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発話代行サービス・イストリア  作者: 眠理葉ねむり
インターバル・前半
26/51

「何か」というもの

 給湯室(キチネット)から楽しげな声が聞こえてくる。

 腕時計に視線を向けたノアは座ったまま伸びをした。微かに漂うコーヒーの香りを吸い込み、ふっと息を吐く。


(盛り上がってるなあ)


 ただケーキを食べるだけなのに。

 間もなく行われる「月に一度の恒例行事」に想いを馳せ、心の中で呟く。


 イストリア社では、月に一度、午後の休憩にケーキを食べると決めている。

 とはいえ、もちろん社内規則は関係ない。エルトゥスが提案したものをそのまま習慣にしただけだ。

 では、何故「ケーキを食べる」などという習慣が根付いたのか。


「――サラさん、出張お疲れさまでした」


 それは、一泊二日の出張から戻った魔法使い(サラ)を労わるため。


 現在イストリア社で働いている人員は四名で、そのうち二人――経理のマリーと魔法使いのサラは、国立魔法研究所からの出向社員である。

 元々魔力に関する研究に携わっていたサラは、その優秀さを買われて模造骸骨(レプリカ・スケレトス)の経過観察係に任命された。

 しかし、その優秀さ故に経過観察だけをさせるわけにはいかず、研究所外でもできる研究に携わるよう命じられたのだ。「月に一度はンノー分所に結果や進捗を報告するように」とも。


 この話を聞いたとき、エルトゥスは、サラに対して居たたまれないほどの申し訳なさを覚えた。

 その理由は二つ。

 一つ目は、ンノー分所が非常に不便な場所にあるから。

 二つ目は、分所での滞在時間を延ばすため朝一番で直行し、翌日昼過ぎに向こうを経ったあとイストリア社へ戻って報告書の作成――という過酷なルーチンが毎月発生してしまうから。

 そこで、エルトゥスは「せめて何かさせてほしい」と好物の購入を申し出たのだ。「こんなことじゃ何のお詫びにもならないけど、せめて帰社直後はゆっくりしてほしい」と。

 もっとも、当事者であるサラは「その分の給金を貰っている」という理由から出張を不満に思っていないようだったが……。エルトゥスの厚意を素直に受け止めることにしたようだった。


「ありがとうございます」


 エルトゥスからケーキとコーヒーを受け取るサラは、にこりともしていない。

 別に、不機嫌なわけではないのだろう。彼女はいつもこんなふうで、喜怒哀楽を表に出すことがほとんどない。

 ただ、感情が表に出ないながらも、マリーとはそれなりに親しいようだ。


「――ノアさん、どうぞ」

「あ、ありがと」


 マリーからケーキセットを受け取ったノアが礼を言う。エルトゥスの善意でケーキは三人分用意されているのだ。

 また、立候補により、飲み物の用意と配膳は毎回マリーとエルトゥスに任せている。


 配膳を終えた二人はそれぞれ席に着き、エルトゥスを除く全員がケーキを食べ始める。

 いつもと同じく近くの店で買ったケーキだが、マリーは「おいしい!」と顔を綻ばせた。その姿を見たエルトゥスも嬉しそうに微笑んでいる。

 一方、「そうですね」と相槌を打つサラの表情は、ほとんど変わっていなかった。それでも間を置かず食べているところをみると、口に合っているのだろう。


(それにしても意外だよね。チョコレートが好きなんて)


 ノアとは違う方向で近寄りがたい雰囲気があるサラの好物はチョコレートらしく、出張後のケーキも毎回チョコレート要素があるものばかり。人を上辺で判断するのは良くないことだが、彼女と同じ場所で働いていても意外さは拭い切れなかった。

 まあ、ボクも甘いものは好きなほうだけど。そう思いながらフルーツタルトを食べていると、エルトゥスと談笑していたマリーが「そういえば」と言った。


「こうやって皆でケーキを食べるようになって、もう一年以上経つんですよね」


 あっという間だったなあ。噛みしめるようなその言葉に、エルトゥスは「もうそんなに経つんだ」と驚き交じりに答える。

 ――ノアたちがイストリア社を立ち上げたのは、二年半前。フラッタに事務所を構え、マリーやサラを雇ったのが約一年後だから、一年半近い月日が流れている。


「マリーさんは研究所に入社したばっかりだったんだよね。……急に田舎(フラッタ)で働くことになって大変だったんじゃない?」

「そんなことないですよ。まあ、働く前はどんなところなんだろうって思ってましたけど……引っ越してみたら便利で暮らしやすい街でしたし、映画館もあるし、出向になってよかったなって思ってます」


 だからこそあっという間だったのだと、マリーは笑う。

 ただ、彼女の顔がどこか曇っているように感じたノアは、二人の会話に割り込んで尋ねた。


「マリーはなんで浮かない顔してるの?」

「えっ?」


 マリーが目を瞬かせる。直球の問いに驚いたようだ。

 しかし、驚いたのはマリーだけではない。海色の目を丸くしたエルトゥスは、ノアとマリーを交互に見つめ、不安そうな顔でマリーに向き合った。


「もしかして、僕たちに何か問題が……?」


 もしそうだとしたら、被雇用者のマリーは絶対に肯定しないだろう。はっきり言って意味のない質問だ。


「そんなことないです!」


 ノアの予想通り、マリーはエルトゥスの問いを否定した。

 ただ、その返答は、即答と言っても差し支えないほど早かった。――彼女はエルトゥスを特別視しているようだから、ノアはともかくエルトゥス相手に問題など感じようがないのだろう。


「じゃあ、どうして……?」

「えっと……大したことじゃないんですけど……」


 そう前置きして、マリーは答える。


「……ここで働いてると、私って特に取り柄のない人員なんだなあって思うことがたまにあるんです。私だけが何もできないんだって」


 取り柄がない。要するに「特別な能力や才能がない」ということだろう。

 現在、イストリア社で働いている人員は四名。そのうち三名が「特別」と呼ばれる何かを持っている中、マリー・フロックハートだけがそれを持ち得ないのだ。無力感を覚えてしまうのも無理はない。


 だが、とノアは思う。

 そして、そう思ったのはノアだけではなかったらしい。


「――経理の仕事ができてもだめなの?」


 エルトゥスが不思議そうに尋ねる。本当に理由が分からないと言いたげな表情だった。


「だめって言うか……全然特別じゃない仕事でしょう?」

「そんなことないよ」


 エルトゥスは首を横に振って言う。


「専門的で大変な仕事だと思う。それをちゃんとこなしてるマリーさんはすごいし、何もできないなんてことないよ」

「……そうですか?」

「うん」


 力強い肯定にマリーの頬がうっすら赤くなる。

 ただ、エルトゥスはそれに気付く様子もなく会話を続けた。


「それに――もしもマリーさんが〝皆が持っていないような能力〟を持っていたとしても、それを誰かのために使わないのなら、きっと持っていないのと同じなんだと思う」


 持っていないのと同じ。

 そう話すエルトゥスはどこか遠くを見るような目をしていて。

 その姿を眺めたノアは、ふと昔を思い出した。

 ――持っていないのと同じだった、かつての自分を。


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