4:マリーのきっかけ
「なんとか丸く収まりそうでよかったよね」
家に帰るブライアンの背中を見送ったあと、自分の席に戻ったノアは言った。
「ま、うちとしては時間を浪費しただけで何の得にもならなかったけど」
「こら、そんな言い方しないの」
「だって本当のことでしょ」
そう言って、ノアは残ったクッキーを齧る。社長だけあって、こういうところはビジネスライクだ。
(まあ……これくらいがちょうどいいのかな)
良くも悪くも、ノアは合理的に物事を判断していく。
だが、それを「薄情」という言葉で片付けてしまうのは違うのだと、エルトゥスは知っている。
ノアはイストリア社の社長であり、会社を継続していく義務がある。そのためには感情を入れずに対処しなければならない場合もあるのだ。
発話代行人のエルトゥスが依頼人に寄り添って、社長のノアは程良い距離感を保つ。
これも、サラが言うところの「適材適所」なのかもしれない。
エルトゥスが頷いていると、トレイを持ったマリーがデスクに近付いた。
「お皿、片付けますね」
「マリーさん。ありがとう」
「いえ、好きでやってることですから」
「ううん、洗い物のことじゃないよ」
そう言ったエルトゥスは、マリーがレンズの奥で目を丸くしていることに気付くと慌ててフォローを入れた。
「あ、もちろん、それにも感謝してるけど……そうじゃなくて、ブライアンさんのこと」
エルトゥスは微笑み、マリーを見つめる。
「マリーさんがハクチョウゲを植えた意味に気付いてくれてなかったら、僕たちきっと対応に困ってたと思う。おかげで助かったよ」
「そんな……すみません、経理なのに出過ぎたことをして」
「謝る必要ないよ」
まだクッキーを食べているノアが言う。
「マリーがいなかったら面倒なことになってたのは本当なんだから」
「そう、ですか? だったらよかったです」
そう答えて、マリーは軽く頭を下げた。
やはり、マリーは謙虚だ。
「そういえばさ、マリーって赤毛が嫌いだったんだね」
マリーの髪に視線をノアが思い出したように言う。
「毎日綺麗にヘアアレンジしてるから意外っていうか、知らなかったよ」
「……実は、赤毛を好きだと思えるようになったのって、イストリア社で働くようになってからなんです」
「え、そうなの?」
マリーがイストリア社で働くようになったのは、一年前。
そして、マリーは今年二十歳だから、赤毛を嫌っていた期間はかなり長いことになる。
「ねえ、何がきっかけで好きになったの?」
「えっと……」
口ごもったマリーは、何故か、エルトゥスに視線を向ける。
そのあとしばらく黙っていたが、やがて諦めたように話し始めた。
「……ここに来てすぐの頃、エルさんに質問したことがあるんです。『赤毛についてどう思いますか』って。エルさんは模造骸骨ですから、私たちみたいに固定概念に囚われないんじゃないかと思って……」
「そういえば……そんな話をしたっけ」
マリーがイストリア社で働くようになってすぐの頃、二人で洗い物をしながら、赤毛について話したことがあった。
ただ、マリーが自分の赤毛を嫌っていることは知らなかったから、単なる世間話なのだと思っていたのだが……。
「ふーん。で、エルはなんて言ったの?」
「その……『すごく綺麗な色の髪だよね』って、言ってくれたんです」
柔らかそうな頬を少し赤くしたマリーが言う。
「夕暮れ時の太陽とか、レモンを入れた紅茶とか、植物園で見た秋のモミジとか……。綺麗な風景をそのまま閉じ込めたみたいな色だって」
「ええ?」
マリーの言葉を聞いたノアは眉を顰めてエルトゥスを見た。
「エル、そんなこと言ったの?」
「え? う、うん、言ったけど……もしかして、よくない表現だった?」
本当に綺麗だと思ったからそう伝えたのだが、もしかしたら問題のある表現だったのかもしれない。
慌てているエルトゥスを見たノアは「そりゃそうなるか……」と呆れたように呟いた。
マリーは何故か、先程よりも赤くなっている。
(「そうなる」って、一体何が?)
エルトゥスは首を傾げた。
ノアの頭脳が優秀すぎるのか、それともエルトゥスが鈍すぎるのか。
ノアが何を言っているのか理解できないことが時々ある。
(よく分からないけど……まあ、マリーさんが自分の髪色を好きになるきっかけになれたなら、よかったかな)
マリーの髪は本当に綺麗な色だから、誰かの心ない言葉のせいで嫌いになってしまうのはもったいない。
(さてと、そろそろ仕事に戻らないとね)
次はテレビの声を再現しようかな……。
そんなことを考えながら立ち上がりかけたとき、ノアがマリーに声をかけた。
「ねえ、マリー」
「何ですか?」
「ハクチョウゲの花言葉、よく知ってたね」
「え?」
(あ、確かに……)
花言葉は誰かに花をプレゼントするときくらいしか使う機会がないから、花言葉を知らない花はたくさんある。エルトゥスだって、花言葉はバラくらいしか知らない。
「有名どころの花ならともかく、ハクチョウゲみたいなめずらしい植物の花言葉なんて普通知らないでしょ。誰かに聞くか、自分で調べるかしたの?」
「え、ええ、まあ……」
曖昧に答えたマリーは「それがどうかしましたか?」と尋ねた。何故かしどろもどろで、目も泳いでいる。
「別に? どうもしないよ。ただ……」
「……ただ?」
「普通知らないってことは、プレゼントされた相手も多分知らないってことでしょ? 実際、ボクたちもマリーに聞くまで知らなかったし。――マリーって健気で、案外大胆なんだね」
そう言って、ノアはわざとらしく肩を竦める。
ノアの言葉を聞いたマリーは急に真っ赤になって、ほんの一瞬、エルトゥスを見た。
ただ、エルトゥスが不思議そうな顔をしているのを知ると、心底安心したような、それでいて少しだけ残念そうな表情を浮かべた。
「……ノアさん、副業で私立探偵を始めたほうがいいですよ」
「何言ってるのさ、これくらいで探偵になれるわけないでしょ」
ノアは呆れたように言って――。
「第一、誰かさん以外はみんな気付いてると思うよ。ボクたちの共通の知り合いとか」
「嘘……」
エルトゥスには意味が理解できない情報で、マリーを絶望に追いこんだ。
「あああ……!」
「大丈夫ですか?」
デスクに座ったままのサラが、いつもと同じ声色で尋ねる。
マリーは、両手で顔を覆うと何も言わずに首を横に振った。
彼女の耳は、赤毛と同じくらい真っ赤になっている。
「……洗い物、やっとくね」
めずらしく気の毒そうな顔をしたノアは、二人分のティーカップとクッキー皿を回収して給湯室に向かった。ノアなりに悪いことをしたと思ったのかもしれない。
(やっぱりよく分からないけど……ノアが探偵にならなくてよかった)
もしもイストリア社が「誰かに声を届ける会社」ではなく「探偵の会社」だったら、鈍いエルトゥスはノアのバディになれなかっただろう。
それに――アストリーやブライアンとも、きっと出会えなかっただろうから。
ふっと微笑んで、エルトゥスは執務室に向かう。
自分に一番向いている仕事が本当に発話代行なのか、エルトゥスにはまだ分からない。
けれど、模造骸骨のエルトゥスがしたいと願う仕事は、間違いなく発話代行サービスだった。




