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 地上は月夜だった。海王と遙が陸に上がると、二つの人影が走り寄る。

「遙ッ!」

 先に駆け寄って来たのは設楽だった。叫ぶように名前を呼ぶと、遙の濡れた体を力いっぱい抱き締める。

「苦しい苦しい!」

 慌てて肩を叩くが、設楽はガンとして離さない。

「遙ッ! 遙ッ!」

 感極まって他の言葉が出て来ない設楽に遙は思わず笑みを漏らすと、大きな背中をギュッと抱き締め返した。

「ただいま、設楽先輩」

「遙……」

 設楽はようやく我に返ると、少しだけ身体を離して遙の無事を確認する。

「怪我は無いか」

「無いよ」

 遙は笑いながら答えると、設楽の涙で濡れた頬に手を伸ばした。拭ってあげようとしたのだが、自分の手の方が濡れていたので、かえって余計に濡らしてしまって笑う。

「ごめん、濡らしちゃった」

 えへへ、と笑いながらおどけて言うと、再びギュッと抱き締められる。

「ぐえッ! 痛い痛い!」

 遙は思わず声を上げると、設楽の背中を必死で叩いた。

「ご無事で、海王」

「うむ。心配を掛けたな、貢」

 海王は小松崎に頷き掛けると、遙を抱きすくめている設楽を見やる。

「あれを引き剥がしてやれ。遙が苦しがっておる」

「彼の心労は傍で見ていても痛々しい程でした。このくらいはどうぞお見逃しを」

 海王の言葉に小松崎が笑いながら返すと、海王は露骨に眉を寄せて鼻を鳴らした。

「お前は守を甘やかし過ぎる」

 そしてそう言うと、いざり寄って設楽の頭を小突いた。

「イテッ!」

「いい加減に離さぬか、このバカ者が」

 海王は設楽が一瞬怯んだ隙に遙を取り返すと、ヒタと見据えて言葉を継ぐ。

「忘れるな。今は預けて行くが、遙が大人になったら必ず迎えに来る。努々(ゆめゆめ)手出しするでないぞ」

「何だよそれ!」

 海王の言葉に、設楽が憤慨して睨み付ける。もはや畏怖もへったくれもなかった。

「遙は人間だ! 海の底になんか行くもんか!」

 すると、それを聞いた海王がフフンと鼻で笑う。

「遙はわたしと幸魚を食べた。二人きりでな」

 途端に設楽が凍りつく。

「遙は同じ寝台の上でわたしの尾を褒めた。綺麗だと言って何度も何度も撫でながらな」

 海王がここぞとばかりに追い討ちをかけ、その言葉に小松崎が感心したように遙を見た。

「凄いな、遙。どこでそんなテクニックを覚えたんだ」

「はあ?」

 遙は意味がわからずに眉を寄せる。どこからそんな話になったのかと思い、自分を抱き寄せている男を見上げると、海王も遙を見下ろして、唇を横に引いて甘く笑んだ。

「寝顔も可愛かったぞ。目覚めたばかりのうっとりとした表情を額に入れて飾っておきたかったくらいだ」

 海王はそう言うと、遙を自分から離して小松崎に渡す。

「というわけだから、遙はお前に預けておく。二十歳になるまで大切に守っておれ」

「遙の保護者は設楽なのですが」

 海王の言葉に、小松崎が苦笑混じりに返す。その言葉に、遙は憤慨してムゥと顔をしかめた。

「保護者って何だよ。ひとを子供みたいに!」

 プッと唇を尖らせて文句を言うと、海王に頭を撫でられる。見上げると、美しい長が名残惜しそうに微笑んだ。

「では行く。会いたくなったらいつでも呼べ。あまり期間を空けてくれるなよ」

 最後の一言は甘く囁くように言う。遙はコクンと頷くと、うっかり泣きそうになって海王に抱き付いた。


「これはチャンスかもしれない」

 海王を見送り、再び送迎の車に乗って家に戻ると、小松崎が自室中央で腕組みをして呟く。設楽と並んでソファの上で膝を抱えて座っていた遙は、何のことかと視線を上げた。

「チャンス?」

 問い掛けると、小松崎が頷きながら振り返る。

「君はあの城を見て何も思わなかったかい?」

 遥は真っ暗な海底で白く朧に輝いていた竜宮城を思い出す。小松崎は言った。

「あれは宇宙船だよ。見ただろう、あの星空を。あれは海で言うところの『海図』だ。いわばナビゲーションシステムのようなもので、目標座標を入力するとそこへの道筋が浮かぶ仕組みになっている。しかも、あの海図は太陽系を離れて遠く銀河系の彼方にまで続いていた。これが何を意味しているかわかるかい?」

