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第17話 日は沈み

 閉店作業を終えて、やなぎは階段を登る。コップやカトラリーを洗って、コーヒーシロップを補充して……まぁやる事は多かった。


 晩御飯を食べ終わり、お風呂も済ませ、あとは自由時間。やるべき事が解らなくて、やなぎはソファに座っているアオイの隣に座った。


「おつかれやな、やなぎ」

「はい……疲れました。でも楽しかったです」

「そか。良かった。嫌な事なんもなかった?」


 アオイは弄っていたスマホの電源を切って、やなぎに問う。


「はい。大変でしたけどね。アオイさんは何をしてたんですか?」

「うち? うちは~……内緒」

「そーですか。内緒……そう言われると気になりますね」

「まーまー、今だけや。また今度な」


 とアオイは人差し指でやなぎの額をトンっと突く。


「なんですかそれ」

「なんか漫画で見たやつ」

「えぇ~……?」


 やなぎは、ふふ、と苦笑する。


「もふもふは堪能出来た?」

「はい! ベアさんをたくさんもふもふしました。いやぁ良かった」

「くふ、あの子結構毛並みええからなぁ」

「やっぱもふもふは良いモノです」


 やなぎは購入したネグリジェを着ている。とても肌触りの良いワンピース型のアレだ。少しフリルが着いていて、動き度に膝下を攫う。パステルピンクのとても可愛らしいモノ。これは、やなぎが選んだのではなく、アオイが有無を言わさずこれな、と言って買わせたモノ。値段は……ちょっと考えたくない。


「このネグリジェ、凄く居心地良いです」

「めちゃくちゃかわええしな? 選んで正解や。お姫様になってもーたな?」

「そんなに褒めてもピースくらいしか出来ませんよ」

「えぇ~? ピースしてくれんの? してして」

「なんですかもー」


 そう言いつつ、ほんとにピースしてみる。アオイが良くするダブルピースだ。すると、いつの間にか構えたスマホからパシャッというシャッターを模した音が鳴った。


「あ! 撮ったんですか!?」

「いやぁ、ほんまかわええわ。ちょっと慣れてないピースで照れてるとことか」

「ちょ、ほんとに勘弁してください。消してくださいよそれぇ~!」

「いやや。もうホーム画面に設定したから」

「嘘でしょ!?」

「ほら」


 照れて少しだけ俯きガチなやなぎが激写され、本当にホーム画面に設定されている。


「~~~~!」


 声にならない叫びをあげ、近くにあったクッションで、アオイをぽすぽすと叩く。


「わ、痛い痛い。ほんまにかわええのに……消さなあかん?」


 上目遣いで言う彼女に、やなぎの心臓がきゅっとなってクッションから手を放す。


「く、ぅ~~~! 今回だけですよ!」

「よっしゃ。流石やなぎ!」


 案外チョロくて助かるわ~、と小声で言った気がする。気のせいかもしれない。少なくともやなぎには聞こえてないようだ。


「ほんまに似合っとるよ。うちの眼には狂いは無かったな……!」


 なんて言うアオイに対し、返す言葉が思いつかず、一度手放したクッションをぎゅっと抱く。首をしなだれさせた彼女は、アオイをじっと見つめる。


「そんな沢山褒められると、好きになっちゃいますよ?」

「ええんちゃう? 好きなったら」

「…………ごめんなさい冗談です」


 思ってた答えとは全く違うモノが帰って来て、やなぎは耐えられなくて冗談と言った。


「……………………アオイさんはどうしてそんなに────」

「うん?」


 その先を言うのは怖くて、口を閉じてそのままクッションに顔を埋めた。


「なんよ~、どした~?」

「……アオイさんって魔性ですね」

「なんやそれ。そんなんちゃうよ。うちは本音しか言っとらんよ?」

「だから余計に……、はぁ、もう!」


 足をばたばたさせると、子供みたいやなぁ、とアオイが笑う。誰の所為でこうなってると思っているのだろう。


「やなぎは……記憶取り戻したい……よな?」

「…………どう……なんでしょう。解らなくなりました」

「それは、なんで?」

「今が凄く楽しいからです。もし思い出したら、私はきっと戻らないといけない。アオイさんに会うのが難しくなってしまうかもしれない。だから、今はもう少しこのままが良いって思っちゃうんです」

