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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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対ソ連戦略

 戦後の日本は、米国の占領と言う屈辱から始まった事は周知の事実である。だが、それは米国と敵対して距離を置き、対米戦略をきちんと持たなければならない戦前レジームからの脱却も意味していた。戦争に負け対米戦略を考える必要が無くなり、戦略上の仮想敵国はソ連や中国になった。

 この当時は専らソ連を意識する必要があった。対ソ戦さえ考えていれば、一応日本は独立国の体裁を保てた。とは言え、戦後直ぐにソ連に本土を制圧されなくて本当に助かった。在日米軍が居るとは言え、戦後日本を舞台に大規模な戦争が起きなかった事は、日本にとっては不幸中の幸いであった。ソ連とて日米を相手に犠牲を払ってまで、そこまでして日本に干渉するつもりは毛頭無いだろうが、冷戦が深まるにつれてソ連は米国を筆頭とした東側陣営に対して強硬な姿勢をとって行く。

 日本も対岸の火事ではなく、東側陣営の最先端で、極東ソ連軍と対峙して行く。北方領土問題もあり、戦後の仮想敵国の筆頭はソ連であった。具体的な行動事例として、陸上自衛隊の部隊を北海道に重点配備して、それを海上自衛隊と航空自衛隊がバックアップする。と言う単純明快なものでその態勢は冷戦が終わり、中国が大国となるまで続いた。しかし、北方領土問題以外には日本とソ連が直接争う課題は実はあまり無かった。

 その為、戦後統治をもし仮に米国ではなく、ソ連が行っていれば(有り得がたい仮説だが…。)もしかすれば、日本は共産国家になっていたかもしれない。ソ連側としては、シベリア抑留よりも遥かに大きな日露戦争の借りを返せたかもしれない。だが、それを理由にして戦争が行える余裕はソ連には無かった。核兵器や宇宙と言った領域で米国を上回ろうとしたソ連だったが、そんなソ連が日本を実効支配するメリットはない事は自明の理であった。

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