1:宝物庫で眠るもの
大きなステンドグラス窓から夕日が差し込む執務室は、宝物庫のようなものだった。
その部屋のことを「執務室」と呼ぶのが適切であるかどうか、彼には分からない。執務室として作られたその部屋は、この家が建てられてから一度も用途通りに使用されたことがないのだから。
では、執務室でない執務室を何と呼ぶべきなのか。
部屋の用途だけで判断するのならば「貿易商である父親が買い集めた品々を飾るためのコレクションルーム」と呼ぶのが最も適切であるように思われた。
事実、この部屋には様々な品が色々な形で飾られている。骨董品の壺や舶来品の置物、無名作家の絵画、古い書物など、収集物は多岐にわたるが、最も多いのは置き時計だろうか。時計を好んでいた彼の父親は舶来品の時計を買い集め、とりわけ価値の高いものをキャビネットに飾ることを趣味の一つとしていた。
コレクションルームとして作られていないがために、あまり広くない執務室に足を踏み入れた彼――ノア・アングレカは、美しく飾られたコレクションを確認した。
ノアが最後にこの部屋を訪れたのは三か月以上前。だが、父親のコレクションに変化は見られなかった。背の高いガラス扉付きキャビネットに収められた置き時計は増減しておらず、キャビネットと揃いで作られた本棚にある書物も増えていない。
色のないガラスだけで花の模様をあしらったステンドグラス窓。
部屋の奥側に複数設置された横長で背の低いキャビネットと、ノアしか使ったことのない小さな書斎机、地下室へと続くオープン型の直階段。
もう二度と変化することのない、ノアだけの宝物庫。
エメラルドグリーンと形容するのが最もしっくりする瞳を睫毛で隠して、ノア・アングレカは入り口に立ち尽くした。
父親のフェンネルと兄のイオを事故で亡くしてから、ちょうど三か月。
フェンネルの部下であり右腕でもあった男・ハヅキに支えられながら三か月を過ごしたノアは、実家での一人暮らしをスタートさせた。
遠方の親戚は、十一歳を迎えたばかりのノアが一人暮らしをすることに――養育費という名目の遺産獲得目当てで――反対していたが、「ノアは大学に在籍できるほど優秀な頭脳を持っており精神面も成人と同程度に成長している」というハヅキの口添えもあって渋々賛成したのだ。
ノアは、実家での一人暮らしに何の不安も感じていなかった。家事が人並みにできる以上困ることはなかったし、家事と勉強の両立は問題なく行えるだろうという自信もあった。
だから、何の問題もないはずだったのだ。
けれど。
(……この部屋に入れば、寂しさが埋められると思ったのに)
生活面に問題がなくても、寂しいと感じる心だけは、どうしようもない。
ハヅキは、親身になって接してくれている。新社長としての業務が忙しいにもかかわらず、週に二度はノアの様子を見に来てくれるし、親戚とは違ってノアの心に寄り添ってくれているのだから。
だが、ハヅキがどれだけ尽くしてくれても、彼は父親や兄にはなり得ない。家族を亡くしたノアの寂しさを埋めることなどできないのだ。
秋口の夕日が差し込む部屋を見回し、ノアはため息を吐く。
特定の宗教を信仰していないノアには「死後の明確なイメージ」というものがない。死んでしまった二人がどうなっているかなど分かりようがないし、そもそも「魂」と呼ばれるものの存在さえ懐疑的だ。
だから「魂になった二人が見守っている」などという言葉は特に信じていないのだが、「もし生前の二人が悲しみに打ちひしがれるボクの姿を見たら悲しむだろうな」との思いから前に進もうとしている。
(……そうだ)
寂しさは埋められないかもしれないけど、久しぶりにあの部屋に行ってみよう。
そう考えたノアはオープン型の直階段を下り、地下室へと移動した。
執務室より少し狭く感じられるその部屋には照明が複数取り付けられていることもあって、夕暮れ時でも十分明るい。
「……ん?」
久しぶりに地下室を見渡したノアがふと呟く。
視線の先にあるのは、階段下のスペースに置かれた蓋付きの木箱。
(前にこんなのあったっけ?)
