち。本来であれば、僕たちは君たちを守る立場だって言うのに。今は、こうしてあげることぐらいしかできないんだ。
腕を伝わせて、木の骸の中に、魔力を注ぎ込んだ。
木の魔力と、僕の魔力が混じりあった感触がある。それを示すかのように、僕の腕がどんどん木の中に沈み込んでいった。
植物の体に残った魔力を、一粒の小さな塊に凝縮する。
木の表面に潜り込ませた手を引き抜くと、その手の中には、緑色の小さな塊が握られていた。
――さあ、広がって。僕の“魔法”。この地に、10年後の豊かな緑を約束してやっておくれ。
手の中の塊を地面に落とし、その地点の手前に跪いて手を地につけ、魔力を注ぐ。
その地点から地を伝ってゆっくりと広がっていく緑色の魔法の波動。
――これで、良しと。
緑の民としての義務を果たし終え、今度は僕自身の義務を果たしに行くことにする。
既に、要注意対象の一人がこちらに近づいてきていることは感知している。
――光魔法を起動。
自分の姿を周囲に溶け込ませて、こちらに向かっている“彼女”達を待つ。
びちゃ、びちゃと泥を踏み分ける音を鳴らしながら、目的の女たちが姿を現した。
「まるで冗談のような光景だったね。雷を操る魔法なんて、私も聞いたことがないぞ」
「あたしも聞いたことないんだけど……。何やったのよ~、カオルの奴」
「まあまあ、早く片付いたんだから、いいじゃないですか。全員無事ですよ、全員無事! 今でも信じりゃれないですよ、こんな奇跡的な戦果!」
――神の、下僕め。
銀髪の土魔法使いにおぶわれた碧髪人間の姿を確認し、憤怒の気持ちが沸き上がる。
竜を、そして“我ら”を自らの勝手な都合で滅亡の危機に追いやったこの世界の“神”達。
そして、心を通わせた竜達をも裏切り、その“神”の忠実な下僕となることで繁栄を掴んだ人間という種族。
そんな奴らを象徴するような存在が、目の前に、いるのだ。
腸煮えくり返るなんて表現じゃ、今の気持ちを示すには足りない。
飛び出して行って攻撃を仕掛けたくなる気持ちを、必死に抑える。
「ふざけんなああああああ!! 俺の! 戦いの時間ッ! もうなのかよッ! もう終わりなのかよおおおおぉおお!?」
「おい、いい加減落ち着けや兄ちゃん。せっかく、あんな化けもん相手に死者0人って奇跡的な勝利を掴めたんだぜ? 素直に喜んどけよ」
「あー、無理無理。そいつ、生まれつきのぶっこわれ野郎だから。生まれ育った場所に居づらくなって冒険者になったってタイプの典型みたいな奴よ。あたしはそいつが他の奴らを巻き込ま無いうちに戦いが終わってほっとしてるわ」
随分と、喧しい人達だ。
女達を見送った後も、ぞろぞろと人の群れが続いて流れてくる。
さっきの女性以外にもう一人、探さないといけない人がいるんだけど、どこにいるのだろう?
「よう、坊主。見てたぜ、お前の戦いっぷり。根性あるじゃねーか。どうだ、そっちの嬢ちゃんと一緒に俺達のパーティーに来ねえか?」
「ありがとうございます。でも、僕たちはまだまだ未熟者ですし……。僕たちは、その日暮らしとかじゃなくて、僕たちなりの目的があってこの道を選んだんです。その目的を達成させられるまでは、二人だけで頑張ろうかと」
「そうそう。さっきの戦いでも、アシュリーさんの助けがなければ二回は死んでたわよ、そいつ。未熟者も未熟者よね、ホント」
「う、うるさいな。それはお前だってそうじゃないか」
「あたしは魔法使い、あんたは剣士。そもそも役割が違ーう。だいたい、本来ならあんたがあたしを守って然るべきでしょーが」
「うぐっ……」
「うははは! 仲良いな、てめえら! おうよ、俺らだって馬に蹴られて死ぬような野暮な真似はしたくねえ、二人仲良く頑張んな!」
――この人達じゃない……あの人間は、どこにいるんだ?
この近辺の魔力の流れは完全に把握している。この人の群れ以外の何処かに人間が居るということは有り得ないはずだけど……。
「――だからね、隊ちょ――えっとカオル? いや違っ!」
「落ち着け。無理に口調をどちらかに統一しようとしているから混乱しているんだろう。話したいように話せばいいさ」
――いた! たぶんあの男だ!
思わず唾を飲み込んだ喉が、コクリと鳴る
とうとう、見つけた。
「我々の希望」の、その兄。
場合によっては、我々の一番の敵になるやもしれない人物――!
手を握りしめると、ぬめっとした感触が伝わってきた。雨によるものだけじゃないだろうな、これ。
「うぅ、ごめんなさい――ん?」
突然、要注意対象の隣にいた金髪の少女がこちらを振り向いた。
拙いっ! ひょっとして、気づかれた!?
獣人の魔力感知能力程度で気づかれはしないだろうと、侮り過ぎていたか!?
くっ! できればこんな場所で戦いたくは無いんだけれど……。
「どうした、ノエル? ひょっとして、魔力感知で何か妙な気配でも捉えたのか?」
「あ、ううん、気のせいだと思う。さっき竜が倒れた後も、何か変な魔力の流れを感じたし、森の魔力が不安定になってるのかも」
「そうなのか? まあ、ならさっさと行こう。何時までも雨の中進んでいたら、風邪をひいてしまう」
――ふう、良かった。まったく、焦らせないで欲しい。
二人の足音が遠ざかっていく。
思わず地面にへたり込みそうになったところで、下が泥だらけであることに気づいて停止する。
――まあ、これであの二人の顔は覚えたぞ。
汗と一緒に雨に濡れた前髪を腕でよけながら、先ほど見た男女の顔を反芻し、忘れないよう記憶する。
あの獣人少女が去ったら、すぐに複写魔法を使って記録しておくことにしよう。
――これで、僕の今回の任務は終了か。せっかく長い時間をかけて竜の因子を根づかせてきた魔怪鳥を事故で失ったのは僕らにとって大きな痛手だったけど、これで±0に……ならないよねえ、やっぱり。
雨の降り続ける森の中、木に背を預けた一人の長耳の青年が、ままならない現実の辛さに直面して、ぼやき声を漏らした。




