第九十九話:悩み事こそあれ、今日は平和な一日だ 毎日がずっとこうであれば良いのにな<薫にとってのモノづくり>
遅刻すいません! ギリっギリでした。
side:ノエル
「……均質な薬莢の作成は無理だからと”火薬+鉛玉”の原始的構造にしたのがまずかったか? 土魔法で生成した火薬にはどうしても品質にばらつきが出る……。ライフリングもそれに見合った形で刻まないと……」
「カオル~? 何時まで紙とにらめっこしていれば気が済むのよ。もう夕飯の時間よ?」
「ああ、悪い。俺もすぐ下に降りる。先に行っていてくれ」
机上の図面に向かってキリリと真剣な表情でペンをカリカリと動かしていたカオルお兄さん。
ユムナさんの呼びかけでようやく顔を上げたかと思ったら、またすぐに目線を下ろして目の前の作業に没頭し始めちゃった。細かく先の引かれた白の図面上に、さらにこれでもかぁ、これでもかぁ! と言わんばかりに何本も線を重ねている。
口に出した言葉とは反対に、すぐに席を立つ気はないみたい。
「あ~あ。もうこんな奴放って食堂に行きましょ、ノエルちゃん、ランちゃん。」
「え? あ、了解、です……?」
ユムナさんがやれやれと肩を竦めてカオルさんに背を向け、部屋を退室してきた。
そのまま歩き去ろうとするユムナさんの後についてランちゃんが歩き出す。
けど、私はまだカオルお兄さんがやっている作業が気になっていた。だからそっちにはついて行ないで、代わりに閉じかけたドアの影からちょこんと顔を出す。
ランちゃんが私に声をかけたそうにしていたから、”もうちょっとここにいたい、ごめんね”って目線だけで伝えて、すぐに室内に視線を戻した。
――うーん、そんなに面白いのかなあ?
家具も調度も最低限な、そんなに広くない宿の一室の隅に、ポツンと置かれた小さな木机。
その前に座っているのは、眼鏡の奥の瞳に真剣な輝きを宿したカオルお兄さん。
今のお兄さんの目は、強くなるために早朝から自己鍛錬に励む、若くて活動的な兵士達のそれに良く似ている気がした。
目的達成のための努力・鍛錬に打ち込んで、熱中している人の目。そんな風に感じる。
あのおっきな”竜モドキ”との対決以来、偶にあんな表情をしているお兄さんだけど、その時お兄さんの視線の先にあるのは今みたいな白紙だったり、鉱物図鑑だったり、またある時は宿の窓の外まで伸びた風に揺れる木の枝だったり。
やっていることは何か新しいものを作ろうって試みなんだろうけど、農作物を作っている農民さんだとか、木彫りの置物を作るのを生業にした職人さんだとか、そういった”モノづくり”をする人の目とはちょっと違うんだよね。
お兄さんが、あの凄い立派な”舟”の設計をしていた時に、少しだけ思ったことがある。
お兄さんは色々なものを作ろうとしているけど、たぶん作ることそれ自体が目的になってないんじゃないかなって。ものを作るのは重要だと思ってるけど、あくまで他の目的を達成するための手段だと思ってるんじゃないかって。
じゃあ、その「他の目的」って何だろう?
前にちらっとだけ教えてもらった、私達の目的地に着く前にユムナさんと一緒にどこかに”呼ばれる”可能性。
それと、何か関係あるのかな?
