第八十六話:運命ってのは残酷ねぇ<そして、>
※グロ注意 大幅遅刻すいません。100部分目に当たるこの一話で今章を完結させようと無理した結果です。本当に申し訳ない。
今回の話は、今までの話とは大分趣が変わっています。
鬱が苦手な方は、ごめんなさい。
side:リーティス
「ごめんなさい、ベニさん……」
目の前の大切な友人に向け、謝罪の声をかけます。
辛い状況に、一人放り出させてしまったことに対する謝罪の声を。
興奮した野獣のように刺々しく荒々しい空気を放出し、けれども確かに元の「ベニさん」を感じさせる雰囲気を纏った彼女に向け、精一杯の微笑みを向けました。
ちゃんと、分かります。
今のベニさんは、間違いなく私の知っているベニさんだということが。
――間に合った。間に合いました。
安堵の息を漏らします。
これなら、私の仕事を果たすことができます。
「動かないで! リーティス、あんたがそこそこ魔法を使えることは良く知ってる。あんたのことだから殺傷力の高い奴は練習してないだろうけど……少しでも動いたら、この首、かっ斬るよ」
首筋に、鋭い痛みと冷たい感触を覚えました。
目を向けるまでもなく、その正体は分かっています。
ユーノの短剣が私の首の皮を切り裂き、侵入しかけているのでしょう。
じんわりと傷口から血が垂れ始めたことを自覚します。
――心配しないでください、ベニさん。
途端に殺気立ったベニさんを目線で宥め、抑えつつ、ユーノの口から続けられた質問の言葉を促します。
「ねえ、リーティス。どうやって目を覚ましたの? クロエに持たせた睡眠薬は、吸い込んだら自然覚醒なんかできなくなるくらい強力なものだったと思うけど?」
「ただの、”目覚まし”の神聖魔法ですよ。咄嗟に術式を組み立てたので、発動までの時間設定が滅茶苦茶になっちゃいましたけど」
背後の”友人”に向けて、そう告げます。
――カオルさんから託された”使命”を果たすために、私がもっとしなくちゃいけないこと、するべきことは何なのか。
ベニさんが夜の町に繰り出してしまい、思いがけずユーノと出会った日から、私はずっとそのことを考えていました。
食事の間も、アリス達の釣りを見守っている間も、普段なら祈祷に捧げる時間の間も、ずっとです。
そして、ようやく思いつきました。
どんな時も、ベニさんの傍でその様子を見守っていられるようにする。
そんな状況を作れるように、出来うる限りの力を注げばいいのだと。
私が今回使ったのは、ごくごく簡単な神聖魔法でした。
就寝時、どんなに睡眠時間が足りなくても翌日絶対に体を覚醒させたい神官達が使うような、その程度の魔法です。
けれど、それを上手く使えば、
失神や気絶によってベニさんのことを見ていられなくなるという事態を、防ぐことができるんです。
ちょうど、今回のように。
私の回答を聞いたユーノが、ベニさんとのにらみ合いを続けつつも、緊張感に溢れた雰囲気を一瞬散らし、口を開きました。
「……神聖魔法、かー。普通の魔法と違って、神の定めた”法則”に沿って現象を起こすから、かなり論理的で精密な術式構成ができるんだっけ? ひひっ、まさかリーティスまで正面から私の敵になりにくるなんてねー。元から広義の意味での”敵”ではあったけどさ。何もかも、私の想定外ばっかじゃん。あーあ、本当に運命神なんて糞野郎だ」
「そんなことを言うものじゃないですよ、ユーノ? 教会で習ったことを忘れましたか?」
私やアリスと一緒に過ごしたあの教会での日々。
本当に、忘れちゃったんですか?
何も、感じないんですか?
