4:ファーストコンタクト
夜間に限れば、周囲に山や田畑しかない場所にいるよりも、家々が立ち並ぶ町中にいるほうが静かなのかもしれない。
暗闇と静寂に包まれた部屋の中、ベッドに腰かけていたエルトゥスは、ぼんやりとそんなことを考えていた。
ドラゴが用意してくれたのは、サ・リュダ教会から徒歩十分の場所にある、個人経営の宿だった。メモリアインとは違い二階建てで、外付け階段から入る二階部分が宿泊者用施設となっている。
ダブルベッドと鏡台が置かれた寝室は左程広くないものの、リビングや洗面所は独立しているため、小規模なホテルに泊まるよりもゆったりと過ごせそうな空間だ。
(そろそろ起こさないと)
現在時刻を確認したエルトゥスは部屋の灯りをつけ、眠っているノアの体をそっと揺らした。
「ノア、起きて」
「んー……」
「もうすぐイラスさんが迎えにくる時間だよ。準備しなくちゃ」
「分かってるよ……」
エルトゥスに促され、ノアは眠たげに目を擦った。朝型のノアは寝起きもいいほうだが、普段より一時間半早い起床だから体がついていかないのだろう。
「着替えてくる」
欠伸交じりに言いながら洗面所へと向かうノアの後ろ姿を見送りつつ、エルトゥスは思う。
(僕も起きるの苦手だから分かるなあ)
魔力製のがいこつ――模造骸骨。
生物らしからぬ単語は睡眠の必要性を一切感じさせないが、実際は睡眠を要する種族だ。
そして、その理由は動力源にある。
飲食できない模造骸骨は「自らを構成する魔力そのもの」をバッテリーとして使用しているため、消費分を睡眠で回復しているのだ。
もっとも、燃費はかなりいいようで、意図的に魔力を操らなければ眠る必要はなかった。また、使用したエネルギー量に応じて眠気を感じる仕組みになっているため、気付かず無理をしたこともない。
悪くない仕組みだと、エルトゥスは思う。「人間のそれと似た経験ができる」という意味でも。
「ふぁ……」
起床から約十分後、身支度を済ませたノアがリビングに姿を現す。
今朝のノアは、少しくすんだ赤のオフタートルにグレーのズボンを着用していた。春先とはいえ気温が低いことを考慮してか、生地はやや厚めだ。
「今日も可愛い服だね」
「でしょ?」
亡霊の確認後は成否にかかわらず町を散歩する予定とはいえ、随分と可愛い服を選んだものだ。そう思い話題を振ると、ノアは満足そうに答えた。
「早起きしないといけないからテンション上げようと思って。似合ってる?」
「うん、似合ってる。ノアは服選びが上手だね」
「へへ……。エルって色々鈍いのに褒め上手だよね」
「……それ、褒めてるの?」
微妙に貶されたような褒め言葉も引っかかるところだが、それ以上に「色々鈍い」という言葉が気になった。――どの辺りが鈍いのか具体的に教えてほしい。
しかし、今のノアにはエルトゥスの言葉など聞こえていないようだ。「エルもそろそろ仕事着を新調しようよ」と、質問とはまったく関係のないことを上機嫌で話している。
今日は視察ということもあってニットシャツにズボン姿のエルトゥスだが、普段は私服の上に「刺繍が施された紺地のフード付きローブ」を着用している。
何故そんなものを着ているかというと――「発話代行人っぽい雰囲気を出したい」と、ノアが提案したからだ。
現状、発話代行人はエルトゥスしかいない。だから「発話代行人っぽい」も何もないと思うのだが、ノア曰く「分かりやすい特徴があったほうがいい」のだという。
事実、エルトゥスのローブは依頼人に好評だった。服装に一家言を持っているノアが特注したおかげでエルトゥスに似合いのデザインだったし、優しげな青年が魔人風の衣装を着ているというアンバランスさもよかったようだ。
「今度は白ベースの布に金糸で刺繍を入れよう。絶対似合うから」
「そんな、もったいないよ。それに、白は汚れが目立って手入れが大変――」
「もう! そんなこと言ってたら白い服なんて永遠に楽しめないでしょ!」
ノアは唇を尖らせた。
どうやら何が何でも白いローブを着せたいらしく、エルトゥスを見ながら「全面に入れるのも綺麗だけど、神々しさを出すためにあえて刺繍を少なめにするのもいいよね」とぶつぶつ呟いている。
「……模造骸骨に神々しさなんて要らないと思うけど……」
現在では「魔人が戦争を起こしたのは人間が一方的に迫害したせいだ」と好意的に受け止められているが、かつての模造骸骨は魔人同様疎まれ、歴史に埋もれた存在だ。
そんな存在に神々しさを求める者など誰もいない。もし求める者がいるとすれば――それは、魔人や模造骸骨を過度に崇拝する狂信者だろう。
信仰の自由は尊重されるべきだが、魔人や模造骸骨を狂信的に崇める者はいないほうがいい。
そんなことを考えながら、エルトゥスはノアの目の前で手を振った。
「ローブの構想はあとにしたほうがいいんじゃないかな。そろそろイラスさんが迎えにくる頃だろうし……」
「ああ……そうだった」
いいところなのになあ。ぼやいたノアが外付け階段に向かう。文句を言っても仕事はきちんとするのが彼らしい。