「そっか」

「でも、こんな事考えるのはいけないって思うんです。私に悪いので。私は偽物ですから」

「……っ、そんな言い方せんで。お願いやから、例え全部思い出してもやなぎはやなぎや……!」


 そうでしょうか? とやなぎは埋めた顔を持ち上げてアオイをじっと見つめる。アオイはその目に見つめられて、動けなくなった。


「自分でも解るんです。記憶が無い事を気持ち悪いと思ってしまう自分を。自分がどこで生まれたかも、誰が親なのかも分からない。けれど、あぁ……けれど思うんですよ。このまま思い出さない方が、きっと幸せなんだろうなって。私が偽物だから、記憶なんて取り戻さなくても良いやって思うんです。思い出したらアオイさんが知るやなぎではなくなります。そうしたら私は一体何なんでしょう。ここで積み重ねた思い出は何になるんでしょう。偽物の私が手に入れた幸せは、何になって消えるんでしょうか。分からないんです」

「ここには必ず残るよ」


 アオイはそっと自分の胸に手を当てて答える。心には残る、と。


「だと、良いなぁ……。私が偽物でも、この思い出は本物だって言えたら、それだけで幸せだと思うんです」

「うちも今が一番楽しいよ。不謹慎かもしれんけど、うちはやなぎと出逢えて良かったと思っとる」

「ふふ、不謹慎だなんてとんでもない。私も、アオイさんと出逢えて良かったって思っています。やなぎなんて素敵な名前も頂きましたし」

「いや……ごめん、適当な名前付けてもうて……。通りの名前から取るなんて今思えば失礼やったよな。今からでも変えても」

「嫌! 絶対嫌です! 私は大好きですよ? 可愛い響きじゃないですか、やなぎって」

「でも……」

「これはアオイさんが最初にくれたプレゼントです。絶対手放しません」

「──そっか。なら、うん。ありがとうな、やなぎ。あかんなぁ、うちも好きになっちゃいそ」

「なっていいですよ~」

「くふふ、カウンターとはやりよるな~生意気め~」


 と、アオイがやなぎの腰をこちょこちょと擽る。


「うわ、あはははは、ちょ、くすぐったい! やめ、っ! やめてぇ~! あはははは!」

「ナマ言ってごめんなさいするか~?」

「ご、ごめんなさい! ほんと、私くすぐり弱いみたいなんで~っ! ご勘弁~!」


 じたばたと暴れてアオイの魔の手から逃れ、ふぅ、ふぅ、と息を整える。


「ねぇ、あんたたち、ほんとに仲良いわね。何、そういう関係?」

「「うわぁ!」居たんか、ミナトちゃん。驚かせんといてや」

「声掛けづらかったのよ。なんかイチャイチャしてるから……やめてよね、あんたたちの朝ご飯用意してから帰るんだから、それまで我慢しなさい」

「……もう帰ったモノかと。てかイチャイチャしとらんわ。朝ご飯用意してくれたんはありがたいけど!」

「世間一般的に今のをイチャイチャと言うのよ、アオイ。そして、それを無自覚でやる奴の事を、人誑しかクズと呼ぶのよ」


 やなぎは顔を真っ赤にして、またクッションに顔を埋めた。


「……言葉強すぎやろ。ちょいへこむわ。でも、ミナトちゃんがうちに来た時は「その話は止しなさい。あなた、祓妖師よりもなんか詐欺とかの方が得意なんじゃない?」

「えー最大限の侮辱。マジかミナトちゃん。酷い、酷すぎる。うちそんな風に見えんの?」

「見えるというか……、隣で泣きそうな顔してるやなぎ見れば一目瞭然じゃない?」

「いやこれは……! 恥ずかしがっとるだけやろ!?」

「まぁともかく、マジで、私が帰ってからにしなさい」

「もう帰っとる思ってたんよ~……ほんまやで?」


 いや、帰っていたからと言って別に先ほどからの行動がイチャイチャであるかについての議論は終わらないが。

