第九十三話:『人生はクロースアップでは悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』 ……ロングショットで見られる日は遠いんですけどね<竜の仔のお菓子>
遅れ、ました! すいません
竜崎紅の日常が崩壊した日。
その日は、何の前触れもなくやってきた。
それは、小学校を出た紅が、常のように友人達と別れの挨拶を交わし、帰路に着いた時のこと。
彼女は、一人の女性に呼び止められた。
赤いランドセルを揺らす紅を呼び止めた、ラフスタイルの女性。
その女性に対する紅の最初の印象は、”凄く綺麗な人”だった。
テレビ画面の向こうで高級な着物に身を包んで微笑んでいそうな、日本的で艶やかな”美”を感じさせたのだ。
優しげな笑顔で紅に語り掛けてきた美女は、自身を薫の”仲間”だと名乗った。
紅はそれまでに幾度か、兄の所属するASPの者達と会ったことがある。
自身の成績や兄の衣類を人質に取って粘り強く兄と交渉を重ねた成果だ。
薫は、妹の強硬な姿勢を前に眼鏡を抑えてため息を吐き、渋々と紹介を約束したのだ。
薫自身の口からASPという組織が如何なる存在なのか、普段薫はどこへ出かけているのかといった事項を聞き出せなかった紅は、その矛先を薫の同輩へと変更し、そこから兄の情報を引き出そうとしていたのである。
結果としていうと、紅の求める情報を漏らしてしまうような間抜けは、紅が引き合わせてもらった者達の中には一人もいなかった。けれど、その際薫への愚痴や学生時代の苦楽の話題で盛り上がった彼らとの縁はその後、紅を大きく助けるものになったのだから、世の中何が幸いするか分からない。
しかし紅は、声をかけてきた美女に対して、興味より先に警戒心を呼び起こされた。
兄から、「お前に対してASPの連中が自発的に接近することは有り得ない。前に会った”あいつら”も含め、もしお前に声をかけて来るような奴がいても、絶対にそいつを信じるな。まず、俺に連絡を取ってくれ」と言われていたためである。
薫は、妹とASPとの接点そのものを可能な限り薄めておきたかったのだろう。
当時はまだ現場働きの経験が少なかった薫は、ASP敵対組織からも存在をほとんど知られていなかった。
紅が必要以上に自分達と接触しなければその身に大きな危険が降りかかることは無いはずだと、さらに同僚と会わせる程度で好奇心を満足させられれば妹も無茶に自分の周りを嗅ぎまわったりはしないはずだと考えていて、それは大凡間違ってはいなかった。
その、はずだった。
警戒心を露わにして、兄と連絡を取るべく携帯電話を取り出し、構えた紅。
しかし、いざ電話を口元まで運ぼうとした矢先、紅は側頭部に衝撃を受け、膝から崩れ落ちるように地面に倒れこんだ。
紅の手から滑り落ちた携帯電話がアスファルトに叩きつけられて大きくバウンドし――、それを自覚する間もなく、紅の意識が急速に薄れだす。
そしてそのまま、いつの間にか背後に回っていた美女の腕に抱え上げられ、脇に停まった車の中から出てきた男たちへと手渡されたのだった。
紅が連れていかれた先は、病院のような施設だった。
目を覚ました紅が見たのは、手術台の上に設置されているような、数多くの電球からなる眩しい光源。
そして、それに照らされている、寝台上の”患者”の容態を知るための最新機器の数々。
ただしそれは、治療用の機器ではなかった。
“患者”の治療の為でなく、”実験対象”の研究を行うための、研究機械。
紅の連れてこられた”実験施設”に存在した、非人道的な実験機械であった。
白衣を着た男達が、両手両足を白い寝台の上に拘束された紅のことを、ガラスを挟んだ向かいから眺めていた。
舌を噛まぬよう咬まされた猿轡の内側から、必死に解放を求めて喚く幼い少女のことを、ただただ興味深げに見つめている。
そんな研究者の一人が何事かを指示し、それを受けた別の研究者の男が、機械を作動させた。
瞬間、紅の脳裏に、激しいスパークが弾けた。
拘束された体が、ビクリ、ビクリとひきつけでも起こしたかのように痙攣する。
紅の体中、そして頭に直接接続された電極やケーブルから様々な信号、音波、波動が紅の体内へと叩き込まれ、その内部を好き勝手に蹂躙し始めた。
痛覚を覚えたのは最初だけであった。