ねえ、ユーノ……。
「あははっ! ねえ、リーティス。貴女、まだ私と友達でいるつもりなの? いい加減目を覚ましたら? さっきまでの話、聞いてたんだよね? 私はあんたの大好きな神様の敵で、ついでに言えば、たぶんそこのベニの敵でもあるんだけど。そこんとこ、正確に理解してる? もう友情ごっこは終わりなの。……だいたいさ。私はもう既に貴女のことを友達だと思ってなんか――」
「いいえ、それは嘘です」
ユーノの言葉を遮るように、きっぱりと言葉を放ちます。
それを聞いたユーノが、私の体を拘束する腕の力をぐっと強めました。
「嘘じゃないッ! ふざけたこと言わないで!」
否定の言葉が飛んできます。
同時に、首にかかる刃の圧力が強まりました。
首筋を垂れた血が、胸元を伝い、私の服を赤く染めていっているのが分かります。
こんなに感情的になったユーノを見るの、……お気に入りのお皿を教会の男の子に壊されて大喧嘩になった時以来かもしれませんね。
「何ヘラヘラ笑ってんの? 私があんたのことを傷つけられないとでも思ってる? そんなわけないじゃん――あんたは甘すぎるッ! あんたの脳みそは砂糖菓子でできてんの!? ……思えば、昔からあんたはそうだった! 大人びた分析ができる割には、どんな人も心の底では優しさを持ってるだなんて信じ込んじゃって――その結果があのゴルブレッド司教の一件じゃん! 最後の最後には誰もがきっと過ちを顧みて、平和に手を取り合う。そんな風にでも考えてんの? 甘すぎんだよッ! 私はそんなリーティスが大ッ嫌いなんだ!!」
――いいえ、ユーノ。
激昂し、ぜいぜいと息を吐き、目を血走らせながら食って掛かって来る友人を前にして、けれど私の心は落ち着いていました。
先ほどユーノが語った「私達が皆、あの兄妹に敗れていた場合の未来」。
そこでユーノは、自身の目的であるアリスとベニさんのことを片付けた後は、「何の価値も無いはずの私」と一緒に、アルケミの街まで行くと、そう言ってくれていました。
それって、一人旅になる私の身を心配してくれたからですよね?
私にごまかしの言葉を吹き込むだけなら、「付いてくる」必要はありませんもん。
それに、ユーノが今朝言った『ごめん、私、アリス達の敵になっちゃった!』の言葉。
あれって、私達と敵対することが明確になって、どうしても何らかの形で謝罪の気持ちを伝えたかったんですよね?
あの時言っていた”いつかまた”私達四人で一緒に過ごしたいと言っていた言葉。
あれもきっと、本心からの言葉だったんじゃないですか?
……確かに、私は「甘い」人間なんでしょう。
ゴルブレッド司教の一件も、最後の最後まで彼の善性を信じて、きっと私の嫌がることをしないでくれると信じていて……もしアリスが来なければ、本当に取り返しのつかないことになっていたはずです。私の甘さが、原因で。
でも、友人を信じるのが、そんなにいけないことでしょうか。
笑顔で共に過ごした時間を、その記憶を、そう簡単に、もう取り返しのつかないものだと言ってゴミ箱に捨ててしまうことが、正しいことなんでしょうか。
ねえ、貴方ならどう言ってくれますか、――カオルさん?
ユーノにナイフを突きつけられたまま、私は自分の左手をすっと上に掲げました。
赤い輝きを放つ指輪の嵌った、その左手を。
それを見たユーノが息を飲み、私に向けて言い募ってきました。
「やめな、リーティス。その指輪の正体は聞いてるよ。あんたが、誰を呼び出そうとしてるのかも、たぶん知ってる。もし今それを使うっていうなら、私はあんたを止めなくちゃなんない。例え――あんたを殺してでも」
「いいえ、きっとユーノにそんなことはできません」
確信をもって、そう告げます。
ユーノは気づいているでしょうか?
ナイフを持つ手が、先ほどから細かく震えていることを。
先ほどから述べ続けている言葉が、芯を失って、ずっと弱々しくなっていることを。
「そして私を殺さない限り、この指輪の魔法は一秒もあれば発動できます。ユーノが何で召喚を阻止したいのかは知りませんけど……彼なら、カオルさんならきっと今の複雑な状況を、何とかしてくれると思います」
ふふっ、他力本願にもほどがありますね。
けれど、カオルさんならきっと何とかしてくれると、信じています。
「俺を信じろ」なんて言った責任、今とってもらいますよ、カオルさん?
私の言葉に、黙って成り行きを見ていたベニさんがピクリと反応をします。
待っててください、ベニさん。今、貴女のお兄さんを呼びますから。
そしたら、一旦落ち着いてユーノと一緒に話し合いをしましょう。
きっとそれで、良い未来が拓けます。
「やめて……お願いだからやめて、リーティス」
震える声で、懇願するようにユーノがそう告げてきます。
でも、私はその願いに応える訳にはいきません。
震える彼女の体温を全身で感じつつ、指輪に魔力を籠め始め――
と、不意にその魔力の流れが断ち切れます。
え?
確かに先ほどまで腕を伝って通っていたはずの魔力が、断ち切られて――?
「え、あ……」
違いました。
「な、んで、ですか……?」
一瞬遅れて強烈な激痛が身を苛み、
私の腕から、鮮血が噴水のように噴き出始めました。
「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
絶叫が、喉の奥からあふれ出ます。
仮面の奥に表情を隠したユーノが、赤い輝き――剣士の闘技「魔刃」を宿した黒い短剣を振りぬいた体勢のまま、ポツリと呟きました。
「やっぱ、あんたは甘すぎるよ。……リーティス」
断ち切られたのは、魔力の流れではなく、
私の、左腕そのものでした。
「リーティス!? ――グル……ガァァァァァ!!!!」
「――ぎぃぅッ!?」
私の腕を切り裂くために剣を振るった一瞬の隙をつき、跳躍したベニさんの双翼がユーノの体を巻き取り、私から引き離しました。
あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……
私の、
私の、左手は……?
