1:発話代行サービス・イストリア
フラッタの町を歩いていると、様々な音が飛び込んでくる。
五年ほど前に普及し始めたという自動車のエンジン音、散歩が楽しくて仕方なさそうな犬の足音、誰かが演奏するピアノの音、まだ冷たい風が吹き抜けていく音。
その音たちは波のようで、一つずつ数えていくのは難しい。
そんな波の中、エルトゥス・アサラが最も好きだと思うのは、人々の声だった。
個人ごとに異なる、高くも低くもなる声。この世にどれほどたくさんの音があっても、ヒトが発する声ほど魅力的な音はない――。
そう感じるのは、二十代前半くらいの青年に見えるエルトゥスが、本当はヒトではないからかもしれない。
そういう理由で、エルトゥスにとって「誰かの声を聞く」というのは、幸せな気持ちを生み出してくれるものだった。
けれど――。
「遅い!」
たった一人のバディが自分を叱る声は、できるだけ聞きたくないと思う。
エルトゥスが働く、イストリア社の事務所。
裏口にある従業員用ドアを開けた途端飛び込んできた鋭い声に、エルトゥスは思わず身を竦めた。
だが、ドアの前に立ち塞がるエルトゥスのバディ――ノアは、エルトゥスが怯んでいることなどお構いなしにお説教を続ける。
「ケーキを買いに行っただけなのに、一体どこをほっつき歩いたら予定より十五分も遅く帰れるのさ。信じられないよ」
「えっ」
ノアの発言を聞いたエルトゥスは壁かけ時計を見た。
午後三時十五分。本当なら三時過ぎには帰っているはずだったから、かなり遅くなってしまったことになる。
「ごめん……」
これでは叱られても仕方ない。そう考え、ノアを見つめる。
照明の光で輝く糸のような金髪と、エメラルドグリーンの瞳を持つぱっちりとした目、すっと通った鼻筋に、形のいい唇。
十四歳のノア・アングレカを一言で表すと『人形のような少年』だ。耳やうなじにかかる長さのショートヘアがこれほど似合う少年は他にいないだろう――というのはエルトゥスの個人的な感想だが、他の髪型にしたノアが想像できないほどよく似合っているのは間違いない。
そんなノアは、立ち襟の白いフリルブラウスと、瞳と同じエメラルドグリーンのズボンを身に着けている。
多分、両方ともレディース用だろう。ただ、エルトゥスはまったく気にしなかった。「性別に関係なくファッションを楽しみたい」というノアの気持ちを尊重しているからだ。
「で、なんでこんなに遅くなったわけ?」
「その……帰る途中ですごく綺麗な歌声が聞こえたから、仕事の参考になるかもって思って……」
つい、足を止めて耳を傾けてしまった。
項垂れたエルトゥスに、ノアはため息を吐いた。それから「仕事熱心なのも程々にしてよね」と言う。――どうやら、もう怒っていないようだ。
「とにかく、今度からあんまり遅くならないようにしてよ。マリーなんか『エルさんに何かあったのかも』って心配してたんだから」
「ごめん……」
マリーというのは、イストリア社で働く女性社員のことだ。
十五分も遅くなっただけでなく、マリーにまで心配をかけてしまったなんて。
申し訳なく思ったエルトゥスは「あれ?」と首を傾げた。事務所を見渡してもマリーがいないのだ。
「マリーなら応接室だよ」
エルトゥスからケーキの箱を受け取ったノアが言う。
「お客さんにお茶出してるとこ」
「え?」
思いがけない話に、エルトゥスの目が――もっとも、本物ではないが――丸くなる。
「でも、今日は予約がなかったはずじゃ……」
「急に押しかけてきたんだよ。どうしても頼みたいことがあるとかで十分くらい前に来てさ。今は応接室で待ってる」
そう説明するノアの顔には「迷惑だ」とはっきり書いてあった。多分だが、依頼人と会ったときも同じような顔をしていただろう。
(お客さん、気を悪くしてるかもなあ……)
と、エルトゥスは思った。
発話代行サービス・イストリア社――。
十四歳のノア・アングレカが社長を務めるこの会社は、その名の通り「発話代行」という他の会社には真似できないサービスを提供している。
そして――世界でたった一人の〝発話代行人であり、世界でたった一つの〝模造骸骨〟であるエルトゥス・アサラの仕事は、やはり、その名の通り「依頼人の代わりに話す」ことだ。
表面の七割が海である惑星・テラ。
西の大陸にある一国・テトラノールの田舎町で、眠りについていた男性の模造骸骨――つまりエルトゥスがノアによって発見されたのは、今から約三年前のこと。
三年前まで、模造骸骨は幻の存在だった。
『〝魔人〟と呼ばれる特殊な能力を持つ人間によって創られた、魔人と同等の能力を持つ人工がいこつ』――。
そう語り継がれていても、模造骸骨が本当に存在していたかどうかは長年謎に包まれていた。
それは何故か?
