第111話:最終話:うまい飯と、変わらぬ日常
――数年後。
渋谷代々木学園の片隅、かつて「魔道具研究会」と呼ばれた部室があった場所には、今も変わらぬ賑やかな空気が流れていた。もっとも、そこに集う顔ぶれは、あの頃より少しだけ大人びている。
「――結衣、そろそろ試験の結果が出る頃だろう」
すっかり背の伸びた結衣が、制服姿で部室の扉を開けた。かつて「新しいパパ」と呼んでいた頃の面影を残しながらも、その顔つきには、確かな凛々しさが宿っている。
「パパ、聞いて! 実技試験、学年首席だったよ!」
「――ほう。当然だな」
トールが、いつも通りの真顔でそう答えると、結衣は誇らしげに胸を張った。
「白石殿の血を継いでいるのだ。当然の結果だろう」
「もう、佐藤様ったら」
キッチンから顔を出した白石さんが、微笑ましそうにその様子を見つめていた。彼女の隣には、今も変わらぬ穏やかな笑顔がある。
* * *
「――佐藤さん! 神宮寺グループの新規エネルギー事業、無事に稼働を始めましたわ!」
すっかり実業家としての貫禄をつけた氷華が、意気揚々と部室に駆け込んでくる。かつての「氷の女王」の面影を残しながらも、その表情には、以前よりずっと柔らかな余裕が浮かんでいた。
「うむ、見事だな」
「当然ですわ! それより、今日は新作のケーキを持ってまいりましたの! 召し上がって!」
「――ふふ、氷華ちゃん、相変わらずですね」
盾花が、苦笑しながらそれを眺めている。戌井鍛冶工房の後継者として、母と共に工房を守り続ける彼女の腕には、いつしか職人らしい確かな逞しさが宿っていた。
* * *
「――ボスー! 新作の召喚獣、また懐いてくれたっス!」
鯖江が、誇らしげに神話級モンスターを引き連れて部室に飛び込んでくる。彼はいつしか、電脳防衛の専門家として、国内でも指折りの腕前を認められるようになっていた。
『鯖江くんの成長ぶり、わたくしとしても鼻が高いですわ』
トールの懐で、イシュラーナの声が、いつも通り賑やかに響く。
「――相変わらず騒がしい奴らだ」
蓮司が、呆れたように、しかしどこか嬉しそうに笑いながら、部室のソファーに腰を下ろした。彼もまた、この部室に、そしてこの時代に、確かな居場所を見つけていた。
「――そういえば、蓮」
トールが、ふと思い出したように声をかけた。
「先日の学生剣道大会、指導した後輩が優勝したそうだな」
「ああ。まあ、俺の指導が良かったのもあるが、あいつ自身の努力の賜物だろう」
蓮司は謙遜しながらも、その顔にはどこか誇らしげな色が浮かんでいた。数年前、正体不明の転入生として現れた男が、今ではこの学園の剣術指導者として、確かな信頼を勝ち得ていた。
「――お前も、すっかりこの時代に馴染んだものだな」
「お前ほどじゃないさ。……だが、悪くない人生だと思っている」
蓮司はそう言うと、懐かしそうに窓の外へと視線を移した。異世界の戦場で共に戦い、そして一度は死に別れたと思われた二人の男が、こうして同じ時代を、同じ場所で生きている。その事実は、何年経っても色褪せることのない、確かな奇跡だった。
* * *
夕暮れ時、部室の窓から見える渋谷の街並みを、トールは静かに眺めていた。
(――あの日、俺が斬り伏せた魔神の向こうに広がっていた世界と、この賑やかな日常と。どちらも、今の俺にとって、かけがえのないものだ)
かつて、静かな夜だけが苦手だった武士は、今ではこの賑やかな日常の中にこそ、確かな安らぎを見出していた。
「――トール様、今日の夕飯は何になさいます?」
白石さんの声に、トールは、いつも通りの真顔で答えた。
「うむ。……美味いものであれば、それでいい」
その、あまりにも普段通りの一言に、部室に集った皆が、それぞれの笑い声を響かせる。
「――トールさん、その台詞、この何年も、ずっと変わりませんわね」
氷華が呆れたように、しかし愛おしそうにそう言うと、蓮司も肩を揺らして笑った。
「変わらないから、いいんだろう」
蓮司の一言に、トールは静かに頷いた。
「その通りだ。変わらぬ日常こそが、俺たちが命を賭して守り抜いたものだからな」
その言葉に、部室の全員が、それぞれの想いを込めて頷いた。
規格外の武士と、彼を取り巻く、かけがえのない仲間たち。
昼寝と、うまい飯と、静かな平穏を胸に、彼らの日常は、これからも変わらず、穏やかに、そして賑やかに続いていくのであった。
* * *
夜が更け、それぞれが家路につく中、トールは一人、部室のベランダに立ち、夜空を見上げていた。
(――あの異世界の戦場から、随分と遠くまで来たものだな)
かつて、化け物と恐れられながらも戦い続けたあの日々と、この何気ない、しかしかけがえのない現代の日常。そのどちらもが、今のトールを形作る、確かな一部だった。
「――トール様」
胸ポケットから、イシュラーナの声が、いつものように優しく響いた。
「なんだ」
『これから先も、ずっと、お傍におりますわ。……そして、皆様の日常が、これから先も、変わらず穏やかであり続けますように』
「――ああ。そのために、俺は、これからもここにいる」
トールは、静かに、しかし確かな決意を込めてそう答えた。
規格外の武士と、彼を取り巻く、かけがえのない仲間たちの物語は、こうして、一つの大きな戦いに幕を下ろした。だが、その先に続く日常は、まだ何も終わってはいない。明日もまた、白石さんの美味しい料理があり、氷華の賑やかな笑い声があり、盾花の優しい心遣いがあり、鯖江とイシュラーナの頼もしい電脳の盾があり、そして蓮司という、かけがえのない親友がいる。
昼寝と、うまい飯と、静かな平穏。それこそが、規格外の武士が、命を賭して守り抜いた、何よりも大切な宝物だった。
――完――




