甲斐の仕置き 2
川田館の門前で穴山信懸の首を刎ね、高札を掲げ晒すよう指示を出した後、続けて傍に控えていた矢野兵庫と小山田信隆に対し、今すぐ兵を動かし穴山攻めを行うよう命を下す。
「よいか! 抵抗する者に容赦はいらん! 抗う者は討ち取れ! あと穴山信懸の妻子のみならず、一門を捕えるのだ!」
「恐れながら、穴山信懸の妻子と一門を見せしめに?」
「いや、甲斐より追放する! 甲斐から穴山の名を消し去り、武田信昌殿への供養と致す!」
俺がそう言うと、矢野兵庫と小山田信隆への命を聞いた国人衆達が、続々と参陣を申し出たが、それをやんわりと断り、謁見の続きをする事を宣言する。
(其の方らの気持ちはうれしい!)という顔はしたけど、今から所領に戻り陣触れをし兵を率いて参陣した頃には既に事は終わっているだろうし、仮に兵を率いて参陣されて手柄とか挙げられても面倒だし。
なによりまだ謁見が終わっていない国人衆が多いのだ。
個人的にはとっとと謁見を片付けて、従わない国人衆を滅ぼした後、甲斐統治の為に拠点を移す手配や、堤を建設する為の打合せなどがある。
今年は野分が甲斐を襲うから堤の建設はその後になるが、準備を始めておかないといけないし。
謁見に来た国人衆達には、野分が甲斐を襲う事を伝えはしたが、あまり信じて無い…、というか、大雨が降るとすぐに川が氾濫するので野分が来なくても水害と隣り合わせと言った感じの印象だ。
夜になり、謁見もひと段落したので、臣従を申し出た国人衆の所領が記された地図を前に、次の攻略先を検討する。
因みに穴山領へ攻め込んだ矢野兵庫と小山田信隆は、さしたる抵抗を受ける事無く穴山館に兵を進めると、ほぼ無人の館に入ることとなった。そして明日以降は抵抗をする国人衆を攻めつつ、穴山信懸の妻子と一族を探し捕えるとの事だ。
普通なら、豊嶋に臣従の意を示すための手土産として妻子や一門を捕えて突き出す者がいるはずなんだが、それをした穴山信懸が捕えられて首を刎ねられたとの話がもう伝わったのか、捕えて突き出そうとするものが居ないらしい…。
うん、俺の行いによるものだけに、自業自得としか言いようがない。
まあどちらにせよ甲斐から追放するだけで命までは取らないから、勝手に他国へ落ち延びてくれるんならそれでもいいんだが…。
その後、甲斐で豊嶋に対し臣従を申し出なかった国人を攻める為に甲斐の各地に兵を進める。
今井、大井は伊勢盛時に何か吹き込まれているのか、それとも己の矜持が許さなかったのか、抵抗をする姿勢を示したものの、農繁期で兵が集まらず不利を悟ったのか、兵を進めると居城を捨てて諏訪に落ち延びたとの事だった。
諏訪家の当主、諏訪頼満より(甲斐の国難に付け入り、甲斐の者の土地を奪うは畜生の如き所業である。 即座に奪った所領を返還せよ)と書状が届いたが、確か諏訪頼満はまだ14歳ぐらいのはず、恐らく実権を握っているであろう、諏訪継満、金刺興春、高遠継宗、辺りが伊勢の入知恵で書かせたのだろう。
この書状を読んで俺の怒りを買って諏訪に豊嶋が攻め込んでも、まだ若い当主が勝手にやった事と言い逃れるはずだ。
うん、無視!! 返書も送らない。 こちらからは諏訪は攻めない。
だが兵を挙げて、甲斐に足を踏み入れない限りは無視をし沈黙を貫く!!
諏訪頼満からの使者を追い返した2日後、豊嶋に臣従した国人衆を集め、今後について布告を出す。
まずは疫病の原因は衛生状態の悪さが原因であり、領内で埋葬されてない遺体は速やかに火葬し埋葬をし、今後亡くなった者も火葬し埋葬をする事。
関や座の廃止。
農業改革と検地の実施。
数年の間、各種賦役を免じる事。
最後に、これより豊嶋が行う治水工事に協力をする事だ。
検地に関しては、不満そうな者もいたが、小山田信隆を始め相模より来た者が、悪い事ではないと話すと、渋々といった感じで受け入れられた。
あとは堤建設や治水工事だが、協力しろと言っても、人を出せとか金を出せとかではなく、邪魔をするな、または文句を言うなという事であると伝えたら、多くの国人衆が安堵のため息をついていた。
それに加え、甲府にある守護所を大掛かりに改築し、躑躅ヶ崎館と名を改めて、甲斐統治の拠点とする事とした。この対応のため農閑期には一日米1合、そして蕎麦を2合または稗か粟を2合を日当とし、昼飯を支給すると触れを出して甲斐各地より労働者を募り、躑躅ヶ崎館の建設と、堤建設を始め治水工事を行う事を宣言する。
これには国人衆達が驚き、賦役としてではなく、本当に、日々、集まった者に米や穀物を与えるのかとの疑問の声が相次いだ。
恐らく、その米や穀物を自分達に供出しろと言われるのではないかと恐れていたようだが、全て豊嶋家が出すと言ったら、安心した表情を浮かべていた。
疫病もそうだが、甲斐は現在進行形で飢饉が続いている。
春になり多少なりとも山菜などで食いつないでいる感じである以上、今すぐにでも館の建設や堤建設を始めとした治水工事を行う必要があるのだ。
うん、公共事業というやつだね。
これで豊嶋の元で働けば飢えずに済むのだから。
尚、小山田信隆には、甲斐国内の鉱山は豊嶋家の物とする事を条件に、八代郡と巨摩郡の一部を与えた。
他は豊嶋家が治める事とし、矢野兵庫率いる第七軍を躑躅ヶ崎館に配置する。
相模は現在留守番をしている副将の山口高忠に任せ、必要に応じて甲斐に兵を送るように命じよう。
まあ実際の所、富士郡、駿東郡を守る太田道灌がいる以上、駿河の伊勢盛時が甲斐に攻込むことはできない。
可能性があるとすれば信濃の国人衆が甲斐に攻込んで来るぐらいだが、第七軍2000と鉄砲隊500を残しておけば問題はないはずだ。
後は米や穀物の輸送だな…。
富士川の水運が使えれば良いんだが、実はこの時代、まだ富士川の開削がされておらず、鰍沢から岩淵までの水路が出来ていないから船で荷を運ぶことが出来ないのだ…。
幸い、小山田領を通り米や穀物を運ぶことは出来るが、笹子峠が…。
いつか絶対にトンネル掘ってやる!!
稚拙な文章ではございますがお読頂き誠にありがとうございます。
また誤字報告ありがとうございます。
本当に、誤字脱字、言い回し等、稚拙で申し訳ございません。
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