幻影
あの日から、セツの様子が変だ。
「セツ、おはよう」
「おはようございます。朱雀様」
セツが他人行儀だ。いつも起してあげていたのに、最近は隙を見て寝ているのかセツが眠っている所を見たことがない。ヒショウが眠っている間に仮眠を取っているのかもしれないが、それにしても、ヒショウが起きるときには今日のようにすでに起きているのだ。ほとんどの時間を玄武国への移民帰還の計画を練ることに使っているようだ。青龍の執務室とここを行き来する生活が続いて、かれこれもう一週間となる。治癒能力を自覚したせいでそれをつかっているのだろうか。だが、それにも限度はある。今倒れられてしまっても、ヒショウでは助けられない。彼のために、これ以上干渉してはいけないのだ。
「セツ、最近寝ている?あんまり無理しないで。君は、人間なんだ。無理をすれば死んでしまう」
見ればくまのようなものが出来ている。ヒショウがそっと手を伸ばすと、セツは軽く避けて見せた。
「ご心配ありがとうございます。しかし、問題はありません。朱雀様が祈られているような玄武国の一刻も早い復興のためには、俺がやらないといけないんです、今すぐに、この仕事を」
「それは、喜ばしいことだけど、でも、君が途中で倒れてしまっては意味が無い。せめて、僕にもっと仕事を回して。私があそこの責任者なんだ」
「あなたには十分働いていただいています。今頼んでいる分だけでもご負担でしょうし、俺に出来るようなことは全てつつがなくやっておきますので大丈夫です」
最近の彼を表現するなら、そう。死に急いでいる。
「セツ、頼むから今日ぐらいは休んでくれ。そうじゃないと、幾ら朱雀の力があっても倒れてしまう」
「それは、命令でしょうか?」
「え?」
思いも寄らない返答に、ヒショウは思わず首を捻る。
「強いて言うなら、忠告をしているのかな」
「命令ならば従います。命令でないのなら、聞けません」
「そんな……。なら、命令だ。今日一日は、休んで。そうだ。一緒にこの都を観光しよう。前に約束しただろ?せっかくだし、どうかな?」
「命令とあらば、どこへでも」
のれんに腕押しをしているかのようなセツの返答に、ヒショウは思わず顔をしかめた。悪戯か、嫌がらせか。自分がそれをされるきっかけこそ思い浮かばないが、彼には動機はきっといくらでもある。だからそれを責められない。しかし、一週間ともなるとさすがに不満はたまるし、不愉快に感じるのは当然だ。
しかし、ふとセツの顔を見ると、彼はそっと顔をそらし唇をかんでいた。
なんだ?
違和感。その一言で片付けてしまえば簡単な話なのだが、今感じた違和感は、良くないものだ。
「セツ、こっちを向いて」
「……」
「セツ、僕に嘘ついてる?誰かに言われて冷たい態度を取らされているの?」
「……用意をしてください。朝議に遅れてしまう。俺は外で待ってます」
セツは朱雀に一瞥もくれず、執務室を出て行った。最近はいつもこうだ。今思い返してみると、何をごまかしているようにしか見えない。やはり、あの日の晩になにかあったのか?それとも、青龍から良からぬことを聞いたのか。
「何が起きているんだ」
ヒショウはため息をつくと、官服に袖を通す。
「彼のためだ。ばれても、話せば許してくれるよね」
信頼の印として一度は絶ったはずの糸を、ヒショウは静かに扉の隙間から伸ばすとセツの喉元に絡みつけた。
すばやく用意を整えると、ヒショウはわずかに緊張したようなおももちで執務室を出た。宣言通り部屋の外で待っていたらしいセツは、糸のことに気がついていないのかやはり素っ気ない態度で先導して歩きだす。