思い返してみたものの、どうにも記憶がはっきりしない。この部屋に置かれているのはフェンネルが個人的に譲り先を探している品や元々一階に飾られていた品ばかりだから、数えるほどしか訪れていなかったのだ。
それにしても随分と大きな箱だ。ノアは箱を観察した。
どっしりとした構えのそれは正方形に近く、長辺は一メートル前後だろうか。長さや幅に反して高さは控えめで、多めに見積もっても六十センチくらいだろうと思われた。
(……開けてもいいんだよね? これ)
箱の前に両膝をつきながら考える。
ノアのためにコレクションルームと地下室を常時開放していたフェンネルは、譲渡予定の品に「お迎え待ち」と書いたメモを置いていた。だが、この木箱の上にはメモが置かれていない。周辺にもそれらしきものは落ちていなかった。
逡巡の末、ノアは木箱の蓋に手をかけた。
(一体何が入ってるんだろ)
この三か月間失っていた好奇心を取り戻したノアは胸を躍らせながら蓋を開けた。
中身は恐らく舶来品の類だろうが、まだ確認したことのない品には違いない。眺めているだけでもきっと楽しいだろう。
――楽しいはずだったのだが。
「…………」
箱の中に収められている〝品物〟を確認したノアは、蓋を開けた姿勢のまま固まった。
――とんでもないものを見てしまった、と思った。
――もしかしたら身内の犯罪を見つけてしまったかもしれない、とも思った。
箱の中に入っていたのが〝物言わぬ骸〟だったから。
(……警察に連絡しなきゃ……)
彼らしくない動揺の最中、ノアは現実的解決法を考えた。しかし、木箱の中に収められたそれをよくよく確認したあと、呟く。
「がいこつの、模型……?」
慌てて損した。
蓋を傍らに置き、安堵の息を吐く。
木箱に収められていたのは、精巧に作られたがいこつの模型だった。成人サイズと思しきそれは雪のように真っ白で、白い緩衝材の上で体を丸めるようにして横たわっている。
「……父さん、なんでこんな物買ったんだろ」
あまりにも人騒がせな〝品物〟に、率直な感想が口を衝く。
亡きフェンネルが珍品の類も収集していたことは知っている。だが、何故、がいこつの模型など購入したのだろう。
この模型は確かによくできているし、本物よりも白いであろう骨は傷一つなく美しいが、どう考えても使い道がない。上手く固定すれば飾りになるとはいえ、がいこつを飾りたい者はそう多くないだろう。
(がいこつは嫌いじゃないし、別に怖くもないけど……ここまで似せてると薄気味悪いよね)
この模型がもっと雑な作りであれば。もしくは人間らしくないサイズであれば、薄気味悪く感じることはないだろう。しかし、なまじ精巧に作られているがために薄気味悪さを感じずにいられなかった。
フェンネルが何故がいこつ模型を購入したかは謎のままだが、飾るつもりがなかったからこそ地下室に置いてあるのだろう。譲渡予定もないようだし「精巧ながいこつ模型が家の中にある」ことは忘れて過ごすほうが精神衛生上良さそうだ。
さっさと蓋を閉めてしまおう。そう思い、傍らに置いた蓋を取るべく上体を捻ったノアは――視界の端で何かが動いたことに、気付いてしまった。
「…………」
身じろぐような仕草をしたそれは雪のように真っ白で。
本来、自らの意思で動くことのない〝品物〟だった。
「――……」
「…………」
木箱というベッドの中、ゆっくりと上体を起こしたそれと目が合う。
暗い眼窩をノアに向けたそれは、まるで自我があるように首を傾げた。




