第五章 炎上天使のヤラセ配信と、デジタルタトゥー防衛網
迫る艦隊の塩漬け(現実逃避)と、空から降る変態デバイス
「——結論から言おう。あの件は、現在の俺が対応すべきタスクではない」
雲一つない、ポポロ村のよく晴れた朝。
俺は村長宅の縁側で、淹れたてのコーヒーから立ち上る湯気を眺めながら、自らの脳内にある『未処理フォルダ』に重い南京錠をかけていた。
昨日の朝、郵便受けに届いていた一通の分厚い親書。
海中国家シーランの女王、リヴァイアサンからの『娘の優雅な大成功の姿を見るために、無敵艦隊・全三千隻を率いてポポロ村に視察に行く』という、国家滅亡クラスの死の宣告書だ。
昨晩はその事実を突きつけられ、胃に大穴が空くかと思うほどの絶望を味わった。だが、俺は前世でブラック企業のシステムエンジニア(SE)として、数々の炎上案件を生き抜いてきた男である。
過酷な労働環境において、最も重要な防衛本能とは何か。
それは、『今すぐ解決不可能な致命的バグは、とりあえず見えないフォルダに突っ込んで塩漬け(思考放棄)にする』という現実逃避のスキルだ。
「シーラン国の首都からマンルシア大陸沿岸部を経由し、このポポロ村近辺の河川まで艦隊が遡上してくるには、海流の抵抗と補給のタイムロスを計算して、最低でも『一ヶ月』のバッファ(猶予)があるはずだ」
俺はコーヒーを一口啜り、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「つまり、納期はまだ一ヶ月も先だ。今日の俺が胃を痛めて悩む必要は全くない。来るかどうかも分からない未来のバグに怯えるより、今日の平穏な日常(ローカル環境)を維持することにリソースを割くのが、優秀なPMというものだ」
完璧な論理展開(言い訳)である。
深海から迫り来る過保護なクレーマーと三千隻の戦艦という大災害は、俺の脳内ストレージの奥深くへと完全にパージ(削除)された。
「よし。俺の精神衛生のセキュリティは今日も万全だ」
深く安堵の息を吐き出し、俺は庭先で繰り広げられている平和な日常風景へと視線を戻した。
「……カリッ、モソモソ……。今日のパンの耳は、少し焼きすぎで固いですわね……」
オリーブ色の芋ジャージを着た海中国家シーランの王女——リーザが、道端で引っこ抜いてきた雑草サラダを片手に、パンの耳を虚ろな目で齧っている。
彼女がエナジードリンクの物販で稼いだ莫大な五円玉の山は、「これはルナミス帝国にタワマンを建てるための初期費用ですの!」という謎の執着により、未だに一円たりとも生活費に還元されていない。
「あらあら、リーザちゃん。パンの耳ばかりでは栄養が偏ってしまいますわよ? よかったら、私の生成した『極上メロンのフレッシュジュース』を一口いかがかしら♡」
その隣で、フワフワのお嬢様ドレスを着た天然エルフのルナ・シンフォニアが、魔法でポン出しした超高級フルーツを優雅にミキサーにかけながら微笑んでいる。
「お、お断りですの! アイドルたるもの、安易な施しは受けませんわ! この雑草の苦味こそが、ハングリー精神を養うスパイスなんですのよ!(きゅるるるるるっ)」
やせ我慢と空腹の音が庭に響き渡る。
「神様、仏様! 今日も私は村長宅の縁側の雑巾掛けに励みますぅ! だからどうか、私のランダムボックスに最高のSSR確定演出を……!」
縁側の端では、ガチャ中毒の聖女アマネが、血走った目で雑巾を振り回しながら『善行ポイント』の加算を天に祈っている。
これが俺の抱える、ポポロ村の主要プロジェクトメンバーだ。
強欲地下アイドル、コンプラ破壊エルフ、限界オタク聖女。
バグとエラーのオンパレードだが、誰も血を流さず、誰も搾取されていない。俺の胃薬の残量さえ気にしなければ、ここは理想的なスローライフの箱庭だ。
「……平和だな」
俺が二杯目のコーヒーを淹れようと腰を浮かせた、その時だった。
『——ウィィィィィィィン……』
空から、奇妙な羽音のような駆動音が聞こえてきた。
「ん……? バード族か?」
俺が訝しげに空を見上げると、上空からキラキラとしたド派手な『光の粒子』とともに、ソフトボールほどの大きさの奇妙な浮遊物体が複数、庭に向かって降下してくるのが見えた。
「なんだあれ。鳥型魔獣にしては、金属光沢があるぞ」
それは、半透明の魔導石を中心に据え、周囲に小さなプロペラのような羽根を幾つも生やした、見たこともない機械装置だった。
前世の記憶(知識)に照らし合わせるならば——それは明らかに『ドローン(小型無人機)』の形状をしていた。
「カナタさん、あれは何ですか!? なんだか空から、石っころみたいなのが飛んできますぅ!」
掃き掃除をしていたキャルルが、ウサギ耳をピクピクと動かして警戒の声を上げた。
