番外編 手紙 後編
お読みいただきありがとうございます。
「え?」
チェムが訝し気に頭上を見上げる。
空から、ヒラリヒラリと白い何かが降ってきた。
呆けていたエクレールが我に返る前に、チェムの長い手がその白へと伸ばされる。
(――――あっ! きゃあっ! ダメよ!)
その様子を見たエクレールは、慌ててとび跳ねた。
チェムの手が掴む前にその白を奪おうとして――――しかし、数十センチの差で果たせない。
陽光の中からチェムが掴んだのは、白い“封筒”だ。
「……これは? 手紙?」
「チェム! 違うの。それは……私の!」
エクレールは続けてピョンピョンとび跳ねて、なんとかチェムから手紙を取り上げようとした。
チェムは、そんなエクレールに驚き呆気にとられる。手紙と彼女を交互に見比べ――――興味津々で手紙に視線を向けた。
「……僕宛の手紙だ――――『チェムへ』って書いてある。差出人は…………えっ!? メル!!」
大声を出してチェムは固まった。
エクレールは頭を抱えてしまう。
「チェ、チェム。それはその――――」
「……これって、時空魔法?」
さすがチェム。既に亡くなったメルからの手紙が“今”届く事態の原因をピタリと言い当てる。
既にここまできては誤魔化すわけにもいかず、エクレールはコクリと頷いた。
時空魔法とは、文字通り時間と空間を操る魔法である。ただし、過ぎてきた時間は変化しないため魔法が干渉できるのは未来の時間のみ。しかも難しい割に効果は小さく使い勝手の悪い、いわゆる外れ魔法と称される魔法だった。
(一番メジャーな時空魔法の使い方は、目覚まし時計だもの)
今から何時間後の未来に耳元で大きな音を鳴らすよう魔法をかけるのが目覚まし時計の魔法だ。普通に市販の目覚まし時計を買ってセットする方が、ずっと簡単なのは言うまでもないだろう。
メルも、時空魔法を使えはしても実際に使うことなど滅多になかった。
しかし、最期にチェムを祝った誕生日のあの日。自分の命があとわずかだと感じた時に、時空魔法を使い、書き上げた手紙を未来のチェムに送ってしまったのだ。
(あの時のメルを叱りつけてやりたいわ!)
自分は死んでしまうからと思ったのだろうが、転生し昔の自分の書いた手紙を読まれるこちらの身になってほしい!
(こういうのを黒歴史って言うのよね)
あの時は、チェムがメルに『生まれ変わって僕を見つけて』と約束させた直後で、メルはそんな未来を半信半疑に思っていた。約束はしたものの、記憶を持ったまま生まれ変わり再び出会う確率が、どれほど低いかわかっていたのだ。
だからこそ、あの手紙を書いたのだが――――
(しかも、私ったらそのことをすっかり忘れてしまっていたし)
なかったことにしたいのが黒歴史だ。そう考えればエクレールが手紙のことを忘れたのは仕方ないことかもしれない。
(こんな手紙があると覚えていたら、あの円形闘技場でチェムに忘却の魔法をかけたりしなかったのに!)
あそこで忘れさせても、手紙が届けばその時点でチェムは思い出してしまうだろう。つまりあの魔法はまるっきりの無駄だったばかりか、今となって思えば墓穴を掘ったも同然の魔法だったのだ。
(べ、別に今の状況が不満だとか嫌だとか、そういうことじゃないけれど――――)
ここで“手紙”が届くのが、とてつもなく恥ずかしい!
――――後悔先に立たず。事が終わってしまってから悔やむから後悔というのだと、エクレールはしみじみと実感する。
「チェム。いい子ね。その手紙をそのまま私に渡してちょうだい。それは……ちょっと……その……あれなのよ! ……ねっ!」
自分でもわけのわからぬことを言って、エクレールはチェムから手紙を取り上げようとした。
当然チェムが言うことを聞くはずがない。
「ごめんね。その“お願い”はいくらエクレールの言葉でも聞けない。だってこれはメルが僕に宛てた手紙だから」
――――非の打ちどころのない正論である。
チェムは、エクレールが炎の魔法で手紙を燃やしたり風の魔法で吹き飛ばしてしまったりしないよう強固な結界を張って、封を開けた。
チェムの魔法は、繊細さではエクレールに及ばないが強固さにおいては彼女の上を行く。
「チェム!」
手も足も出ないエクレールの見る前で、チェムは封筒の中からゆっくりゆっくり手紙を取り出した。
「……ああ。メルの字だ」
泣き出しそうなチェムの声に――――エクレールも諦める。
もはや、止める術はない。
――――開いた手紙の文字は、ひどく弱々しく震えていた。
メルの手に力が入らなかったためだろう。
儚いその字に一瞬顔を歪めたチェムは、黙って手紙を読みはじめた。
全てを思い出したエクレールは、見なくてもその中身を知っている。
◇◇◇
――――チェム。
『お誕生日おめでとう』
あなたがこの手紙を読んでいる時、既に私はいないでしょう。
それとも、生まれ変わった私が、あなたを見つけ出しているかしら?
