年始の大評定
1488年 1月5日 江戸城
年が明け、年賀の挨拶をしに多くの家臣や国人衆が江戸城へ集まる機会にと、今日、1月5日に新年の大評定を実施する事を事前に告知し本日に至る。
…のだが、一部、豊嶋家の家臣でも臣従している国人衆でも無い者が混じっているのは気のせいだろうか…。
いや、気のせいではない。
足利成氏、政氏親子に加え、足利尊成が大評定に紛れ込んでいる!!
まあ、漏れたら困るような内容は個別に報告を受ける為、大評定においては、外に漏れても問題無い内容報告や方針説明になるから良いんだけど。
うん、何故来たのか成氏に聞いたら、これから関東より打って出て所領拡大を目指す以上、豊嶋家と足並みを揃える必要があるから、豊嶋家の方針を把握しておきたいとの事だった。
成氏は足利幕府、最後の将軍になる事を承諾しているし、既に遺恨のあった上杉家は没落した以上、各地の戦乱を鎮め天下の静謐と海の外、いわば海外よりこの日ノ本を守る重要性をある程度理解している。そしてこの関東から京を目指すとなれば、背後の奥州を安定させ後顧の憂いを取り除く必要があると見解が、俺と一致しているのだが…。
俺が成氏達の参加を認め、大評定の最初に成氏達が参加する意味を説明したので大きな混乱はなかったが、当初、集まった者達は成氏達が居るのを見て驚いていた。
「さて、これより各方を任せている者、及び、各長官よりの報告してもらうのだが、まず矢野兵庫、甲斐はどうなっている?」
「はっ! では甲斐の状況につきまして報告をさせて頂きまする」
俺より指名された矢野兵庫は、広間に集まった者達へ甲斐の河川などが書かれた簡易的な地図を配るよう配下に命じ、地図が行き渡った頃を見計らい、説明を開始する。
矢野兵庫によると、疫病に関しては衛生環境改善を国人衆や領民に徹底させた事で収まりつつあるが、昨年の収穫高は壊滅的であったとの事だ。
現在、救済措置として俺が命じた公共事業である堤の建設や用水路の開削、道の整備に多くの者が集まり、人夫して働き対価として米と穀物を与えているので、飢饉による飢えは凌げているとの事だ。
道の整備については主要な道の拡張整備などが終わり、堤に関して釜無川や塩川は、北杜付近より建設を始め、約5ヶ月で韮崎辺りまで進んでおり、笛吹川やその他河川も順調に工事が進んでいる。
人夫として働けば、飢饉による飢えを凌げるとあって、農閑期となったら甲斐各地から多くの者が集まった事で作業が予想以上のスピードで進んでいる。
やっぱり、武田信玄というか晴信が堤の建設を始めた時は、道具も人手も今と違うし、スピードに違いは出るね…。
ツルハシにスコップ、荷車や猫車、この時代では珍しい? バケツリレー方式の導入等々で作業の効率化を図っているし。
だが、今年も甲斐が凶作だと豊嶋家の財政が傾きかねない…。
念のため、矢野兵庫には無理をして米を作らず、稗や粟や蕎麦、そしてサツマイモとジャガイモに加え、カボチャを作るようには伝えているものの、どうなるか。
「次に、上野を任せている長尾景春、越後への足掛かりはどうなっておる」
「はっ、さすれば…」
矢野兵庫の報告が終わったので、越後攻略を担当する長尾景春に話を振ると、景春は澱みなく報告を始めた。
景春は、越後へ兵を進めるのではなく、越後へと続く道の整備拡張を行っているが、今は冬場と言う事もあり雪で三国峠が閉ざされている為、もっぱら兵士の訓練を行っているとの事だ。
因みに越後へ続く道は、沼田から三国峠の手前まで拡張が終っているとの事で、雪解けを待って再開予定となっている。
景春曰く、雪解けと農繁期が重なる為、農閑期になる迄は、専業兵士が作業をおこなう。
そして景春がもう一つ行っていた調略に関しては、坂戸城(新潟県南魚沼市)を居城とする上田長尾家の当主長尾 景隆に接触を図り、現時点では豊嶋家に臣従させるまでには至っていないものの、越後と関東をつなぐ道の整備に関しては、関東と越後の商いが活発になれば上田長尾家も潤う為、邪魔はしないとの確約を得ている。
うん、大軍が余裕で通れる道さえ出来れば、上田長尾家が豊嶋に臣従せず敵対しても問題は無い。