「ノエル?」
「はわわっ!?」
わわっ!? もう、いきなり話しかけてこないでよぉ。びっくりしちゃった。
「おっと、すまん。脅かすつもりじゃなかったんだ。……しかし、どうしたんだ? ノエル? もうユムナ達は下に行ってるんじゃないか?」
慌てた風に両手を顔の横にやって眼鏡をかけ直すカオルお兄さん。
考え事を強制中断させられて頭が真っ白になり、何となく返答ができずにいた私の前で部屋の扉を閉め、階段の方を見やった。
「……行ってしまったみたいだな。悪いな、ノエル。俺と何か話したいことでもあったんじゃないのか? 気づかずに放置してしまってすまない」
申し訳なさそうにしながらも、ちゃんと笑顔を向けて来るお兄さん。
――最近女の子の扱い方が少しずつ上手くなってきた気がするんだけど、離れ離れになっているっていう恋人さんのいない所で他の女の子を引っかけたりしないか、ちょっとだけ心配だよぉ。
「まあ、ひとまずは下に行こうか。話は後で聞いて――ああ、そういえばノエル、お前の冒険者としての”初仕事”……変なものを選んでしまって本当にすまない」
「いえっ! むしろ初心者の私のために色々と気遣ってくれてありがとうございます。ちゃんとした”結晶ハンター”の仕事を始める前に、普通の冒険者としての経験もいっぱい積めたらいいなって思ってたけど、こんな風に頼れる冒険者の先輩達と一緒に冒険できるなんて思ってませんでしたっ!」
お兄さんの言う通り、今回の”仕事”は私達が町を出る明後日までに終わらせられないんじゃないかなって、私もちょっとだけ思い始めている。
――でもっ! あの古都の地で”大失敗”から始まった私の冒険者としての人生だもん。今更、失敗の一つ二つくらいでいじけたりはしないよぉ!
「そうか。……俺もユムナも冒険者になって一ヶ月も経っていないんだが、そう言って貰えると、嬉しいものだな――っと、どうやらユムナがお怒りのようだ。俺の分の鶏肉を生贄として差し出して、宥めさせてもらうとするか」
階段を降りてすぐ、そこに見えるのがこの宿の酒場件食堂。
注文受けの女の人がパタパタと忙しなく走り回り、工場帰りのおじさんたちが、笑い声を上げながら歓談に勤しみ、料理を口に運んでいる。
バーカウンターとは別に六つ並んだ四角の木机の一つに、私達を待つ三人の姿があった。
頬杖をついて不機嫌そうに唇を尖らせたユムナさんを、隣に席に着いたランちゃん、リュウ君が宥めている。ラナさんは治療院にいるから、これで全員揃ったかな。
「お~そ~い~! あと数秒遅れてたら、ランちゃんたちの静止を振りきって料理に手をつけるところだったわよ~?」
「すまん。責任を取ってここにいる皆に、食後の果実水を奢ろう」
「ん? じゃあじゃあ、果実酒でも良い~? 実はあたし、この50年物の赤ワインに興味があるんだけど――」
「明日も任務……じゃなかった、依頼の続きがあるんだ。酒は控えろ」
「ケチ~。アルコールはね、普段気苦労の多い大人が、それを味わう時だけは嫌なことを忘れられるっていう至高の嗜好品で――」
「自分が大人というのなら、分別をつけろ。だいたいお前は相当酒に弱い体質だろうが」
席に着いたカオルさんが、ユムナさんと息の合ったやり取りを繰り広げる。
ユムナさんの機嫌は少しづつ回復してきたみたいかな?
「あの、ノエル、さんも、席に……」
「ノエル姉ちゃん、ほら、席についてくれよ。俺、稽古でクタクタでさ。早く飯食いてえんだよ」
「あっ! ごめん! 今座るからっ!」
二人に急かされて、私も席に着く。
それを合図に、カオルさんが「じゃあ、食べようか」と切り出し、私も含めた皆が頷いた。
正直、私ももうお腹ペコペコだよぉ。
神への祈りを捧げ始めたユムナお姉さん。
それに倣って一緒に手を組み、目を瞑ったランちゃん。
手を合わせて『いただきます』といつもの食前の挨拶を告げたカオルお兄さん。
真っ先に食卓の中心に並べられたパンに手を伸ばして掴み取り、頭から豪快にかぶりついたリュウ君。
私はというと、メインの焼き魚の皿に目線を吸い寄せられかけたんだけど、まずは野菜の取り皿に手を伸ばすことにする。
そうして始まるはずだった平和な食事の時間。
「ああ、ここにいた! 皆さん! いました! “鱗持ち”! 今すぐ僕について来てください!」
それは、突然の闖入者の出現で、妨げられることになった。