「分からない。だが、明らかに人工物だ。何かの偵察機か……?」
俺が警戒を強める中、降下してきた三機の魔導石ドローンは、俺たちを包囲するように庭の上空でホバリングを始めた。
そして、ドローンの中央に埋め込まれた魔導石のレンズが、ギョロリと動き、俺たち一人一人を順番にスキャンし始めたのだ。
「ひゃっ!? な、なんですかこれ! 私の顔をジロジロと見て……!」
キャルルが後ずさる。
ドローンのうちの一機が、キャルルの足元へとスーッと滑るように接近した。
そして、あろうことかキャルルの履いているスカートの裾に向かって、下から潜り込むような不自然な軌道を描いたのだ。
「きゃあっ!? こ、こらっ! 足元をウロウロしないでくださいっ!」
キャルルが慌ててスカートの裾を押さえ、ウサギ特有の跳躍力で後ろに飛び退く。
だが、ドローンは執拗だった。キャルルが下がる動きに合わせて「ウィィィン!」とモーター音を鳴らし、再びスカートの下を的確に狙って回り込んでくる。
「……おいおいおい」
俺は顔を引きつらせた。
偵察機だとしたら、もっと全体を俯瞰で捉えるはずだ。特定の人物の、しかも女性の足元から見上げるような画角を狙うプログラムなど、軍事用途では絶対にあり得ない。
「あの軌道……明らかに意図的に下からのアングルを狙ってやがる。完全に変態仕様の盗撮デバイスじゃねえか!!」
「と、盗撮ですの!?」
芋ジャージのリーザが悲鳴を上げ、パンの耳を放り捨てた。
別のドローンが、今度はリーザの健康サンダルの足元から、ジャージのチャックの隙間を狙うように迫ってくる。
「ちょっと! 私のアイドルとしての貴重なオフショットを、タダで撮ろうだなんて肖像権の侵害ですのよ! 撮るなら最低でも一回五円払いなさい!」
「お前は金を取れば撮らせるのか! 迎撃しろ!」
「あらあら、可愛い小鳥さんたちですわね♡ 迷子になってしまったのかしら?」
ルナだけは、自分に迫ってくるドローンに向かって優雅に手を振っている。
「許しません……っ! 村長であるこの私の、スカートの中を覗こうだなんて……!」
キャルルのルビー色の瞳から、純粋なハイライトがフッと消え失せた。
代わりに宿ったのは、対象を物理的にすり潰すという『ヤンデレヤクザウサギの絶対的殺意』だ。
「——万死に値しますぅっ!!」
キャルルは背中に隠し持っていたダブルトンファーを抜き放ち、マッハの速度で地面を蹴った。
ズガンッ!!
タローマン特注の安全靴が、庭の地面をクレーターのように粉砕する。
「月影流・鐘打ちぃぃっ!!」
空気を切り裂く回し蹴りが、キャルルに迫っていたドローンめがけて炸裂——。
『ウィィィンッ!』
「えっ!?」
ドローンはキャルルの蹴りが当たる数ミリ手前で、まるで動きを予測していたかのように不規則なZ字軌道を描き、見事に空中へ回避してみせたのだ。
「……かわしただと?」
俺は息を呑んだ。
キャルルの『流星脚』や『月影流』は、音速すら超える圧倒的な暴力だ。それを自動制御のデバイスが躱すなど、高度な回避プロトコルと莫大な演算処理能力が組み込まれていなければ不可能である。
「ちょこまかと……っ! 逃がしませんよっ!」
「月影流・破衝撃ぃぃっ!!」
キャルルがブチギレて、トンファーと蹴りの乱れ打ちを開始する。
ドカァァァン! バキィィィン!
キャルルの攻撃が外れるたびに、村長宅の庭の木々がへし折れ、石灯籠が粉砕され、土煙がもうもうと舞い上がっていく。
しかし、三機のドローンはキャルルの怒りの連撃をヒラリヒラリと躱しながら、その戦闘シーンすらも舐め回すようなカメラワークで撮影し続けている。
「おいおいおい……。これじゃ盗撮を止める前に、村長宅の庭が物理的に崩壊するぞ」
俺はこめかみを押さえ、先ほどしまったばかりの胃薬の瓶を再びポケットから取り出した。
「——あはっ♡ いい画が撮れてるねぇ、カメラちゃんたち!」
その時。
上空から、鈴を転がすような、どこか聞き覚えのある甘ったるい声が降ってきた。
「なっ……!?」
俺たちが一斉に空を見上げると、太陽を背にして、純白の翼を広げた『一人の少女』がふわりと宙に浮いていた。
煌びやかな天使の法衣を身に纏い、手にはスマートフォンに似た薄型の魔導端末を握りしめている。
「はいはーい! みんな、元気してるぅ? 今日も元気に配信スタートだよぉ♡」
カメラ目線で完璧なウインクを決める、天使族の少女。
シーランの無敵艦隊を塩漬けにした直後に、空から降ってきた新たなる『バグの塊』。
ポポロ村の平穏な日常は、承認欲求と自己顕示欲のバケモノによって、強制的に『全世界生配信』の舞台へと引きずり込まれようとしていた。
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