――約三百年前、模造骸骨たちは魔人共々滅んでしまったから。
〝魔力〟というエネルギーを操る能力のせいで普通の人間に迫害された魔人は、森の中で、人目を避けるように生きていかなければならなかった。
だから、魔人は模造骸骨を創った。自分たちを迫害しない模造骸骨たち、と楽しく、そして静かに暮らすために。
だが、その生活も長くは続かなかった。
森で暮らすようになって百年が過ぎた頃、魔人の中に「悪いことをしていない自分たちが町で暮らせないなんておかしい」と主張する者が現れたのだ。
彼らがそう考えたのは、多分、普通のことなのだろう。
魔人は確かに特殊な能力を持っていたが、その力を利用して誰かを傷付けることは決してしなかった。それどころか、自分の能力を誰かの役に立てようとしていたのだから。
それなのに、魔人の能力を恐れた普通の人間たちは魔人を一方的に森へと追いやって、自分たちは当然のように町で暮らしている……。
そんな状況を許せないと思うのは、きっとおかしいことではない。
――おかしいことではないけれど、魔人は選択を間違えてしまった。
許せないと思うあまり、テトラノール国を相手に戦争を仕掛けてしまったのだから。
魔人と模造骸骨は、魔力で人間を攻撃することができた。
それでも、魔人たちの人数は、兵士たちに遠く及ばず……。
結局、魔人と模造骸骨は跡形もなく滅んでしまった。
そういう事情もあって、エルトゥスが発見された当初は「歴史的大発見だ」と大騒ぎになった。「これでやっと模造骸骨のことが分かる」と。
ただ、実際はそう上手くいかなかった。
目覚めたエルトゥスは、当時のことを何も覚えていなかったのだ。
〝国立魔法研究所〟という研究機関がエルトゥスを詳しく調べたところ、エルトゥスの記憶は何らかの事情で消されてしまったことが判明した。記憶を消したのは魔人だろうと考えられているものの、具体的なことは未だ分かっていない。
結局、エルトゥスという模造骸骨についてはっきり分かっていることは二つだけ。
これまでの記憶を消されていること。
そして――「声を自由自在に変えられる」という特殊な能力を持っていること。
研究所はエルトゥスに研究所で暮らすよう勧めた。がいこつの姿で町にいては目立ってしまうからと。
だが、エルトゥスは研究所の勧めを断った。
当時十一歳だったノアは、自動車事故で父親と兄を亡くしたばかり。面倒を見てくれている人を心配させたくないと平気そうに振る舞っていたものの、本当は酷く寂しい思いをしていた。
エルトゥスはそれを知っていたから――何よりノアのことを好きになっていたから、ノアと一緒に暮らしたかったのだ。
ただ、がいこつの姿では目立ってしまうという研究所側の言い分は、間違っていない。
どうすれば目立たない状態でノアと一緒に暮らせるのか。エルトゥスは研究所の職員と一緒にあれこれ考え、最終的にこういう結論に達した。
――外見がヒトに見えれば目立たない、と。
模造骸骨であるエルトゥスは、自らを創った魔人と同じく魔力を操ることができると、研究所の調べで分かっていた。
それなら、魔力で外見をヒトにすることもきっとできるはず――。
そう考えたエルトゥスは、研究所の力を借り、がいこつの体をヒトの姿に見せる訓練を繰り返した。時には疲れて寝落ちてしまうほど、何度も。
その努力が実り、エルトゥスは青年の姿になることに成功した。
そして今、フラッタでノアと暮らしながら、イストリア社で働いている。




