↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界帰りの最強武士、現代ダンジョン学園で底辺Fランクに偽装してスローライフを送る~昼寝と専属家政婦の極上ご飯を邪魔する大企業は、木刀の峰打ちで物理粉砕(ざまぁ)します~  作者: トール
第四章:夏休みの臨海合宿と、極楽ハプニング

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

77/77

第077話:師走の足音

 


 十二月に入り、渋谷代々木学園にも、慌ただしい年の瀬の空気が漂い始めていた。


 街路樹にはイルミネーションが灯り、学園の廊下では、二学期の終業式に向けた片付けや、冬期講習の案内が飛び交っている。


「――というわけで、今年最後の実習は、来週の掃除実技をもって終了とする」


 凪教官の淡々とした報告に、Eクラスの生徒たちが安堵の声を上げた。


「掃除実技って、去年もありましたよね。校舎の窓拭きとか」


「今年は加えて、体育館の床磨きも実技科目に組み込まれている。魔力を使わず、純粋な体力と根性で挑む科目だ」


「せ、先生、それもう掃除じゃなくて修行っス……」


 鯖江の呟きに、凪教官は表情を変えずに「その通りだ」とだけ答え、教室に小さな笑いが起きた。


「ちなみに、優秀者には冬期講習の課題を一部免除する」


 その一言に、教室の空気が一変する。


「せ、先生! 床磨き、俺、本気出すッス!」


「現金な奴だな」


 鯖江の豹変ぶりに、隣の席の盾花が呆れたように呟いた。


 部室でも、いつも通りの光景が続いていた。


「今年も色々ありましたわね」


 紅茶を淹れながら、氷華がしみじみと呟く。


「実技テストに、体育祭に、文化祭に……。振り返ると、あっという間でしたわ」


「俺のプリン摂取量も過去最高だったッス」


「お前の一年の総括、それでいいのか」


 鯖江の呑気な発言に、盾花が呆れたようにツッコむ。


「そういえば、来週の大掃除の日、部室の飾り付けも少し変えませんこと? せっかくですし、クリスマスらしい飾りを」


 氷華の提案に、盾花が目を輝かせる。


「いいですね! 結衣ちゃんも一緒に飾り付けできたら喜びそうです」


「よし、俺が買い出し係として立候補するッス!」


 鯖江が勢いよく手を挙げると、氷華が「予算は決まっていますからね」と釘を刺し、部室にいつも通りの賑やかなやり取りが広がっていく。


 トールはソファーに寝転がったまま、皆のやり取りを聞くともなしに聞いていた。


「……もうすぐ、冬休みか」


「そうですね。今年は佐藤様も、初めて日本の年末年始を過ごされますね」


 白石さんの言葉に、トールは小さく頷いた。


「ああ。年越し蕎麦とやらを、白石殿が振る舞ってくれると言っていたな」


「はい。それに、大晦日には除夜の鐘を聞きながら、年をまたいで神社にお参りする『二年参り』というものもあるんですよ」


「二年参り、か」


 トールはその響きを、静かに口の中で繰り返した。異世界には存在しなかった、この国独特の、静かで少し不思議な風習に、まだ見ぬ期待が微かに膨らんでいく。


 * * *


 放課後、部室を出たトールは、一人で少し遠回りをして帰路についた。


 師走の澄んだ夕空の下、渋谷の街は、慌ただしくも、どこか浮き立つような空気に包まれている。イルミネーションの光が、まだ早い時間から街路樹を彩り始めていた。


 行き交う人々の吐く息が、白く小さな雲になっては消えていく。駅前のスクランブル交差点では、大きなクリスマスツリーがきらびやかに輝き、待ち合わせの人波が絶えず流れていた。どこからか、聞き覚えのある賑やかな音楽が、控えめな音量で流れてくる。


「……賑やかなものだな」


 誰に言うでもなく呟いたその声は、雑踏の中に静かに溶けていった。


 途中、通りがかった商店街では、福引の抽選会が開かれていた。ガラガラと音を立てて回る抽選機に、子供たちが目を輝かせて群がっている。トールはその光景を、しばらく足を止めて眺めていた。異世界には存在しなかった、この国特有の、他愛のない賑わい。それを眺めているだけで、不思議と心が凪いでいく感覚があった。


 この一年、様々なことがあった。企業の陰謀、命懸けの戦い、そして何より、平穏で美味しい日々。異世界の戦場では決して得られなかった、当たり前の暮らしの尊さを、トールは日々噛み締めながら生きていた。


 だが、賑やかな師走の街を一人で歩くこの時間だけは、ふと、遠い記憶の断片が、静かに胸をよぎることがある。


 誰にも打ち明けたことのない、あの戦場の記憶が。


(――いや。今は考えるべきことではないな)


 トールは小さく頭を振ると、足取りを速めた。橙色の光を灯す小さな定食屋の前を通り過ぎると、出汁の匂いがふわりと鼻先を掠め、それだけで自然と口元が緩んだ。


 今夜の夕飯は何だろうか。その、あまりにも普段通りの疑問だけを胸に、マイペースな武士は、年の瀬の渋谷の街を、いつも通りの足取りで歩いていくのであった。


 この賑やかな年の瀬の先に、どんな年越しが待っているのか――マイペースな武士は、いつも通り、深くは考えていなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。