その後は、何か冒涜的なものに肌を食い破られ、臓器を貪られながら侵食されていくかのような感覚と、魂を鷲掴みにされ、肉体から無理矢理に引き剥がされているかのような強い喪失感と哀切感が紅の全身を包み、苛んだ。
存在喪失の危機に対する原初的な恐怖が沸き上がり、獣のような悲鳴が喉から漏れる。
ガクガクと体が震え、強く握った掌には爪が食い込んで肌が引き千切れる。
意識の平衡を保てなくなった紅がそれでも最後の最後まで呼び続け、助けを求めたのは、この場に居ない、兄の名前だった。
その叫びさえも、猿轡と、機械の駆動音とにかき消され、誰の耳にも届かずきえていった。
時間にして数十分に及ぶ”実験”が終了した頃、
紅の瞳は焦点を失い、本人の意思とは無関係に断続的に震え続ける身体だけが、寝台の上に取り残されていた。
少女のデータを解析した研究者たちは、落胆していた。
恐らく彼らの望む結果を、モルモットの少女が出してくれなかったためであろう。
被検体の精神が崩壊寸前――使い物にならなくなる一歩手前であることを知った研究者たちは、一旦この”実験”を中断することにした。
少女の体内に睡眠導入剤を打ち込み、後日の実験で少女の体を再利用することにしたのである。
しかしそこで、異変が起こった。
紅の体を、赤い光がうっすらと覆い始めたのである。
ガラス壁に張り付いてそれを目視した研究者の一人が、後ろで機器の停止作業に入った同僚たちに向け、報告の言葉を叫ぶ。
慌てて機器を再稼働させ、データ採取を再回しようとした彼らの前で、
頭から電極を吹き飛ばした紅が、全身を拘束する器具を引きちぎりながら、ゆらりと立ち上がった。
理性を失い、獣そのものの咆哮を上げた彼女は、無力化の睡眠ガスが噴き出始めた実験室の壁に向け、超速の跳躍を見せた。
紅の体当たりを受けた壁――研究者達がその前に張り付いていた強化ガラスが、放射状に罅割れ、一瞬の内に粉砕された。
慌てふためく科学者たちの前に彼らの護衛――異能の「力」を持ち、銃器で武装した者達が走り込んできて列を成し、暴走中の被検体に銃口を向ける。
数にして二桁には達する銃口や、「力」によって生成された渦巻く光の束に赤い血の刃の切っ先といったものを向けられた紅は、
ニヤリとその口元を歪め、笑みの形を作り出した。
彼女は、分かっていた。今己の目の前にいる肉袋達が、己にかすり傷一つ与えられぬただの的であり、己の嗜虐心、破壊衝動を満たしてくれる獲物としてのみ存在するという事を。
鎮圧用ゴム弾の一斉射撃音を合図に紅が地を蹴り――一方的な大虐殺が始まった。
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「……」
「ひひひっ、言葉も無いようねえ。ま、無理もないわあ」
「……カオルさんから以前、貴女とカオルさんの『力』に関して軽く説明を受けたことがあります。自然に発現する力とばかり思ってましたけど……」
「違うわよぉ? ま、基本はそれでまちがっていないんだけど。私達の世界では、『自然に起こる事象は人工的にその状況を再現できれば、人為的に起こすことも可能である』って考える輩が多いのよぉ。ひひっ、私もまた、そんな馬鹿な科学者達の餌食になったって訳」
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それはあまりに一方的で、あまりに無慈悲で、あまりに残酷な戦いだった。
紅の突進の線上にいた者は、例外なく骨身を砕かれながら壁に叩きつけられ、二tトラックに追突されたがごとく、醜い壁の染みと化した。
実弾の使用はとうに解禁されていたが、跳弾覚悟、味方撃ち覚悟で放たれた銃弾の嵐は、紅の全身を包む赤光に弾かれるのみ。
能力者達の『力』も同様だ。
鉄筋コンクリートすら容易に引き裂くはずの血液製爪牙の一閃が、単なる突進によって正面から弾かれ、打ち砕かれる。
戦車砲の一撃すら耐え得るとされる分厚い砂鉄形成の壁が荒々しく繰り出された単発の蹴りで突き破られ、中に籠っていた者達を、赤光を放つ紅の双眸が、笑みの表情と共に見据えた。
あちらこちらで血花が咲き乱れ、骨の砕ける音が鳴る。
逃走を図ろうとする者達の背を目がけて赤い影が跳躍し、首元にしゃぶりついた。
兎を模し、四足歩行の体勢となった紅が獲物達の首筋を齧り取り、血と肉片を飲み込みながら、実に楽しげな笑みを浮かべる。