生存本能の求めるままに治癒術式を組み上げ、自身に施すことでショック死を免れた私は、暗い洞窟の床にペタンと膝をつき、視線と右腕を、左右に彷徨わせ始めます。
ベニさんが放つ赤光に照らされて一際強く輝いた指輪の煌めきが、その位置を教えてくれました。
「左手……私の、左、手……!」
肘の先から失われた私の左腕が、
粉砕された岩盤の破片たる砂塵に汚れた姿で、
地を転がっていました。
「あ、は、ははははははははははははははははははは、あはははははははははあはははあはははははは!!」
無残な姿に変わり果てた、かつて自分の体の一部であったものを見て、
自分の口から漏れたとは信じられない狂った笑い声が洞窟内を木霊し、自分の耳に届きました。
「ユーノォォォォ、楽ニ死ネルト思ウンジャネエゾォォォォォ!?」
「いっぐ、……ぎぃ、あ……」
私の左手。
何で、そんなところに転がっているんですか?
何で、私の手元に無いんですか?
毎晩毎晩毎晩毎晩、アリアンロッド様に祈祷を捧げるために右手と重ね合わせていた、私の左腕が、ですよ?
鼻歌交じりの朝食作りの場で、菜箸を握る右手に対し、フライパンを握らせていた左手が。
数少ないカオルさんと手を繋ぐ機会に、ずっとその役目を独占してきた、その左手が。
この数週間、その指に嵌った指輪の輝きと共にあって、私やアリス達の視線を注がれてきた左手が。
何で? どうしてですか?
「ねえ、付いてください。私の左腕さん! 私の左腕なんだから、私の体に付いてなくちゃ、おかしいですよね? 何で……動いてくれないんですか? ねえ、ねえ!!」
私が必死になって左の肘に押し付けていたものは、もう私の左腕ではありませんでした。
ゴム人形の部品のようにぶらぶらと揺れるだけの、左腕の形をした肉の塊。
それが、かつて私の左腕だったものの、現在の姿でした。
「ユーノォォォォ!――!? ――ギィ!? グ、……何モンダ!?」
背後の方で、何やら大勢の足音のようなものや、誰かが暴れるような音が聞こえた気がしましたが、放心状態の私には何が何だか分かりませんでした。
「ゲホッ、ゲホッ! ――ねえ、何で私が”一週間この町で待っていて”なんて言ったと思う? 何で、会話ばかりして時間を稼いでいたと思う? ……あの兄妹に眠らせてもらってれば、皆、良い夢を見ている間に運ぶことができたのに……ホント、残念だよ」
『やあ、紅君。久しぶりだね。悪いが、今は大人しくしていてくれたまえ』
「何故……アンタガココニ? ……グ、ギ、ギィィィィィィ!!! オオォォォォ!!!!」
背後で、何やら巨大な鎚が地に叩きつけられたかのような音が。
『おっと。危ない危ない。ふむ、中々興味深い状態にあるね。今の君は』
「ギィォォォォォ!……ォォ………ガ、ガグ……――あら、いけませんわね。良い「力」の強化にはなったみたいだけど、精神的ショックが重なりすぎたみたい。貴方のせいみたいですわよぉ?」
『ん? ……今、”浸食”しきったという事なのかい、これは? まあ、良い。初めまして、私の名は――っと、おやおや、まずはこっちの対処が先かね?』
――そうだ、カオルさんです!
