勘違い
女に通されたのはほとんど物が置かれていない、質素な部屋だった。だが、壁には美しい装飾が施されており目を惹かれた。示された席に座ると、窓から外で子供達と戯れているホトの姿が見えた。その姿に重なるように女が座る。ぼんやりと置かれていた焦点が女に合う。
初めて会った、同じ力を持つ人間。 客観的に見ていると、この力がいかに神秘的なものなのかがわかる。魅力的で素晴らしいもののようにも感じるが、一方で人間業とは思えない恐ろしさも感じた。それだけに、気持ちがまだ浮ついてしまっている。どう接すればいいのかがわからなかった。
「綺麗な装飾ですね」
ヒショウはホトをまねして笑顔を貼り付けて口を開いた。
「何かの文様なのでしょうか?」
装飾の中には、人のような柄と、あの布にあった朱雀の柄が所々に彫られており、まるで物語のようだとヒショウは感じていた。
「そういえば、あの布にも同じ柄がありましたのね。あの布は一体」
女は冷たい目でヒショウを見ていた。あまりの威圧に、ヒショウは押し黙ってしまう。
「なぜ、あなたのような方があいつを探しているのですか?」
「あい、つ……?」
ゼンのことであろうが、その言い方にはあまりにもとげがありすぎる。
「なぜ、あなたはあいつに会いたがっておられるのですか?」
「それは、あの方が僕の主だからです」
ヒショウは迷わずに答えた。だが、ヒショウの答えを聞くと、女は一層鋭い目でヒショウを見た。
「あなたはあの方がここに来た理由を知っているはずです。教えてください。あの人についての情報が欲しいのです」
「私があなたをここに案内したのはあなたの怪我を手当てするためでした。別に、あいつについて話すためではありません」
「でもあの方はここに来ていたでしょう?」
「私たちは怪我をしている方を見たら助けねばなりません。そういう決まりなんです」
「ということは、あの方は……」
ヒショウの顔が青冷めたのをみて、女は慌てたように首を振った。
「いえ、あいつなど私たちはしていませんよ。するはずがない」
女は息を詰まらせながら言った。
「あの方は、私たちから朱雀様を奪った大罪人なのです」
「それは、どういう」
ヒショウはそれ以上、何も言えなかった。
「そのままの意味です。あの男は、私たちから朱雀様を奪ったのです」
朱雀を、奪う?それも、彼女達から?どういうことだ。
ヒショウはゼンを侮辱した女をにらみつつ、首をひねった。
「朱雀様の伝説、いえ、この世界の起源をあなたは知っていますか?」
女はヒショウの返事を待たずに続けた。
「神に選ばれた人間には、朱雀様が宿り力を与えてくださる。私どもの一族も、その昔、朱雀様のお力が宿られたお方に出会いました」
女は壁の装飾をなぞるようにして続けた。
「その年、私どもが住む村は飢饉によって壊滅状態に陥っていました。家族が死んでもしょうがないと簡単に受け入れられてしまうような、地獄のような毎日であったと聞いています。そんな折りに、あの方は現れました。あの方は力を使い、少しずつ村人を癒やして行きました。しかし、想像以上に村の退廃は進んでおり改善の兆しは見えませんでした。そこで、慈悲深いあの方は、私たちに己の血を与えました。あの方の血を飲んだ私たちの祖先はその身に治癒の力を宿し、危機を脱したのです」
女が指さす壁には、一人の人物をあがめている人間達の絵があった。そしてその人物の顔には、ヒショウの顔に合ったものと同じ文様、すなわちあの朱雀の絵が彫られていた。
「その末裔である私たちが治癒能力を持っているのは、私たちにはまだあの方の血が流れているからなのです。とはいえ、私たちの代ではすでに血が薄れ、奇跡は自分にしか起こせないのですけどね」
女は言いながら顔に巻いていた布をとった。現れた顔にはとても若く、いや、幼く見えて。年を感じさせない。だが、それ以上に目を惹いたのは女の顔にあった、あの刺繍だった。
「それ」
ヒショウは思わず口に出した。
「僕の顔にも同じ刺繍がありました。もう消えてしまったけれど」
「わかります。こんな所にも治癒能力が働いてしまって、とっても不便。すぐに消えてしまうんですよね。定期的に入れ直さないといけないので、私はもう書いてしまっています」
「あれ……僕の刺繍は、全然何しても消えなくて……これはその、ゼン様が何かをして消してくださったようなのですけれど……」
ヒショウは頬を触る。ほんの少し、肌に手が引っかかるような気がするのは、おそらく、ゼンがヒショウの頬に薄く糸を這わせるように縫い付け上から刺繍を隠してくれているからなのだと、ヒショウは今は考えている。
「あなたは特別なようですね。あの、失礼ですが、ご両親は今どこに」
「えっ……多分、王都にいるはずです。きっと……」
「そうですか。私たちの村の人間で王都に行ったっていう人はいないのだけれど……やはりあなたは特別なようです。もしかすると、私たちよりも血が濃いか、あるいは――」
女は続きの言葉を言わなかった。だが、ヒショウもなんとなくはわかっている。この力は他人にも作用できる。明らかに力が強く、特異体であることはわかっていた。だが、まだ、自分が神に選ばれるような人間であるとは思えない。受け入れられなかった。