獣のごとく鋭敏な聴覚と嗅覚を得た紅は気づいていた。
もうすぐ、この場にもっと多くの人間達がやってくると。
自分の獲物に、なりにやって来るのだと。
その時紅は既に、闘争を――あるいは、破壊と死をもたらすことを求め、楽しむだけの獣に成り果てていた。
研究者たちを殺したことさえも、復讐や憎悪の感情からのものではなく、ただ単純に、それこそ大量虐殺ゲームを楽しむゲーマーのごとく、行為そのものを楽しんでいたが故だった。
やがて、待ち望んでいた獲物達が目の前に現れた。
背の高い一人の女の指示の下、紅を取り囲むように周囲に散開していく。
このままでは獲物を纏めて屠れなくなりそうだと感じた紅は、足元の床を思い切り蹴りつけることでそれを阻止しようと試みた。
先ほどの戦闘の際も散々に痛めつけていた研究所の床は、その一撃で大きなひびが入り、轟音と共に崩落を開始した。
浮足立つ獲物達を尻目に床を蹴って背後の壁に着地した紅は、その壁を蹴りぬく勢いで大跳躍し、先ほど突入指示を出した女の下へ、弾丸の勢いで飛翔した。
技も何もないただの体当たりだったが、大砲にも比する威力を秘めた一撃だ。
女は驚異的な反射神経でその突進を見切り、体を右に捌いて回避を試みた。
けれどその際、紅が伸ばした左手が女の顔を掠め、肉をこそぎ取って行った。
着地先の廊下壁にぶちあたってそれを粉砕、突き破ってしまい空に身を投げ出されながらも、歓喜の咆哮を上げる紅。
研究所隣接ビルの壁を蹴り、いましがた自分が出てきた穴に再突入を図る。
まずは仕留め損ねた女を屠るべく、そちらに視線をさまよわせ、そこで思わぬ姿を発見する。
血の流れ出す左頬を手で抑えながらもしっかりと二足で立つ女と、その周囲に並ぶ白コートの男たち。そしてそんな彼らの前に一人立つ、まだ幼い少年。
「おい、死にたいのか!? 下がれ、薫! 彼女は『力』に目覚めたてで暴走している! お前のことも認識できてはおらんぞ!」
血を流す指揮官の女が、少年に向けて叫ぶ。
けれどもそれを受けた少年は、緊張と恐怖に唇を引き結びながらも、懸命な笑みを口に浮かべ、唸り声を上げる紅に――彼の妹に向け、語り掛ける。
「ギゥ……ィ……!!」
「紅……。待ってろ、俺が助けてやる。その腕を掴んで、お前を、そこから引っ張り上げてやるっ!」
少年が、走り出す。
変わり果てた、彼の妹の下に向けて
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「……」ドキドキ
「ふう、ここで一旦話を切りましょうかしらねえ。あ、リーティスさん。お茶を入れ直してきますわぁ。緑茶と紅茶、どっちがよろしいかしら?」
「ここで! ここで切るんですか!?」
「ひひひっ、まあ焦らない焦らない。ちゃんとお話いたしますから、ねえ?」
「むう、意地悪ですぅ。 ……あ、じゃあコウチャ? 、をお願いします」
「(あらら、可愛いわねえ)まあ、まだまだこの私が出てくる話には遠いんですもの。本筋に入る前に休憩しておきませんと――あ、シュークリームが有りましたわぁ。これなら紅茶にも合いそう。どうぞ、リーティスさん」
「あ、ありがとうございます。えーと、パンみたいなものですか? 見た目の割にちょっと軽いですけど……」
「似たようなものですわぁ。あ、握りつぶしてしまわないように注意なさってねえ。せっかくサービスシーンを披露なさったとしても、観客が私しかおりませんもの」
「はい? どういう意味ですか?」はむっ……!
「ふふっ、いかがぁ?」
「美味しいです! ふわっときて、とろっときて、口の中であま~いクリームが皮に絡んで……」
「ちなみにそれ、10年近く前に買った物ですわよぉ?」
「10年近く前に買ったものを模して、貴女が作ったものなんですよね? ありがとうございます、こんなおいしいものを」
「ちっ、この程度ではもう慌てふためいてはくれませんのねえ……どうぞ、紅茶ですわぁ、熱いので、気をつけなさいな」
「ありがとうございます」ふー、ふー。
「さて、それじゃあぼちぼち、私もこれを食べ終えたら話を再開いたしましょうかしらねえ」
「おねがいします!」
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