戯れ言
朱雀は、床に転がるセツを冷たい視線で見下ろしていた。セツの服は切り刻まれ、その下には糸でつけられた傷跡が赤黒く張り巡らされているのが見える。彼の周りには、血に染まった糸が何本も落ちていた。べっとりと血が染みついたそれは、すでに床に貼りついてしまっているようだ。セツは、ほんのわずかに胸を上下させていた。体を動かすほどの元気はもう残っていないようだが、意識はまだかすかあるらしい。殺すまではしないものの、正気を保てないほどの痛みを与えたはずだ。それでも、相変わらず余裕そうに口元に笑みを浮かべていた。
「いい加減、話してはいかがですか。あなた、このままだと死にますよ」
「……ヒ、ショウ……。帰ろう……」
「またそれですか?それはもう聞き飽きました」
朱雀は糸を束にて鞭のようにして、セツの体をたたく。
「……くっ」
痛みに耐えるような声を上げても、セツは決して答えを変えなかった。
「私の治癒の力を期待しておられるのなら、それは大間違いです。あなたはこの力が限り、何度も、何度も、私に殺されるのですから」
「ははっ……。そうか……。ヒショウが、ずっと、俺にかまってくれんなら……それは、それで、いいかも、な」
すでに内臓や骨がイカれているのだろう。セツは咳と同時に血を吐き出す。
「俺と、いれば、何か、思い出して、くれるかも……しれねえし」
「いい加減にしろ!いい加減、白状してくれ……!」
それは、朱雀の叫びだった。いつになっても朱雀が求める真実を話さないセツに、朱雀はいらだちを隠せなかった。いや、それだけではない。命を粗末にしようとする、セツが許せなかった。そして、これ以上セツの体を痛めつけることに、抵抗を感じ始めていた。それは、朱雀という神獣としての慈悲の思いなのか、一人の人間としての良心の呵責のせいなのか、それとも全く別の感情のせいなのか。それは朱雀自身にもわからない。わかりたくはなかった。
どうして話さないんだ。まさか本当にこいつは――。
いや。違う。違う。そんなわけがない!
そうだ。それでは、絶対に、だめなのだ。
朱雀はふと自分の頭に思い浮かんでしまった考えを打ち消すように、執拗にセツの体を痛めつける。セツの意識などとっくになくなっていた。
「これはこれは、たいした子だね、その子。君をそこまで追い詰めるなんて」
ホトの声が聞こえて、朱雀はふと我に返った。
「ホト……様……」
恐る恐る振り向けば、ホトがにやにやして立っている。
「君が朝議に来ないなんて珍しいと思ったら、こんな楽しそうなことをしていたのかい?」
気がつけば、射し込んでいた月明かりはいつのまにか朝日になっていた。朱雀は慌てて目の前に広がっていた惨状を隠すようにして立つ。
「王よ。大変申し訳ありません。昨晩の侵入者の拷問をしておりましたが、少々手こずっており、失念しておりました。どうぞ、お許しください」
こんなこと、今までなかったのに……。朱雀は焦りと絶望を胸に抱いて頭をさげる。
「ああ。それはいいの、いいの。どうせただの定期連絡みたいなものだし。たいした連絡も無いから」
それよりも、といってホトは朱雀の部屋の中をのぞき込む。
「わっ。お、おやめください!」
朱雀は、入ってこようとするホトを糸で追い返して扉を閉め、わずかに残した隙間から中が見えないようにした上で扉の隙間に立つ。
「かなり凄惨な光景が広がっているので、ホト様は見られない方が良いかと」
「大丈夫だよお」
「だめです。王の目を穢すわけにはいきません!」
「そんなにかい?」
「そんなにです!」
「ふうん」
ホトは引き下がったように言ったが、より好奇心を丸出しにして中を覗こうとする。朱雀はなんとかして見せまいと、ホトが諦めるまで必死に妨害した。
「それで、拷問の結果は?」
ホトは残念そうな顔をして、朱雀に聞いた。もちろん、そんな顔を向けられても、朱雀はなびかない。
「いまのところ、なにも。前と同じく、私を助けに来ただの、私は本当はヒショウという名だの、訳がわからないことをくり返しております。しかし、お任せください。私が必ず、情報を吐かせます。場所を牢に移せば、もう少し苛烈な拷問も出来ますので」
執務室もこれ以上汚すのははばかられる。朱雀としても、この部屋でのこれ以上の拷問では何も得られないことにはなんとなく気がついていた。