 一昨日に続きわざと見せびらかしてるのかと思った。とミナト。ぶつくさ文句を言いながら、彼女は階段を降りていく。


「それじゃーねー。朝ご飯ちゃんと食べるのよ~!」


 という声が聞こえた少し後に、がちゃっと鍵の締まる音が聞こえた。


「……………………」


 やなぎは顔をクッションに埋めたまま、不動のまま。


「……………………あー、すまんやなぎ、恥ずかしい思いさせてもた」

「その言い方、なんかやらしーですよ」


 アオイは、ほんますまん、顔見せて、と彼女の頬にそっと触れて、顔を上げさせる。


「────────」


 恥ずかしくて真っ赤な顔に潤んだ瞳。クッションに思い切り顔を埋めたせいで少しだけ痕が着いた額。訴えるような目の彼女は手を差し伸べた人をじっと見つめる。


「……ほんまかわええな。何やその顔」

「…………辱めを受けた顔です」

「ごめんて」


 そもそもうち、そんなつもりなくってぇ……、とアオイは一生懸命弁明するが、やなぎは既にそんな事は解り切っている。天然誑しというのは怖いモノだ。犯罪級だ。災害だ。狐狸精よりも恐ろしい。


「今晩また、一緒に寝てくれたら許してあげます」

「そんなんでええん? 勿論構わんで。まだ、寝るのは怖いんか?」

「………………はい」


 嘘を吐いた。怖くないと言えば嘘になるかもしれないが、もう1人で眠れるはずだ。少し時間があれば、慣れるモノなのだ。


「そか。ちょい早いけどベッド行く?」

「もう少しアオイさんとお話ししたいです」

「……あのな、やなぎ。やなぎも相当やで?」

「何がですか?」

「おとぼけけめ。……まあええわ」


 アオイは色々と言い返したい気持ちをぐっと堪える。


「何をお話ししてくれるんや?」

「えっとですね、今日の喫茶について聞いてくださいよ! ほんと色々あったんですよ!」


 そうして始まったやなぎのお話はアオイの相槌も相まって、1時間に及んだ。


「そしたらベアさんが!」


 オチを話そうとして、アオイを見ると、彼女が眠そうに目をこすっているのが見えた。


「あ、すみません。そろそろ寝ますか?」

「ん~? オチはぁ? まだオチ聞いとらん……」

「眠いなら今日はもう寝ましょ?」

「やなぎはええの……? もう満足出来た?」

「はい。ありがとうございます。沢山聞いてくれて」

「ええよ~。うち、やなぎと話すの好きやわ。もっとしたいくらいや」

「ふふ、ありがとうございます」


 大きなあくびをしたアオイは、こてっとやなぎの肩に頭を預ける。


「寝ましょうか」

「……またうちの部屋で寝よか」


 そう言ってふらふら立ち上がるアオイを支える様にやなぎも立つ。


「くふふ、これじゃ寝室用意した意味あらへんなぁ。もうずっとうちと寝よか」

「いつか1人でも寝られるようになりますから」

「なんや寂しいなあ。別にええのに」


 彼女はまたくふふと笑う。その悪戯っぽい笑みはわざとなのだろうか。


 アオイの部屋の扉を開けて飛び込んで来た光景に、やなぎは思わず声が出そうになった。

 沢山の布と、型紙が散らばっている。


「…………………………」


 やなぎはとてもいい子なので、何も見なかった事にして、アオイをベッドに寝かし、その隣にそっと横になる。


「おやすみなさい、アオイさん」


 (この服は、見なかった事にしますね)


 彼女の視線の先にあるハンガーに掛かった上半身だけ出来上がった服。アオイが今日ずっと作っていた制服である。

 けれど、やなぎは知らないふりをして、既に半分夢の中のアオイに肩を寄せて目を瞑った。

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