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朱雀の飛跡~ある鳥の死から孵化まで~  作者: 文張
小麦の村と夕焼け
15/27

使命

 ヒバリは、寝台の上で静かに眠っていた。

 いや、眠っているのではない。血の気を無くした肌も、柔らかさを無くした体も、すべてが彼女の死を示しているようにしか思えなかった。

 雨音は一層激しさを増し、遠くで雷がどどめく音が外では響いている。けれども、部屋の中では、その音はほとんど聞こえなかった。

「ヒバリ!」

「戻ってきておくれ、ヒバリ!」

狭い部屋の中はヒバリを心配して駆けつけてきた村人達の叫び声で満ちていた。

 必死の叫びもむなしく、ヒバリは何も答えない。

 いつも笑っていた口も、今ではその温かみを失いつつある。

 うるさいはずの室内は、ひどく静かに感じられた。

 扉の外で立ち尽くしていたヒショウの横を追い抜き、村長と養父が寝台に駆け寄った。ムクも、村長の姿を認めるとすがりつくように、助けてくれ、と訴えている。村長は何かを調べるように、ヒバリのまぶたを開かせ眼球を見たり、手首に手を当てている。ヒショウは後ずさりをした。だがそれでも、所詮は小さな宿屋だ。数歩下がったところで、壁に当たってしまう。

 村長はヒバリから離れると、目を閉じた。大きく息を吐くと、力なく床に座り込む。

「おい、どうしたんだ!」

「もう私に出来ることはない」

「そんな」

「なぜ、なぜ、俺たちじゃなくてこの子がこんな仕打ちをうけなくちゃいけないんだい。どうしてこの子ばかりが……」

 雷の音は徐々に大きくなる。まぶしい光が突然襲いかかり、ヒショウは目をつぶり壁にもたれかかった。この場において、自分だけが異質であるように感じられてしょうがなかった。

「もう、いやだ」

自分だって、ヒバリを助けたい。それでも、ただ見ていることしかできないのが嫌で嫌でしょうがなかった。無力な自分が、どうしようもなく嫌いだった。ヒショウはゼンの外套を抱き込むようにして小さく丸まった。

 この場を去ろうか、とヒショウが足を動かそうとしたその時、村長がヒショウの方を振り向いた。

「ヒショウ様、来なさい」

村長は静かに言った。

「ここへ、来なさい」

ヒショウはうごかない。

「来てくれないかい。この子もきっと、アンタに会いたがっているだろうからさ」

ムクの言葉に、ヒショウはうつむいていた顔をはっと上げる。

 ヒショウは力なく立ち上がった。ふらふらとヒバリの元へ近づく。

 笑ってほしかった。

 もう一度彼女の笑顔が見たかった。

 ほとんど無意識のうちに、ヒショウはヒバリの頭に触れていた。

 うれしかったから。

 ゼンに頭をなでて貰ったとき。温かい大きな手が僕の頭に触れたとき、心が温かくなって、絶望をほんの一瞬忘れられたから。

 幸せだ。

 生きていたい。

 ゼンは僕にそう、思わせてくれたから。

 僕の世界に希望をもたらし、僕を生き返らせてくれたから。

 その時、ヒバリの体が淡く光った。

「どういう、ことだ」

誰かがそうつぶやいた。

「奇跡じゃよ」

村長は驚いたように、しかし確信をもって答えた。

「そうか……この方は……」

 おそらく、今のヒショウは、今までのヒショウではない。

 これこそが彼の本性。

 ならばこれこそ。このお方こそ。

「みて」

ムクがヒバリをみてつぶやいた。

 橙色の光の中で、青白くなっていたヒバリの唇が、明らかに赤く色づいた。胸もわずかに上下を始め、わずかにまぶたがけいれんする。

「ヒショウさん……?」

うっすらと目を開けたヒバリは、かすれた声でそう、彼の名を呼んだ。

 雨音はもう、どこからも聞こえなかった。


「夢を見ました。あなたの夢です」

ヒバリはそう言うと、笑って見せた。

「みんなの声が聞こえた。みんなが私を呼んでいる声が聞こえた。

だけど、遙か彼方遠くの方に、私の両親が見えたんです。周りは一面、何も見えない暗闇だったけれど、二人だけが遠くにぼんやりと見えました。

私は。

私は、二人を追いかけたんです。

行ってはいけない。行ったらもう戻れない。そうわかっていても、行きたくて行きてくてしょうがなかった。

もう一度、両親に会いたかったんです。

でも。

近づいても近づいても、あの人には追いつけない。もっともっと遠くに行ってしまうんです。

それでやっとわかりました。

ああ、私はもうあの人達の子供じゃないんだなって。食べちゃたから……あの人達を捨てて私は逃げてしまったから、愛想を尽かされて嫌われちゃったんだ、って。当たり前の話なんですよ。それぐらいのことは、当たり前なんです。追いつけなくて、追い抜かれても。

振り返っても、そこに帰る道はありませんでした。

私は死ぬことも、もう一度ここへ帰って来ることも出来ないんだなって立ち尽くすことしかできませんでした。

そうしたら、急に周りが明るくなったんです。

私の世界に夕日のような温かい光が差し込んできたんです。

そこにはあなたがいました。

ええ、あなたです、ヒショウさん。

あなたは泣いていた。怒っていた。自分を、呪っていた。

不思議なことに、その時私はヒショウさんの身に起こったことをまるで見てきたように知っていたんです。だからこそ、私はあなたを見て見ぬ振りは出来ませんでした。自分のことは放っておいても、でも見捨てることは出来なかったんです。

