第九十二話:人間の感覚・倫理が全生物共通の絶対のものだなんて思わないことねぇ<竜の仔、最初の生誕>
遅れました。そしてすいません、まだ解説回が終わりません、ぐぬぬ。
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「あれ? ちょっと待ってください」
「……何か気にかかることでもあったかしらぁ?」
「ええと、さっき貴女"生前"とか、"千年前"とか言ってましたよね? てっきりその大戦っていうのが、その、貴女が、――お亡くなりになった? 1000年前のことかと思ってたんですけど……。あっ、いいえ、違います。そういえば、古都ノクワリアが『神の怒りに触れて滅ぼされた』のが400年くらい前だってどこかで聞きました」
「その年代もたぶん適当よぉ? あと、私の出自についてはこれから話しますから、焦らない焦らない。ひひっ、焦りすぎて余裕を失うと、若くして白髪が生えてきますわよぉ?」
「ぅ……でも、白髪の一本や二本くらい別に――」
「何も、生えるのは頭からだけとは限りませんのよぉ?」
「どういう意味ですかっ!? ……え、本当なんですか?」
「世の中には白い鼻毛というのもあるらしいわねえ」
「は、はなっ!?」
「ひひひっ。見事生えましたら、お兄様に見せて差し上げたらぁ? ――ま、今は話を続けますわよ」
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話は一旦巻き戻る。
時は、竜の大絶滅の数百年前。
まだ、竜が他種族と積極的な交流を図らず、内に籠っていた時期。
噴煙立ち昇る火山の火口や、他の知的種族の姿が無い絶海の孤島。うっそうと茂る木々からなる森の奥深くや雲のかかる山の頂等、自身とその一族が気に入った場所に居を構え、平穏に暮らしていた時代のことである。
あるところに、卵から孵ったばかりの竜の赤ん坊がいた。
爪と牙と魔力を懸命に操って殻を割り、外界の空気に初めて身を晒した一匹の幼生体。
だが、殻を破って這い出てきたそれは、普通の赤ん坊ではなかった。
その竜の仔は、生まれつきの難病に侵されていた。
この世界に産まれ出でて日の光を見られたこと自体が奇跡と思えるような、酷い格好で地上に姿を現したのだ。
白濁し、光を殆ど映さず焦点の合わない両目をぎょろぎょろと動かしており、背から伸びた膿んで醜く黒ずんだ翼は重力に引かれ、カーテンか何かのようにぶらぶらと垂れ下がっていた。
体色は、火の精霊を体に宿して燃えるような赤い鱗を持つ両親とは似ても似つかぬ、黴でも生えているのかと疑うような、緑ばんだ白色。
さらに、並みの体力すら持たぬ身で地中から這い出て来たために、息も絶え絶えの有様であった。
産声よりも先にぱたりと地に倒れ伏した我が子を前に、母親竜は途方に暮れる。
本来、竜という種族は、強靭な生命力を持った、強い生命体だ。
一生の内に産む卵の総数は多く無いが、天敵と言える天敵など存在しない竜の子を、その親は人間種のようにつきっきりで守るような真似はしない。
何か事故や大病で命を落とすならそれまで。他の誰かが手を差し伸べてやることなどない。――それが、竜達の基本観念だ。
母親竜も、子を見た当初はその論理に従うつもりでいた。
ぴくぴくと体や垂れ下がった翼を震わせ、一つしかない気嚢肺を懸命に膨らませて酸素を体に取り込もうとしている我が子が、やがて力尽き、息を引き取るであろうことは容易に察せられた。
しかし、その様を黙って眺め、静かにその最期を看取ろうと考えている内に――ふと、魔が差した。
博識な竜種の中でもとりわけ好奇心の強かった彼女は、他種族の子育てといった「雑学」なども、その目で見て知識に収めていた。
それが原因だったか否かは定かでないが、とにかく竜の原則から外れた道を選び取ったのだ。
目の前の我が子から病を取り除く術は無い。
けれども、他の種族のように「せめて自分が出来うる限りのことをしてあげよう」と考えたのである。
その時、彼女が子のために成したこと。
それは、空間魔法から派生させた未完成の「時空魔法」で子供の時を停止させ、治療の叶う未来に自身の子供を委ねることだった。
だが、未完成の時空魔法に、「生きた生物」の時を停止させる力は無い。
なればこそ彼女は、そこから一歩踏み込んで考えた。
「死後間もない」我が子の遺骸をその状態で固定し、後世での蘇生を望んだのである。