あの日セツの身に起こったことについてはなんとか彼から聞き出していた。突然声をかけられ、救済を求められた。自分の治癒の能力では足りないと思ったセツは、かつて聞いた伝説を元に彼らに血を与え、裂け目を塞ぎ、難をしのいだ。そんなこと、もうしないでほしい。治癒の力はむやみに使わずに、全て自分に回してほしい。そう頼んだときもセツは苦々しい顔をして、命令かと聞いてきた。あの時はまだ事件のすぐ後だったので自分もあてもなくいらだっておりつい命令だと答えてしまった。思い返してみれば、あれ以来ろくに口もきけていない。しかし、本当に、セツが倒れているのが見つかったと聞いて背筋が凍ったのだ。セツを失ってしまうことは、何よりも恐怖だった。駆けつけたとき、自分はもう彼に力を与えられないと思い出した問いの絶望と、彼がただの貧血だと気がついた時の安堵は忘れられない。セツを傷つけた奴らへの怒り、勝手な行動をしたセツへの怒り、そして、セツを危険にさらした自分への怒り。それらがぐるぐると腹の中を渦巻き、数日間はいらだちが隠せず、青龍からも注意されたが、落ち着いた今、この件には裏があるとどうしても感じざるを得なかった。
どうしてその玄武国の民は、自分ではなくセツを選んだのだろうか。
どうして急に裂け目の被害が発生したのだろうか。
「ねえ、セツ。どうしてあの日、君が狙われたんだろう」
ヒショウは、あの場所では先生として名をはせている。素顔こそ隠しているものの、姿はいつも同じなので多くの人が一目見ればヒショウのことに気がつく。彼が一流の医者であることを知っているはずにもかかわらず、セツを選んだのはなぜだろう。間違えたのか?それとも、セツを狙った?
「さあ。あちらはかなり正気を失っていましたし、あなたと俺を見分けられなかったか、焦っていたので先につかんだ方を引っ張っただけじゃないでしょうか」
「そう、かもしれないけど、だとしても、あの家族が君に助けて貰った後すぐに姿を消したことが理解できないんだ」
「俺は別に、例をしろなんていうほど厚かましくはないですよ」
「そういうことじゃなくて、まあ、そうだね。助けて貰ったのだから礼を言うのは確かに義理だ。それを言わずに消えたのも不思議だけど、まるで逃げたように僕には思えた。何か後ろめたいことがあって」
「俺が未熟なばかりに倒れたせいでしょうか」
「だと良いけど……」
煮え切らない返事をするほか無かった。あの出血をして倒れない方がおかしいとも思う。そうではなく、彼らが後ろめたく思ったのは何か別の事情があったからであるとも思えるのだ。
「なら、前提が間違っていたのかもしれません」
「前提?」
「はい。あの人達は本当に、玄武国の民だったのでしょうか」
「え?」
そう返したものの、ヒショウはすぐにセツの言わんとすることがわかった。あの家族があそこに住む玄武国の民ではなく、祭りのために一時的にあそこを訪れていた朱雀国の民なのだとすれば、セツとヒショウの見分けがつかなかったことにも納得がいく。それに、さらに恐ろしい可能性も頭に浮かんだ。
「まさか、かつての君の、いや、あの子の部下がなにかしてるのか?」
かつて、玄武に操られた北都の民が南都の民をそそのかし裂け目を作らせたことも会った。たしかに、手口はにている。しかし、あの時残党はゼンが一掃したはずだ。それに、なぜ今になってそんなことをしたのかもわからない。
「じゃあ、この前君が塞いだっていう裂け目はいつ出来たものだと思う?」
数日前訪れたときには、新たな体調不良な一件しか聞いていないし、それも解決済みだ。被害もそれほど広がっておらず、一家族だけが被害を受けていたのだとすれば、裂け目の出現はごく最近、しかもあの場所で起こったことになる。家族がなぜか姿をくらませてしまった為に事情を聞けないのが歯がゆい。何が原因で裂け目が発生したのだろうか。不可解なことが多すぎて、ヒショウは頭を抱えるほかなかった。
「数日前でしょうね。少なくとも、俺たちが前に行ったときには、俺は裂け目の気配は感じなかった」