外に出ると、ドラゴは既に到着していた。エルトゥスは気温を感じる能力がヒトよりやや弱いため分からないが、少し肌寒いらしく、この時期には着ないような厚手のコートを羽織っている。
「おはようございます。お待たせしてすみません」
「いえいえ、時間ぴったりですよ。私が早く来ただけですのでお気になさらず。……では、行きましょうか」
口元を引き締めたドラゴは「こちらです」と先頭を歩く。
夜明け前ということもあり、外に出ている者はほとんどいなかった。家々の灯りがまだ点いていないアトウの町は静まり返っている。
暗い色合いに覆われた町を見回しながら、ノアはドラゴに声をかける。
「風情がある町だね」
「建物の美しさには自信があるんです」
ドラゴは嬉しそうに微笑んで答えた。
彼曰く、昔から林業が盛んなこの町は、建築材に木材と漆喰を用いるのが伝統のようなものらしい。木材部分をダークブラウンに塗装するのもまた伝統で、コントラストが高く美しい家々は近年観光資源にもなっているそうだ。
観光情報を聞きながら歩くこと約十分。三人は目的地であるサ・リュダ教会に到着した。
建ち並ぶ家々とは違い、サ・リュダ教会は石造りの建物だった。暗闇の中でも浮かび上がるようなライトグレーを基調としており、シンプルなデザインのアーチ窓が側面にいくつか設けられている。
建物の左側には埋葬用のスペースがあって、一定の間隔を取って墓石が建っていた。ラーダの遺体もあの中のどこかに埋葬されているのだろう。
(あとでお参りしよう)
ヒトではない自分が祈ったところで意味はないかもしれないが、気持ちだけは届くはずだ。
頷いたエルトゥスはノアに小声で尋ねた。
「ねえ、教会ってどうして石造りが多いの?」
「さあ……。考えたこともなかったよ。そもそもボクは特定の神様っていうものを信仰してないからね」
だから教会にも縁がないのだと、ノアは軽く肩を竦める。
宗教というものが一定の収束を見せたこの国――テトラノールでは、ノアのように特定の宗教を信仰していなくとも非難されることはない。
そのため、ノアは「神様はいるかもしれないけど特定の宗教には属さない」というスタンスで生きている。
ただ、特定の宗教に属さない者自体はそれほど多くなく、大抵はそれぞれの宗教によって異なる神を信仰し、祈りを捧げることが生活の一部となっていた。
「ラーダの亡霊が出るのはあの森の中です」
教会の背後にそびえ立つ木々を指し、ドラゴは言う。声を潜めたのはラーダに対する恐れからだろうか。暁闇の中で見る表情は曇っていた。
「では……行きましょう」
「はーい」
ドラゴに促されるまま、ノアとエルトゥスは森に向かって歩き出す。
どこか怖がっているようなドラゴとは対照的に、ノアは少しも怖がっておらず、エルトゥスは薄暗い森の中をきょろきょろと見回していた。
(……ちょっと落ち着かないな)
枝葉を伸ばす背の高い木々の隙間へと視線を漂わせながら、意味もなくニットの袖を掴む。
ドラゴのように夜の森や亡霊を恐ろしく思っているわけではない。不気味さは感じていたが、ヒトではないエルトゥスには恐ろしいと思う要素がなかったのだ。
だから、恐ろしくはなかったが――「奥に何かいるかもしれない」という得体の知れない不安は、エルトゥスを落ち着かない気分にさせた。
「――いました」
先頭を歩いていたドラゴが小声で言い、足を止める。
黒々とした地面が背の低い草で覆われたその場所には、薄いブルーのワンピースを着た少女――ラーダ・ミランが立っていた。彼女は三人から見て右側を向いており、ドラゴが言っていたようにぼんやりと光り輝いている。背は低く華奢で、肩甲骨の辺りまで伸ばした柔らかな金髪が印象的な女の子だった。
「声をかけていいの?」
「ええ。コンタクトは取れないかと思いますが……」
「分かった。じゃあボクとエルで近付いてみる。――行くよ」
「……うん」
ノアに促され、エルトゥスは足を踏み出した。なるべく足音を立てないように歩いているつもりだが、地面を踏みしめる音が必要以上に響いているような気がしてならない。
「――リトマさまは?」
細心の注意を払いながら二歩ほど距離を縮めたとき、どこか遠くから聞こえるような不明瞭な声が辺りに響いた。
ぱっちりとした目に宿る琥珀色の瞳は、確かに二人を見つめている。
「キミがラーダ?」
自分たちを認識しているラーダに、まずノアが声をかけた。だが、返事はない。
「……ラーダさん?」
続いて、エルトゥスが声をかける。
やはり、返事はない。
やがて琥珀色の瞳を金色の睫毛で隠したラーダは、ぼんやりと輝くその顔に残念そうな色を浮かべ、呟いた。
「――さみしい」
「え?」
「どうして話しかけてくれないの?」
わたしのこと、忘れちゃったのかな……。
俯きがちに呟いて、ラーダはその場から姿を消した。踵を返すでも足元から消えるでもなく、まるで最初からそこにいなかったかのように。
「――接触はできるみたいだけど」
少女の声を失ったことで一層静けさを増した森の中、ノアが口を開く。
「コンタクトは難しそうだね」
背の高い木々の隙間から覗く空は、徐々に明るさを取り戻し始めていた。