いいえ。私はそんないい人ではありませんね。

私はあなたが憎かった。うらやましいとあなたのことは思っていましたが、本当のあなたの姿を見て、憎くて憎くて仕方がなかった。

あなたには幸せになってほしいと心から思っていたから。幸せから逃げようとするあなたのことが憎らしかった。

でも、私と少し話をしているうちに、あなたはなんの迷いもなく、ゼン様を追いかけることにしたでしょ。

見える相手を追いかけなかった私と違って、あなたは見えない相手を追いかけようとしましたね。

それを見て、私は思ったんです。

私も追いかけなくちゃって。

大切な人には、笑っていてほしいから。

いえ、私もそこに加わって本当に大切な人と一緒に笑っていたいから。

そうやって幸せになりたい、そう思えた。そうなれると、希望を持てた。

死んじゃう時って本当に会いたい人に会えるって言うけれど、本当なんですね。

だからありがとう。私のそばにいてくれて」

ヒバリは語り終えると、ヒショウを抱きしめた。

 ヒショウはうろたえていた。

 それはヒバリに抱きつかれたからではない。ヒバリがみていたという夢があまりにも自分が見ていたものと酷似していたあらである。そんな奇跡があるのだろうか。ましてや、その夢のお陰でヒバリが世界に希望を持てたなんて。

「僕は」

「あなたが助けてくれたのですぞ、ヒショウ様」

村長が言った。

「あなたの特別な力が、ヒバリに及んだのだ」

「僕の、力が?」

ヒショウは改めてヒバリを見る。

 もしも自分がヒバリを助けたとして。もしも自分には心を癒やす力があったとして。

 もしそうだとして、あの方の役にも、きっと、立てるのではないか?

「その子に夢を見せたのも、あなただ。その子が生きたいと思えたのも、あなただ。あなたがヒバリを、助けたのですぞ」

「そんなことは、ないです」

救われてばかりいるのは自分の方なのだ。そう、思っていた。でも、今は違う。

「ヒバリ様もきっと、ご自分でご自分を救われたのですよ。自分を救えるのは、自分だけなんです」

「ふふ」

ヒバリが笑った。

「ヒショウさんはなんだか、ゼン様に似てきましたね。不思議。生まれ変わった見たい」

「僕が、ですか?」

「勿論です。あのお方はどこにいらっしゃるのですか?」

「あの方は……」

ヒショウが言いよどんでいると、代わりに村長が答えた。

「あのお方は南都へ行かれた。今朝のことだよ」

「そうですか……」

ヒバリは少し考えるようなそぶりを見せたが、しかしすぐに真剣な顔でヒショウを見た。

「今朝出て行かれたのなら、まだ追いつけます。早く追いかけてください」

ヒバリははっきりとした声で、そうヒショウに言った。

「行ってください。あなたが本当に会いたい人のところに」

 ヒショウは、うなずいた。そのまま、走り出す。

 ヒショウが目の前を通り過ぎていくと、まるで羽になでられたかのような柔らかな風が吹いた。ヒショウの姿が見えなくなると、村人達は何か力が抜けていったように感じた。無意識のうちに張っていた気が一気にゆるんだのだ。

「あの子は一体何者なんだい」

ムクが言った。

「あの子が本当にヒバリをなおしたのか?」

「ゼン様の奴隷じゃなかったの?」

皆がざわめき始める。無理もない。ただの奴隷だと思っていた少年が、突然光を放ち、不治とされていたヒバリの不調を見事に直してしまったのだから。

 説明を求めるように村長の方を見たものもいたが、彼は微笑んだまま、何も答えることはなかった。

「でも、俺たちは見たんだもんな、。あの奇跡を、あの子の力を」

「ええ。信じられない……でもお礼を言わなきゃ。それに、ヒバリはああ言ったけど、このままゼン様に追いつけるのかしら」

「今からでもあいつを追いかけて、止めてやった方がいいんじゃねえのか?」

「食いもんだけでもやんねえと」

「やめてください!」

ヒバリが叫んだ。

「うつむいてばかりだったあの人にはやっと、前を見始めたんだよ。それなのに、わざわざ振り向かせる必要なんてないじゃない」

おかしそうにヒバリは笑った。

「ヒショウさんのことを見ていたのなら、私のことも見ていたでしょ?私に言わせれば、あれは奇跡なんかじゃない。偶然でもない。私が私を助けた、それだけのことでしょ?」

それに、と彼女は言葉を付け足す。

「あの人が何者であっても、いいじゃないですか」

ヒバリは元気よく立ち上がると、両手を大きく広げて見せた。

「ヒショウさんが奴隷でも、特別な力を持っていても、あの人は私の――大切なお友達なのですから。信じてあげましょう、ヒショウさんを」

 窓の外を見れば、すっかり空は晴れていた。今ならきっと、虹が見えるかもしれない。

 外へ出たい。

 外へ出て、走りたかった。今度はきっと、楽しいし、面白い。なんの目的がなくても、ヒバリはただ、走りたかった。ただ走ってもいいのだという幸せを、踏みしめたいと思った。

 窓から差し込む明るい日差しが村人達を照らす。

 そのまぶしい光を見上げ、おもむろに懐から一枚の布を取り出した女がいた。ぼそぼそと誰にも聞こえないような小さな声で神を賛美するその女の手に握られた布には、かつてヒショウの顔にあった朱雀の刺繍と同じ刺繍が施されだった。

「朱雀様、万歳」

女は小さくつぶやいた。


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