昔話
無造作に積み上げられた本の中、村長は一冊の本に手を伸ばす。それはかつて、ゼンが手を伸ばし、とるのをやめた本だった。
本にまとわりついたほこりを払い、村長は丁寧に本の頁をめくる。立ち尽くしたままのヒショウを見ると手招きをした。
「来なさい」
ヒショウはゼンの外套を抱いたまま躊躇ある足取りで近づいてきた。
「この世界には、神がおはすることをご存じですかな?」
村長は落ち着いた声で言う。ヒショウは首を横に振った。
「世界の創造主たる神は、この世界をすべて折られるお方ですよ。各国を治める王たちとはまったく異なる位、天上にあのお方はいらっしゃる」
村長が本を朗読して語り聞かせたのは、まるでおとぎ話のような話だった。
天上には、神の世界が広がっている。そこにすむ生き物はすべて、特別な力を持っているのだそうだ。かつて、神は万物を作り上げた。中でも人を愛し、人と神はともに暮らしていた。人は神とともに、繁栄の一途をたどったはずだった。だが、しばらくすると、人間は特別な力を持った天上界の者達をうらやみ、反抗するようになっていった。神をののしり、暴力を振ろうとしようとする人間が現れると、天上界の住人達は元の場所へもどり、人間界から離れて暮らすようになった。そして、神の加護を失った人間達は堕落をして行く。その様子に心を痛めた慈悲深い神は、神獣達を人間界に遣わせ、人間が己の力で世界を救うように助けさせたのだ。
「まるで……まるでゼン様みたいな神様ですね」
慈悲深く、己の力を重視するその姿勢は、ゼンそのものだった。
「ええ、そうですね。ゼン様は、このような神話にも深く精通しなさっているそうですぞ。神様を見習っておられても、おかしくはありません」
村長はさらに本の頁をめくった。
「この章をご覧ください」
村長が開いた頁には四匹の獣のようなものが描かれていた。
「これが、神獣です。四神様、と一般的には呼ばれています」
「四神様……?」
「ええ、そうですぞ」
獣の絵の下には、小さく説明書きが書かれていた。
秩序の神、青龍。
感情の神、玄武。
時間の神、白虎。
生命の神、朱雀。
四匹の獣はそれぞれ各国に降り立ち、相応と判断される者に宿って力を与えたそうだ。
「我が国の神、朱雀様は生死を司っておられる、不死のお方だ。あなたもそのお力をお持ちなのでは?」
村長はゆっくりと言い聞かせるように、そう言った。ヒショウはほんの一瞬、心臓が止まったように感じた。
「で、でも、僕は相応とは思えません。僕はそんなに、立派な人間ではない」
「四神が宿っているお方はこの世界に四人しかいらっしゃらないが、その方々が認めた人間に、ほんの少し力を分け与えることもあるそうですぞ。方法までは、私も知りませんがね。ゼン様もそのお一人です。ご本人は身に覚えがないといっておられたが、あれは確かに神様の力だ」
「僕が……不死身……?」
確かにヒショウは、昨日死んだはずだった。ヒショウはもう一度、己の首を触る。そこにはまだ糸が少しついていたが、絞められた後のようなものは残っていない。からだの他の部分も同じだ。締め上げられた糸が食い込んだはずの皮膚には、なんの痕も残っていない。少しは残っていてもいいはずなのに。
ヒショウが全身をまじまじと観察しているのを面白そうに見て、村長はにやりと笑った。
「あなたのその小指、少し不自然ですね」
「えっ」
ヒショウは慌てて己の小指を見る。
一見するとただの小指であったが、良く見ると付け根のあたりから少しだけ変色をしていた。荒れきったヒショウの手の中で、小指だけが新品のように白く、綺麗だった。
「まるで失った小指がまた生えてきたようですなあ」
ヒショウはまるで、初めて見たかのように小指を細かく動かした。なんの不調もない。十全だ。信じられないが、村長の言っていることが正しいとしか思えなかった。
「僕は、一体何なんです。不死身だなんて……僕が不死身……?人間じゃないんですか、僕は……?本当に……本当に、僕が?」
村長は口を開く。ヒショウの質問に答えようとしたその時だった。
家の戸が激しくたたかれた。本の山が崩れ、音を立てる。
ヒショウは頭よりも先に体がうごいて、戸の方へ走っていった。あり得ぬ期待を抱き熱くなっていた胸は、土砂降りに当たり冷え切っていった。
そこには、青い顔をして立っている、ヒバリの養父の姿があった。
「助けてくれ!」
村長も本の山を崩しながら、焦った足取りでヒショウのあとを追いかけてきた。
「一体どうしたのじゃ?」
「ヒバリが、急に、意識を失ったんだ!」
「なに?つい昨日までは元気だったではないか」
「ああ。だが、本当に急だったんだ。急に倒れたと思ったら、目を覚まさないし。こちらの呼びかけにも応じない。ほとんど呼吸もしていないんだ。お願いだ、助けてくれ!」
ヒショウは後ずさりをした。足が震える。
「なぜじゃ。裂け目が塞がれたのに!」
確かに、ゼンによって裂け目は塞がれた。それ以降、ヒバリの体がむしばまれることはなくなった。だが、すでに彼女の体と心は限界を迎えていたのだ。彼女の絶望はそれほどまでに大きなものだった。
「助けてくれ……このままでは……このままではあの子が死んでしまう」
「しかし、私に出来るのはあの子の心を気休めの術で和ませることぐらいじゃ。意識がないのなら、なすすべがない。どうすればいいのだ」
ほんの少し前の自分なら、これも運命なのだと冷めた目で瀕死のヒバリを見たことだろう。死は救済だ、なんてぬるいことを言って、他人事として片付けて、本心では自分の事情を知るものが一人でも減って良かったと思っていたのかもしれない。
だが、今は違った。
助けたいと、純粋に思った。生きてほしい、と強く思ったのだ。
「とにかく来てくれ。出来ることは何でもいいからしてくれないか!」
必死の叫びは、ヒショウに深く届いた。
「わかった。やるだけやってみよう。あなたも、一緒に来なさい」
ヒショウは答えた。
「僕を、連れて行ってください」