セツの考えも同じようだ。
「つまり、ここ数日のあいだに、突然現れた北都の民の残党が、あそこでわざと問題を起していると?」
「北都の残党とは限りません。もしかすると、玄武様がまた動きはじめたのかも」
「本当?!」
体が先に動いてしまった。ここが廊下であることも忘れセツの肩をつかむと、揺さぶるようにして問いただす。
「いえ、可能性はないとは言い切れませんが、単なる俺の憶測です。根拠もない。第一、今の俺は罪人なんですよ!俺の言葉を簡単に信用しないでください」
「で、でも、もしそうだとすれば、もしかするとゼン様が!?」
「朝からうるさいぞ。静かにしろ。耳障りだ」
そんな怒鳴り声が廊下に響き渡った。
「あっ」
我を忘れていたヒショウはぱっとセツから手を放すと、乱れていた服を整え、遅れて現れたその人物、ツグミに視線を向ける。
「申し訳ありません。しかし、あなたの怒鳴り声の方が何倍もうるさかったですよ」
「減らず口はもう良い。飽きた」
ツグミは吐き捨てるようにして言うと、セツとヒショウを交互に見た。
「なんだ。喧嘩か?」
「いえ。仕事の話をしていただけです」
「……」
「最近の貴様達は変だ。以前とまるで逆になっている。貴様はギャンギャンとうるさく、しつこく執拗につきまとい、セツはセツで、主に対する対応としてはあまりに淡泊すぎる。まるで、セツがここに来てすぐの時のようだ。皮を入れ替えてもしたのか?」
「俺がふがいないばかりに、朱雀様の手を煩わせているだけですよ」
「なんだそれ。貴様こいつのそばにいたせいでついに頭でも狂ったのか?」
「お前、よくもセツのことを」
「ほら。逆ではないか。全く、何があったのだ?」
ツグミに指摘されるとどうしても反抗したくなってしまうものの、指摘されていることは確かに正しいのかもしれない。ヒショウはそっとセツを見た。セツは思い詰めたように床をにらみつけている。自分が本来の調子を失っていることは重々承知だが、やはりセツも様子がおかしいのは確かだ。
「まあ、貴様らの痴話げんかにも巻き込まれたくないし、私は深入りはしない。というか貴様、ホト様を迎えに行かなくていいのか?」
「あ……」
忘れていた。セツのことで頭がいっぱいになりすぎて。
「間抜け面だな。いいだろう。この私が責任をもってセツを連れて行くから、貴様はアイツを起こしに行け」
「すみません。お願いします」
ヒショウは頭を下げるとさっそうと走りさっていく。
「それで、何があった」
ヒショウが消えたのを確認してツグミはセツに向き直る。しかしセツは何を聞かれてもただうつむいて、思い詰めたように目を閉じるだけだ。
「正直に言うが貴様は今、朱雀の力が高いせいで私でも何を考えているのかわからないんだ。言葉を忘れたのか?」
だんまりを決め込むセツにため息をつくと、ツグミは仕方なく無駄だとわかっていても白虎に聞いた。
しかし、白虎は思いがけず答えを出した。
答えを出すことで、予測し得ないはずの未来をしめした。
「だめだ!」
ツグミはセツの肩をつかむと叫んだ。先ほどは自分が大声を注意したにもかかわらず、そのことなどすでに頭から抜け落ちてしまっている。
「貴様がやろうとしていることは、絶対に私が阻止する。それだけは、だめだ。貴様、アイツに知らない振りをされて、それの腹いせでもしたのか?それとも、誰かにおどされて、そそのかされているのか?」
「……いや。俺の意志だ」
「なら、さっさとふざけた考えを捨てろ!そんなことをして、貴様はあいつが」
「アイツのためにやるんじゃない。俺が、俺のためにやるんだ。自分で助かるだけ。アイツを助けようなんて考え、馬鹿げてんだよ。俺は、俺で助かるし、アイツも、アイツでたすかるんだ」
