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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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航空自衛隊浜松基地

 航空自衛隊の設立に伴い必要なのは、パイロットと機体だけではない。それらを育成・運用する為の中核となる基地も必要であった。

 その中心とななったのが、静岡県浜松市にある航空自衛隊浜松基地である。首都圏に程近く、航空機を持ってすれば、首都圏防空が可能で容易な場所である。たまたま、米軍から返還されたのは事実だが、浜松基地は現在も航空自衛隊の主力基地として、存在している。また浜松基地は、パイロット育成の為の操縦学校・幹部学校・整備学校・通信学校等の発祥の地とされている。それだけに航空自衛官にとっては、浜松基地は重要な場所なのである。

 航空基地ともなると、滑走路など巨大な敷地面積が必要である。そう言う事情もあって、浜松基地等が日本では旧日本軍が保有していた航空基地を先立って返還された訳である。首都圏防空の重要性は、米軍にとっても悩みの種であった。今すぐに首都圏の重要基地を返還してはならないと言う慎重派が米国の主流だったので、まずは郊外の基地から返還を進めた訳であった。

 航空自衛隊がその任務を遂行する為には、まずその土台を作る事から始める必要であった。浜松基地はその為の布石である。10年、20年後の航空自衛隊や日本の未来の為に、この時期は踏ん張り所であった。土台を作る事こそ、戦後の黎明期の航空自衛隊には、必要な事であった。

 何事も一朝一夕にはいかない。何よりも、陸海各自衛隊とは異なり土台が無い。だからこそ土台を作る重要性を説いているのである。それを怠れば、将来の航空自衛隊が花を咲かせない事になる。それは日本の未来の為にはならないだろう。今やれる事は今やる。それが日本の将来の為に繋がる。

 はっきり言えば、今の航空自衛隊があるのは、戦後の黎明期からコツコツと積み上げてきた実績と航空自衛隊員のたゆまぬ不断の努力があったからである。それが無ければ日本の航空自衛隊は、名ばかりになっていた事は明確である。米国主導とは言え、航空自衛隊員は全員日本国籍を持つ日本人である。日本人による日本人の為の組織であるからこそ、日本の国益を守れるのである。浜松基地はそのスタート地点だったのであった。

 「市田島3尉!聞いたよ。米国に行くんだって?」

「遊びに行くのと違うんすよ?徳橋3佐の様に余裕はないんですよ?」

「それは心外だな。私だって山の様に来る航空自衛官の世話で手一杯だ。米国は私も行ってはみたい。一度はな。」

「徳橋3佐の一声があれば、航空幕僚監部も自分の目付役として、一緒に行けるんじゃないですか?」

「考えておく。」

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