居城の坂戸城は難攻不落と言われているものの、豊嶋軍にとっては難攻不落ではないのだから。
「さて、太田道灌、伊勢の動きと、信濃の情勢はどうなっておる?」
「さすれば、まず駿河守護、伊勢盛時の動向にございまするが…」
そう前置きをし、道灌が伊勢盛時の動向を説明し始める。
これに関しては、この場ではなく密かに報告を受けた方が良い話ではあるが、今回は敢えて大勢の前で説明をさせる。
昨年末に豊嶋家と伊勢家の和議が成立し、富士川を境とし、両家の境界も確定した。
和議の成立により、本格的に伊勢が動くと思い、以前より伊勢の動向を探っていた風魔衆を使ってこれまで以上に詳細を調べるよう道灌に命じていた。案の定、東からの脅威が一時的にでもなくなった伊勢盛時は、以前より密かにおこなっていた遠江の国人衆への調略を本格的に始めていた。
主に狙いを定め調略をしているのは、遠江の沿岸部に所領を持つ国人衆。
先の合戦で豊嶋海賊衆が荒らしまわった地域の国人衆だ。
この国人衆は守護である斯波義寛に従い、豊嶋家が支配する駿河や伊豆攻めに加わったものの、得る物が無かったばかりか、所領を豊嶋水軍に荒らされていた。
にもかかわらず、守護の斯波義寛からは感状ひとつも無く、それどころか、斯波義寛は早々に遠江を離れ尾張に戻っただけでなく、昨年の六角高頼攻めに際し、遠江の国人衆達から兵糧を供出させていた。
当然、沿岸部に所領を持つ国人衆達は、斯波義寛に免除を申し出たが認められず供出を強要されていた。
そこに伊勢盛時が付け込み調略をかけており、密かに伊勢と通じる者が多いらしい。
う~ん、遠江の調略を邪魔したいが、沿岸部の国人衆は豊嶋が横槍を入れたら反対に伊勢に味方しそうだから、下手に手を出せない…。
風魔衆を使い、尾張と遠江に噂を流すしかないな。
あとは信濃だが…。
こちらも伊勢の調略の手が伸びているらしい。
とは言え遠江と違い、甲斐を攻めて豊嶋家と戦ったのは、諏訪家と佐久の国人衆でそれ以外は豊嶋家と関わっていない為、危機感が無いようで反応は鈍いようだ。
道灌の報告が終わると、一旦小休止を挟み、豊嶋家の内政状況報告を聞く。
豊嶋家の内政状況…。
昨年の収穫高は、検地により算出された収穫高より3割減、その上、甲斐での消費量が膨大な為、西国から買い付けた米や穀物類で何とか領内が食料不足にならないものの、今年も昨年同様となれば、豊嶋領でも飢饉になるとの事だった。
また財政に関しても、米や穀物の買い入れ、湊や利根川、入間川の堤の建設等で出費が嵩み、交易で得た利益がそちらに流れているため、ハッキリ言ってひっ迫をしている。
まあ唯一の救いは、公共工事的な堤の建設等で金をばら撒いているので、豊嶋領のみならず、関東の各地が好景気になっている事だ。
呂宋、琉球に向かった大船3隻を除いて、他の船は西国で米や穀物を買い入れて江戸に運んでいたので、残念ながら海外貿易での利益は少なかった。
各省からの報告が終わった後、最後の締めとして俺から今年の目標を集まった全員に伝える。
「皆の者、昨年、豊嶋家は幕府より、武蔵、伊豆、甲斐、上野、下総、上総、6カ国の守護に任じられた! これは今まで前例の無い破格の事だ。 だが、それは裏を返せば、幕府は豊嶋家を力で御するのではなく、守護職を与える事で内に取り込もうとしておる。 恐らく幕府より出兵の依頼が来るだろうが、我らの目的は関東の静謐を守り、領民が飢えることなく笑顔で過ごせる国を作る事である。 故に今年1年は攻められぬ限り、豊嶋家より他国へ兵を出さぬ! だが再来年より奥州を従える戦いが始まる。 故に皆は兵の調練に加え内政に力を入れよ!」
「「「「ははっ!!!!」」」」
俺の言葉に、全員が平伏し、俺が広間を出ると、家臣達も広間を後にする。
豊嶋家の現状報告…。
実は各省からの報告は、敢えて誇張して報告をさせたんだよね。
この撒き餌に誰が喰いついて来るかな??
稚拙な文章ではございますがお読頂き誠にありがとうございます。
また誤字報告ありがとうございます。
本当に、誤字脱字、言い回し等、稚拙で申し訳ございません。
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