「なので、この件はこちらにお任せください。今からこの罪人を牢へ移動させるので、ホト様はいつも通り執務室でお仕事を」
「それはあんまり良い考えだとはおもわないなあ」
ホトは呑気な声でそう言った。しかしその目には、消せそうにもない欲望のようなものが宿っている。
「ここまで肉体的に拷問して話さないのであれば、場所を変えてもあまり変化は無いと思うな。君の目をかいくぐってここに侵入した隠密力や作戦力ことも、ここまでの拷問を耐え抜ける精神力も、全てにおいて優れている。このまま罪人として殺すには惜しい、そう君も思わないかい?」
「……しかし、この者は罪人です。あなたは僕に一体何をさせたいのですか」
「その子を私の側近にしたい」
「は?」
朱雀は思わず、素の声を出してしまった。ついガラの悪さが出てしまう。
「あんた、なにいってるんですか?」
「だから、その子を私の側近にしたい。気にいったんだよ。是非、私についてほしいなって。敵にしておくには惜しいと思ったんだ」
「何を言うのかと思ったら……」
朱雀は額を押さえてため息をつく。
「だめです。何度も言いますが、この者は罪人です。王のそばに行けるとなれば、何をするかわかりません」
「でも、牢に入れておいても、見てないうちに抜け出されたり、勝手に死なれたりしたらそれこそやっかいじゃない?その子は君にぞっこんなようだし、君が言えば、その子は従順になってくれそうだと私は思うよ。私に何かある前に私の優秀な神獣君は私を守ってくれるでしょ」
「それは……。あなたの身に何かあってはいけないのです。何も起こらないとしても、危険が及ぶことそれ自体があってはならないことなのです」
朱雀は、口を一度噤んだ。自信が無いわけではない。だが、もしもの事があってはいけないのだ。玄武の力を失ってもなお、人を掌握する技術に長けたホトの力には圧倒される者があった。
「この子を私の側近にしたい。これは、王としての命令だ」
「……わかりました。しかし、あなたの側近にはさすがにホト様のご命令でも出来ません。罪人が側近など、あなたは良くても、他の方に対しても面目が保てませんから。最大限譲歩しても、僕の側近です。それならば、ぎりぎり許容できます」
朱雀は負けじとホトを視線で射貫いた。これ以上引くつもりはさすがにない。罪人を神獣の側近にするなど、その時点で例外も甚だしいのだ。
「わかった。じゃあ、それでいいよ」
ホトは少しふてくされたように言ったが、胸の高まりを隠しきれていない。
「そうときまれば、準備が必要ですね。僕は忙しいので。それじゃあ」
無礼を承知でホトが勢いよく扉を閉めると、扉の外から
「楽しみだなあ」
と、呑気な声がした。その声に、朱雀は背筋を震わせる。
「善処、します」
朱雀は小声で答えた。声が届いているかはわからないが、言わないという選択肢は今の朱雀にはなかった。
意識がないセツの横に膝をつくと、優しくその顔に触れる。拷問のせいで傷だらけになった顔は、見る間に元通りに戻っていった。完璧には治さない。服で隠れる場所の傷は戒めとして残しておいたまま、それでも朱雀は治療を施した。傷が治ってくると、セツは落ち着いた呼吸をはじめた。朱雀はその様子を見てほっと胸をなで下ろす。
「ヒ、ショウ……」
息と混ざり合うようにしてセツの乾いた唇の隙間から声が漏れた。朱雀は驚いて視線を向けたが、セツの目は開いていない。寝言のようだった。
「必ず、俺が……守る、から……」
朱雀はその言葉に息をのむ。
「セツ、君は一体……」
朱雀は問いかけたものの、言葉をのみこんだ。どうせ、今のセツに何を聞いても無駄だ。
優しくセツの体を持ち上げると、糸を使って服を着替えさせ、寝台に寝かせてやる。最小限の捕縛用の糸は巻かれたままだが、柔らかな寝台に体を沈み込ませると、セツの顔にやっと安堵の色が見えた。
もう少し、このままにしておいてあげよう。この子がこれから受ける苦しみの時間に比べれば、こんなひとときは休息にもならないのかもしれないけれど。
ふと朱雀は、自分の手が反射的に伸びセツの頭をなでていたことに気がついた。
「なぜ……」
朱雀は腕を引っ込めたが、それでも、すやすやと眠るセツの顔を見ていると不思議と笑顔がこぼれた。こんなに気持ちが安らいだのはいつぶりだったか、朱雀はもう、覚えてなどいなかった。




