駿河の動きと甲斐の疫病
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申し訳ございません。
1486年3月
1月の岩橋討伐、常陸攻めを終わらせて約2月、新たな所領となった下総の香取郡、海上郡、匝瑳郡、常陸の香島郡、行方郡、信太郡、河内郡に住む領民の慰撫と検地、そして国人衆達への転封案などに追われて多忙な日々を送っていた…。
いや正確に言うと検地と領民の慰撫以外は大体終わってはいるのだが、常陸4郡を得た事で、個人的にやりたい事があり、その草案作りに追われていたと言った方が正しいのだが。
そして今日は、その草案を伝え実行に移すべく、領土建設省の長官、木戸孝範、農政省の長官、白子朝信、大蔵省の長官、宇田川清勝を呼び、説明を行っていた。
やりたい事…。
それは河川改修…、そう利根川東遷事業により流路を変更させる事だ。
かなり大規模な事業であり、金もかなりかかるが、利根川の流れを変え、更に干拓事業も同時に行う事で、かなり広大な農地も作れるはずだ。
3人の長官を呼び、利根川の話をしていると、駿河の太田道灌より伊勢の動向についての定期報告が書かれた書状が届いたと近習の者が報告しに来た。
実は、駿河に関しては、伊勢盛時や幕府の動き如何で情勢が急変しそうなので、道灌からの書状が届いたら、直ぐに報告するように指示を出していたのだ。
昨年より駿河では、今川家の家督を巡り、幕府を後ろ盾とすると伊勢盛時が、今川家の一門や家臣と対立している。
届けられた書状を読むと、そこには、どうやって幕府に認めさせたのかは不明だが、伊勢盛時が幕府から正式に駿河の守護に任命された。
だがそれを良しとせず、三河の吉良家から養子を迎え当主としようとしていた今川一門や家臣が伊勢盛時を駿河から排除すべく兵を挙げたのだ。
伊勢盛時が守護となる事を良しとしない者が兵を挙げる事を予測していたのだろう、それに対する対処は道灌も驚く程、手際が鮮やかであったらしい。
合戦は、伊勢を良しとしない者達が集まり5000の兵を集めたのに対して、伊勢盛時は1500程でそれを迎え討つ形となったのだが、いつから仕込んでいたのか、敵であるはずの龍王丸派だった今川家家臣の一部や国人衆のが伊勢に通じていたのだ。
合戦が始まると、兵数に劣る伊勢が数に押され後退を始め、それを好機と見て総攻めに転じた今川勢だったが、その時、戦場に狼煙が上がり、直後、伊勢に通じていた者達が今川勢に攻めかかったのだ。
まさか勝利は目前、という所で味方に裏切り者が現れると思ってもみなかった今川勢は、先程まで味方だった者に攻められて混乱をする。
それを見た伊勢盛時は徐々に後退させていただけの兵を再度押し出させ、今川勢に攻めかかった。
駿河守護となった伊勢盛時に従う者と、特に盟主を決めず、主だった者が合議で方針を決めていた今川勢。
味方の裏切りに加え、伊勢が攻勢に転じた事で、いわば烏合の衆である今川勢の一角が崩れると、一気にそれが全軍に波及したことで、将兵は動揺し、自身の所領へ向けて蜘蛛の子を散らすように敗走をした。
更に、伊勢盛時は、この機を逃さず、今川一門に名を連ねる者や、大身の国人衆への追い打ちを命じ、多くの者を討ち取ったのだ。
その後、伊勢盛時は今川館に入り、駿河守護として従属を申し出る者達を引見し、従う事を拒んだ者を討伐するように命じた。
これにより、駿河の旧今川家一門の生き残りや所領を追われた国人衆が富士川を渡り道灌の元へ逃れて来て庇護を求めているとの事だ。
う~ん、今川家の一門を庇護して駿河攻めの際に口実とする事は出来るが、その後独立を目指されても厄介だし、かといって主家を乗っ取られ、庇護を求めて落ち延びて来た者を追い返すのも外聞が悪いし…。
とりあえず道灌には暫くの間、客人として扱うように命じる書状をしたためる事にした。
本当ならどこかの城を一つ与えてそこに落ち延びて来た者全てを住まわせる方が楽な気がするんだが、伊勢盛時の命で落ち延びたふりをしている者とか居そうだし…。
話の途中であったが、3人を待たせたまま返書をしたため、その後再度利根川の話を再開する。
領土建設省の長官である木戸孝範と、農政省の長官である白子朝信は大規模な工事と開発でどの程度の時がかかるか想像もつかないと頭を抱え、大蔵省の長官である宇田川清勝も、規模が桁違いで費えの試算が出来ないと難しい顔をしているが、計画自体は賛成のようで、各省へ戻り配下に計画を伝え工期や費用などを算出するとの事だった。
うん、江戸幕府を開いた徳川家康は、利根川東遷事業を外様大名たちにやらせたので懐は痛まなかっただろうが、それは戦国時代がほぼ終わりを告げたから出来た事で、今は戦国時代の真っ最中であり、常陸の一部と下総を除き平穏になりかけている関東も外敵に晒されているのだ。
特に甲斐の武田や信濃の村上、高梨などは恐らく夏頃には関東を狙って来るはず。
そう、風魔衆の報告によると、既に甲斐で疫病が流行する兆しが現れているとの事で、昨年の収穫もあまり良くなかったようなので、所領で賄えない食料などを求めて関東に乱取りをしにやって来るはずだ。
そして厄介なのが、疫病が蔓延している甲斐から人が来るだけでなく、飢えた農民達の多くが関東で乱取りをする為に、合戦に加わり大軍になる事だ。
関東に兵を出して来たら撃退もしやすいが、駿河の大半を手中に収めた伊勢盛時と手を組み、駿河の駿東郡、富士郡、そして伊豆へ兵を進める可能性もある。
調略を行い、甲斐国内で騒乱を起こさせるか…。
うん、調略を仕掛けるなら穴山家だな。
とりあえず、小山田信隆に命じ穴山を急ぎ調略させよう。
米100石と稗100石、粟100石、銭を100貫文程、手土産に持たせて疫病と不作で苦しむ武田家に対し兵を挙げるよう唆し、出陣したら更に米や稗、粟を兵糧として送ると言えば乗って来るだろう。
これで今年いっぱいは甲斐から武田は出て来られない。
後は信濃だが、守護の小笠原長朝に援助を口実に誼を通じたいと言い、兵糧と金を送ろう。
そして豊嶋は信濃の国人衆や民を助けるために守護である小笠原長朝に大量の米や穀物を無償で援助したが、それを全て我が物としているとの噂を信濃に流そう。
きっと信濃が荒れるはず!
これで今年は大丈夫そうだ。
それにしても我ながらエグイ事をしていると思う。
まあ戦国時代だから仕方ないか…。
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