「僕達のご先祖様は銀河系の外から来たってこと?」

 遙が尋ねると、小松崎が満足そうに微笑んで「正解」と答える。

「僕の兄は機械いじりが趣味でね。調べてみると、あの船は調査船だということもわかった。ここから先は僕の推測なのだが、おそらく何らかの理由で他の星への移住を考えた生命体が調査団を派遣して地球を見つけたのだろう。しかし、地球はまだ惑星になったばかりで地中も大気も不安定だった。そこで調査団は比較的安定している海底に留まり、調査を開始した。地球が自分たちの第二の故郷たり得るかどうかを見極める為にね」

「第二の故郷……」

 遙は何かの番組で観た太古の地球を思い出す。まだ生き物が派生したばかりの頃で、海の中では四足の爬虫類の先祖が泳ぎ回っていた。

「しかし、その後調査団は母星への帰還を断念した。船の故障か、はたまた母星に何かあったのか。とにかく僕らの先祖はここで生きて行くことを決め、船を城として栄えた」

「でも、あの船は生きていたよ。そんなに長いこと持続出来る動力源ってあるのかな」

 地球創生の頃からというと、気の遠くなるような年月である。俄かには信じられずに尋ねると、小松崎が途端に目を輝かせて微笑んだ。

「僕の関心もそこにある。半永久的に動き続ける動力源が発見されれば人類の未来は飛躍的に進歩するだろう。しかし、同時にそれは未知の危険をも孕んでいる。考えてみてくれ。あの城は太平洋プレートの上に建っていて、いずれは大陸プレートの下に引きずり込まれる運命だ。日本海溝の奥で巨大なエネルギーが爆発したら地球はどうなると思う?」

「あ……」

 想像した遙は思わず焦る。地殻に大きな衝撃を受けたら地球はどうなってしまうのか。遙には見当もつかなかった。

「そこで僕は人魚たちが避難する為の施設の建設に取り掛かった。着工から三年を要したが、ほぼ完成して、今は国の許可が下りるのを待っている。表向きは海洋施設ということになっているのでね」

「ほえぇ……」

 遙は言葉を無くしてただただ目を丸くする。しかし、すぐにハタとあることに気付いた。

「でも、船はどうするの?」

「動力部を船から外す。その為の技術スタッフも揃えた。ただ、それはあの船の調査が全て済んでからだ。あの船はどこもかしこも素晴らしい。海王と一晩寝たのなら、あのベッドを見ただろう。あれは蓋を閉めると完全密閉のカプセルになる。必要な時まで船員を眠らせておく為の冷凍睡眠装置だよ」

 『一晩寝た』の辺りに揶揄するような響きを感じ、遙はムゥと唇を尖らせる。すると、それを見た小松崎がニヤリと笑った。

「人魚は婚姻が成立すると幸魚を二人で分け合って食べる風習があってね」

 そう言えば林鐘もそんなことを言っていたのを思い出す。しかし、あれは用意してあったから食べただけだと海王は言っていた。そう言うと、小松崎が含みのある目で笑う。

「本当に? あれだけの文明を持った種族が、本当に丸のままの魚を自分の爪でさばいて手掴みで食べると思っているのかい?」

 小松崎の言葉に、遙は驚いて目を見開く。「違うの?」と恐る恐る尋ねると、小松崎が再びニヤリと笑った。

「少なくとも僕の時は、数人の給仕がシェフの切り分けた魚を皿に盛り付けてくれたよ」

「ガーン!」

 遙はあまりのことにショックを受けて固まる。すると、小松崎が更に言った。

「そして、幸魚を食べた人魚は朝まで一緒のベッドで過ごす。人魚にとって、尾はとても神聖なものでね。互いの尾を褒め合うことで、恋人たちは愛を囁き合うのだそうだ。昨夜の君たちのようにね」

「嘘だ! 嘘だと言ってくれえええッ!」

 すると、それまで死んだようにソファの肘掛けに崩折れていた設楽が突然叫び声を上げて飛び起きる。そして、隣に座る遙に向き直ると、その両肩をガバッと掴んだ。

「何もなかったよな! 何もなかったと言ってくれ、遙ッ!」

「当たり前だろ!」

 遙は設楽の勘違いにびっくりして怒鳴る。冗談じゃない、自分は男だぞと言うと、それを聞いた小松崎が涼しい顔で笑った。

「でも、海王は君が二十歳になったら迎えに来ると言っていたよ。城で一緒に暮らさないかと誘われたんだろう?」

「うっ……」

 本当のことなので思わず口篭ると、それを見た設楽が悲壮な顔で遙に迫る。

「俺と逃げよう、遙!」

「何でそうなるの」

「僕の邪魔をする気か」

 設楽の言葉に、残り二人の言葉が同時に重なる。遙は眉を寄せて小松崎を見た。

「『邪魔』?」

 小松崎は遙の問い掛けににっこり微笑むと、設楽の肩を掴んでグイと遙から引き剥がす。そして、三人掛けのソファの真ん中に無理やり割り込むと、遙を正面から見た。

「チャンスだと言っただろう? さっき話した僕の計画の最大の難関が海王だったんだ。海王には再三再四、人魚たちの安全の為に僕の用意した施設に移って欲しいとお願いしているのだが、どうしても首を縦に振ってくれなくてね」

