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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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特攻の生き残り①

 下巻~空の章~

 特攻と言うと、海軍ばかりが目立った行動をしていたと、思ってしまうが、実は陸軍もかなりの人数が特攻によって戦死している。市田島準平(いたじまじゅんぺい)もそんな陸軍特攻部隊の生き残りであった。

 市田島準平は、特攻に出撃出来なかった事を、怒り心の何処かで安心している自分がいた。終戦を迎えるまでは、いつ死んでも悔いの無いように準備していた。幸い家族は両親兄弟以外はおらず、独身であった。帝国陸軍に志願したいと決めた時から、家族は準平の死を覚悟した。だから、市田島準平も潔く大日本帝国の為に死ぬ事を覚悟した訳である。

 どんなに仲間が戦死しても、「生きたい」等と言う事は、許されない時代であった。本来、人間は生きたいと思うのが本能である。特攻がそれを否定しても、人間の生存欲求は、変えられない。特攻がどういうものか、帝国陸軍曹長であった市田島準平には分かっていた。大量の爆弾を抱えて敵艦隊に向けて突入する。だが、敵は既に特攻になれており、いなずもがな重い陸軍の特攻機では、直ぐに打ち落とされるのが、通例だと経験上理解している。

 実際、陸軍や海軍の多くの機体は敵のインターセプト(戦闘機による迎撃)で、殺られている。そもそも、陸軍機の多くは鈍重でスピードが遅く、特攻には不向きであった。だが、大本営は、それを知った上でも尚、特攻にこだわった。特攻で死ぬ事を天皇陛下への忠誠や殉教的な要素が含まれる為、形だけでも戦闘を継続している事を見せる事で、戦争継続に否定的な勢力にアピールしたかったのだろう。

 あの時代あの場所においては、特攻は愚かな死に方ではなく、日本に残された道は最早竹槍による一億総玉砕しか残されていなかった。市田島準平はとにかく、自分に出来る事は特攻を命じられたら、速やかに作戦を実行する事しか出来なかった。とは言え、ただ、航空機を垂直降下させるだけの事であったが…。市田島準平は、第二次世界大戦で多くの戦友の死を目の当たりにして、戦争の厳しさを嫌と言うほど知った。

「特攻は統率の外道」

と、特攻の父大西瀧治郎海軍中将は語っていたが、特攻による米国への影響は甚大なるものがあり、作戦は可能な限り継続されてしまった。米軍も対特攻用兵器を開発する様になってからは日本軍の特攻成功率は大幅に低下。ありとあらゆる人命度外視の特攻が試されたが、最もポピュラーだった航空機による特攻成功率でさえ約20%であった。それでも日本軍のどの作戦よりも成功率自体は高かった。

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