――――でもね。そんなことはどうでもいいの。
今、あなたの側に生まれ変わった私がいようといまいと、どうでもいい。
今の私が気になるのは――――あなたのことだけ。
チェム――――あなたは、幸せ?
ちゃんと笑えている?
毎日、おいしいものを食べて、温かな布団で安心して眠れている?
あなたの愛する人と――――あなたを愛してくれている人と、一緒にいるの?
それが“私”でなくても、そんなことは本当にどうでもいいのよ。
私が願っているのは、あなたの幸せだけ。
あなたが幸せなら、それでいい。
他はどうでもいいの。
幸せになってね。
それだけが私の望みよ。
―――――メル。
◇◇◇
短い手紙だった。
長い文章を考えるだけの思考力が、もうなかったのだから仕方ない。
ただそれゆえに、素直なメルの心だけが綴られた手紙だった。
「……チェムが泣いたりするから、だから手紙を書こうって思ったのよ。私が死んで直ぐに手紙が届いても、きっとチェムは私を忘れて幸せになりたいなんて思えないだろうって思ったから、十年――――ううん、十五年くらい経って、その次の誕生日くらいならチェムも素直に私のお願いを聞いてくれるかなって思って――――」
自分が生まれ変われるかどうかはわからない。もしも果たせるものならば、転生した自分の手でチェムを幸せにしてやりたいが――――そうでなかったとしても、チェムが幸せならばそれでいい。
チェムの幸せこそが自分の望みなのだと、それをわかってほしいと思って書いた手紙だった。
最初から最後までチェムへの想いだけで綴られた手紙に、エクレールの頬は熱くなる。
恐る恐るチェムを見れば――――彼の美しい青紫の目からは、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
手紙を握り締めたまま、大の男がガクリと膝をつく。
「ああ! やっぱり! もうっ、チェムったら本当に泣き虫なんだから! ……これもあるから尚さら手紙を見せたくなかったのよ!」
慌てたエクレールは、チェムの背中に手を回した。
「チェム、チェム。泣かないで。……いるわよ。私は、ここにいるから!」
「……あ……メ――――エクレール」
「メルでいいわよ。今日はメルでいいから」
エクレールはチェムを力いっぱい抱きしめる。
チェムもすがるように抱きついてきた。
「メル、メル……僕のメル!」
泣きながら、名を呼ぶ。――――今はもうない名を。
「メル。愛してる……愛してる!」
「……私も愛しているわよ。チェム」
嗚咽を堪えてチェムは、エクレールの肩へと顔を埋めた。
熱い涙が止まるまで、エクレールはそのままチェムを抱きしめていた。
しばらくして、チェムが落ち着いたころ、エクレールは小さな声でたずねる。
「……チェム、チェム……あなたは幸せ?」
いや。たずねたのはメルだったのか。
「幸せだよ。メル。……この上なく」
低い囁きが返ってくる。
「……良かった」
メルは笑った。
「お誕生日おめでとう」
もう一度、告げる。さっきのお祝いはエクレールからで、今のお祝いはメルからだ。
「……ありがとう」
この日はチェムにとって特別な――――とても幸せな誕生日になった。
◆◆◆
なお、気になっておられる読者さまがいると悪いので追記しておくが――――
二人の背後で屍となって転がっていた騎士たちは、かなり前から意識を取り戻し起きていた。
ただ、その際に目に飛び込んできた光景が、わんわんと泣きじゃくる世界最強の英雄と、その彼を「もう、本当にチェムは泣き虫ね」と慰める令嬢という信じられぬものだったため、動くに動けずジッと息を潜めていた。
彼らは本能で、これが見てはいけないものだとわかったのだ。
気絶した時の格好のまま長時間固まっていた彼らが、後日筋肉痛になったことを、ここに記しておく。
短いこのお話を一冊の本にできたのも読んでくださる皆さまのおかげです。
いつもいつも本当にありがとうございます!
どうぞこれからも九重をよろしくお願いいたします!!