「少し話がずれてしまいましたね。今説明したのが私たちの村に伝わるお話なのです。なので、朱雀様に恥じぬよう、苦しんでいる人々がいれば助け、手を差し伸べる。そして同じ血が流れている一人一人を朱雀様と尊重して生きています。この刺繍はその証です。力のお陰で私たちの人生は他の方よりずっと長い。だからこそ、人よりもつらい思いをすることも多い。そんなときにすがるものがなくては生きていけないでしょう。世界に絶望しない為にも、私たちは朱雀様への信仰を強く保っているのです」
女は朱雀の装飾を優しくなでた。
「しかし、私たちの中にもいたのです、運命を呪った人が。運命を呪い、闇に飲まれてしまった人間が。衰弱していく彼女を私たちはどうすることも出来ませんでした」
「医者には?」
無駄な質問だとわかっていながらヒショウは聞く。女は首を横に振った。
「この力はとても尊いもの。普通は、他人に見せるようなものではないのです。ましてや、神に選ばれて力を得た訳ではない私たちが力を持っていることを知られたら」
女は顔を曇らせた。
「襲われる。何度も、殺される。偽物だと、心を乱すと憎まれ、信じてもらえたとしても、この力を感心した人たち、知りたがる人たちの手によって、いわば、実験的に殺されてしまうでしょう」
あまりに残酷な末路に、ヒショウは顔をしかめた。
「そんなとき、私たちの前に現れたのがあいつでした。二年ほど前のことです。初めから私たちはあの男を疑っていたのです。でも、あの方は私たちの力のことを知っていた。あの伝説を知っていた。その上で、何も手は出さないと約束し、彼女を助けるとあの男は言ったのです。そんな約束、信じられる訳がありません。私たちはあの男を追い出そうとしました。けれど、あの男が私たちの村を去ったその日、彼女も姿を消したのです。彼女は自分では動けなかった。あいつが拐かしたとしか思えません。実際に目撃した人間も村にはいましたが、止めようとして皆あいつに襲われました。治癒能力がなければ、みんな死んでいたかも知れない。あいつは、人殺しです。その人殺しに、彼女は奪われてしまったのです」
「そんな……ありえない」
人殺しなのは、この僕だ。ゼンはきっと違う。そう、信じている。
「でも、きっと、その女性の命を救うにはそうするしかなかったのです。その女性だってきっと、ゼン様に賛成していたはず。皆さんの治癒能力を信じてあの方はそうしたのだと思います」
「彼女はとても信心深い子でした。いつも必ず朱雀様の布を持っていて、運命を呪ってはいましたがそれを他人に見せることはなく、いつだって慈悲深い子だった。あの子が私たちを危険にさらすようなことをゆるすはずがないのです。まして、村を捨てて出るだなんて」
「でも、命にかかわることだったのでしょう?それに、現にあなたたちだって村から出てここに来ているではないですか」
「これは例外で、あそこは今」
「今?」
「とにかく」
女はヒショウの問いには答えなかった。
「あの男はここに、悪化をするといけないから彼女をここに返すことは出来ないが元気にしている、と言いに来ては定期的にここに押し入ってきて様子を見ようとするのです。この前もそうでした。なんとか追い返せば、一度南都へ戻るが、また来る、とかなんとか言って行きましたけど……次は私たちにどんな苦しみを与えるつもりなのでしょうね」
「そんなはずはない!あの方はきっと、あなたたちのことも心配して」
「きっと、そればかりですね。あなたは、あの男の本性を知らない。だまされているのです。彼女もそうだったんだわ。甘い言葉にそそのかされてしまった。家族を奪った男を私たちが許せる訳がないでしょ」
おそらく、いや、絶対に、ゼンは悪意を持ってその女性をさらったのではないということはヒショウは確信している。不器用には違いないが、優しいゼンを悪く言われるのは不愉快で仕方がなかった。だが、それはきっと、この女だって同じなのだ。自分の主張をわかってもらえないヒショウに歯がゆい思いをしているのも、心配を心からしてくれているのも、わかってはいるのだ。
「あなたがあの男と痛いのなら、無理には止めません。けれど、忘れないでください。あなたが善だと思っていることは、誰かにとっての悪になりかねないのですよ」
ヒショウは黙った。黙らざるを得なかった。悔しくて、声が出なかった。
「私はあなたの身の安全を考えると、あの男から離れてここで生きるべきだと思います。私はあなたに無事でいてほしい。私たちはいつでも、あなたを家族として受け入れます」
優しく女は笑ったが、ヒショウはそれをにらんでしまった。
「嫌です」
ヒショウは言い放った。
「僕はあの方の従者です。他の誰も信じなくても、僕だけはあの方を信じなくてはならない。僕はあの方の為に生き、死にたいのです」
「そうですか」
女は落胆したように言った。
「あの男のことが心底恨めしいです。あなたはだまされているのですよ」
呪うような女の声が耳について離れなかった。