あるいは、せめて「我が子の生きた証」だけでも後世に残したいと、そう思ってのことだったのかもしれない。
何はともあれ、その大魔法は成功した。
そして母竜は、脳活動を殆ど停止し、瞼を閉じて全身の筋肉を弛緩させている子の遺骸を、時空から隔絶された棺の中へと閉じ込めることに成功したのだ。
その骸が後の世に――「竜種の生き残り」と認識されず、神の裁きを免れることになるなど、誰も想像していなかった。
だが、母親竜が偶然起こしたこの小さな気まぐれは、およそ千年の時を経て、世界に対して大きな影響を及ぼす確かな火種となったのである。
――さて、一旦この哀れな「竜の仔」の話を区切り、とある人間の女の子の話に移ろう。
時は、今から6年前。場所は、この世界から遠く離れた日本という国。
竜崎紅という少女がいた。
当時九歳だった彼女は、少々引っ込み思案な部分はあったものの、良い友人や後輩に恵まれ、いつも笑顔の絶えない可愛らしい女の子だった。
彼女の趣味は、家庭料理であった。
紅には、毎日夜遅くに、時には数日おきに疲れ切った体で家に帰って来る生活を続ける、一つ年上の兄がいた。
その兄のために、温かい食事を用意すること。
そして、その料理を嬉しそうに口に運ぶ兄の喜ぶ顔を見ること。
それが、彼女にとって一番の楽しみだったのである。
とある事情から生まれ育った小村を離れ、東京の地で暮らすようになった彼ら兄妹。
ランドセルを背負い、二人で並んで学校まで向かい、新たなクラスメイト達に向けて各々の転校の挨拶を告げた日から、薫が紅の傍にいない時間は、段々と長くなっていった。
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「お兄様の住む”世界”のことを、私が知らずにいた時期ですわねえ。あの時、お兄様が私に全てを包み隠さず語っていてくだされば……」
「隣で、理解者として支えてあげられた――ですか?」
「それも、有りますわねえ。ですが、それともう一つ。私が、兄達の――ASPという組織の”敵”に目をつけられるような真似をしなかったはずで――もしそうなっていたら、私や”あの子”といった存在が無かったかもしれませんのよ?」
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品行方正に、清く正しく学校生活を満喫する紅。
教師からの覚えも良く、面倒見の良い性格から、飼育委員の活動を通じて、後輩たちからも良く慕われていた。
因みに、紅が生まれて初めて異性から「告白」を受けたのが転校後間もないこの時期だ。
前の学校――全校生徒の人数不足から、六学年合同で授業を受けていた村の学校では、兄にべったりな彼女に対して告白するような酔狂な輩は居なかったのである。
紅は、丁重なお断りの返事をしようと、兄にそのための文言を相談しにいった。
空からプリンが降ってきたのを目撃したかのような間の抜けた顔で「お、お、おう、分かった。俺も全力で考えてやる」と応じた薫は、その後数日間、ずっと小学校で授業を受ける姿が目撃されている。
尚、薫はその数日の間に、先生の投げかけた意地悪な問題に一字一句不足なくすらすらと回答を述べて老年教師とクラスメイト達の目を丸くさせ、体育の球技で謎の高速機動とチームメイトとの連携力を見せて一躍ヒーローの座に躍り出るなどといったことを成し遂げ、その結果、紅が胸を張って誇る「自慢の兄」の存在と、紅の傾倒ぶりが学校中に広まっていった。
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「おっと、話が逸れましたわ。ひひっ。ま、貴女は興味深々でしょうけど」
「カオルさんの話――興味はあるんですけど、なんだかこうして聞いているとカオルさんって相当そちらの”普通の人”とも違った育ち方をしてるんだなあって、そっちの方が気になってしまって……」
「お兄様自身もそのことは気にしてらしましたわぁ。だからこそ逆に懸命に『普通』であろうと苦心して、自身のギャップに悩んでいたような時期も……って、この調子じゃあ、いつまでたっても私の話が終わらなそうねぇ」
「あ、すす、すいません! どうぞ、話を続けてください!」
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6日30日:すいません、ミスを訂正しました。
紅の年齢:10歳→9歳。
この時はまだ9歳でしたね。