この指輪があれば、カオルさんが来てくれます。
そうすれば、きっと何もかもが元通りに……
かつて自身の左手だったものを膝ではさみ、悪戦苦闘しながら、それこそ指を引きちぎるような勢いで指輪を取り外しました。
取れました! ――これで後は――
『おっと、君。そいつは私が貰い受けるよ。ほら、こっちに寄越せ』
「あぎっ!」
左手無しでの指輪の嵌め方が分からず悪戦苦闘していた私の頭を何者かが背後から抑えつけました。訳も分からないまま顔を地にこすりつけられ、悲鳴が漏れます。
そのまま、その人物は私の右手から最後の希望を掴み取っていきました。
『おや? この娘、ひょっとして”神”の信徒かい? はっ! よくぞ厚顔無恥に我々(・・)の前に顔を出せたものだ』
「あ、ああぎぐ、やめ、どけてくださっ! 返しッ――返してーッ!!」
慌てて頭上に向けて右手を伸ばし、片腕の支えが無いことでそのまま後頭部から地面に倒れこんだ私。
その顔の上に、解読不能の言語を話す男が足を載せ、ぐりぐりと踏みにじってきました。
成す術なく蹂躙されていた私に、思わぬところから援軍がやってきました。
男の体が真横から振るわれた赤い光――竜の翼で薙ぎ払われたんです。
「やめなさいな、下衆男。私の友人に手出ししようなんて、何様のつもりぃ?」
『あ痛たたた……。何? 友人? ――一体どういう意味だね? 竜の仔たる貴方が、人間を、友人だと?』
「まあ、色々あったのよぉ。それより貴方、何か勘違いしてないかしらぁ?」
『勘違い?』
「まるで、私が貴方の下に付くのが当然と言わんばかりの態度だけどねえ、私は私なりのやり方で神を倒すつもりでいるの。貴方達の下に付くなんてまっぴらごめんよぉ。ま、貴方達の活動は活動で好きに続ければいいわぁ。そっちには干渉しないでおいてあげる」
『何!? 待て、貴様! そもそも誰が貴様を――』
――うぅ、誰、ですか?
何か、温かく、力強い腕の中に抱き上げられた感覚が有りました。
この感触――私、知っているような、知らないような……。
「ユーノさん。アリスさんのことは貴方にお任せしていいかしら? その子は領に戻った方がきっと幸せよぉ」
「――私? ……いや、うん、分かった。任せて。リーティスに酷いことした分。……そのくらいは、アリスに返してみせるから」
『ちっ!「おい、そこの娘! 何を言っている!? 貴様もその阿婆擦れ竜を捕えろ!」』
「ふふふ、お生憎様、ここにいる面子程度で私を抑えるのは無理よぉ。それじゃあ、また縁が繋がったらどこかで会いましょうかね」
はっきりとしない意識の中で、自分の体が猛烈な勢いで上に引っ張り上げられていくのを感じました。
何か硬いものが砕け、崩壊していくような轟音が周囲から聞こえてきますが、それが何かは分かりません。
さらにその下で幾人もの悲鳴が上がっていることさえも、意識の内には入ってきませんでした。
「あぉ、うぁえ、うぁえ?」
「あらら、酷い顔だこと。せっかくあのお兄様を悩殺できるほどの可愛い顔が、台無しじゃないの。――ほら、これで多少は良くなったかしらぁ?」
薄ぼんやりとした視界の中、赤光の世界に浮かぶ、優しい顔をした誰かの声と共に、温かい光が降ってきました。
その光は私の体中に染みわたっていき、温泉に全身を委ねた時のような、心地良いしびれと安らぎを覚えます。
「――カオルさん……、カオルさん……」
「ん? 私はお兄様じゃないわよぉ? そういえば貴女、お兄様との指輪を独占してたのよねぇ……羨ましいというべきか、妬ましいというべきか、迷うわねえ」
力の入らない右手を上に掲げながら、ぼんやりとした意識の中で知らず知らずのうちに口をついて出てしまったのは、結局会う事の叶わなかった――約束を果たすことの出来なかった、自分の大切な人の名前でした。涙をこぼしながら、小さな声で、その名前を呼び続けます。
カオルさん……、ごめんなさい。カオルさん……。
ふと突然、回転式掘削魔道具の掘削音のような音が途絶え、風切音がそれに取って代わりました。
気のせいか、今の場所、先ほどより周囲が大分明るくなっているような……。
「ひひひっ、数時間ぶりの”外”、私自身にとっては何千年ぶりの”外の世界”、ですわねぇ。上空でも感じ取れるこの地と緑の香り、生き物が命を育む水と木と風の世界、赤々しく空で燃える太陽! そして地に張り付いて暮らす人の営み……。 あぁ、全てが懐かしい限りですわぁ!」
歓喜の叫びが、耳に届きます。
誰の声、なんでしょう?
「まあ、この世界を堪能を堪能するのは後にしましょうか。今はまず、リーティスさん、貴女の左手をどうにかしてあげませんと」
私の体が、優しく力強い両の手で抱きしめられました。
まるで、私の知らないお母さんに抱かれているみたいです。
なんて、心地よい場所なんでしょう。
「しっかり掴まっていてちょうだいな。――飛びますわよ?」
体が、頭の方向に引っ張られる感触がありました。
何か巨大なものが空気を凪ぐような音と共に、風が私の体にぶつかってきます。
寒さを感じた訳でもないのに、右手と左腕が自然と目の前の温かな存在の背に回されました。
同時に、思わずポロリと呟きが漏れます
「お母、さん……」
口からこぼれたその呟きは、高速飛翔の風切り音によって空気に溶け込み、消えていきました。
詰め込み過ぎた感は有りますが……、次章以降、少しずつ不完全情報の整理をしていきたいと思います。