 それはそうだろう。誰だって住み慣れた場所がいいに決まっている。しかし、その住み慣れた城はいつプレートの隙間に引き込まれてしまうかわからないのだ。

「宇宙船も巨大な動力源も銀河系外の海図にも確かに興味はあるが、僕が最も大切なのは海王だ。僕はあの方にいつまでも生きていて貰いたいと思っている。出来れば僕の近くでね」

「でも、まだ暫くは大丈夫なんでしょ?」

 城に影響が出るまでにはどのくらいの猶予があるのか。そう思って尋ねると、小松崎が突然難しい顔になる。

「そこなんだ。海王が首を縦に振らないのもそれがあるからなんだよ。避難するのは城が機能しなくなってからでも遅くはないと海王は思っている。だが、僕は出来れば船の調査を済ませてから動力部を外して引き上げたい。少なくともそれだけの時間の猶予が欲しいんだよ」

 遙は頷く。それを見て、小松崎がにっこりと微笑んだ。

「賛同して貰えて嬉しいよ。この計画の成功には君の協力が不可欠だからね。君が男だとわかった時には正直目の前が真っ暗になったが、なかなかどうして。君は見事に海王をとりこにしてくれた。今の海王なら、君と一緒に住むよう勧めればきっと喰い付いてくれるだろう」

「つまりエサになれってことッ?」

 遙は驚いて声高に尋ねる。小松崎は心外そうに眉を上げると、口元を綻ばせた。

「まさか。君だって海王が好きだろう?」

 確かに海王は好きだが、それは血縁者としての『好き』である。そこんところをはっきりさせなければと思って口を開き掛けた遙は、小松崎の人差指に唇を塞がれる。

「君は断れないよ。なぜなら君は全てを知ってしまったからね。君がイエスと言えば全てが救われる。ノーと言えば全てが滅ぶ。人魚も、人間も、この地球上に住むもの全てがね」

 小松崎の言葉に遙はグッと口を引き結ぶ。自分を見詰める小松崎の瞳も真剣だった。しかし……。

「僕は海王を騙すようなことはしたくない……」

 呟くような遙の言葉に、小松崎の瞳が微かに揺らぐ。その想いはきっと小松崎も一緒であろう。遙は小さく息を吸うと続けた。

「でも、一緒に住むのはいいよ。その時は美波もばあちゃんも一緒にね。みんなで暮らすのはきっと楽しいだろうし、海王と仲直り出来ればきっとばあちゃんも喜ぶ」

 そう言ってにっこり微笑むと、小松崎もホッとしたように微笑む。

「ありがとう」

 すると、それまで黙って二人の会話を聞いていた設楽が、不意にユラリと立ち上がった。そして二人を見下ろすと、低い声音で呟く。

「俺も……」

「設楽?」

「設楽先輩?」

 遙と小松崎は驚いてその長身を見上げる。設楽は両手のこぶしを握り締めると、力一杯に叫んだ。

「俺も一緒に住むぞッッッ!」

「はあッ?」

 遙は目を丸くして設楽を見る。何か言おうとしたが、しかし小松崎に止められた。

「考えようによっては良案かもしれないぞ。設楽も一緒に住むと言えば、海王もムキになって大急ぎで来るかもしれないからな」

 ファンだと言う割にはえらい言われ様である。思わず呆気にとられていると、小松崎が設楽に向き直ってにっこり微笑んだ。

「許可するぞ、設楽。遠慮なくお前たちの愛の巣に使ってくれ」

「げげッ!」

 遙は『愛の巣』という単語に思わず変な声を出す。設楽は「よっしゃあ!」と雄叫びを上げると、いきなり遙を『お姫様抱っこ』で抱き上げた。

「筋トレする! 髪も伸ばす! お前好みの男になるぞ、遙!」

「僕は女の子じゃない~~~~~ッ!」

 設楽の腕の中で遙はジタバタと暴れる。もちろん、そんな二人を微笑ましく眺める小松崎の頭の中で、自分に海王を篭絡させる作戦を練り始めていようなどとは、遙はまったく知る由も無かった。


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