「ふざけるな!貴様がやろうとしているそれの、何が救いと言うんだ!それに、アイツが助かる?そんな訳があるか!アイツを貴様は見捨てるのか?」
ツグミはセツの来ていた服の襟をつかみ上げた。
「見捨ててなんていない。それを言うならお前だって、アイツをわざわざホトに差し出すようなまねをしたじゃないか」
「あれは、アイツをここに置き、貴様がいずれここに来て、この国を、世界を救うと白虎が言ったから、それに私は賭けたんだ。それだけだ」
当時、セツからヒショウを引き剥がすことには抵抗はあった。それでも、ヒショウとホト。二人の力が無ければ、この国がここまでの復活を遂げることはなかっただろうし、玄武国の民を救うことも出来なかったはずだ。彼らとゼンが紡いだ物語にかかわったものとして、落とし前を付け最後まで見送らなくてはいけない。その武官らしい思いを胸に彼女は南都に思い人をのこし、この地にまで上り詰めたのだ。
「どうやって?俺がどうやってこの世界を救う?」
「それは……私もしらない。そこまでは、貴様の力が邪魔をして見られないときいている」
「なら、話は簡単だろ。俺は、お前が今知ったとおりの、そのやり方でこの世界をすくうんだ。アイツがいつか、ゼン様と世界を見に行けるように。それだけだ」
「だが」
ツグミは反論しようとしたが、口を噤む。白虎の文字が頭に浮かぶ。ツグミはその言葉に目を見開いた。
「ほら。白虎だって、俺がそうするのが最善だって言っているだろ」
その通りだった。それでも納得がいかないツグミはやり場のない怒りを床にぶつけ。蹴るようにして地団駄をふむ。
「でも……そんなことをすれば、アイツは傷つき、心に傷を負うだろう。幾ら癒やせるとはいえ、本当に、今度こそお前のことを忘れてしまうかもしれない。お前がアイツの中から消えれば、アイツの歯止めは、きっとなくなるだろう。そうなったアイツが、私は恐ろしい」
「恐ろしいのではなく、見ていられない。違うか?」
そう言ってわずかに笑ったセツの顔は、かつてのヒショウを尊ぶその顔だった。
「お前はやっぱり良い奴だな。ヒショウに聞いていたとおりだ」
「な、何を言って」
「お前も、ヒショウのことを大切におもってんなら俺の計画、手伝ってくれよ。口では言えねえけど」
セツはそっと首にまきつけられた糸に触れて見せた。疑念の証。そして、計画がうまくいっている証。
「お前がすべきことはきっと、白虎が知っているだろうし、後はまかせるから」
「本当にやる気なのか?」
ツグミは体から力が抜けるのを感じた。
「貴様は、そこまで、朱雀を、玄武を、信じるのか?」
「ああ、当たり前だ」
セツは何の躊躇も無くなくそう言って放った。
「俺はこれを成し遂げてやっと、幸せになれるんだ。終わるまでに何年、何百年かかるかわかんねえけど、それでも、俺はいつまでも待ってやる。前は、ヒショウに待てちまったから、今度は俺の番なんだ」
「……そうか」
ツグミはいうと、うつむいた。セツの顔は、一切の疑念も感じられない、晴れやかなものだった。なぜそんな顔が出来る。なぜそんなに笑っていられる。
いや、私は知っている。
この曇りなき信仰を。曇り無き信頼を。
「良いだろう。手を貸そう。だが、一つだけ、誓え」
「なんだ?」
「やるからには、必ず成し遂げろよ。私はきっとその場にはいないだろうが、白虎は知っている。白虎を通して、私はいつだって貴様らを見ているからな」
「いなくて当然だ。いられてはしらけてしょうがない。邪魔をするな、と、ヒショウは言うだろうな」
セツはおかしそうに静かに笑った。
「わかった。誓うよ。俺は、全てを成し遂げる。もう二度と、ヒショウも、幸せも、失わない」
その笑顔に重なった影を見て、ツグミも笑みをこぼす。
彼らなら大丈夫。
見えた幻影が何者であるかなど、ツグミは白虎に確認をする必要も無かった。




